第35話 誓約
それで、ようやく玄冥ははっとした。
自らの動揺が帳の威力を弱めているのにようよう気付いたからだ。
意識を込めると、途端に帳は色濃くなる。それを察し「伊勢」が微笑んだ。
「上手に気を取り直せたね」
「伊勢」の言い草に玄冥は思わず顔を
「ここで次に見えてくるのは、三という数字だ」
三本の指を立てて「伊勢」は玄冥の目をじっと見据える。
「この三という数字が不老不死の神聖を象徴していることはまず間違いない。キリスト教ですら三位一体というくらいだ」
(それだけをして? 持論の証左とする気か?)と、返す玄冥に、「まさか」と「伊勢」は笑った。
「当然他にもあるよ。不死性、子孫繁栄を
(……異性)
「うん。異性。例えば……そう、さっきも話したマヌと双子のヤマとヤミーもそうだね。妹のヤミーはヤマに対して子孫繁栄の必要から結婚を迫った。ヤマとヤミーは子を
(巨人であることが神性だと?)
「まあ、そう言う事にした方が分かりやすいのだろうね。強大性の比喩なんだろうとは思うよ。ヤマとヤミーが双子の男女であり、これが分割されたものというのも実に象徴的だよね。ヤマと同一であるユミルは、一人で男性も女性も生み出しうる両性具有であると見なされている。そして両性具有性といえば、日本の
すでに三指を掲げて見せていた「伊勢」は、今度はそれを下げた。後ろ手を組み、目元を細めて笑う。
「
(つまり、何が言いたい)
ついに玄冥の声に険がある。どろりと空気中の黒に粘性が増す。――怒りだ。玄冥からは怒りが発されている。
しかし「伊勢」は動じない。
ただ、笑っていた。
瞳の奥に冷たい光を宿したまま。
「何って、僕はさっきから、僕の解釈する君という存在について語り聞かせているんだよ。それ以外のなんだと思っていたんだい? あのね、君という存在は「胎内」性と「霊性」を兼ね備えているんだ。「胎内」性とは即ち生殖と繁殖の事であり、「霊性」とは魂の事だな。
(転生の話をしているのか)
「そういうこと。霊亀は冥界に行って神託を受け帰還する。これこそ卜占の本質だね。君の姿が亀と蛇に分割されているのは、この「胎内」性と「霊性」の分割を意味しているんだろう」
亀とは冥界の言葉を運ぶ霊性。
「つまりさ」と「伊勢」は目元を細めた。
「
ひたり、またどこかで音がした。
「霊亀の運ぶものが冥界からの言葉であるならば、その上に乗っていた
ひたり、また音がした。
「伊勢」の目が玄冥の間近に迫っている。
ここでようやく玄冥は気付いた。
ひたり、ひたり、ひたり。
それは、「伊勢」が己に近付いてきていた足音だったのだ。
(「伊勢」の、貴様――)
とん、と「伊勢」の人差し指が玄冥の胸を突いた。
にこり、と、笑む瞳の奥には白い光がぎらりと。
玄冥の身の内にざわりとしたものが駆けた。
「神話としては、残った三座が天帝に残された卜占であるわけだから、これに対応する瀛洲日本、蓬莱台湾、残り一つの方丈の国が天帝に対して何を語ったのか――知りたいところではあると、そういうことなんだよね。そして、まあ、これを実際に体現してしまっているのが僕、ということだ」
ひたり、「伊勢」の
「僕はね、この時残ってしまった
ついと、掌が上がる。指先が玄冥の首に掛かる。
白い瞳の光に宿るのは――執念か。
「瀛洲こと日本の事は
ざば、と音が響いた。
何処から流れて来たか、「伊勢」の足元を湯が流れている。
ふと顔を上げた先には、すでに玄冥の姿はなく、「伊勢」は苦笑を漏らした。
「ああ、残念だ。逃げられてしまった」
しかし、言葉とは裏腹に、「伊勢」の声に残念という響きはない。代わりに黒い帳が消え去り、温泉街特有の穏やかな賑わいと人の行きかう空気がよみがえる。
「長」
影の男女が「伊勢」の
「こういうことも、
理解だけは進んだよ――と、「伊勢」の長は片頬を笑みに歪めた。
虚空を
「
薄墨の夜空を――一羽の
「もうこれ以上誓約に反するべきではないのは……
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