地下監獄

 精神医療棟 0:26


 看守記録と復元できた三島の手記を鑑みて、精神医療棟に秘密が隠されていることは確実だ。地下にある袴田のいた独房を目指すことにした。


「一般収容棟から早稲田さんと人見さんの遺体が持ち出され、血痕はここへ向かっていた。途中で途切れていたが、この建物の中にあるのは間違いないだろう」

 火鳥は精神医療棟の黒い観音開きの扉を見上げる。煉瓦造りの建物で、管理棟に似た瀟洒なつくりだが、窓に鉄格子がついていることでここが監獄であることを思い出す。


 重い鉄の扉を開け、館内に足を踏み入れる。正面に木製のカウンターがあり、奥に独房の檻が並ぶ。カウンターの脇には二階へ続く階段があり、“医務室二階”と書いた案内看板が壁に据え付けてあった。ここには地階へ向かう階段は無い。

「地下への階段を探そう」

 火鳥は懐中電灯を点け、足を進める。通路には廃材が散乱し、車椅子があちこちに投げ出されていた。


「これは、すごいな」

 智也は不気味な光景に絶句する。房の壁に黒いクレヨンで文字がびっしり書かれていた。ここに収容された囚人はこうして精神の均衡を保っていたのだろう。

 他の房には稚拙な落書きがあった。家と木、その横に立つ四人家族。小学生の描くような棒人間だが、全員首と胴が離れていた。


 水瀬に至っては怖すぎるのか、先ほどから無言だ。青ざめた顔には表情がない。手に立派な日本刀を持った男がこのザマとは、火鳥は呆れてプッと吹き出した。


「階段があるよ」

 独房の一番奥に階段があった。智也が懐中電灯で階段を照らすと、煉瓦造りの階段がまっすぐに地下に伸びている。天窓の光も届かない地下は真っ暗闇だ。

「よし、降りよう」

 火鳥が先導する。水瀬と金村、時岡が続き、智也が最後について足もとを照らす。

 地下には看守の詰め所があり、檻の先に一直線に独房が並んでいた。


 一番奥の房に微かに明かりが灯っているのが見えた。あそこに真里がいるのかもしれない、智也は逸る心で足を踏み出す。

 火鳥は頭の疼きを感じていた。ここに何かいる。

「気をつけろ、智也」

 声をかけた瞬間、智也がヒェッと叫んで壁に貼り付いた。独房には生成の作務衣を着た囚人の姿があった。作務衣の前面は赤黒い血で汚れている。


 囚人が狂ったように顔を掻きむしっていた。皮膚が捲れ、肉がえぐれても止めようとしない。ぼとりと足もとに何かが落ちた。それは彼の鼻だった。

「目、鼻、口、他人と同じものは要らない」

 意味不明な言葉を呟き笑いながら、囚人は痛みに悶え床に転がりのたうちまわる。


「や、やめさせないと」

 檻に近付こうとする智也を金村が止める。

「あれは亡霊よ、もう死んでるわ」

 そう言われて智也は踏みとどまる。しかし、亡霊と言われても気分の良いものではない。こんな地下牢に閉じ込められたら、気が狂うのも分かる。しかし、自分の顔を要らないと掻きむしるなんて、異常だ。智也は身震いする。


 次の独房では素っ裸の男が檻の中を全力で走り回り、身体を壁にぶつけては血を流している。指はへし折れておかしな方向に間借り、皮膚が切れやすい頭は血塗れ、白い目が真っ赤な中でギラギラと光っている。

「待て待て、ほら掴まえた」

 男は勃起していた。飛び跳ねて壁にモロに性器をぶつけ、ひっくりかえって失神した。男性陣は痛みが想像できるのか、思わず目を背ける。


「ここにいたらこっちが気が狂いそうだぜ」

 水瀬は大きな溜息をつく。

 ふと、目の前に白い光がちらついた。それはだんだんこちらに近付いてくる。

「なんだあれ」

 水瀬は顔をしかめる。先ほどまで独房から聞こえていた奇声がピタリと止んだ。

 光は小さな稲妻のようにバチバチと音を立てている。同時に足音が近付いてきた。闇の中から黒いラバー素材のレインコートを着た男が現われた。頭にはフードを被り、顔を認識することはできない。


 フード男は両手に警棒を持っていた。スイッチを入れると、警棒に電流が流れて火花が散った。

「また別の怪人か」

 火鳥は身構える。

「クソッ、勘弁しろよ」

 水瀬は頭を抱える。


「お前たちは上へ逃げろ」

 火鳥は智也と金村、時岡に上へ逃げるよう促す。フード男が階段の方を向いた。彼らをターゲットにさせてはいけない。火鳥は肩掛けバッグを振り回し、フード男のボディを攻撃した。まったく効いていないが、注意を逸らすことはできた。


 火鳥は階段から逆方向、通路の奥へ向かって走り出す。

「何か策があるのか」

「無い」

 水瀬の問いに火鳥は即答する。やっぱりな、と水瀬は眉根を寄せて半笑いになる。フード男の電撃警棒の火花の散り方を見ると、電流を最大まで上げているように見えた。あの電撃を当てられ続けると、心停止も免れないだろう。


 通路を駆け抜け、一番奥の房の前で立ち止まる。

「遙兄!」

 檻の向こうに真里の姿があった。

「真里、無事か」

「うん」

「ちょっと待ってろ、助けるからな」

 火鳥は真里の無事に頬を緩める。暗闇の中から警棒を持ったフード男がゆっくりと近付いてくる。すぐ背後は壁だ。追い詰められた。


 火鳥は真里の独房を見やる。壁には絵画、ベッドにシーツ、棚の上には書籍が並び、花瓶に花が生けてある。火鳥はニヤリと口角を上げる。

「真里、言う通りにしてくれ」

 火鳥は真里に耳打ちをする。そして水瀬の肩を強く叩く。

「お前の三万円の威力が発揮されるときが来たぞ」

「はぁ?」

 水瀬は首を傾げる。火鳥の作戦を聞き、舌打ちしながらドスを取り出した。


 フード男が目の前に迫る。火鳥と水瀬は壁に背にして貼り付き、男を睨み付ける。フード男は威嚇するように電撃警棒のスイッチを入れ、火花を散らして見せる。フードに隠れた顔は下衆な笑みを浮かべているように思えた。

「来やがれ、ネクラ野郎」

 水瀬が挑発する。フード男は走り出す。次の瞬間、足もとを滑らせ見事に転倒した。男の足もとには水晶玉が転がっている。

「えいっ」 

 すぐに真里が独房から花瓶の水をぶっかけた。


「ふおぉおおお」

 スイッチが入ったままの警棒の電流が水に濡れた男の身体を走り抜ける。男は慌てて警棒のスイッチを切り、忌々しげに放り出した。

 火鳥と水瀬は男の横をすり抜けて、背後に回り込む。


 火鳥は独房の間にある懲罰房の扉を開けた。

「準備はいいぞ」

 水瀬は通路に転がっていた車イスの取っ手を掴み、フード男に向かって突進する。電流のダメージによろめく男は車イスの座席にストンとハマった。

「いっちょあがり」

 水瀬は車椅子で男を運び、懲罰房に投げ入れた。火鳥はすぐに扉を閉め、施錠した。

 懲罰房は分厚い鉄の扉でできており、鍵も原始的なかんぬきで頑丈な作りになっている。いくら怪力でもここを出ることはできないだろう。

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