限界集落の島

 大海原に浮かぶその島は黒い塊に見えた。こんもりとした小高い山がひとつ、島そのものという印象だ。

「神室島はかつてはみかんやだいだいなどの柑橘類の栽培と、漁業がさかんで、温暖な気候と穏やかな海は島民のくらしを支えてきました」

 中桐がカンペを手にこれから上陸する神室島の説明を始めた。人見と秋山は後部デッキで景色を眺めて二人の世界に浸っている。河原は写真撮影に暇が無い。


 火鳥と智也は中桐の説明に耳を傾ける。

「明日見学する神島刑務所は、昭和八年に建設されました。戦前のことです。当時の島民約800名は刑務所建設に大反対でしたが、帝国主義の流れに逆らうことはできませんでした」

 自分の生活する島に刑務所が建つなど、とんでもない話だっただろう。ひどい話ね、と真里が気の毒そうな顔を向ける。


「神島刑務所は主に凶悪犯、政治犯を収容する目的で造られました。のちに重度の精神疾患患者の収容棟が増設されます。島の三分の一が刑務所の敷地で、残りはほとんどが森と岩山、逆側の麓に集落があるという構成になっています」

 正面に見えているのは集落側だという。集落の背後にそびえ立つ山があり、その裏側に刑務所がある。


「刑務所は厳重に隔離され、鉄条網を張り巡らせた高い塀で囲まれています。海側は断崖絶壁、周囲にはめぼしい島も無く、まさに絶海の孤島。脱獄できた囚人は誰もいないそうです。昭和11年に一時閉鎖、昭和14年に再開され、昭和23年の完全閉鎖まで稼働しました」

 漁船はスピードを落とし、神室島の入り江に入っていく。船長はコンクリートブロックの岩壁に船体を寄せ、慣れた手つきでロープを繋ぐ。

 

 本土の竹野漁港もずいぶん寂れていたが、ここはその比ではない。古びた漁船が停泊するこじんまりした漁港を通り過ぎ、海沿いのひび割れたコンクリート舗装の道路に出る。道沿いに民家が並んでいるが、いくつかは空き屋のようだった。

「現在、島の人口は30世帯、70名ほどです。ここに暮らすのはお年寄りがほとんどです。島の産業だった果樹栽培も後継者不足で廃れてしまいました」

 中桐はまず今日の宿泊先へ案内するという。


「コンビニも無さそう」

 真里は不安そうに呟く。古びた個人商店を通り過ぎたが、営業しているようにはとても見えなかった。

「まさに限界集落だね」

 智也は島のうら寂しい雰囲気が気に入ったようで、嬉しそうに周囲を見渡している。


「刑務所の仕事で生活していた人もいるだろう」

 丘の上に黒ずんだコンクリート製のアパートが見える。すでに人が住まなくなってずいぶん経つ、そんな様相だ。

「その通りです。刑務所は負のイメージだけでなく雇用創出にも一役かっていました」

 火鳥の問いに、早稲田が頷く。髪が揺れて強い香水の匂いが鼻をついた。


「こちらです」

 中桐が足を止めたのは、年代物の二階建ての民宿だ。傾きかけた鉄製の看板に“七福亭”とかすれた文字が読める。

「モニターツアーだからってずいぶん予算をケチっているじゃない」

 歯に衣着せぬ物言いは秋山だ。人見が慌てて秋山を宥める。

「島の宿泊施設はここだけなんです」

 中桐が恐縮しながら頭を下げる。真里も正直、秋山と同じ気持ちだったが、言葉に出すのはやめておこうと思った。


 すりガラスの嵌まった木の扉を開け、声をかけると奥から中年女性が顔を出した。

「いらっしゃいませ、ようこそ神室島へ」

 腰の低い女性だ。笑顔を絶やさず、人数分のスリッパを用意している。マジックで部屋の名前が書かれたレトロなキーホルダーのついた鍵をそれぞれに手渡された。この後夕食の時間まで自由行動ということだった。


「古民家に泊まると思えば、悪くないかもね」

 別室の真里が部屋に顔を出した。火鳥と智也は同室だ。六畳間にちゃぶ台と綿がぺたんこの座布団が置いてある。築年数はかなり古く、廊下を歩くとミシミシ音がした。隣の部屋のドアの開け閉めの音もよく響く。


「トイレ、風呂は共用、貧乏学生のアパートだな」

 火鳥は昔を思い出すのか、皮肉な笑みを浮かべる。

 窓の外には瀬戸内海が広がっていた。

「おっ、オーシャンビューだぞ」

 智也がおどけてみせる。窓を開けると海風が心地良い。真里は小さく溜息をついた。


 午後七時の夕食の時間まで島を散策することにした。折り鶴や手作り民芸品が雑多に並ぶ手狭な受付カウンターに、手書きの島の地図のコピーが置いてあった。

 船を下りた漁港と海沿いの通りには民宿、商店、食堂が並ぶ。山沿いに集落が点在する他、廃墟となった鉄筋コンクリート製アパートが二棟。漁港の脇に狭い砂浜、背後に木が生い茂る山がそそり立つ。

 地図を見ると、居住区と刑務所を山が完全に分断しているのが分かる。


「山の頂上に神社がある」

 智也は俄然興味をそそられる。民俗学を専攻する智也にとって、神社や仏閣を巡るのはライフワークだ。このような孤島の神社は特に興味深い。

「この山を登るの」

 真里はあからさまに嫌そうな顔をしている。動けば汗ばむほどの陽気だ。

「行ってみよう、山の上から廃刑務所が見えるかもしれない」

 火鳥は別の意向で興味を惹かれたようだ。


 神社への参道は漁港脇の狭い砂浜の奥にある。砂浜へ向かう途中、軽トラのおじさんとすれ違う。

「若いもんが大勢で珍しいね」

 つばの擦り切れた農協の帽子を被ったおじさんが人懐こい笑顔を向ける。

「山頂の神社に行きたいんですが、この砂浜の奥の道から上がれますか」

 火鳥が地図を示す。道は狭いが、山頂まで繋がっているという。


「そうか、あんたたち、神島刑務所に行くのか」

 世間話がてら真里がツアーの話をすると、おじさんの顔色が不意に曇った。

「なんでも、島全体を観光地にするとかで最近ここへ来る者が多い。だが、あの刑務所には関わらない方がいい」

 おじさんはそれだけ言うと、軽トラで走り去っていった。

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