第3章(5)

 英梨たちが相対しているサカナは、およそ「サカナ」という名称が似つかわしくない形状をしていた。

 肌色の表皮にずんぐりとした胴、手足はなく触手のような突起が無造作に二本。おそらく頭部と思われる細長い器官の先に、小さな口が付いている。

 人の肌を継ぎはぎして作った植物、と言った方が的確かもしれない。

 そして重要なのは、それが地面を這っていることだった。

「来るよ」

 サカナが、想像以上のスピードで突進する。

 壁を破壊したときもそうだが、どうやらこのサカナは浮力の影響を受けていないらしい。すなわち、陸地と同じような動きを見せる。

 サカナは総一郎へと一直線に向かった。総一郎は飛び上がり、水泳のターンに近い要領でサカナとは反対側へとかわす。

 サカナはビチビチと跳ねながら壁にぶつかった。壁がわずかに陥没する。

「すばしっこいねえ。これを相手取るのはちょっと難儀だ」

 総一郎は、ひょい、と手前の病室へ入ってしまう。

「ちょっと、どこ行くのよ?」

 英梨は文句を言う横で、サカナが再び、今度は一生に向かって突進をかます。

 じたばたと逃れようとする一生の首根っこを捕まえて、英梨は天井近くへ飛び上がった。

「落ち着いて。動きをよく見て」

「は、はあ……」

 一生の頼りなげな様子に、英梨は苦笑する。

「ねえ、機関の施設で、プール練習しなかった? プールの中で、潜水艦のおもちゃみたいな機械と追いかけっこするやつ」

「あー、ありましたね」

「あれを思い出すとやりやすいよ。ちなみに、あの練習の考案者は私」

 しゃべりながら、三度目の突進をかわす。一生も幾分落ち着きを取り戻したようだ。

 とは言え、サカナの突進は脅威だ。一度でも正面から受けてしまえば、骨折の数本は覚悟しなければならないだろう。

 サカナは次の突進に向けて準備態勢に入る。英梨と一生は壁に沿って浮き上がるが――

「うわ」

 気付かないうちに空間の変質が進んでいたようだ。

 窓の留め具がイソギンチャクのような何かに変化しており、そこに一生の襟首が引っ掛かっている。

 とっさに英梨が飛びついて剝がそうとするが、吸盤でも付いているのか、イソギンチャクが離れる様子はない。

 目を前方に向けると、サカナがこちらに向かって猛然と進み始めたところだった。今の位置では、致命傷は避けられても一生の両脚がもげることになるだろう。

 南無三、と歯を食いしばった二人の前に、白いシーツが舞い降りた。

「遅くなったねえ」

 総一郎が、幾重にもより合わせたシーツを手繰り、サカナを受け止める。

 サカナは視界を覆われて驚いたのか――そもそも視覚があるのかも謎だが――もんどり打って、あらぬ方向へと進路を変えた。

 シーツを握っている総一郎は、サカナの勢いに引っ張られ、「あれえ」と言いながら宙を舞う。

 振り回されているようで、そのまま器用に、サカナをシーツで包み込んでしまった。

「相変わらずトリッキーな闘い方をするわね」

「正攻法は苦手でねえ」

 言いながら総一郎は手近な病室をごそごそやり、モップを手に戻って来る。

 サカナはシーツの中でビタビタと動いており、醜悪なクリスマスプレゼントのようだ。

 英梨の協力で、一生はイソギンチャクから解放された。シャツの襟を、背中の中ほどまで失う羽目になったのだが。

「仕上げはどうぞ」

 総一郎はモップを英梨に渡す。

「あ、ずるいわね。一番いやな役回りを」

 そう言いつつも、英梨はサカナを殴打する。数回ほど殴り、突きを繰り返すと、シーツの塊は動かなくなった。

「僕はどうにも、こういうのが得意でなくてねえ」

「もろに生物を殺している感覚だものね」

 英梨はモップを投げ捨てる。

「さて――」

 三人は瓦礫の向こう側を見やる。

「あの女が無茶苦茶していないといいけれど」

 そのとき、フロア全体に震動が広がった。

 水中でかき回されるような揺らぎ。ゴポゴポという水音が鳴った。

 三人を、へその辺りから下へと引っ張られる感覚が襲う。

「早いわね」

 英梨が辺りを見回す。

「――階層がさらに落ちる」

 三人の視界を、泡とより深い緑色が覆った。

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