お前のことは食べるけど *(★非表示があります)

 地階に残されたユーリとテオは顔を見合わせる。テオは、ふらつきながらも壁に手をついて、ゆっくり階段を上がり始めた。呼吸は乱れたままで辛そうに見えた。

「て、テオ……大丈夫?」

「大丈夫、だって」

 ユーリは慌ててテオに駆け寄って体を支えようとするが、手を振り払われ拒絶される。

「でも」

「ユーリ、俺から離れてろ」

 テオは一人で階段を上っていく。その背中に向かってユーリは、地階に響き渡る声で呼びかけた。

「ねぇ! 頼ってよ。テオが一人で苦しんでたって、それが、僕のためだったってあとから聞いて、僕が、何も思わないと思ったの!」

「ユーリ……」

 テオは振り返って、ユーリの顔を見る。ユーリは涙で濡れていた顔を袖で拭って前へ進み、テオの肩を支え、階段を一歩一歩上っていく。

「頼ってよ。先生だって言ってたじゃん、僕のそばにいたら、テオ大丈夫だって」

 降霊術課の部屋までたどり着いた時、テオは、ユーリの手を振り払って、また一人で外へ出て行こうとする。けれどユーリは部屋の入り口でテオの手を掴んで引き止めた。

「離せ、ユーリ」

「テオ、また東の塔に一人で行くの?」

「あそこには、先生が霊をあの場所に縛るための術かけてくれてんだよ。別に死霊術が素晴らしいなんて思わないけど、こういう時は役に立つな」

 テオは、そう吐き出す。

「テオは、僕のこと国一番の術師だって思ってるんだよね」

「ま、まぁ、それはそうなんじゃねーの?」

 ユーリの言葉にテオは気圧される。

「じゃあ、先生に出来ることが、なんで、僕に出来ないとか思うの? ――あんな暗くて怖いとこなんか行かなくても、僕の部屋に来たらいいじゃん!」

 ユーリのその言葉にテオは目を見開く。

「は、正気か? この兄弟子様は、馬鹿なの」

「馬鹿じゃない! テオは全然わかってないんだ。僕は、テオがそばにいたら、全然怖くないんだよ」

「嘘つけ」

「嘘じゃないもん」

 ふらふらになっているテオの手を強引に引いて王宮の廊下を歩き、ユーリはテオを自室まで連れて帰った。

 ユーリは部屋の中にある本棚から降霊術関連の本を取り出し机の上に広げる。国一番といっても、それは力の話であって、学問的な部分は、エルベルトには敵わない。こんなことなら、エルベルトみたいにもっとたくさん本を読んでおけばよかったと後悔する。

 ユーリの部屋に入ったテオは、もう出ていくのは諦めたらしく大人しくユーリの後ろのベッドで横になっていた。きっと動けないのだろう。

「ユーリの部屋広すぎねぇか。さすが降霊術師様だな」

「テオの部屋は、狭いの?」

「まぁ、相部屋だしな。昔の俺の家の部屋くらい。お前も一緒にいた」

 テオにそう言われて、本当に自分たちは、いつも一緒だったんだなと思った。考えてみればハーウェルのお屋敷に来る前だって、一緒の部屋に住んでいた。

 テオと離れたのは王宮に来てからだ。

 だから寂しいと感じるのは当たり前なのだと思った。

「あー! もう全然分からない。ねぇ、テオは、分かるの? 先生が言っていた意味」

 ユーリがそばにいれば、テオは大丈夫だというなら、きっと自分にしか出来ないことがあるはずだと思った。

 ユーリは話しながら一冊の本を開いて、あ、と声を上げ、テオの元に走り手を握る。

「テオ! ある。あった、僕に出来ること」

 ユーリは破顔してテオの顏を覗き込んだ。

「なっ、ユーリ、お前、何する気だよ」

「あのね、先生が、あの牢にどんな術を書いたのかは分からないけど、つまり、テオの守護霊であるレオンくんを僕が引き取ればいいんじゃないかな?」

「引き取る?」

「そう。そもそも、守護霊は一体しか契約できないけど、降霊会と同じで僕が呼び出したままならいいよね? ねぇ、レオンくん、これから、ずっと僕のところにいてくれる?」

 テオの枕元に足を乗せ心配そうにしていたレオンにそう言うと、嫌な予感がしたのか、レオンは枕元でテオにくっついて嫌々とふるふる首を横に振った。

「レオンは、俺がいいってさ」

「何で! 僕だったら、レオンくんずっと呼び出したままでいられるよ? テオともいつだって遊べるのに」

「レオンは、お前じゃなくて、俺のことが好きなんだよ。残念だったな」

「……まぁ、確かに、好きな人と離れるのは、つらいよね。うん、ごめん」

「俺がレオンとの契約破棄したとして、どうしてお前のところに行くと思った」

「お願いしたら、もしかしたらって、だって、先生、僕が霊に愛されているって言ってたし? そういうことじゃないかなって」

 自分だって、ずっと一緒にいると約束したテオが、突然離れていって寂しかったのだから、なんだかレオンに悪いことを言ってしまった気がして、ユーリはレオンに謝った。

「じゃあ、なんで先生は、僕のそばにいたら、テオの霊獣化が治るって言ったんだろ」

 ユーリは自分の降霊術師としての力で、いまテオに出来ることを改めて考えてみた。

「ユーリ」

 テオに手を引かれて、ベッドの上に腰掛ける。

 テオの頬は、上気して熱が出ているようだった。ユーリは、テオの額に手を乗せた。

「熱、上がってきたね。苦しい?」

「なぁ、あの場所で、俺が何したか覚えてんのかよ。何でお前は、そんなに呑気にしてられるんだ」

「……そ、それは、テオと一緒にいるって、決めてるから、だから……ね」

 頭の中であの時のことが浮かんで顔が真っ赤になる。言葉を続けようとしても、その先を口ごもってしまう。

「――あっそ。馬鹿な兄弟子様が、本当に馬鹿じゃなくて安心した!」

「う、うん」

「で、俺としては、言葉にして欲しいんだけど。兄弟子様は、どういうつもりで俺を連れてきたの?」

「だって、テオ、つらいんでしょ、だったら、僕は」

 獣に心を支配されたテオに爪を立てられた日。痛くても苦しくても、一緒に乗り越えたいと思った。自分にも何かテオに出来ることがあるなら、何でもしてあげたい。

 子供の頃、一人で寂しかったユーリを助けてくれた時と同じように、迷わずに自分もテオに手を伸ばしたいと思った。

 それが、ユーリの中の答えで、自分が考える一番の幸せだったから。

「レオン、もういいよ。ユーリが何とかしてくれるって言ってるし、もう、お前は寝てな、おやすみ。またな」

 テオはベッドから上体を起こしレオンの頭を撫でる。しばらくするとテオの枕元にいたレオンは消えてしまった。代わりに、東の塔の中で見た獣の姿をしているテオの姿が現れる。そのテオの姿を見たルルは、びっくりしてユーリにひっついた。

「ルル、大丈夫だからね、テオは、ルルのこと食べたりしないよ?」

「お前のことは食べるけどな。ほら、ルル怖がってるんだから、帰してやれよ」

「う、うん……」

 ユーリはルルを元の世界に帰して、ベッドの上に座っているテオに向き直った。

 頭の上にふわふわの耳がつき、フサフサの尻尾がテオのお尻にある。

「テオ、あのね、僕……えーっと」

 言わなければいけないことがあるのに、全然まとまらない。

「はい、残念。時間切れ」

「じ、時間切れって!」

 テオは、ユーリの手を掴み、ベッドの上に、ユーリを縫い止める。金色の瞳が、熱に溶かされて、じっとユーリを捉えていた。

「ユーリ。今からやり直し、するけど、いいか?」

「……テオ」

「それとも、やっぱりこの姿は怖いか?」

 金色の瞳、獣の本能に支配されるテオの姿。ユーリはベッドの上からそっとテオの頭に手を伸ばす。

「あ? 何やってんだよ」

「テオの耳? あ、レオンくんの耳か……触り心地が良くてさ、なんか自然と手が、ごめん」

「はぁ、マジで、お前の怖いの基準ってなんだよ。普通、こんな得体の知れない人間、怖いだろ。俺の今までの苦労、何だったの? お前にバレないように隠れて」

 テオはユーリの肩口に顔を埋める。テオの耳が、頬に擦れてくすぐったかった。

「怖くないよ、テオ。ほんとだよ」

 怖いはずがなかった。分からない存在と出会うときは、いつだって臆病者なユーリが顔を出すけれど、テオのことは、全部知っているから怖くなかった。むしろ、どんな姿でも、テオなら、そばにいてくれた方が、どんなにいいかと思っている。

 自分から黙って離れるなんて許せない。

 テオの全部が欲しいって思っているのは、ユーリだって同じだった。

「あっそ」

 テオのその声は、ぶっきらぼうだが、嬉しそうだった。

「むしろ、可愛いよ」

 テオの頭の上にある三角の耳がピクリと動いた。

「じゃあ、俺のこと好き?」

 テオは、顔を上げじっと、ユーリの目を見て顔色を確かめるように訊く。

「テオってさ。生意気だし、押しが強いのに変なところで、臆病だよね」

「なんだと?」

 テオはユーリの頬をぐにっと掴む。恥ずかしいことや言いにくいことがあると、いつも触れてくることを知っているので思わず笑ってしまった。

「だって、僕のこと大好きで、僕が怖がる顔見たくないからって、一人で近衛兵になること決めちゃうなんて、それが臆病じゃないなら、なに?」

 本当は、違うって分かっている。

 テオは、ユーリのことが大事だから、ユーリのそばから離れた。

 そして、怖がりなユーリを守るって言った子供の時の約束だけは違えたくないからと、ユーリの近くで働くことを選んだ。――テオを煽るつもりで言った。

「それに比べて、僕は、テオが悪いことしてるかもしれないって思ったから、東の塔まで一人で行ったし、エルベルト先生にだって一人で立ち向かった。臆病だし、頼り甲斐もない兄弟子だけど、でも、テオが隣にいれば、いつだって、国一番の降霊術師だって、自信あるよ」

「それ……全然駄目だろ?」

「うん、駄目だけど。それくらい、テオのことが大好き」

 ユーリが、答えると同時に、テオは噛みつくようなキスをした。

「ねぇ、俺がいないと駄目?」

「むしろ、困るよ」

 テオが、自分に対して、ずっと、こんな思いを抱いていたことを知らなかった。ユーリは、昔の気持ちと今のこの気持ちの境目なんて分からない。

 でも、今はテオと同じように、大好きだって分かる。

 次第にテオの口づけが深くなり、テオの手が触れたところが熱を帯びていく。あの日は、テオが放つ気が毒のようだと感じたけれど、今は蜜のように甘く感じていた。

 一緒にいれば大丈夫だとエルベルトが言っていたけれど、それはユーリ次第というよりは、二人の問題だと思った。

 ユーリを傷つけると言って、恐れていたテオの鋭い爪に唇で触れる。

「大丈夫、痛くないから、この爪は、僕を傷つけたりしないよ」

「ユーリ」

 何度も何度も、繰り返し自分に、テオに言い聞かせるように言葉にした。本当にテオの爪が獣のように伸びているわけじゃない。牙が生えたわけじゃない。全部気持ちの問題だから、自分が許して、相手が許せば、傷つけることなんてない。それはテオの心が見せた幻でしかなかった。

「ほら、大丈夫でしょう? 怖い爪、消えたよ」

 ユーリは、そう言ってテオの手を握り、優しく人差し指に口づける。

「なんで……」

「国一番の術師に出来ないことなんて、ないよ。そもそも最初から、僕に相談してくれればよかったんだ。なんで、先生なんかに」

「あ、ユーリが、いま先生なんかって、言った。珍しい」

「っ、ちが、今のは、言葉の綾で、別に先生が悪いとかじゃ」

「先生が悪いんじゃないなら、何が悪いんだよ?」

「う、うるさいなぁ、僕だって」

「俺の気持ち、ちょっとは分かったかよ。いつも先生先生って、俺じゃなくて、あいつの名前ばっかり呼びやがって。先生が出掛けたと思ったら、今度はレオンとルルがお前のこと独り占めにするし。俺はお前と一緒にいられないのに」

 そんなヤキモチ分かるかと思った。いつだって飄々としてて、単にテオはエルベルトと気が合わなくて、嫌いなだけだと思っていた。

「勉強だって別に好きじゃないし、お前みたいに術師の才能だってないけど。何年も大嫌いな先生の下で勉強して、ずっとユーリのそばにいたんだから、俺ってすごい健気じゃん」

 照れ臭そうに笑うテオのことが愛しくてたまらなかった。

「テオ」

「なんだよ、そろそろ食わせてくれる気になった?」

「く、食うって」

「お前、まだ、気づかねぇの? エルベルトが大丈夫だって言ったのは、お前と、えっちしたら、俺が、お腹いっぱいになって、満たされるからってことだろ」

 テオの直接的な言葉に、ユーリは顔が真っ赤になる。

「ほんと、我慢できなくなる。別に、この姿になる前だって、お前のこと、美味しそうに見えてたけどさ」

「え、じゃ、じゃあ、後悔してないの?」

「あ? 何が」

「あの日、僕と、え、えっちなことして、正気になったとき、い、嫌じゃなかった?」

 レオンの気に当てられて、流されてユーリの身体に触れたこと。

 テオの気持ちの種類は、自分と同じだって分かっているけれど、それでも、怖かった。今の心は、テオの本心なんだろうか、本当に自分と結ばれたいと思ってくれてるだろうかって。

「ばーか、当り前だろ? お前こそどうなんだよ、俺のこと助けたいとか、可哀想だから、抱かせてやるかなんて思ってんじゃねぇの?」

「ち、違う!」

「じゃ、兄弟子様は、俺と、気持ちいいことしたいですか?」

 世界一甘いお菓子でも食べているように、幸せそうにしているから、怒る気にもなれなかった。

 なにより、身体中を触られているうちに、ユーリの方が、落ち着かなくなってくる。

 頬を唇で弄ぶように、ちゅと音を立てて吸われる。

「ほんと、たまらなく美味しそうに見えるんだよな、お前。でも、自分にレオンの霊が憑いてなくても、ユーリに触れたいって思ってたよ」

「ほんと?」

「ほんと」

 テオは、そう言って優しく微笑む。こんな笑い方をするテオをユーリは知らなかった。なんでも知っていると思っていただけにちょっとだけ悔しい。

「僕だって、テオと、したいよ。このままだと切なくて、苦しい」

「上出来」

 テオは優しくユーリの額に口づけた。



 * * *


 ずっと一緒にいたいと願った気持ちが、やっと許された気がした。

「僕だって、テオのこと、ずっと好きなんだから」

「そうだったら、いいなって思ってた」

 テオは、ぎゅうぎゅうとユーリのことを抱きしめて、恥ずかしそうに耳元にキスをする。

 生意気な自分より大きい弟弟子だけど、時々どうしようもなく、可愛いと感じてしまう時がある。ベッドの上で抱き合っていると、ユーリは、さっきまであった、テオの頭の上の耳としっぽが既に消えていることに気づいた。

 あのふわふわがテオの体に、ずっとあればいいのにと思ってしまった。けど、それだと可愛いレオンとも遊べないので、自分の降霊術師の力でなんとか出来ないだろうか、って蕩けた頭で考えていた。

 きっと、そんなこと言ったら、テオは怒るだろうけど。

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