怖がりな降霊術師は霊獣に愛される

七都あきら

深い森の中で


 森の奥深く。木々の隙間から見える夜空は、まるでインク壷を覗き込んだような色をしていた。

 ユーリは苔の生えた石造りの祭壇の前で、カタカタと小刻みに震えている。

 寒さ、ではなく恐怖からだ。


 ついさっきまで暖かいベッドで眠っていた。その数時間後、日付が変わった瞬間、降霊術師の師匠であるエルベルトに叩き起こされ、弟弟子のテオと共に、この場所『精霊の森』へ連れてこられた。

 精霊の森の名前はユーリたち術師が呼ぶ通称で、街の人は『別れの森』と呼んでいる。迂闊に足を踏み入れると現世の人間とは二度と会えなくなる。そんな複雑で迷いやすい地形に由来していた。暗く、薄気味悪い森。

 ユーリも出来ることなら近寄りたくない場所だが、降霊のため何度も足を運んでいた。


 兄弟子であるユーリ。幼なじみで弟弟子のテオの二人が、それぞれ守護霊を呼び出し、精霊と契約を行うことが、師エルベルト・ハーウェルから出された課題だった。

 不気味な獣の鳴き声が時折、地響きのようにこだまする。これから行う儀式の演出よろしく周囲には霧まで漂ってきた。――霧、以外のモノも。青白く細い光が、一つ、また一つ、ユーリのそばに近寄ってくる。遊ぼう、遊ぼうって。


「これは、実に降霊会日和だね」

 この場にそぐわない、晴天の日に森へピクニックにきたような明るい調子の声が響いた。

「せ、先生。なんで、お昼じゃ駄目なんですか!」


 一度は祭壇の上へ両手を伸ばしたユーリだったが、くるりと振り返って術の手順を中断する。動いた拍子に濃紺のローブの頭巾が頭から落ち、今にも涙がはらはらと地面に落ちそうな表情が現れた。ポプラの綿毛みたいな、柔らかい銀灰の髪が夜闇に溶け込み、まるでユーリ自身が幽霊のようだった。


「んー、それは、先生も分からないねぇ」

「霊だって、昼間に呼ばれた方が嬉しいと思うな!」


 ユーリの後ろで見守っていたエルベルトは、肩にかかる翡翠を思わせる美しい髪を揺らし小首を傾げた。弟子として情けない姿にも、エルベルトは少しも感情を揺らさない。ユーリが十歳の時に弟子入りした当初から、エルベルトは見た目が変わっていなかった。歳は三十をとうに超えているらしいが、若々しい見た目の彼は常に冷静で温和な人柄だった。ユーリ自身もエルベルトの怒った姿なんて見たことがない。

 そんな終始笑顔のエルベルトの隣に立っているテオは、真逆の不機嫌顔で右手にランタンを持ち大きくため息をついた。

 昔は、ユーリより背が低く見た目も弟弟子らしかったのに、今では憎たらしくもユーリよりはるかに背が高くなり、大木のようにすくすくと育ってしまった。


「ねぇ! テオも、そう思うよね。幽霊だって精霊だって、夜はベッドでゆっくり寝たいと思う。夜に怖い霊が現れるのは、寝入り端を起こされた怒りからだ」

 テオはランタンの光に照らされた金色の瞳を細めると、前髪をかきあげ眉間にシワを寄せた。

「それで?」

 大きなため息のおまけ付き。


「ユーリくん。それは面白い仮説だね。今度、降霊術の学会で発表してみようか?」

「先生、降霊術師の大家『ハーウェル』の名前が汚れますよ。――で、あんなんですけど、本当にユーリ、今日で降霊術師として一人前、卒業でいいんですか?」

「もちろん。だってユーリくん、師匠の私より優秀だからねぇ。それに、約束だったから」

「約束?」

 テオは隣に立つエルベルトに視線を向けた。


「去年ユーリくんにお願いされたのですよ。テオくんと一緒がいいから、君が成人するまで卒業は待ってって。そして、今日は降霊に適した月食。昨日は、テオくんの十八の誕生日。ね? もう私が待つ必要はない」

 テオは本来なら尊敬すべき兄弟子が、師匠にそんな情けないお願いをしていたことを知り亜麻色の髪を手でぐしゃぐしゃ乱す。


「こんなのが、この国一番の降霊術師様ねぇ」

「こんなので悪かったな! 怖いものは怖いんだよ! テオのばぁーか!」

「は? バカは、お前だろ」

「あ、兄弟子なのに、酷い」

「一年しか変わらねーよ。つか兄弟子っていうなら、兄らしく早く終わらせろよ。ユーリのあとで、俺も同じことやるんだから」

「テオは、ここにいっぱいいる霊が見えてないから、そんな悠長なこと言ってられるんだ!」

「あぁ? 見えなくてもいいから一緒に弟子入りしてって泣いたの誰だよ」

 テオの眉間のシワがさらに深くなる。

「あ、あれは、こ、子供……だったから」

 かっ、とユーリの白い頬が赤くなった。

「……今もだろ。なんだよ俺と一緒がいいから卒業のばしたって、馬鹿だろ」

 テオは、ふいとユーリから顔を背けた。

「だ、だって!」


「あー、はいはい。二人とも喧嘩しなーいの、ユーリくんも準備出来たのなら、もう始めなさい。早くしないと朝になっちゃうよ?」

「は、はい、すみません」


 まだ祭壇の前に立っただけで、降霊術を行うための紙も広げていないのに、既にユーリの周囲には、青白い光を放つオーブが集まり始めていた。この小さな霊たちは、今ユーリにしか見えていない。

 ユーリは物心つくころには、異形のモノが見えていた。良い霊も悪い霊も関係なく、人間と同じように見て、話が出来る力を持っていたので、昔から街では、ちょっとした神童として有名だった。大人はユーリを神聖視していたが、同じ年頃の子供たちは気味が悪いと、いつもユーリを仲間はずれにしていた。

 近所に住む幼馴染のテオだけが、ユーリの言葉を信じてくれた。

 ユーリは流行病で両親を亡くしたときテオの父親の好意で、しばらくテオの家に身を寄せていた。テオの家も裕福ではなかったしユーリ自身どんなに仲が良くても、いつまでもお世話になってはいけないと分かっていた。


 そんな折、降霊術師の大家ハーウェルがユーリの力を欲しがって、面倒をみると申し出てくれた。

 ハーウェル家の提案はユーリと同じ境遇なら誰だって有り難がる幸運だった。

 ただユーリは頼りになる幼馴染のテオと離れたくなかったし、何より霊が見えるのに、大の怖がりだった。

 そういう理由でユーリは、幼馴染のテオにお願いして一緒にエルベルトの元へ弟子入りした経緯がある。

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