第2話



 そんなワケで。

 先輩の車に同伴させて頂き、やってきたのは茨城と千葉の県境近く。

 利根川のほとりにある随分と古風な屋敷だった。

 駐車場から出ると白木造りの質素な看板が僕達を出迎えた。


 『柳田国男記念公苑』


「柳田国男と言えば民俗学の父と言われた、あの? 『遠野物語』で有名な? あのひと、茨城に住んでいたのですか? それは知らなかった」

「ほんの三年間だけだけどね。国男先生の生まれは兵庫県の辻川村。茨城でお兄さんのかなえさんが医者をやっていてね。実家でもてあまし気味だった国男少年を、経済的にも余裕があったこちらの屋敷で引き取ったそうなの」

「へぇ、それだけで記念館が残るなんて。柳田国男ともなれば違うものですねぇ」


「当時は柳田の姓じゃなくて国男少年ね。柳田姓は結婚の際に相手の家へ婿養子に入って、それ以降の名字なの。松岡家は国男少年を含めて八人兄弟だから、色々と大変だったみたいよ」

「は、八人? 赤塚不二夫先生もビックリですよ」

「そして、流石に住んでいただけじゃないわ。この利根町で国男少年は人生を決定づけるほどの神秘体験をしたそうなの。生涯をかけて民俗学を極めたいと願う『ある出来事』が此処で起きたんですって。その記念館ね」

「神秘体験? もしかして、凄くホラーな奴? 漫画の参考になりますかね」

「さて、どうかしらん? まぁ何事も経験よ、人生経験」



 ユウニ先輩と雑談しながら、僕達は屋敷の門を潜った。


 施設といってもチケットを買うような堅苦しいものでなく、まず管理棟に挨拶あいさつをすれば自由に拝観できるものらしかった。


 明治の香り残る御屋敷は、土蔵と本館、そして日本庭園が残っており、僕のような妖怪マニアなら否が応でも気分を高揚させる雰囲気をかもし出していた。

 ここで国男先生が少年時代を過ごしたのかと思えば、畳や障子の染みに至るまで感慨深いものがあった。座敷や縁側でそんな空気をたっぷり胸へと吸い込み、次いで僕らは資料館になっている土蔵へと向かった。

 当時の白黒写真や、生の原稿用紙、家系図などがガラスケースに収められていた。ユウニ先輩は家系図を一瞥するとショルダーバックから一冊の単行本を取り出した。



「この本によれば、国男少年は感受性豊かで、昔から大人顔負けの記憶力を誇り、そしてかなりの悪童だったらしいわ」



 『故郷七十年』


 その本は柳田国男直筆の回顧録。

 齢八十を重ねた先生がこれまでの人生を振り返ったものだ。

 単に郷愁や回顧の物語に終わるものではなく、失われた故郷を語ることで日本人の本質へと迫る内容だという話であった。勿論、それも先輩の受け売りだけど。

 日本人の本質? 話が難しくなってきたぞ。

 混乱する僕を後目に先輩は語り続けた。



「先生いわく、生まれ育った辻川村の松岡家は『日本一小さい家』だったらしくて」

「八人兄弟なら、そうなりますよね。どんな家でも小さいですって」


「その家に長男のかなえ夫婦まで暮らし始めたものだからもう大変。嫁姑問題まで勃発して、ほんの一年たらずで兄嫁が逃げ出してしまったらしくて。傷心のかなえ兄さんは毎日のんだくれてばかり。とうとう『東京で勉強して医者になれ』と実家を追い出されちゃった」

「貧しいことは罪にあらず。とはいえ、波乱の人生を歩んできたのですね。悪童というのは、もしかしてグレるという意味合いもあったのでは?」

「そうかもね。寂しくて母にかまって欲しかったのかも。離婚した兄嫁の事も慕っており、再婚した彼女をわざわざ訪ねていったこともあったみたい。結局、会えなかったそうだけどね」

「向こうにも新しい暮らしがあるから……かぁ。何とも切ない」



 その瞬間、いつも綺麗なユウニ先輩のおもてに陰りが走ったように見えた。

 驚いて見直せば、そこに有るのは西洋人形みたいな微笑だけだった。

 僕の勘違いだったのかも。



「……子どもにとって過酷な環境で生きていたせいか、国男少年は衝動的に突拍子とっぴょうしもない行動をとることもあったみたい。裸で野山を走り回ったり。母の関心をかいたくて無謀な試みをしてみたり」



 先輩の紹介した逸話いつわは驚くべきものだった。

 それは、まだ辻川村で暮らしていた頃のエピソード。

 国男少年は突然、子守中の母にこう訊いたそうだ。


『神戸に親戚はおるか?』


 あんまりにもシツコイので、母はつい『ああ、おるよ』と嘘の答えを返してしまった。するとどうだろう。

 国男少年はそのまま家を飛び出して道をどこまでも歩いていったらしい。

 それは、まさか、子ども一人で道もろくに判らないまま神戸市を目指したと? 

 同じ兵庫県とはいえ、とんでもなく無茶が過ぎる話だった。


 結局、家からずっと離れた地点で ご近所さんに発見され事なきを得たそうだが。本人も「もしそこで見つけてもらえなかったら、そのまま野垂れ死にだったろう」と述べているんだって。そうなれば日本の民俗学は今日ほど進んでいたかどうか。



「まぁ、エジソンしかり、アインシュタインしかり。天才の少年時代には問題行動が付き物ということよ」

「度が過ぎますよ!」



 両親が持て余すとはそういう意味か。納得するしかなかった。

 しかし、東京へ追い出された長男が後に医者となって、僕達がいるこの屋敷へと国男少年を引き取るまでになったのだから。人生なんてわからないものだ。

 そこまで国男少年の経歴を聞いて、僕はふとあることを思い出した。



「ところで国男少年の神秘体験はどうなりました?」

「まぁ、焦らないで。国男君の気持ちを理解しないと意味がないから」



 先輩は笑顔でそう返すと、親元を離れて茨城の利根町で暮らし始めた国男少年の事を語り始めるのだった。先輩ぃ、引き延ばしが酷い漫画は連載打ち切りっスよ?



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