第23話 落としもの

「まさかねぇ……」


 帰り道、俺はそう呟いていた。本物のワルキューレの目の前でワルキューレの騎行をやるとは。ワーグナーだって想像してなかっただろう。


「どんな曲なの?」


「うるさい曲」


「……そう。嫌いなの?」


 リーヴァは苦笑した。うるさい、は言葉が悪かったかもしれない。


「あー、まぁ」


 個人的に、ワーグナーの曲はみんなうるさいものだというイメージを持っていて、好きじゃないのだ。ワルキューレの騎行自体は聞いたことあるけど、やっぱりうるさいし。


「でもとにかく音は大きいよ。今日やった第1楽章の盛り上がってるところがずっと続くような感じ」


「それは、なんというか、落ち着かないわね」


「そんな感じの曲だよ、あれは」


「なるほどぉ……後で聞いてみようかしら」


 彼女は考えるようなそぶりをしてそう言った。後でYouTubeででも探して聴かせようかね。


 家に帰ると俺たちは着替えて、そのまま買い物に出ることにした。リーヴァのために作り置きしていたものがそのまま余ってたんだが、一人前しかないし、何かを作ろうにも材料が無いし。


 そして、出る時に霊符を箱から取って補充した。変なことが起きた時の保険である。


 家を出るともう空はほぼ暗くなっていた。西を見てみるとほんのり空が赤い。ほんと冬は日が暮れるのが早い。さっきはまだ夕日が見えたと思うんだが。


「ねぇ、何を買うの?」


 横を歩くリーヴァが、楽しそうな顔をして聞いてきた。


「ん、か、考え中」


 噛んだ。やっぱり彼女の前だと調子良くいかない。落ち着くんだ影山陽人。晩飯のことを考えよう。カレーかハヤシかはたまたシチューか。それともこれらとは全く別系統なものにするか。


 そんな風に歩いていると、リーヴァが止まっていたことに気づいた。


「ん、どうした?」


「……あれ」


 そう言って彼女が指差したのは、路地の先だった。


 そこは俺も知っている路地だった。だが、別に長い路地でも無いはずなのに、先が見えないのである。もう暗くなったから? いや、違うだろう。小さな街灯があるはずだから、先が見えないなんてことは無いはずなんだ。だがその街灯すらも見当たらない。


 そして、その暗闇はただの影にも見えなかった。蠢いているのだ。


 俺だけがそう見えるんだったらヤバいくらいに疲れていて幻覚じみたものを見てると説明がつくが、リーヴァだって見えている。


 どう考えてもおかしかった。


「見えるのね?」


 リーヴァがそう聞いてきた。


「あぁ」


「あれが、穢れよ」


 ……あぁなるほど、あれが。俺も見えるようになったのか。能力が開くとかなんとかで。


「……あれ、危ないわね」


 リーヴァが言った。


「危ないのか?」


「えぇ。あそこまで大きな闇を作ってると、そのうち凝縮して、異形の怪物を形作る可能性が高いわ」


「怪……物?」


 そんなのもあるのか?


「えぇ。フェンリルとかユミルとか……でも土地が違うとそれも違うのかしら。ともかく、そういう風に穢れから生まれた怪物は、この世のありとあらゆる生物を殺そうと、暴走してしまうわ」


 え、何それ怖い。今とてつもなく危ないってことなのでは……?


「どうすればいい」


「幸運なことに、今はまだ集まってるだけの段階だから、ここで祓ってしまえば散り散りになって消えるわ。問題はそれをどうやってやるか、だけれど……」


 リーヴァは少々考え込んだ。そしてハッと気づいたような顔をして、俺にこう聞いた。


「そうだ、あれを投げてみてくれない?」


 あれ……。


「あれって、霊符?」


「持ってる?」


「あぁ、持ってるけど……」


 俺はポケットから例の本に挟んだ霊符を、一枚取り出した。


「これを投げればいいのか?」


「えぇ」


 そして俺は霊符を投げた。


 するとどうだ。穢れに霊符がぴたりと張り付いたかと思えば、たちまち穢れが消えていった。洗剤でカビでも消毒するような感じだ。


 今回は別に何にも念じていないが、それでもこういうことができるのか。もしかしたら本当の役割は穢れを祓うことなのかもしれない。


「何かあっさりだ……な?」


 穢れが消えていったところに、何かキラキラしたものが落ちていったのが見えた。なんだ、あれ。俺は、近づいてそれが何かを見ようと、路地を歩いていった。リーヴァも後ろからついてきた。


「なんだこれ」


 そこにあったのは、水晶かガラスでできたような「何か」だった。両手で抱えるくらいがちょうどいいくらいの少し大きなものだ。透明で、一眼見て綺麗だと思うようなものなんだが、肝心のそれが何かがわからない。


 なぜかって、まず形が意味不明だった。一番上にうっすらと筋のようなものがあって、その下は波打ったような柄がある。


 だが、横にいたリーヴァを見ると、ひどく驚いた顔をしていた。もしや心当たりでも?


「翼……」


 彼女が呟いた。……何?


「なんだって?」


「それ……私の、翼……」


「え……!?」


 もう一度よく確認してみた。あぁ、確かに。翼と言われれば腑に落ちる形だ。筋が骨組みで波打った部分が羽なんだ。


「砕けたうちの一つよ。ここに落ちてたのね……」


 リーヴァはそう言ってまじまじと翼を見つめていた。


「見つかってよかったじゃないか。それで、どうすればいいんだ? これ」


 俺は聞いた。そりゃあリーヴァの物だったらリーヴァに返すのが良いんだろうが。


「えぇと、そうね……」


 リーヴァはそう言って、着ていたコートを脱ぎ出した。ん? 暑いのかな。


 だが彼女はそれだけで終わらなかった。セーターも脱ぎ始めたのだ。


 まずいまずいまずいまずい!! ここ屋外だし! 公然なんちゃらだろう! 誰かに見られたらどうするんだ! 俺の気も持たない!


「ストップ! ストーップ!! やめろ、やめてくれ! 何する気だ!」


 リーヴァはキョトンとした顔をしてこっちを見た。


「それ、つけてもらおうと思って」


「わかった! 流石に屋外はヤバいから、服を着てくれ! 帰ったらやろう! さあ!」


 俺は脱ぎ捨てられたコートを持って、そう言った。取り乱す俺の姿が面白かったのか、彼女はフフッと笑って、


「わかったわ」


と言い、コートを着た。まったくもう……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る