第14話 足かせ

 ハッと目が覚めると、スマホのアラームが聞こえた。俺はリビングに敷いた布団で寝ていたのだ。


 夢か、今の。


 あぁ、まったく。なんて情けなくて、不甲斐なくて、意気地がないんだろう。むかむかしてきた。こういうのは不意打ちでやってくるから困る。フラッシュバックとかいうやつか。


 あれは三年前、俺の身に実際に起こったことだ。


 過去に縛られすぎず生きるという俺のモットーの、唯一の例外。自分に対する戒めでもある。


 あの後しばらくの間、俺は駄目になっていた。人に話しかけらようとすると遠ざけ、時折自嘲じみた変な笑いを浮かべ、ひどい時には泣く。気を紛らわすために勉強をしても、少し隙があるとすぐに自分を責めていた。


 だから俺は、二次元にのめり込み始めた。


 二次元の中の俺は、俺ではない。俺のようで、俺じゃないのだ。少なくとも、暴力に尻尾を巻いて逃げ出すようなことはしない俺になれる。それが俺にとっての救いだった。自分が恥ずかしくてたまらず、いろんな人に顔向け出来なさすぎなかったから、一度逃げたかったのである。


 その割には入試でヘマをこいて近くの高校に行くことになったわけだが、南原がスポーツ推薦とかなんとかで別の遠い高校へ行ったから、この二年間は比較的平和だった。西田がどうなったかは知らない。あの後学校へ来なかったから。


 あの事件以降、俺と茜は口を利かなくなった。というか、俺が茜を遠ざけた。茜が俺に話しかけてきても、俺が逃げ出す、という具合に。あんなことをしておいて合わせる顔があるはずがない。あの時のことを話して何になる。自分が惨めな男だと自白するようなものだ。


 あぁでも、いっそのことそうした方がいいかもしれない。ひとりでに彼女の方から離れてくれるだろう。


 だが、そこまではしたくないと思う自分がいる。今になって自分のメンツが惜しいから? いや、違う。怖いのだ。そうすることで完全に彼女に嫌われてしまうのが。事実上もうそんな感じなのに、何言ってんだって話なんだが。


 俺と茜は釣り合わない。こんな情けない男と結ばれるのなら、別の誰かと結ばれた方がいいのに。


 あぁ、今朝の夢は大事なことを思い出させてくれた。最近は浮かれてしまっていたから、忘れてたけど。その点、今回の夢には感謝だ。


 リーヴァとの関係も考え直さなきゃならない。ただの同居人として、節度を持って接していくべきだろう。会話も同居人として、必要最低限のものに留める。俺も勘違いしちゃいけないし、彼女を勘違いさせてもいけない。その先に待つのは悲劇だけだ。


 布団を片付け、ストーブを点け、朝飯の準備を始める。冷蔵庫の中身をいろいろ見ていたら、廊下の方から足音が聞こえてきた。


 ガラッとリビングの扉が開く。姉の使っていたパジャマに身を包んだリーヴァが入ってきた。


「おはよー」


「ん、おはよう」


 節度を持って、冷静に。俺は改めてそう念じた。


「今日の朝ご飯はなに?」


 楽しげに俺の方を見ながら聞いてくる。……意識しないでいるって、難しい。だが、何よりも彼女のためだ。


「残り物をいろいろと」


 俺は目を逸らして、できるだけ感情を込めずに答えた。


「そう」


 リーヴァはそう言って、俺に目線を合わせてきた。すかさず俺は目を逸らす。そして彼女がまた合わせてくる、それを俺は逸らす……。それが少しばかり続いた。


「ねぇ、どうしたの?」


 俺の様子が前と違うことに気がついたらしい。そりゃそうだ。昨日までだったら目を合わせられても逸らさなかった。


「なんでもない」


「えー?」


 リーヴァは怪しんで、ジトリと俺を見た。


「本当に、なんでもない。朝飯の準備するから、今は話しかけないでくれ」


「はぁーい……」


 リーヴァは不服そうだったが引き下がった。彼女にあの件を言おうとは思わない。彼女は関係ないし、俺が男の風上にも置けない情けない奴だということも知られたくはない。


 結局朝飯の時は何も話さず、それが終わった後俺は弁当とリーヴァの昼食を作った。なぜ弁当を俺の分しか作っていないのかといえば、部活で学校に残るからだ。だがリーヴァの昼食も、粗末にはしない。


 残りの家事を済ませ、制服に着替え、学校に行く準備を整えた。だが靴を履いていた時に、リーヴァが俺を見つけてこう言った。


「あ、学校に行くのならちょっと待って! 私も準備するから!」


 そういえば一応同じ学校の生徒なんだったなと、昨日の出来事を思い出した。


 リーヴァと一緒に登校すれば、それはもう「いい感じの仲の男女です」と言って歩いてるようなものだ。昨日の時点で広まった噂が正しかったと、学年中、少なくともクラス中が沸き立つだろう。面倒事のタネにしか思えない。


 だがリーヴァを置いていくのも、それはそれで罪悪感がある。そもそも「待っていてくれ」と言ってる人を簡単に置いていくというのも常識的に考えてよろしくない。そんなことをすれば、俺がリーヴァを嫌っていると、彼女に思われるだろう。距離を置いた対応をするとは決めたが、彼女が嫌いだからそうするんじゃない。そこを誤解されたくはない。


「お待たせ! それじゃあ行きましょ?」


 そんなことを考えてるうちに、準備を済ませて彼女が降りてきてしまった。


「う、うん。わかった」


 結局俺はこの日、リーヴァと一緒に登校することになった。


 通学路。朝の時間帯だからいろんな人とすれ違うんだが、すれ違う人みんなが俺たちの方を見る。そりゃあ俺はともかく、リーヴァには目を引かれるだろうよ。


 と、周囲の目ばかり気にしてもいられない。学校で面倒なことにならないためにも、言うべきことは言っておかないと。


「いいか、リーヴァ。何人かが俺との関係について聞いてくると思うけど、ただの親戚で泊まらせてもらってるだけですって言うんだぞ」


「でもあなたにはそれ以上のことをしてもらってるわよ? ご飯作ってもらったりとか」


「そういうことは喋らなくていいから! あまり詳しく聞かれるようなら、『秘密です』で通して……いや、余計にダメか……ともかく、そもそもクラスにいる連中とあまり話すな」


「そんなに気にすること?」


 これ以上学校で変なことにならないよう必死な俺が面白いのか、リーヴァが笑いながらそう言う。恥ずかしいから気にするに決まってるだろ、もう。俺は照れ隠しに、思わず大声で——


 いけない。


 いつの間にかいつもの調子に戻っている。平常心。平常心。俺は心を落ち着かせた。


「……あぁ。気にする」


「……」


 家を出る前と同じような気まずい雰囲気が、俺たちの間にただよう。これでいい。こうじゃなくちゃいけない。


「ねぇ。怒ってる、の……?」


 リーヴァが怖がったような声色で聞いてきた。リーヴァにこんな反応をされるのは初めてだ。


 そしてひどく、心にクる。


「違う。怒ってない。君は何も悪くない」


 俺は内心焦りながら、そう答えた。少し早口だったかもしれない。


「本当に? 今日のあなた、なんか変よ……?」


「本当に違う。ただ……」


「ただ?」


 それに続く言葉を話せない。これがあるべき関係だから、と言うべきなのに。


 そうしたくない。


 なんなんだ。そうしたくない? 何様のつもりだ。


 彼女に冷たくあたりたくない。


 あんな醜態を晒したくせに、よく言う。


 でも。


 でも。


「——っ!」


 俺は結局何も言わず、歩く速度を早めた。


「あ、待ってよ!」


 とリーヴァが言う声が聞こえる。


 どうすればいい。どうしたらいい。俺の心はどっちなんだ。

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