第17話 激突

「これは何なの?」

 舞奈はうめいた――眼前の光景のおぞましさに、声が震えた。

「何って」

 ひなたが軽く言ってくる。

「私らが幸福になるために必要なことみたいっすよ――つまり、あの男性を傷つけることで初めて、人間は幸せになれるとかなんとか……そういうことらしいっす」

 施設の中は暗くて、役人らしき人がいないせいなのか、好き放題に荒れていた――そして、その最奥に。

 兄がいて。

 代わる代わる、様々な人間たちに殴られ、切られ――傷つけられていた。彼らはみな、心底、楽しそうだった。当然だ。他人を一方的に嬲って咎められないのであれば、人間という生き物を騙る劣等種は誰であろうと傷つけずにはいられない。

 拘束された兄は、抵抗しない。それが余計に劣等種の心に火を点ける――どこまで傷つければこの男を壊せるか。そういった好奇心を抑えきれない。自分たちの行いがどれだけ醜いか、想像さえもできないから馬鹿以下の劣等種なのである。

「舞奈さんなら、やれるんじゃないすか――つまり、あの男を本当に壊したりとか……舞奈さん?」

「あなた、これが正気の沙汰だと思っているの!?」

 兄のいる部屋にはまだ入っていない。そこはガラス張りで、廊下からでも凶行を見ることができて、多くの人間面した劣等種たちが自分たちの番は今か今かと、よだれを垂らすように待ち望んでいる。

 ひなたも、その一人のようだった――告げる。

「もしこれで幸福になれると思っているなら、そんなの、狂気よ――そうまでして幸福になりたいっていうの!?」

「当然っすよ」

 簡単に、ひなたが言う。

「あの人――だかなんだか知らないっすけど――を傷つければストレス解消ができて、文字通りに幸福になれるっていうんすよ? そんなの、サイコーじゃないっすか」

「……ゴーズ・デバイス! 来なさい!」

 兄を解放する。考えたのは、それだけだった。

 ゴーズを起動するために必要なデバイスは、どこにあろうとも、適合者の下に一瞬で転送されるものだ。だから、一秒後には、舞奈が掲げた手の中に収まっていた。

「待ってくださいよ、舞奈さん」

 隣にいるひなたが危険を察してか、低い声で続ける。

「ここ壊すなら、せめて私の番が終わってからにしてくださいよ――たかが見知らぬ人間を傷つける程度のことが許せないって、それは、心が狭いと思いますよ?」

「あれはあたしの兄さんなのよ――そうでなくったって、誰か一人を一方的に嬲って、それで幸福になれましたとか、そんなのでいいの!? 幸福ってそんなみみっちいものじゃないでしょう!」

「それは、舞奈さんだから言えるんすよ」

 いつの間にか、周囲の視線が舞奈にだけ向いていた――そしてその視線たちの代表であるかのように、ひなたは言う。

「私らみたいな幸福だけが欲しい人間は、手段なんて選ばないですし、どんな手段でそれを得たっていいんすよ。結果は手段を正当化するんすよ――何の対価も支払わずに幸福になる、その結果が得られたなら、後のことなんてどうでもいいんすよ。あの男が舞奈さんの兄貴分だとしても、どうでもいいすっよ――舞奈さんも幸福になれば、わかりますよ」

「……狂ってる」

「そうっすか? 普通っすよ」

「……そうなんでしょうね。それがあなたの……ここにいるすべての劣等種の意見なんでしょうね――だから、死になさい!」

 ひなたたちの。

 劣等種たちの気持ちがまったくわからない、というわけではない。確かに、ノーリスク・ハイリターンであれば、人間とはそれだけを求めるものだろう。どれだけ優れていようとも、人間である時点でその因果からは逃げられない。

 超人でないということは、過去の因習を良くも悪くも引き継ぐということだ――だから人間社会は変わらない。良い所だけを選び取ればいいものを、むしろ悪い所ばかり継承するのだから当然である。

 そして、その方が簡単に幸福を味わえる――たとえそれが出来の悪い模造品でしかなかったとしても、それしか知らなければ、他に幸福があるとは思わないように努めるのが人間というものだ。

 容易く手に入る幸福の前で、人間は等しく愚劣な獣以下に存在に成り下がる――それを歓迎して、進んで品性を捨て去ってしまう。

 だから。

 兄を傷つけて、傷つけて――楽しんで幸福になれるという餌の前で、人間であることをやめてそれをしゃぶりつくす獣にも劣る、劣等種へと変化していく。

 そして、兄は。

 それを許容したのだろう。善人だから、一人でも多くの人間が幸福になるという現実を受け入れて――今、舞奈の眼前で劣等種たちに嬲られている。ここで止めなければ、きっと、死ぬまで。あるいは、それは永遠かもしれない。超人とは、人間が望む限りは死に絶えないものだからだ。

 永遠に利用され続けられないおもちゃだから、超人だと――劣等種たちは考える。

「顕現しなさい――」

「無駄だよ」

 その声は、いかにも黒幕然としていて。

 舞奈は無感情に、声の主を見やった。公島。稀代の政治家――になりかけている、有能ぶった馬鹿だ。

「君はゴーズになれない」

 廊下の向こうに、その男は立っていた。いつものスーツ姿だが、その存在感は異常だ。施設に群れを成してやってきた劣等種たちのそれをかき消して、彼一人だけの舞台でピンスポットを独占しているかのように見える。

「どうして言い切れるの? あたしは適合者よ」

「なら、やってみればいい。私は忠告したという事実は、忘れないで欲しいがね」

 公島がそう言うからには、何かある。だが、ここで何もしない――兄を助けないという選択肢は選べない。

 劣等種に兄を利用されるのを、黙って見ているなんてできない――幸福だかなんだか知らないが、その程度のもののために堕落するしかない屑どもには、現実を見せつけてやらねばならない。

 超人を傷つけて、無償で幸福に手に入れた気になっている能無しども!

「ブルー・ゴーズ!」

 デバイスが起動。

 しない――

「……なんで?」

 何度試しても、デバイスは反応しない。死んでいるかのように――機械の死があるならば、だが。命なきものが死ぬなんて、ありえない。ゴーズの力はいつだって、舞奈の……

「デバイスにロックをかけたんだ」

 公島の声。見下している。

「遅かれ早かれ君がここに辿り着くと思っていた。だからね、間宮にそういう細工をさせたんだ。君のことだ、誠一君の姿を見れば、この状態――彼を利用して幸福を生み出すこのシステムの有用性を考えずに破壊するだろう、と思ってね。まったく、愚かだ……」

「ふざけてんの!?」

 怒りを。心からの怒りをぶつけるが、公島は平然とそれを受け止めて、悠然と笑う。

「どこがだい? 最も容易く人を幸福にするシステム――それを否定する君の方が、よほどふざけている」

「ここにいる馬鹿ども! ひなたも! 一人の人間を嬲って、それで幸福になって嬉しいですー、なんて頭の湧いたことを言うんじゃないでしょうね!?」

「最っ高だよ! 俺はもうこれのおかげで一千万は稼いだぜ!」

「離婚の危機を乗り越えられたのは、このシステムのおかげよ!」

「孫が受験に受かったのは――」

「あたしは何度でも使いたい――」

「たかが一人の男を犠牲にすれば、いくらでも幸福になれる――」

「マジで気持ちいい! こいつのおかげで本っ当に気持ちいい――」

「舞奈さんにはわかんないかもっすけど」

 劣等種たちと、そして。

 ひなたの淡々とした声が聞こえた。

「私ら、幸福になれりゃ後はどーでもいいってわかんないんすか?」

「そう、これが人の総意だ」

「兄さんの言葉を、パクるな!」

「言葉は万人の――人のものだ。超人には似つかわしくない」

 公島を睨みつけるが、彼は慣れているのか、反応すらしなかった――当然だ。政治家は人間の悪意を浴びて大きくなっていく。そして、それを向けてきた者たちに復讐をするものなのだから。

「なるほど、君は超人かもしれない。目の前に幸福になれるチャンスがあるのに、それを否定できるのだから、その精神構造は人のものではない。人は誰しも、気安く、手軽に、最大限の幸福を得たいと願っている。それは人種や国、政治理念も関係なく、唯一、人が共有できる祈りとさえ言える――そう、まさに人の総意、全体の意思だ」

「幸福を貪るだけが人間だって言うの!?」

「そうだよ。他に人の定義があるかな――すべての人は、幸福になるために生まれてきて、超人はそのための生贄になるために生まれてくる。超人の義務とは――大いなる力を持った対価とはつまり、人に隷属することだ」

「生贄になることが超人の義務なら、あんたたちの払う義務は何!? まさか、苦しい想いをするのは超人だけとでも――」

「当然じゃないか! 超人は幸福を生み出す源泉であればいい! 人はその手で金脈を掘ることすらしないでいい! いずれ誠一君は世界中を幸福にするだろう――誰もが等しく幸福を手に入れたならば、世界は平和になる! 富裕層と貧困層という区分もなくなる! というのは、いささか言い過ぎだが、しかし、たった一人の犠牲で世界中が幸福に満ちるなら、彼が生まれてきた甲斐があると言えるだろう!」

 多くの人間面した劣等種たちが、歓声や拍手を公島に向ける――ひなたもその一員だった。まるで個性を、自我をなくしたかのように公島を肯定している。

「あんたたちが人の総意だっていうなら!」

 叫ぶ。怒りだけでなく、絶望を――食いちぎるだけの鋭い意思を込めて。

「あたしは超人として、それを否定させてもらうから!」

「どうやって? ゴーズになれない君が――」

「こうするのよ!」

 たとえ、ゴーズの能力が使えなくても。

 ただそれだけで、舞奈のすべてが否定されるわけではない――鍛え上げ、実戦で磨かれた足で一気に公島の懐に入る。

 公島は馬鹿だ。護衛すらつけていない。ゴーズの力を封じれば、舞奈が無力化できると思ったのか。だとすれば、まったく舐められたものだ――舞奈が生き延びて、自分の存在をしろ示すためにどれだけの努力が必要だったか、想像もしていない。

 公島のワイシャツの襟を掴んで、持ち上げて。

 床に思い切り、叩きつける。

「がっ――」

 混乱の声が上がるが、誰も公島を助けない――温室でぬくぬくと幸福を貪るしか能がない劣等種が、現実を前にした時にできることがあるはずがない。

「おい誰か、こいつを止めるためにあの男を傷つけ――」

 そんなことを言う始末だった。こんなやつらのために、あなたは生贄になったって言うの? 兄さん、それはどう考えても愚か……

 公島の身体に馬乗りになって、舞奈はその顔に何度も、何度も、拳を打ち付けた。彼が死んでも構わないとさえ思っていた。

見せしめだ。安易に幸福に溺れようとした劣等種どもへの――お前たちの未来がどうなるか、それを教えてやる。

「私を殺せば!」

 顔中血だらけになった公島の声がする――政治家らしい声で、まだ彼に余裕があると感じさせるものだった。

「誠一君は永久に解放されないぞ――彼を救いたければ、私を救え!」

「死ね」

 更に拳を打ち据える。

「選ばせてあげるのは、あたしよ。ここで死ぬか、兄さんを解放してついでにこの建物を完全に破壊させるか――選びなさい」

 自分でもぞっとするほど、殺意が込められた声が出た。

 公島は迷わなかった――支持者たちの前で、無様にうろたえる姿は見せられない、と判断したのかもしれない。

「私を生かせ……いいだろう、この施設の破壊は許す。デバイスのロックを解除する」

「顕現、ゴーズ!」

 公島の身体から離れて、ゴーズの力を身にまとう。青い装甲と、二丁のハンドガン。その、銃口を鏡張りの部屋に向ける。そこで、やっと中の劣等種たちは気づいたらしかった――殺されるかもしれない、ということに。

「十秒だけ待ってあげる! 逃げたいなら逃げなさい――自分の命を捨ててまで、自分の幸福が欲しいなら、好きにすればいい!」

 劣等種たちが逃げ始める。舞奈はそれに紛れ込もうとする公島の肩を掴んだ。

「なんだ……?」

「殺すって、それだけよ」

「貴様、約束を――」

「約束は人間同士でしか成立しないのよ? あたしは超人なんだから、守らないといけなくてもいい。違う?」

 公島の瞳がかっ、と開かれる。

「私を殺して、それでどうなる! 私以外の誰が、平等と幸福を生み出せ――」

「兄さんがやってるんでしょ、それは! あんたの手柄じゃない!」

 公島の身体を、再び床に倒れさせる。

 そして、彼の額に向けて銃口を向けた。告げる。

「あんたに施されなければ、平等と幸福が手に入らないってんなら、そんなの、いらない――誰もが望まない世界にしてあげようじゃない。あんたは無価値になるのよ」

「人がそこまで都合よく生きられるか! だからこそ超人が必要なのだ! 都合よく表れて、都合よく犠牲になってくれる命が!」

「そういう時代はもう終わりにするってだけよ。そうでなきゃ、生まれてきた意味がない」

 引き金を。

「――っ!」

 引けなかった。

 赤色のデバイスが、舞奈の手首に直撃して、思わず銃をこぼした――赤いデバイス? 舞奈は訝しんだ。それは資料を読んだ限り、兄が使っていたもので……

 思わず、兄の方を見やる。

 拘束を自力でか脱出して、兄は赤いデバイスを手にしていた。

「……兄さん?」

 わかる。兄は舞奈の味方をしようとして――いない。

「強化装甲」

 兄がゴーズに――レッド・ゴーズに姿を変える。赤い装甲、黒いアンダースーツ。ブルー・ゴーズと違って、接近戦を主体にしており、最大の武器は大振りな斧である、その姿。

「舞奈」

 兄が――誠一が。

 低い声で言ってくる。

「俺はお前を止める。お前に人殺しはさせない――真の意味での超越者は俺だけでいいんだ。お前は、日常に帰れ」

 兄が斧を構えて、一気に突撃してくる。舞奈は銃を拾い直して、公島を放置してその場を離れた。兄の狙いが政治家であり、今はまだ、舞奈を殺さないだろうと予想できた。

 実際、兄は公島の保護を優先した。彼の盾になるように、立ちはだかる。

「兄さん、どうしてそんなやつの――劣等種たちの奴隷になろうっていうの? どう考えたって、兄さんを嬲って幸福を生み出すシステムなんて間違っているじゃない!」

「正誤は問題にならないんだよ。俺は人の総意に従う――お前は反対するかもしれないが、お前という個人の意思と、全体という組織の意思。どちらを優先するか、言うまでもないな」

「ふざけないで! 兄さんは人間を堕落させる気!? 人間って、自力で幸福になろうとする生き物でしょう!?」

「人は、そういうあるべき姿でいることよりも、堕落してでも幸福を――日常を守りたいと願う生き物になったんだ。それが多数派になった以上、そちらが人だ。人の定義を決めるのはいつだって多数派――人の総意だ」

 兄はごく自然にそう言い切り、公島は凄絶に笑う。まるで洗脳が成功したかのような顔をしているが、わかっていない、と舞奈は断じた。兄は公島に隷属しているわけではない。仮に人の総意が彼を殺せと命じれば、躊躇なく殺すだろう。

 なるほど、兄は超人だ。個人の意思を捨てて、人の総意だかなんだか、そんな全体の意思に従い続けられるのは、もはや人間業ではない。

「あたしは、嫌よ!」

 届かない。わかっている。それでも。

 舞奈は叫んだ。愛を。

「兄さんだけが幸福にならない世界も! たかが兄さん一人から生まれる幸福だけで我慢しなきゃいけない世の中も――もっと強欲にすべてが欲しい! 日常っていう妥協した幸福で、満足したくないもの!」

「だが人は、かけがえのない日常を守ることを選んだ――妥協を受け入れた。舞奈、お前はそれを壊すのか? 公島さんの生み出したシステムは完璧じゃないにせよ、それなりの幸福を絶対に保証して――うまく行けば、歴史上で初めて、真に平等が生まれるかもしれないんだ。誰も等しく、幸福になれる世界が生まれるかもしれない。俺はそのためならいくらでも犠牲になる――人の総意とはつまり、何の負い目もなく幸福になることを最上の望みとしている」

「兄さんを傷つけ利用して! それで負い目なく!? 笑わせないでよ!」

「俺は超人であって、人じゃない! だから俺に負い目を感じる人はいない――食べるために育てられた動物や野菜に哀れみを感じるか? 精々が感謝をするだけで、食べることそれそのものはやめられないのが人なんだよ――生きることを、幸福になることをやめられる人なんていない……」

 兄が自分の意見を変えるなんて、あるはずがない。

 直感で、それが理解できる。

 そして兄も、舞奈が意見を変えないと確信をしているだろう。

「……あたしね、嫌よ」

「そうか。お前が嫌でも、俺はやるよ――超人の義務を果たす」

「超人を犠牲にしてほんの少しの幸福を得る――そんなの、過去の繰り返しじゃない! 人間っていつだって、超人を酷使して様々な幸福を手に入れて、勝手に超人を切り捨てて! それで自分たちだけで超人の作ったシステムを運用して、できなくて! 幸福を生み出すシステムを不幸を垂れ流すシステムにして! そしてまた超人が現れるまで、何もせずに時間だけを空費する! そんな人間の営みが、あたしは大っ嫌い!」

 だからこそ、公島は兄を――超人を利用して幸福になるシステムを生み出した。歴史を学べば、人間がそれを繰り返すだけの動物に成り下がったことが理解できるからだ。そして、それを否定しないで、持て囃してやれば、誰も反抗しない。

 幸福の前では、誰もが等しく劣悪になっていく。

 幸福を手にしていれば、誰だって劣化していくことしかできない。

 それこそが人の本懐、本質――そんな風にわめいて、超人の犠牲を正当化する。それしかできないのだから、仕方ない。むしろ、人間を幸福にできてしまう超人が異常なのであって、その異常性を容認する自分たちのための奴隷になることこそお前たちの義務だ、と難癖付けるだけの出来損ないの人間――劣等種。

 舞奈は、それが嫌いだ。だって、醜いから。しかしそれでも、兄が守ろうとしたものだから守ろうとした――だがその劣等種たちがしたのは、何だ? 兄を嬲って低級な幸福に溺れることで、現実を直視しない? ふざけるな。

 富裕層と貧困層の区分をなくすことができる、唯一の方法?

 そんなわけが、あるか!

「兄さん、もし、もしよ! 兄さんを犠牲にすることが人間の総意だっていうなら、あたしはそれを否定するからね――昨日と同じ今日、今日と同じ明日を繰り返す、かけがえのない日常なんていう揺り籠の中で赤ん坊であり続けることを、あたしは肯定しない、したくないもん!」

 舞奈は渾身の想いを、ぶつける。

「人間は強くなれる、前に進める! 惰弱で醜悪な命なんかじゃないって――そうでない劣等種たちはすべて殺してしまえばいい! 強くなれなくてもいいけどね、弱くあることを誇るような馬鹿以下の屑どもは、死に絶えるべくして死に絶えるのよ!」

「人はそういう希望だとか、可能性を捨ててでも……今のまま――ありのままに生き続けることを選んだんだよ、舞奈」

 兄の声は、寂しい色をしていた。

「人はもう前に進めない。高みだって目指せない――積み重なった過去の人の妄執が、今を生きる人の足を動けなくした。それどころか、足を破壊することさえもしたんだ。もう、足踏みすら人はできない……」

「足を失ったなら、這ってでも前に進めばいいのよ――歩かないでいる理由さえも超人に見つけてもらうなんて、情けないじゃない! 自分で何もしないで、かけがえのない日常の中で埋没することを是とするから世界はおかしくなったってこと、認めるだけの器量を持ちなさいよ!」

「……平行線だな――人と人がわかり合えるわけないが……」

「兄さん、なんでそこまで劣等種たちの肩を持つの? はっきり言って、それって苦しいだけの何の実りもないよ……」

「実りのあることしかしちゃいけないなんて、そんなの、誰が決めたんだ?」

 淡々と語る兄の姿は、どこか、歪だった――個人ではなく、全体の意思の実行者であるならばその姿が歪でないわけがない、のだろうが。

「たとえ無意味でも無価値でも、人にはやるべきことがある。そして誰もやりたくないことだからこそ、誰かがやらなくちゃいけない。たまたま、俺にはそれができるだけの能力があった。それだけだよ――公島さん、荒っぽくはなりますけど、撤退します。あなたは死んでいい人じゃない」

「兄さん――!」

「ゴーズはそもそも何のために生まれたのか――よく考えてみればいい。それはつまり、ケダモノが何なのか、その答えにもなる」

 兄が斧を振り上げて。

 思い切り、床を叩いた。生まれる衝撃波と煙で、兄と公島が見えなくなる。ゴーズのシステムでは捉えていたが――身体が動いてくれなかった。

 煙が晴れて、視界が回復する頃には。

 もう、誰もいなかった。

 舞奈にできることは、ひとつしかなかった。

 数分後、この世界から兄を利用するシステムを維持するためだけに存在した施設が、爆発炎上して、消え去った。

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