第2話 before the dystopia

西暦二千七十年ともなれば。

 貧富の差は明確になっていた。

 貧困層の数は増える一方だが、そもそも、社会において観測される人の姿は富裕層であったから、誰もが人類は繁栄している、と信じ切っていた――観測者の認識できる世界に幸福な富裕層しかいなければ、たとえ真実として貧困層がいようともそれは、いないということになる。

 貧困層の最たる不幸は、観測者に認識されないことと――どうあっても観測者の側に立てないこと、そして、そのような発想が根本的に存在しないことである。

 風切誠一は、そんな貧困層の親から生まれた子供である。とは言っても、もう年齢は十八歳という成年であり、とうの昔に親の庇護から外れている。もっとも、彼の両親が生育を担当したのは一歳までのことであり、それ以降は児童養護施設で育ったのだが。

 だから、というわけではないが。

 彼は十八歳の平均身長にかろうじて届く程度で、体重は平均を下回っている。それでも、自主的に行っている筋トレのおかげで、貧相な体つきはしていない。が、それでも中肉中背、といったところだ。筋肉隆々になるには、あまりにも栄養が足りていない。

 不良の一歩手前、という感じの目つきをしており、全体のイメージもそれに引っ張られて、間違っても品行方正な人間には見えない――そんな人間が貧困層から生まれるような、多様性のある社会ではなくなっているわけだが、表向きはある、ということになっている。

 誠一の暮らす街は、いわゆる貧困街である。

 昔話のスラムのような、露骨な外観をしているわけではないが、一歩路地に入れば風俗店と違法ドラッグの店しかなくなるような一帯だ。もちろん、前者は奥に進めば進むほどアンダーグラウンドな性質を持つようになる。

 そうなれば必然、住居も彼らの巣となり、相応に薄汚れたものになる。異臭を放つアパートは数えきれないくらいあるが、管理会社が動いたりはしない。貧困層と言われる住人たちは、抗議をする時だけ声を張り上げ実力を行使してくるが、何もしなければただ金を払い続けるのだから、わざわざ咎める理由はない。

 誠一はそんな街で暮らしている。

 児童養護施設は、春に卒業した。今は秋であり、幸運にもありつけた仕事でなんとか生計を立てている。が、どれだけがんばっても富裕層の暮らす街には足さえ踏みいれられない。登録のされていない市民は、貧困街で生まれて死ぬものだと定められている。

 もちろん、そんなことは法には明言されていない。人は法の下では平等である。

 だが、法とは違法改築を続けた家のように、幾重にも条文を追加し続ければ元々の意味とはまったくの反対の効果をなすように改変できるものだ。もはや、誰もが本来の法の意味を理解していないが、富裕層と貧困層を区別するために平等の法は存在している。

 無論、ある意味では平等だ。富裕層は富裕層の中で、貧困層は貧困層の中でのそれは維持されている。それはこれまでの歴史の縮小再生産でしかないにしても、少なくとも、治安を悪化させるような事件を起こさないだけの強制力はあった。

「……この辺、だよな?」

 昼間は街に、人はいない――というわけでもない。昼間から営業している風俗店や、水商売の店は少なくない数あるのだから。が、夜に比べれば客の数は少ないのは事実だ。

 誠一の仕事は明確な勤務時間がない。二十四時間勤務中とも言えるし、延々と待機か休みだとも言える。

 そんな勤務体系に文句をつけられるような、そんな幸運とは縁がない。その言葉を意識してみても、現実は何も変わりはしない。

 幸運も幸福も。

 縁遠い人生を送っている。児童養護施設の暮らしが不幸だったとは言わない。むしろ、貧困層の中では優雅な生活、と言えるくらいだ。少なくとも、明日の食事どころか、明日生きているかどうかの心配をせずに成長できたのだから、それ以上は望み過ぎである。しかも教育も受けられた。貧困層の子供の四割は、学校に行ったことがない。

 その昔、公立の小中学校は学費がなかったと聞いているが、現在はどこも私立であったり、あるいは私塾に通える子供だけが教育を受けられる。それを受けられない者は、選挙の投票権の存在を知ることすらできないので、政治家の政策の対象にならないのだ。

 誠一は一度だけ、投票をしたことがある。政治家の演説を聞いても――と言っても、ネットで聞いただけで現地には足を踏み入れられなかったのだが――意味はほとんどわからず、仕事の雇い主に命じられるまま投票しただけだ。投票さえもオンラインであり、実感というものはわかなかった。

 そんな誠一でも、税金は納めている。いや、実際の支払いは雇い主が事務員にやらせているだけであり、誠一自身は給与明細を見て確認しているだけだが。よくわからない税金の類に、給料の四割近くを持っていかれる事実に思う所はあるが、抗議の宛先がわからない。

 耳に装着された小型スマートフォンに触れて、オペレーターを呼び出す。まぁ、AIなので人ではないが。

「ポイント到着。が、対象はいない」

「物陰に隠れています」

 機械音声が言う。人間の声をサンプリングしているそうだが、所詮は機械の合成した音にしか聞こえない。もちろん、人の声と機械の音声。この二つにはっきりとした違いがあるかどうかは、わからないのだが。

児童養護施設の職員の声は、機械音声だった。人の声なんて、人生の大半で聞いたことがない。自分の声くらいしか人の声を聞かない日が普通にあるのだから、それは何もおかしなことではない。富裕層の子供であれば、幼い頃から人の――親の声を聞くこともあるそうなのだが、誠一の知る世界ではない。

「簡単に言うけどさ」

「あなたに文句を言う権利はありません」

「お説ごもっとも」

 立場は誠一が下である。替えの効かない現場要員だとしても、貧困層の人間などというものは消耗品でしかなく、失った際の損失の大きいAIの方が尊重される。

人よりもAIの方が貴重、当然だ。経験豊富な人よりも、経験豊富なAIの方が結果を出すのだから。経験の幅が人とAIでは歴然とした差が出る。人の一生をかけても経験できないだけのデータを、AIは一晩あれば勉強し、経験値にできる。

「……じゃあ、なんで人の命を守るのか」

 つぶやく。答えは簡単だ。

「それが人の総意だ――であれば、従うしかないもんな……」

 個人にそれが抗うだけの意思があるわけがない。そんな超人とでも呼ぶ人は、現代には生まれない――生まれないように、人は世界を、自分自身を変え続けている。人が平等であるために、優れた人は排除しなければならない。あるいは、凡人の定義した、優れた、の範囲に収まる人だけが生きることを許される。もちろん、それ以下である分には許可される。

 世界は変わらない。変わらない日常が続いていく。

「……あれか」

 敵を、見つける――ケダモノと呼ばれる、怪物を。

 物陰に隠れているが、そのむやみに大きい図体は隠しきれていなかった。それでも、注意しないと見逃しはするだろう。誠一だって、いる、と言われたから見つけられたようなものだ。

 ケダモノは、人も動物も関係なく殺す謎の怪物だ。その目的は不明だが、コミュニケーションは取れるらしい。過去に日本政府がそれを試みて、その場にいた全員が死体になったと聞いている。それ以来、政府はケダモノを殺すことを選んだ。ケダモノは、人を集中して殺すようになった。

 どちらが先か。

卵が先か、鶏が先か。

そんなことは考えるのが得意な富裕層に任せておけばいい――誠一にできるのは、彼らを含めた人を守ることだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 ケダモノの外見はいくつかパターンがあるが、今回は二足歩行の甲虫、といった感じである。もっとも、よく言えば、だが。悪く言えば人間型のゴキブリだ。害虫として扱いやすい、人に嫌われる姿をしている。

 ケダモノは見た目で強さがわからない。その基準は不明だが、一般人は拳の一撃で破砕されるのは間違いない。

 誠一だって、生身では立ち向かえない――切り札がある。人類を守護する力が。

「……ゴーズかぁ」

 ケダモノは喋る。だから、平和的解決ができると政治家たちは夢を見たのである。そのために払った犠牲の分だけ、彼らは学習した――殺せばいい、と。

 はたしてそれが頭がいいのか悪いのか。

 それはわからないが、おかげで、こうして誠一は職にありつけたのだから文句は言えない。貧困層で生まれ、児童養護施設で育った男の行く末が明るいものであるわけがない。実際、同じタイミングで卒業したうちの何人かは、すでに行方不明だ。

上着のポケットから、デバイスを取り出す。

「強化――装甲!」

 音声認識で、それが起動する――人を人でなくし、だからこそ、人を守ることのできる絶対なる力。優れた人の存在を否定しながら、優れた力を持った人に自分たちを守らせることに躊躇がない、人の矛盾が生み出した矛であり、盾。

 ゴーズ。そう呼ばれる、パワードスーツが顕現した。

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