第23話 アルテミス

 その町はローメリアから近く、乗合馬車に朝のうちに乗れば夕方頃には着いてしまう。

 もっともハルシオラ大陸の馬は、ほかの土地の品種より強靱で、持久力も瞬発力も倍以上違う。なので『馬車で半日の距離』の感覚が違うため、よそから来た人は注意が必要だ。

 更に次の町までの乗合馬車が出るのは数日後らしい。その町にしばらく滞在することにした。


 一泊し、そして昼時。

 リネットは露店で買ったクレープを、ヘルヴィと二人、静かな公園のベンチで食べていた。


「ごめんね無理に誘ったりして。リネットちゃんは師匠と一緒のほうがよかったかな?」


「そんなことない。テオドールも一緒がいいけど、なんか部屋でずっと瞑想してる……あれに付き合ってたら植物になりそう」


「ふふ。不確定都市が近づいているから緊張してるんだろうね。実はボクも、かなり緊張してるんだ」


「そうなの? ヘルヴィって大人っぽくて、いつも落ち着いてるから、全然そうは見えないや。あ、けどテオドール絡みだと結構取り乱してるかも……」


「それ以外のことでもボクは駄目駄目。上っ面を取り繕っているだけで。あ、別に自分を卑下してるんじゃないよ。欠点と向き合って、より高みを目指すという心構え」


「とても偉いと思う」


「……偉くなんてないよ……昨日だってつまんないことで拗ねたりして……師匠はこれから前世と今世をかけた戦いに挑むのに。ボク如きではその戦いの足手まといにしかならないから、せめて気を紛らわせてあげようと思ったのに。むしろ気を遣わせてしまって……ああああああ!」


 ヘルヴィは急に頭を抱えて唸りだした。

 思いっきり卑下しているではないか。


「だ、大丈夫。ヘルヴィのおかげで、テオドールは助かってるはず。話し相手がいるってだけで寂しさが紛れる……」


「話し相手ならリネットちゃんがいるじゃん……」


「私は子供だし。会ってから日が浅いし――」


 ずっと一緒にいられるわけじゃない、という言葉をリネットは飲み込んだ。


「ヘルヴィは十五年もテオドールを待ってたんでしょ? 転生魔法が成功するって確証もないのに。そしてテオドールは二百年近くもアンリエッタを忘れずに想い続けてる……凄いよ。私もそういう人が欲しい。私がどっかにいなくなっても、忘れないでいてくれる人」


「まあ、執念には自信がある。好きな人だから、振り向いてもらえるまで食らい付くよ。師匠だってアンリエッタさんを深く深く愛してるから、二百年でも二千年でも、決して諦めることなく挑む」


 ヘルヴィの言葉にリネットは頷く。

 確かにテオドールが諦めるなんて想像できない。

 だけど彼が諦めなくても、こっちの時間がないのだ。

 二千年どころか二年……いや二日で終わりが来ても不思議ではない。なんなら今この瞬間でも。

 それだけアンリエッタは追い詰められている。

 最強のアンデッドという恐ろしい通り名とは裏腹に、彼女に殺された者がいないのはなぜか。それを真剣に考えた者などいないだろう。


「そしてリネットちゃん。君が急にいなくなっても、ボクと師匠は、忘れたりしないよ」


「え」


「一緒に過ごした時間は、確かにそんな長くない。だけど友達だよ。師匠のことを沢山語り合ったじゃん」


 友達。

 リネットは確かに二人を友達だと思っている。二人も友達だと言ってくれた。

 だけど、たんに子供の言葉に合わせてくれているだけで、もしかしたら鬱陶しいと思われていないか実は不安だった。 

 はしゃぐ自分を置いて姿を消すんじゃないかと思った。

 朝起きて、二人が同じ宿にいると確認して、いつもホッとしていた。

 無用な不安だった。

 不安に思っていたのが失礼な気さえした。


「それに君の大食いを一度見たら、忘れたくても忘れられないよ!」


「その理由は、ちょっと酷いと思う」


「やっと笑ってくれたね。最近、元気なかったから心配だった」


「そう、かな? うん……そうかも」


「理由、言いたかったら言ってね。言えないなら……まあ、そのうち教えてよ。ぶっちゃけ、リネットちゃんは聞きたいことが沢山ある。どこから来たのか。どこで魔法を習ったのか。君の魔力の流れはボクに似ている。ボクは師匠に魔法を習った。師匠はアンリエッタさんに魔法を習った。そして、君はアンリエッタさんに瓜二つだと師匠は言っていた。無関係とは正直、思えない」


 リネットは心臓に氷柱が刺さったかと思った。

 確かに秘密にしていることはある。本当は秘密にしなくてもいいんだけど。言ってしまったら、どういう反応をされるか怖くて。

 二人は友達だと言ってくれているけど。

 正体をバラしたら、きっと友達ではいられない。

 今までのような気楽な関係は終わって、絶対に重苦しくなる。

 リネットはただ、最後のこの時間を使って、世界を見て、テオドールに会って、友達を作りたかっただけなのだ。


 できればアンリエッタの代わりに、ワスレナグサのお祭りに行きたかった。


「けれど、リネットちゃんに悪意や敵意がないのはもう分かってる。君が師匠に危害を加えようとして、その姿で近づいてきたのなら……ボクはとっくに容赦せずに拷問して目的を吐かせてる。だけど違う。だから無理に言わなくていい。今日はただ女同士で気晴らしをしよう。リネットちゃんはなにか抱えているようだし、ボクも色々モヤモヤしてる。昨日、師匠に色々酷いことを言ってしまったから、お詫びになにかプレゼントを買いたいな。付き合ってくれるかな?」


 信じてくれている。

 血の繋がりとか、生まれたときからの幼なじみとか、そういうのがないのに、彼女は自分を信じてくれている。


「あのね、ヘルヴィ。私ね――」


 最後まで言えなかった。

 突然、自分とヘルヴィの周りを、リンゴくらいの大きさの光球が取り囲んだから。

 その数、二十か、いや三十は下らない。

 アルテミス・ビットだ。


 リネットはそれらを視認できたが体が反応できなかった。なのにヘルヴィは即座に動いていた。リネットを抱きしめビットに体当たりし、包囲網から脱出する。

 今この瞬間まで、リネットは彼女の実力を見誤っていた。

 白騎士の座を継いだといっても、アンリエッタやテオドールには遠く及ばない。彼女自身もそう自覚している。

 だが、それは決して『弱い』という意味ではない。

 リネットは、もし自分がヘルヴィと戦ったとしても、それなりにやれると思っていた。とんでもない間違いだ。今の動きだけで分かる。格が違う。


 ヘルヴィ一人だけなら、無傷でこの状況から逃れていたはずだ。

 しかしリネットという足手まといを抱えていたため、アルテミス・ビットからの攻撃を背中に受けてしまった。


「っぅ――」


 苦悶の声。

 咄嗟に作ったにしてはヘルヴィの防御障壁は見事というしかない。それでも数十のビットから放たれた光線を一点に受けて貫通を許してしまう。

 ヘルヴィの左肩が、一目で分かるくらい大きく抉れた。


「大丈夫……このくらいの傷は、あとで回復魔法で治せるから……」


 倒れたヘルヴィはすぐに起き上がり、リネットを安心させようと微笑む。

 確かに即死に至る傷ではない。だが放置していい出血量でもない。今すぐ止血しなければ致命傷になり得る。

 あとで回復、なんて悠長なことを言っていられない。

 だが、回復魔法には高い集中力がいるのだ。自分を治すにしても他人を治すにしても、じっと動かず、全神経を使う必要がある。

 目の前に敵がいる。回復魔法を使う暇などない。


「おいおい。仕留めきれねぇと思ったら、とんでもねぇ大物を見つけちまったぜ。こりゃ運命って奴かもなぁ! ええ、ヘルヴィ!」


 そして目の前に、大きな影が降りてきた。

 身長は二メートルを少し超えるくらいか。

 シルエットは人間に近く、しっかりと服も着ている。が、隙間から見える肌は、緑色のウロコに覆われていた。頭部は完全にトカゲ。

 人に分類されているが人間からかけ離れた種族。リザードマンである。

 とはいえ、その男はリザードマンとしても異形であった。

 眼球が頭のいたるところについているのだ。いや、肩や手のひらにもあった。とても数え切れない。


「にしても俺から白騎士の座を奪ったテメェが、まさか処女だったとはなぁ! 犯してやりたいが、上物の生贄だ。活きのいいアルテミスを召喚してくれよ! なにせ今までの生贄は魔力がクソ過ぎて、小物しか召喚できなかった。お前ならデカいアルテミスを呼び出して、ビットを十個も二十個も一度に収穫させてくれるよなぁ!」


 この姿。この発言。

 彼こそが、かつてヘルヴィと白騎士の座を争ったザギバに違いなかった。

 どうやらここに現われたのも襲ってきたのも偶然らしい。

 とはいえ彼はユニコーンの魔眼を使って、強い魔力を持った処女を探しているようだ。ならば、ぶつかるのは必然といえる。


 ユニコーンの魔眼。

 ザギバが無数につけているのがそれなのだろう。数が多ければ、それだけ精度が上がったり、遠くまで感知できるのかもしれない。しかし、それにしたって多すぎる。魔眼に限らず、移植手術には危険も痛みも伴うはず。なぜここまで大量の眼が必要だったのか――。


「お前……その無数の魔眼で四方を見渡して、ビットを操ってるんだな」


 ヘルヴィの呟きはリネットの疑問に答えるかのようだった。


「おうよ。しかもユニコーンの魔眼は処女を探すだけじゃなく、殺した処女の魔力をため込むこともできる。アルテミスを召喚してビットを手に入れて、そのビットで処女を殺して、また魔力を吸い取ってアルテミスを召喚。真面目にコツコツ頑張ったおかげで、魔力もビットもパンパンだぜぇ!」


「なるほど……けれど魔眼の移植だけでなく、ほかにも体をいじったね。最低でも脳をかなり……でなきゃ、こんな数のビットを操るなんて不可能だ」


「ああ、いじったぜ。改造手術だ。なにせ俺は悟ったのよ。悪いだけじゃ生きていけねぇ。善人ぶった奴らが排除しに来るからな。強いだけじゃつまらねぇ。ずる賢い奴に搾取されるからな。だからよ、悪くて強い奴が最強なんだよぉ!」


 アルテミス・ビットが再び煌めく。

 ヘルヴィの防御障壁の上に、リネットは自分の防御障壁を重ねがけした。

 が、焼け石に水だった。

 二つの障壁は容易く破壊され、結果、ヘルヴィの左腕が根元から切断された。


「ヘルヴィ!」


 リネットは宙を舞う腕に手を伸ばした。しかしアルテミス・ビットの一つがそれに体当たりし、ザギバのところに持っていってしまう。


「ひゃははは! アルテミスの自発素材、処女の血肉だぜ! ありがとよ、ヘルヴィ。そして銀髪のガキ。次はお前を使って二体目のアルテミスを呼び出すから、そこで大人しく待ってろよ!」


「待つわけない!」


「へえ……じゃあヘルヴィを見捨てて一人で逃げるのか。お前、酷い奴だなぁ!」


「誰が見捨て――」


 言いかけてリネットは固まった。

 抱きかかえたヘルヴィから、ぬるりと温かいものが流れ出していると気づいたのだ。

 胸に穴が開いていた。

 さっきの攻撃で腕だけでなく、心臓までやられていたのか。


「リカバリィ!」


 リネットは迷わず回復魔法に集中した。

 心臓が潰れても、その瞬間に死ぬとは限らない。脳さえ無事なら、まだ間に合うかもしれない。


 名前がついていて、それが広く知られている魔法には安定感がある。それだけ多くの人が使っているからだ。

 名前があるということは、型があるということ。

 型通りの魔法をそのまま実戦で使うと相手に読まれてしまうし、応用が利かない。なので熟練者はズラした魔法を使う。得意な型を見つけたら、そこから派生させていくのだ。

 ところが回復魔法は型を外してはならない。

 治すというのは破壊や防御よりも遙かに繊細なのだ。


 広く使われている回復魔法には主に二種類ある。

 ヒールとリカバリィだ。


 ヒールは自己治癒能力を活性化させて傷を塞ぐ。そのため体力を急激に消耗する。体力がない病人や高齢者に使うと逆効果になる場合もあった。しょせんは自己治癒に頼っているので、治す力も限定的である。

 一方、リカバリィは『傷を負ったという事実を否定する』魔法だ。ヒールと比べて、発動に必要な技術も魔力も段違いである。その分、効果も高く、対象の体力がなくても関係なく傷を治す。


「へえ。ガキのくせにリカバリィなんて高度な魔法を使えるのか。それも一度に三つ同時に発動させてやがる。頑張るじゃねーか! 間に合うといいなぁ! ひゃははははっ!」


 ザギバは笑いながらヘルヴィの腕を空に向かって突き上げた。

 腕は突然、泡が吐けるように消えてしまう。腕だけでなく、地面に落ちていたヘルヴィの血までどこかにいった。これが自発素材にされるということか。


 ヘルヴィ本体は消えていない。まだ生きているということだ。そうだと思いたい。

 治れ治れ治れ! 治ったら一緒に走って逃げる。テオドールのところまで行けば、きっとなんとかなる。


「来たぞ、アルテミスだ。ひゃっはぁ! やっぱ生贄が強いと召喚されるモンスターも上玉になるぜ。さあ、死ね。そんでアイテムを落とせや!」


 アルテミスの巨体が公園に降ってくる。


「……いや待て、これ体も魔力もデカすぎんだろ! 物事には限度ってものがよおおおおおおっ!」


 彼は落ちてくるアルテミスの足の裏に、攻撃魔法を連射する。

 が、倒すどころか落下先を変えることすらできず、踏み潰されて終わった。

 ザギバという子悪党の話はこれで終わり。


 しかし彼が召喚したアルテミスは、リネットの眼前に立っている。

 以前、ローメリアの町に現われたアルテミスは二十メートル程度だった。これはそれよりも遙かに大きい。大きすぎてリネットが首を上に向けても、頭部が見えない。少なくとも倍以上はありそうだ。

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