第20話 双剣のジェラルド

「おお、こりゃすげぇ!」


「宝の山だべ!」


 エルフとドワーフは驚嘆の声を出す。

 うずたかく積まれた様々な金属のインゴット。アミュレットに加工する前の宝石。亜竜の皮で作った竜皮紙。長寿や転生について記された書物の数々。

 そして壁に立てかけられた、長剣。

 それはテオドールの父親の形見だ。一度折れてしまったので溶かし、ほかの金属を加えて、さる高名な鍛冶師に打ち直してもらった。それにテオドールとヘルヴィが魔法効果を付呪し、より強力な剣として生まれ変わらせた。だがデザイン自体は全く同じ。

 父親はいつもこれを持って冒険に出かけていた。

 アンリエッタはこれを持ってテオドールの前に現われ「あなたの父の仇です」と名乗った。

 その頃と同じ形だ。


「テオドール。その剣、鞘から抜いてもいいべか?」


 ランモルが息を呑んで、そう呟いた。

 構わないと答えると、彼はガラス細工に触れるような手つきで剣を持ち上げた。


「なんて仕上がりの刃だべ……久しぶりに見たけんども、やっぱり師匠の仕事は美しいべ……」


 そう。

 この剣を打ち直したのはランモルの師匠だ。

 一時期は塔の百階に滞在していたが、ある日、ランモルに「教えることは全て教えた。あとは自分で考えて修行しろ」と短い手紙を残して、どこかに行ってしまったらしい。

 ランモルが剣に見とれているあいだに、テオドールは大量の護符を鞄に入れる。

 それと――。


「効果は護符に比べれば弱いが、これも持っていくか」


 とある三つのアイテムも棚から取った。


「なあなあ。宝石、一個だけでいいからくれよ」


 マイズロスがおどけた口調で言う。

 テオドールは即座に断ろうとした。が、このエルフから貴重な情報を得たのを思い出す。


「一つだけだぞ」


「マジか!? じゃあこれもらうぜ。へへ、ラッキー。さすがに悪ぃから女……じゃなくて酒を奢るぜ。お前、体が新しくなって味の好みが変わったりしねないだろうな?」


「同じだ」


「よっしゃぁ。最近、いい酒を手に入れたんだよぉ」


 剣の回収という目的を果たしたので外に出て、扉を封印する。

 そしてまた三人で歩いていると、向こうから杖をついて歩いてくる老人が見えた。

 すっかり腰が曲がっている。もしかしたら百歳を超えているかもしれないというほど顔にシワが刻まれていた。


「ひひ……その気配……間違いなくテオドールだな。また会えるとはな……長生きはしてみるものだ」


 話しかけられたが誰だか分からない。

 テオドールが戸惑っていると、マイズロスが答えを教えてくれた。


「その爺さん。ジェラルドだよ」


「なっ! 双剣のジェラルドか!? まだ生きていたのか……!」


 双剣のジェラルド。かつてハルシオラ大陸全土に名を轟かせた剣士だ。

 あれはテオドールが白騎士の称号を得て間もない……五十代の頃だ。

 まだ二十歳を過ぎたばかりの若者だったジェラルドは、白騎士テオドールのライバルを自称し、幾度も喧嘩を売ってきた。


 武闘大会の初戦で戦い、闘技場を破壊して大会そのものを潰したことがあった。

 どちらが多くのモンスターを狩れるか勝負した結果、倒したモンスターの死体を全てほかの冒険者たちに持っていかれたりした。

 どちらが酒に強いか勝負して、生まれて初めて酔い潰れる経験をした。

 あの頃はテオドールもまだまだ若かった。

 それにしても計算してみると、ジェラルドの年齢は百歳どころではない。

 本当に生きているのが奇跡だ。

 おそらく長寿の研究を重ね、あらゆる方法で延命してきたのだろう。


「塔の百階にいたとはな。その足でどうやってここまで来たんだ? ここでのんびりしている間に、気がついたらジジイになったのか?」


「ひひひ……見くびるなよ、小僧」


「小僧? 俺のほうが年上のはずだ」


「一度死んで人生やり直したんだろ? なら小僧だ。そして、ワシはまだまだ現役の冒険者。ヨボヨボのジジイだと思ったら大間違いだぞ」


 ジェラルドの口が、ニタリと変形した。

 百数十年前を遙かに凌駕する、壮絶な気迫が放たれた。


「へへ……気をつけろよ、テオドール。ジェラルドはマジで現役だ。つーか百階の最強候補の一人だぜ」


 マイズロスが冷汗を浮かべながら言う。

 ジェラルドの周りの景色がぐにゃりと歪み、宙から二本の剣が生えてきた。その剣は誰が触れているわけでもないのに切っ先をテオドールに向け、空中に張り付いたように静止を続ける。


「現役とはいえ、近頃、歩くのが億劫での。本物の剣もジジイには重すぎる。しかし剣を捨てる気は毛頭ない。そこで魔法で『剣』と『見えざる手』を作ってみた。ワシ自身が動かんでも、ほれ、このように――」


 二本の剣が突進してきた。その太刀筋は、双剣のジェラルドのものに相違なかった。

 テオドールは奇妙な喜びを覚えながら左右に剣を持ち、敵の剣に交差させる。

 心地よい痺れが腕に走る。


「ほう。弾いたか。見事、見事。体が新しくなって勘が鈍ってないかと心配したが、杞憂のようだな」


「それはこちらのセリフだ。体が衰えてもなお闘争に身を置く心意気、見事と言うしかない」


「嬉しいことを言ってくれる。しかしワシらが互いを褒め合うなど、気持ち悪いことこの上ないと思わんか? 語り合うなら言葉ではなく技だろう?」


「同感だ。お前が得た新しい力、存分に見せてみろ」


「ひひひ……無論!  お前が帰ってくると信じ、お前に見せるために作った技だからな! 目を見開いて、ご照覧あれぃ!」


 また景色が歪みジェラルドの剣が増えた。

 正面から、上下左右から、視覚の外から、容赦なくテオドールの命を刈り取りに迫ってくる。その数――。


「テオドール。お前も二刀流がそこそこ上手くなった。だから『双剣』の二つ名はくれてやろう。今のワシは『十本剣のジェラルド』を名乗っている!」


 久しぶりの再会を果たした好敵手。なぜジェラルドはここまで執拗に必殺の信念を刃に乗せて放ってくるのか。

 好敵手だからこそだ。この程度では死なぬと信じているからだ。

 それはテオドールとて同じこと。

 相手がジジイだからと見下しも気遣いもしない。


 弾いた剣がジェラルドの心臓目がけて飛ぶ。それをギリギリでほかの剣が叩き落とす。

 相手が防御に意識を向けた隙に、テオドールは間合いを詰めていく。

 しかし、そう簡単に肉薄させてもらえない。

 実際に腕で剣を振っているわけではないのに、それ以上の力強さだ。たんに威力があるだけでは済まない。筋肉の動きから次の動作を読むという普段の見極めが通じないのだ。


 ジェラルド本人は杖を支えにして立っているだけ。歩くのもままならない老人が戦いの場に出るなど、本来なら笑い話にもならない。だが今はそれが逆に、彼に有利をもたらしている。動かぬゆえに気配がない。

 唯一、テオドールが頼れるのはジェラルドの視線だ。魔法で剣を操ろうとも、目で周囲を把握しているのは変わらない。

 とはいえ百戦錬磨の男だ。わずかな目の動きに老獪なフェイントをいくつも入れてくる。

 どれが本物で偽物なのか。それを見抜くのが、実に困難で、実に楽しい。


 ジェラルドがどれほどの研鑚を積んできたか、その場に立ち合ったように感じ取れる。彼がどれほど自分との再戦を望んでいたか、手に取るように分かる。

 テオドールの想いも伝わっているだろう。

 魔法と魔法。武と武。

 全力でぶつけ合えば、百の言葉を交わすより濃厚に語り合える。


 テオドールは己の神経が研ぎ澄まされていくのを感じた。

 転生して十五年。

 もう魂が体に馴染んだと思っていた。

 だが、こうしてギリギリの戦いに身を投じて、まだ甘かったと思い知る。

 高みはこの向こう側にある。


 剣戟の音を聞いて、人が集まって観戦を始めた。テオドールには観客たちの動きが止まって見えた。

 ジェラルドの剣も徐々に遅くなっていく。

 空飛ぶ剣の腹を足場にして跳躍。

 更に天井を蹴ってジェラルドの真上をとる。


の剣を踏んだな。しかし見えているぞ、テオドール」


 ジェラルドは昔の口調で叫ぶ。

 いや、この刹那の時間で言葉を放てるわけがない。仮になにか言ったとしても、テオドールの耳には届かない。この戦いにおいて音速など遅すぎる。耳ではなく心で捕らえたのだ。

 落下するテオドールに、ジェラルドは全ての剣を殺到させる。

 このままでは串刺しどころではない。蜂の巣だ。

 風魔法で落下の軌道を変えようにも、すでに包囲されていて、抜け出す隙間がない。

 ならば。


「我流――黒満月」


 テオドールの全身が、真っ黒な球体で覆われた。

 外の景色が見えないゆえ確認できないが、ジェラルドの剣は全て、球体の表面に吸い込まれたはず。そして一瞬の間もなく、鏡で光を反射するが如く、十本の剣は軌道を百八十度変えて飛んでいったはずだ。

 黒満月を解除。

 狙い通り、剣はテオドールから離れていく。


「空間を歪めて跳ね返しただと!? 大した技だが、中から外が見えないだろ。もう一度やってみろ。解除した瞬間に死ぬぜ!」


「お前ならそのタイミングを確実に見抜くだろうな。だからもう使わん」


「ひひっ! そう言って油断させて、とんでもない使い方をするのがお前だ!」


 分かってるじゃないか。テオドールは嬉しくて笑った。

 好敵手の頭上に双剣を振り下ろす。

 剣のコントロールを回復させたジェラルドは、自分を守りつつ、テオドールの左右と背後へ同時に刃を見舞う。

 遅く見えていたはずのジェラルドの剣が、ここに来て加速した。

 ああ、彼もまた精神が研ぎ澄まされ、より高みへと登っているのだ。

 楽しい。永遠に続いて欲しい。

 テオドールは剣に剣をぶつけ、その反動を使って間合いを取る。


 斬撃の応酬。第二幕を開演。

 互いの加速が止まらない。

 上限などないかに思えた。

 ところがテオドールの加速とジェラルドのそれに差が生じる。

 また少しずつ好敵手が遅くなっていく。

 ついてこいと念じても、彼の剣は鈍くなり、やがて止まってしまった。


「……降参だ」


 十本の剣は泡のように消える。ジェラルドは杖を落として膝をつく。


 テオドールは一瞬、なにが起きたか理解できなかった。

 ジェラルドの新しい技の予備動作か、と思ったほどだ。

 しかし違うのだ。

 決着がついた。愉悦の時間は終わった。


「ひひ……魔力はまだ保つが……集中力が切れた。目が疲れた。そして……ただ立っているだけでもう限界……済まんなテオドール。ワシは転生魔法なんて絶対に失敗すると思っていた。歯を食いしばって長生きすれば、それだけ長く武に身を投じられると思っていた……だが、歳には勝てん。転生に賭けたお前は正しい」


「そう、か」


 テオドールは乾いた声で答える。

 勝利を掴んだという満足感は薄かった。虚しさが遙かに勝る。

 いや……これは寂しいというべきか。


 観戦していた連中は大喜びだ。

 マイズロスとランモルもいい戦いだったと讃えてくれた。

 実際、刃を交えている間は、脳が溶けていくような感覚だった。

 なのに決着が唐突に訪れてしまった。

 テオドールとジェラルドが高め合う時間は終わったのだ。


「こんなことを言えば、お前はまた気持ち悪いと思うかもしれんが……ジェラルド、会えてよかったよ。じゃあな、、、、


 剣を回収するという目的は果たしたのだ。ここに留まる理由はない。テオドールは『ゲート』に向かって歩き出す。

 慌てた声に呼び止められた。


「お、おい。お前、そのまま帰るつもりか? 酒を奢るって言っただろ」とマイズロスが。


「そうだべ。取るもの取って、気持ちよく戦って、それで用事が終わったから帰るとか、友達甲斐がなさすぎるべ」とランモルが。


 左右からテオドールの肩を叩きながら言う。


「友、達……?」


 テオドールは確かに彼らと知り合いだ。人の名前を覚えるのが苦手だが、彼らのことは生まれ変わっても忘れなかった。有能な相手は、長い付き合いになるから忘れない。お互いにとって有益な関係を築けたら、テオドールだってそれを維持しようとする。

 逆にいえば、それだけの関係だ。と思っていた。

 しかし百階に自分のことを覚えている人が大勢いて、歓迎してくれたのは、確かに嬉しかった。


「なんだよ。まさか友達じゃないとか言い出すんじゃないだろうな? いや、お前は普通に言う気がしてきた……」


「利害関係だけの知り合いとか言うんだべ? お前はこっちをそう思ってるかもしれないが、オラたちはテオドールに会えて嬉しいんだ。少しくらいは付き合ってくれてもいいべ?」


 マイズロスとランモルだけではない。


「……まあ、好敵手と書いてトモと呼ぶ文化もある。どちらが酒に強いか、今度こそ決着をつけるのも悪くない」


 ジェラルドもテオドールを見つめて呟いた。


「…………少しだけ、だぞ」


 せっかく百階に来たのにこのまま帰るのはもったいないと、テオドール自身も思い始めた。

 マイズロスの家に行き、四人で飲む。

 思いのほか長居してしまった。

 闘争の愉悦とはまるで違う。しかし十分に楽しかった。

 ジェラルドは歳だからあまり飲めないかと思ったが、むしろ一番飲んだ。マイズロスいわく「こいつジジイのくせに、よく俺の店に来るんだぜ」とのこと。冒険者だけでなく、そっちのほうも現役らしい。元気で結構だ。

 ランモルは、いつか至高の剣を作るから、完成したらテオドールに使って欲しいと言っていた。


またな、、、


 テオドールの帰り際の言葉はそれだった。

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