第11話 迷子の手を引く

 領主直属の兵士たちが、アジトに行き、盗賊団の全滅を確認したらしい。

 残りの賞金が支払われるというので、テオドールはギルドに向かう。

 あの洞窟に乗り込んでから、三日後のことだった。


「賞金と……そして、おめでとうございます。Dランクです」


「ありがとう。君が盗賊を紹介してくれたおかげだ」


「どういたしまして。まあ、手配書は壁に貼ってあるので、誰でも閲覧できるんですけどね。あの盗賊たちはかなり好き勝手に暴れていたので、いなくなって私も嬉しいです。ありがとうございました」


 受付嬢は仕事を抜きに感謝しているようだ。

 そういう反応をされるとテオドールも嬉しくなる。

だが、その和やかな気分を壊すような大声が隣のカウンターから聞こえてきた。


「おい、奴はどこに行った! あいつ、また俺の店のツケを払わないまま、ずっと顔を見せねぇぞ! 冒険者のツケなんだから、冒険者ギルドで建て替えろ!」


「お、お気持ちは分かりますが、ギルドにそういう制度はありませんので……」


「じゃあ泣き寝入りしろってのか!? いつも腹を空かせていて可哀想と同情した結果がこれだ!」


「か、必ず支払わせますので。これまでもそうだったじゃないですか……」


「いつも飯食ってから一ヶ月とか経ってからな! 俺が金貸しだったら利息で大金持ちになってるぞ!」


 四十歳くらいのオッサンが、隣の受付嬢を怒鳴りつけていた。

 テオドールは彼に見覚えがあった。この近くにある飲食店の店主である。

 声の大きさと形相から、オッサンが悪者に見える。しかし話を聞く限り、被害者はオッサンのほうだ。食い逃げされたら文句を言いたくなって当然である。


「リネットがここに来たら絶対に俺のところに連れてこいよ! 分かったな!」


 オッサンはそう叫んでから、ギルドを出ていく。


「リネット……だと」


 それは盗賊団のアジトで出会い、森で見失った、眠たげな顔の少女の名だった。


「なあ。リネットってどういう冒険者なんだ?」


 テオドールは自分を担当する受付嬢に尋ねた。


「十歳くらいの、ぼんやりした印象の可愛い女の子です。半年くらい前にふらりとこの町に現われて、冒険者として登録しました。小さいのに凄い実力者で、トントン拍子にDランクまで昇級しちゃったんです。けれど……」


「けれど?」


「方向音痴なんです。それでよく迷子になって。町の外に出るときはほかの冒険者とパーティーを組みなさいって私たちは言ってるんですけどね。今回も迷子になってるんじゃないですか? まあ、強いのでモンスターにやられたってことはないと思います。そのうち帰ってきます。いつものことです」


「そう、か」


 テオドールは森でコンパスを拾ったのを思い出す。

 あれがリネットのものだとしたら、森の中で帰り道の手がかりを失い、さぞ困っているだろう。

 普通なら太陽からおおよその方角を知り、街道まで脱出する。それほど深い森でもなかった。当てずっぽうに歩いていても、そのうち外に出られる。


 だが極度の方向音痴は、なぜか出られない。右か左かという二択を、必ずと言っていいほど外す。同じところをグルグル回る。

 アンリエッタがそうだったから、テオドールは方向音痴がどういうものか熟知していた。


 おそらくリネットはこれまでコンパスを頼りに辛うじて帰ってきていたのだろう。

 それを落とした。

 もう二度と森を抜けられない。

 誰かが助けに行かない限り。


 ――俺が飯に誘って、それで警戒して迷子になったんだとしたら、助けないわけにもいかない、か。


 森に行き、コンパスを拾った辺りを中心に探す。

 我ながら律儀だと思う。

 全くの徒労になるかもしれない。実はリネットはとっくに森を脱出し、ツケを踏み倒すため、ほかの町に逃げたという可能性もあるのだ。

 しかし、あの小さな子供が本当に迷子になっていて、森を三日もさまよっている可能性を思うと、さすがに心が痛む。


「気配を探ってみるか」


 三日前、彼女がいなくなったのを気づけなかった。

 実はそれが結構悔しかった。

 だから気配を探って見つけ出し、リベンジを果たす。

 一度会っただけの相手の気配を探るのは難しい。

 しかし三日も迷子なら、強い不安を抱いているはず。その感情を追えるかもしれない。


「こっち、か?」


 さほど自信はない。それでもテオドールは進む。

 すると声が聞こえてきた。少女がすすり泣く声だ。


「……お母さん……お父さん……お腹減った……」


「迷子なら、もっと目立つところにいろ。木の根元に座り込んでいたら、見つかるものも見つからないだろ」


「お父、さん……?」


 少女は涙で濡れた顔を上げた。


「違うが。新手のナンパか?」


 テオドールが真顔で答えると、リネットは「うっ」と言葉を詰まらせる。


「ちょっと間違えただけ……テオドールさんだって、私を師匠と間違えた……」


「俺は君の父親に似てるのか?」


「……さあ? お父さん、私が生まれる前に死んじゃったから。会ったことない。けど、私が迷子になったら助けに来てくれる人だと思う」


「俺は父親になった経験はないが、しかし迷子の子供を連れて帰るくらいはできるぞ。俺でよければ助けてやろう」


 テオドールは手を伸ばす。

 リネットは照れくさそうに赤くなり、一瞬目をそらし、けれど握り返してきた。


「じゃあ、テオドールさんを私のお父さんに任命してあげる」


「それは勘弁してくれ。親になる柄じゃない」


「そう、かな?」


 立ち上がったリネットは、テオドールの返答に首を傾げる。


「割と面倒見がよさそう。私のこと、探しに来てくれたし」


「俺のせいで迷ったんだとしたら、さすがに放っておけないからな」


「……? 私が迷ったのは、綺麗な蝶々がいたから。わーって追いかけたら、いつの間にかテオドールさんが隣から消えてた」


「……お前は俺の師匠か」


 深刻な迷子気質は、本当に気配もなく消え、道に迷う。前世でアンリエッタが迷子になる兆候を掴めるようになるまで、かなり苦労したものだ。


「テオドールさんの師匠も、そんなに方向音痴だったの?」


「ああ。手を引いてやらないと、あらゆる手段で迷子になる。それで苦労して探す羽目になる。というわけで、町に着くまで君の手は放さない」


「ずっと握ったまま? それは恥ずい」


「誰も見ていない。それに、道に迷ってうずくまって泣いてるほうが、ずっと恥ずかしいだろ」


「ごもっとも。もう泣きたくないので町までエスコート、よろしくお願いします」


 今度こそ並んで森の出口に向かっていく。

 テオドールは前世のことを色々と思い出した。弟子のヘルヴィはしっかり者だったので、手を引いたりはしなかった。なにかと助けられた記憶のほうが多い。

 やはり手間がかかったのは、アンリエッタだ。

 方向音痴なだけでなく、朝に弱かった。それと服を畳まずに脱ぎ散らかす悪癖もある。美人で、優しくて、魔法の天才。いくつも長所を持っているが、それ以外は残念なところが多かった。


「私たち並んでると、恋人同士に見えたりする?」


「見えない。歳の差を考えろ」


「けど、親子ほどは離れてない」


「まあ、親子には絶対に見えないだろうな」


「じゃあ兄妹に見える?」


「兄妹か……」


 テオドールはその一言で、遙か大昔の記憶が蘇った。


「俺が五歳のとき。何事もなければ弟か妹が生まれるはずだった。けれど結局、俺は兄になれなかった。もしかして君は、生まれるはずだった俺の妹が、化けて出てきたのか?」


「違うけど……そっか。生まれるはずだったその子が天国から見てるかもしれない。私が勝手にテオドールさんを『お兄ちゃん』って呼んだら、その子が怒るかも」


「なんだそれは。呼ばれても無視するぞ」


「酷い。恋人にも親子にも見えないし、兄妹も駄目。どんな関係に見えたらいいと思う?」


 リネットはなにやら悩み出す。


「よく分からんが。俺たちは、なにかの関係に見えなきゃ駄目なのか?」


「えっと。たんに町に着くまで暇だから、考えを巡らせてるだけ。テオドールさんも意見出して」


「迷子と保護者」


「そうなんだけど、そうじゃなくて。もっと……絆を感じるやつがいい。手を繋いで歩いて当然って感じの」


「迷子と保護者だって、手を繋いで当然だと思うぞ」


「それだと……家に着いたら絆がなくなる。もっと永遠なのがいい」


「わがままな奴め。己が迷子だという現実から目をそらすな」


「……テオドールさんって、割と笑うよね」


「俺は今、笑っていたか?」


「うん。楽しそうだった。目つきが鋭いから、あんまり笑わない人なのかなぁって最初は思ったけど。話しやすい人でよかった。あと、私は笑うの苦手だから羨ましい」


 前世で母親が死んだとき、笑えなくなった。アンリエッタと過ごすうちに、笑えるようになった。

 アンリエッタが死んで、また笑うことを忘れた。ヘルヴィを弟子にして、思い出した。


「不愉快じゃない奴が隣にいてくれれば笑うさ。ほとんど初対面に近いのに、君のことは昔から知っているような気分になる」


 アンリエッタに姿が似ているのを抜きに考えても。どうしてだろうか。この少女を、他人とは思えなかった。


「私も、テオドールさんを他人と思えない。もしかして私たち、前世で友達だった?」


「それはどうだろうなぁ」


「友達……うん、それがいい。私が一番欲しいのはお父さんなんだけど、テオドールさんがお父さんというのは無理っぽい。だから代わりにテオドールさんを『私の友達第一号』に任命する。とても名誉ある地位」


「お前、今まで友達いなかったのか……」


「すごい田舎から出てきたから仕方ない……ほかに子供がいなかった」


「そりゃ本当に田舎だな。しかし友達か……」


 師匠はいた。恋人もいた。弟子もいた。

 なのに友達というのは、考えてみればいなかった。

 我ながら偏った人生だったと思い返す。


「実は俺も友達がいないんだ」


「そんな気がしてた。私たち、友達いない同盟」


「なら、いい友達になれそうだな」


 テオドールが何気なくそう呟くと、リネットは口の端をわずかに上げた。


「なんだ。お前も笑えるんじゃないか」


「……笑ってた?」


「ああ。いい笑顔だったぞ」


「そっか……えへへ。照れくさい」


 まだ棒読み気味ではあるが、ちゃんと喜んでいると伝わってくる笑い声だった。


「あ。そうだ。お礼、言ってなかった……探しに来てくれて、ありがとう、テオドール」


 そしてリネットは楽しそうに呼び捨てにしてきた。


「ああ、よろしくな、リネット」


 テオドールも悪くない気分だった。

 ささいな切っ掛けがあれば、友達を作るというのは難しくないのかもしれない。

 そんなことを考えながら、初めてできた友達の手を引き――彼女がツケをため込んでいる食堂まで案内してやった。

 食い逃げはよくない。

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