#13 人の運命(1)

現在の苦しみは、将来わたしたちに示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は思う。

——ローマの信徒への手紙、第八章十八節



***



 これまで述べて来たように、人類は確実に進歩する。

 しかし、人間個人に限って言えば、私たちは年齢を重ねるごとに、若いころに大きな喜びを与えてくれた多くの事柄について、次第に関心が薄れていく。


 だが、時間を有効に使い、「生命の灯火の前」で両手を賢く温めれば、失う以上のものを得られるかもしれない。

 体力が落ち、運動で鍛える必要がなくなり、希望は記憶に取って代わられる。

 年齢に比例して幸福が増すかどうかは、これまでの人生にかかっている。


 老いが進むにつれて価値が下がり、喜びが次々と消えていき、残された人生も次第に情熱を失っていく。しかし、時が奪うもの以上に、豊かさと安らぎを得る人生もある。


 青春時代の喜びは、勢いと熱意に秀でているかもしれないが、不安や動揺の色を帯びている。若者は、老いに伴う充実感や深みをまだ知らない。それは、無欲な人生の最も豊かな報酬のひとつだ。


 人生の終わりは、一日の終わりに似ている。

 たとえ雲があっても地平線が晴れていれば、夕方は美しいかもしれない。


 老いとは、豊かな記憶の宝庫だ。人生には喜びが満ちている。


「刹那の喜びはあまりにも素晴らしく、

 過去の喜びはさらに味わい深い」[1]


 スウェーデンボルグは、「天国では、天使たちが若さの春に向かって常に前進しているため、一番長生きしている者が一番若い」と想像している。


 周りを見渡すと、スウェーデンボルグの天使の話を実践する友人がいるのではないだろうか。いくつになっても、子供のようにマインドが新鮮な人のことだ。


「年齢と習慣を重ねても、人生の無限の多様性は枯れない」


 こういう人は、クレオパトラよりも真実味のある「いつまでも若くて美しい人」といえる。



 キケロは「老い」について次のように語っている。


「老いをみじめに感じる原因が四つある。一つは実務から遠ざかること、二つ目は体が弱ること、三つ目は多くの喜びが奪われること、四つ目は死が近づくということだ。これらの原因のうち、ひとつひとつがどれほど重要で合理的であるかを考えてみてほしい」


 一つ目の「実務から遠ざかること」について。

 人生の煩わしさから解放されて、余暇や休息を得られることは、決して悪いことではないはずだ。


 二つ目については、すでに「健康」の章で触れた。

 三つ目は、「情熱がない」ことだ。


「老いの尊い特権! それは、若さの最大の欠点をなくしてくれる」というが、人間の本性である高次の感情が、必ずしも弱まるわけではない。むしろ、低次の本性にある荒っぽい要素が浄化されて、輝きを増すかもしれない。


 そうすると、確かにこう言えるかもしれない。


「人間とは、本物の太陽以上に世界を照らす太陽だ。その素晴らしいハートの炎は、価値ある尺度ともいえる唯一の光と熱なのだ」[2]


 マヌーは「人間は一人でこの世に生まれ、一人で死に、一人で善行の報いを受け、一人でその罪の罰を受ける」と語り、次のように続けている。


「だが、美徳は魂と共にある。だからこそ、人は美徳を収穫して集めよう。そうすれば、誰もが通過しなければならないが、通過するのが非常に困難なで、切っても切れない仲間を持つことができるだろう」


 多くの人が、控えめに言って「幸福とは無縁の道」だと分かっていながら、わざわざ選ぶのは異常ではないだろうか。なぜ、自分自身を幸せにするよりも、他人を惨めにすることを好むのか。


 プラトンは『パイドロス』の中で、人間を三つの性質を持つとして説明し、翼のある馬と戦車乗り(操縦者)に例えている。


「二頭の馬のうち、一頭は高貴で、もう一頭は無骨だ。予想通り、二頭をコントロールするのは簡単ではない」


 高貴な馬は戦車を引き上げようとするが、無骨な馬は戦車を引きずり降ろそうとして暴れる。


 また、シェリーは「人間とは、アイオリスの竪琴を通り抜けながら絶え間なく変化する風のように、外的・内的な印象とその動きによってメロディーを奏でる楽器だ」と語っている。



(※)アイオリス(Aeolian):ギリシャ神話の風の神。古代ギリシャの四大部族 の一つでもある。

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