#12 進化への期待(1)

文明が進歩する前兆が起き、

実際に始まり、活発に進行して、

広大な地域へと広まったとき、

科学的探求の精神は、期待せずにいられない。


いままで世界に存在したどんな状況ともまったく異なる、

人類の知性を生み出してきた地域をはるかに凌ぐ領域で、

行動へ駆り立てられた力強いマインドの活動に、

私たちは期待しないでいられるだろうか。

——ハーシェル



***



 未来の進歩に希望を託すことができる道が、二つある。


 第一に、私たちを取り巻く現象——つまり自然と物質に関する知識の発展だ。

 私たち(十九世紀現在の人類)が享受しているものよりもはるかに大きな利点を、子供たちに与えるかもしれない。


 第二に、善に向かうあらゆる力——つまり教育の拡大と改善、科学と芸術、詩と音楽、文学と宗教などの影響力の発展だ。

 人間を育て、自分自身をよりよく理解し、長所を評価して人生を楽しむことができるようにする。イタリアの格言「光のあるところに喜びあり」という真理を実現させるだろうと期待できる。


 進歩を大きく妨げる原因のひとつは、「神の摂理によって与えられたものを改善することは、ある種の恩知らずで不敬だ」という考え方にある。


 例えば、プロメテウスは人間に火を与えたために最高神ゼウスの怒りを買い、処罰された。その他の改善は「聖職者たちの創意工夫によって、神から特別に赦された恩恵」だとされ、そうでなければ神罰を免れない。

 このような迷信は、まだ完全に消えていない。


 私でさえ、多くの優秀な人たちが麻酔薬(クロロホルム)を使うことをためらい、偏見を持っていた時代を覚えている。なぜなら、痛みとは神から命じられた試練であり、それを取り除くことは良くないと信じられていたからだ。


 サクソン時代の初期、ノーザンブリア王国のエドウィン王は貴族と司祭を集めて、ある宣教師の話を聞くべきかどうかを相談した。王は疑っていたが、年老いた族長が立ち上がってこう言った。


「王よ。冬の夜、仲間に囲まれながら広間で夕食を食べているとき、夜はどんよりと暗く、外では雨や雪が激しく降っていて、広間の中は燃える炎で照らされて暖かい……そんなときに、スズメが暗い夜から明るい広間に飛んできて、広間を飛び越えて、反対側からまた暗い夜に出ていくことがある。ほんの一瞬、その姿が見えても、外の嵐の闇の中で、どこから来てどこへ行くのかわからない。人の生涯も同じようなものだ。現世の暖かさと明るさの中で短い間だけ現れるが、過去に何があったのか、未来に何があるのかは分からない。したがって、もし新しい宣教師が、過去の闇と未来の闇について教え導いてくれるなら、彼らの話を聞いてみよう」


 だが、最近の発見に見られるように、予想外のことで「未解決のままでなければならない究極の問題がある」とよく言われる。私としては、そのような制限を設けることは避けたいと思う。

 パークがアラブ人に「夜の太陽はどうなっているのか、太陽はいつも同じなのか、それとも毎日新しく生まれているのか」と尋ねたところ、彼らは「そのような質問は馬鹿げていて、人間が調べることはできない」と答えた。


 一八四二年、オーギュスト・コントは『実証哲学講義(Cours de Philosophie Positive)』の中で、天体に関する公理として、「天体の形、距離、大きさ、動きを解明することはできるだろうが、化学組成や鉱物学的構造を研究することは絶対にできないだろう」と述べていた。

 しかし、この不可能と思われていたことが数年のうちに実際に達成されたのだから、科学の可能性を制限することがいかに危険であるかを示している。[1]


 ニュートンの時代と同じように、今も私たちの前に「真理の大海原」がほとんど未発見のまま横たわっている。

 私は、王立協会や英国学会の会長が、年次講演のテーマを「私たちが知らないこと(The things we don't know)」にしてくれないかと思うことがある。


 私たちが今、どんな新発見の直前にいるのか、誰にもわからないんだ!

 人類といくつかの「重要な改善」との間に、何年もの間、わずかな差が存在し続けることは、驚くべきことだ。


 たとえば、電灯(電球)の場合を思い出してみよう。真空にしたガラスの受け皿に炭素のロッド(棒)を入れて電流を流すと、炭素は強い光を放つが、ガラスが破裂するほど熱くなることは何年も前から知られていた。灯りをつけてもすぐに破裂してしまうため、役に立たないと思われていた。

 そこでトーマス・エジソンは、炭素のフィラメント(糸束)を十分に細くすれば、発熱を抑えながら豊かな光を得られるアイデアを思いついた。エジソンの特許権は、まさにここが争点になった。ロッドをフィラメントに置き換える程度のわずかな違いでは特許を取ることはできないと言われたのである。

 ジョゼフ・スワンやレーン・フォックスらによる改良は、全体として非常に重要ではあるが、段階的に積み重ねてきたものだ。


 また、麻酔薬の発見を思い出してみよう。十九世紀の初め、ハンフリー・デービーは笑気ガス(当時はそう呼ばれていた)を吸入すると痛覚が完全になくなり、しかも健康を害することがないと発見した。ガスの影響下で、実際に歯を抜いてみたが、もちろん痛みはなかった。

 これらの事実は化学者に知られていたし、大病院の学生も学んでいたのに、半世紀もの間、誰もこのガスを応用して手術しようとしなかった。手術は以前と同じように行われ、患者は同じように恐ろしい拷問を受けていた。慈悲の元素は私たちの手の中にあり、その神聖な特性も知られていたが、それを利用することを思いつかなかったのだ。


 もうひとつ例を挙げてみよう。印刷技術は、一般的に十五世紀に発見されたと言われている。実用化されたという意味で間違いないが、技術自体はもっと以前から知られていた。ローマ人は金属の刻印を使っていたし、アッシリア王の記念碑には在位中の君主の名前がきちんと印刷されているのを見ることができる。

 では、何が違うのか。ほんの小さな、しかし重要なステップがあった。

 印刷技術の真の発明者は、単語ごとにではなく一文字ごとに刻印するという実りあるアイデアを思いついた人だ。その差はわずかな違いであるにもかかわらず、三千年もの間、誰もそのことを思いつかなかった。


 今、この瞬間にも、これほど単純でこれほど広範囲におよぶ発見が、私たちの目の前にあるかもしれないのに、誰にもわからないんだ!



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