#2 富・財産(2)

 私が考える本当の真実は、「富・財産は必ずしも利点ではなく、利点となるかどうかは、私たちが富・財産をどう利用するかにかかっている」ということだ。


 このテーマに限らず、ほとんどの特権や機会について同じことが言える。

 知識、強さ、美しさ、技術、すべてのものが乱用される危険を秘めている。もし、それらを軽視・誤用すれば、それらを持ってない場合よりも悪い状態になる。使い方を知らない人の手にかかれば、不幸になるだけだ。

 富・財産は、余暇となり、友人を助ける力となり、本や芸術、旅行の機会や手段など、多くのものを支配する力を与えてくれる。


 お金の利点を誇張するのは簡単だ。所有する価値があり、そのために働く価値もある。だが、お金のために大きすぎる犠牲を払ってはならない。実際、人に勧めるほど偉大なものではない。

 賢明な慣用句によれば、黄金はあまりに高く買われすぎている。

 富・財産は余暇を与えてくれるから価値があるのであって、富・財産を得るために余暇を犠牲にするのは明らかに間違っている。

 お金が、人の精神を貧しくする傾向があることも確かだ。

 とはいえ、まったく危険のないギフトがあるだろうか。


 エウリピデスは「お金は人に友を与え、人類に大きな(非常に大きな)力を与える」と語り、「実際、強者は金持ちである。相続人がいない場合はなおさら」と皮肉っている。


 ボシュエは、「彼は富・財産に執着していなかったが、それでも必要最低限のものを持ってなければ、自分自身が狭くなり、才能の半分以上を失うだろう」と語っている。


 シェリーは決して欲深い人間ではないが「お金が欲しい」と言い、次のように語っている。


「なぜなら、私はお金の正しい使い方を知っていると思うからだ。仕事を命じ、余暇を与える——真理を導くためにお金を使って余暇を与えることは、個人が全体に対してできる最も崇高なギフトである」


 ペピスは、古式ゆかしく敬虔に、「妻と海外に行ったとき、初めて自分の四輪馬車に乗った。私の心は喜び、神を讃え、神がこれからも祝福し続けてくださるようにと祈った」と語っている。多くの人が同じことを感じるだろう。


 これは確かに、少し利己的な満足感といえる。

 しかし、商人は自分の仕事をやめる必要も恥じる必要もない。

 ヴェネチアの聖ジャコモ・デ・リアルト教会に刻まれた碑文を心に留めておけばいい。


「この神殿の周りでは、商人の律法を正義とし、その重みを真実とし、その契約に忠実であれ」[2]


 もし人生が金儲けのために犠牲になっているなら、それを手に入れた手段そのものが、楽しみを享受することを妨げる。貧しさゆえの冷たさが骨身にしみるだろう。

 このような人たちのために、マイザー(Miser)という言葉がめでたく選ばれたが、彼らは本質的に哀れ(Miserable)なのだ。



(※)マイザー(Miser):けち。欲張り。守銭奴。

(※)ミゼラブル(Miserable):哀れな様子。悲惨なさま。



「コレクターがヨーロッパ中の画商を覗くと、ニコラ・プッサンの風景画やサルバトールのクレヨン画があった。しかし、ヴァチカンやウフィツィやルーヴルの壁には『変容』『最後の審判』『聖ジェロームの聖体拝領』などの超越的な作品があり、また、どこの通り(ストリート)にも大自然がもたらす絵画があって、日の出から日没まで毎日描かれている。人体の彫刻も欠かすことはできない。あるコレクターがロンドンの公開オークションでシェイクスピアの自筆原稿を157ギニーで落札したが、少年は無料でハムレットを読めるし、まだ未発見の重要な秘密を見抜くこともできる」[3]


 それなのに、「所有者は、それを『目で見る』以外に何を持っているだろうか」[4]



(※)ギニー(guineas):イギリスで使用されていた金貨。二十一シリング相当。



 私たちは、自分で思っているより本当は豊かなのだ。

 地球の飢餓(Earth hunger)という言葉をよく耳にする。

 人は偉大な地主をうらやましく思い、広大な土地を所有できたらどれほど楽しいことかと思い込んでいる。しかし、エマーソンが言うように「土地を所有する者は、土地に所有される」のである。


 さらに言えば、私たちはみんな、何千エーカーもの土地を所有しているのではないだろうか。共有地、道路、歩道、海辺、壮大で変化に富んだ沿岸——これらはすべて私たちの共有財産だ。


 中でも、海岸には大きな利点がふたつがある。

 ひとつめは、大抵の場合、人間にほとんど干渉されないこと。

 ふたつめは、自然の力を最大限に見せてくれることだ。


 私たちはみんな、知ってさえいれば、立派な土地所有者なのだ。

 私たちに足りないのは土地ではなく、土地を楽しむ力だ。

 この偉大な遺産は、労働を伴わず、管理を必要としないという利点もある。

 地主には土地を管理する苦労があるが、風景は「それを見る目」を持つすべての人のものだ。


 キングスリーは、エバーズリー周辺の荒地を「冬の庭」と呼んだ。

 それは、法律上自分のものだったからではなく、万人が同じものを所有しているという、より高い次元の意味なのだ。



【原作の脚注】


[1] Epictetus.

[2] Ruskin.

[3] Emerson.

[4] Solomon.

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