婚家を追い出されたので復職して最強メイドになります

紅犬

1 いろいろあって離婚しました

 パートの帰りに夫を見つけたら、人目もはばからず白昼堂々他の女とキスしてる――なんて光景を見たら、世間一般だとどういう反応するんだろうか。

 とりあえず、私はこうだった。


「……はぁ?」


 二頭立ての馬車が行きかう大通りを挟んだ向かい側。

 私が今朝、タンスから用意してあげた服を着た私の夫と呼ばれる人は、私じゃない女とキスを交わしていた。

 女は私と似ても似つかない、背が低くてやわらかい亜麻色の髪に、零れそうなほど大きな青い瞳。

 男顔負けの背の高さがあって可愛いよりカッコいいと言われた回数の方が多い私からみたら、羨ましく感じるほど可愛い。


 旦那は満足げに相手の娘の頭を撫でて、手を繋いで小物店の中へ消えていった。


 ……今の、幻覚?

 旦那によく似た他人と思いたかったが、服まで一緒のそっくりさんなんて双子以外ではあり得ないだろう。


「どういうこと……?」


 知らず知らずのうちに言葉が漏れた。

 なんか、足元がぐらぐらする。地面に足がついてる感じがしない。


 疲れ、けっこう溜まってるもんな。

 結婚してから4年。毎日、朝から家事に、仕事に、家事に。

 最近はお義姉さんから預かってる赤ちゃんのお世話や夜泣きでほとんど寝れてない。


 結婚したての頃、仕事をリタイアした両親を養いたいと言ったのは旦那で、家族がいない私は嫁入りという形で旦那の家に住むことになった。

 旦那と私の稼ぎだけで一家四人を養ってるから、家計は常に火の車。美容にかけるお金なんてなかった。髪を切りにも行けないし、服は着まわしすぎてボロボロ。肌の手入れも最低限。

 2年前に産まれた旦那の姉の赤ちゃんは、産まれた当初から家に頻繁に預けられている。夜泣き対応にお義姉さんがいない間のミルクや離乳食。もちろん、離乳食を家族の食事の用意の合間に作ってきたのは私だ。

 忙しさにかまけて女を捨ててる自覚はあった。でも、そこまで気を遣うだけの余裕が時間的にも精神的にもなかった。


 そんな状態でも、私は文句なんてなかった。

 文句を言えないほど疲れてたってのもあったけど、それでもやっぱり旦那の事を好きだから。

 その家族もろとも支えていきたいって思ってたから。


 それなのに――……

 さっきの光景で色々なものが決定的に壊れたような気がした。

 そんな時だった。


「ベ~ルナちゃん!!」


 いきなり後ろから誰かに突き飛ばされた。


 前後不覚というか、足許がおぼつかなかった私はうっかり馬車道に出てしまう。

 その瞬間に、運命ともいえるタイミングで、馬車が通りかかった。


「危ない!!!」


 御者の叫び。馬の嘶き。周囲の悲鳴。

 混乱の中、馬車が横転。


 そんなものを遠くに聞きながら、私は呆然と立ち尽くしていた。


=====


 台所と直結したダイニングテーブルの近くのフローリングの床に、私は座らされていた。

 テーブルの椅子には旦那と、旦那の父親と母親、そしてお義姉さん。

 一様に厳しい視線で見下ろしている。


「――こんな金額、支払えるわけないだろう!!!」


 バンっ!!

 テーブルを叩いて怒鳴ったのは、めったに口を開かないお義父さん。

 朝の挨拶から夜のおやすみなさいまで「うん」とか「ああ」とかしか聞かない人だったから、こんな大声は初めて聞いた。


「ほんとビックリぃ~。いきなり馬車の前に飛び出すんだも~ん。わたし止めたのに~~~」


 そう言うのはお義姉さんだ。

 茶色い髪をイマドキ風に持ち上げて、何重に塗ったのかもわからない黒々した目元。腕にはいつも預けに来る2歳のこどもがいる。必死にこちらへ来ようとする姿がけなげで可愛い。


 あの事故の前に聞いた声は、たしかにこの人だった気がする。

 ていうか、私を「ベルナちゃん」と呼ぶのはこの人だけ。

 でも義姉は知らぬ存ぜぬで通していて、私も決定的な瞬間を見たわけではないので何も言えない。


「何てことしてくれたんだ……」


 そう呆れる旦那。

 帰ったら昼の光景についていろいろ聞きたかったんだけど……それどころではなくなってしまった。


「……信じられないわ」


 ずっと黙ってたお義母さんが呟く。

 わなわなと声と肩を震わせている。


「ここまで養ってあげた旦那の実家に泥を塗るなんて……あなたって人は……っ! 嫁に来た時から小生意気で気が利かないと思ってたけど、こんなひどい仕打ちをするなんて!!」


 ともかく。

 現状を説明すると、だ。

 馬車を転ばしてしまったわたしは修理代&乗っていた人の治療費諸々を請求されていて、それができないなら屋敷で働いて返せ、といわれているのだ。


 ちなみに、だいぶお金に余裕のある方だったようで、高級馬車の修理代だけでもこのおうちが吹っ飛んでしまう額が請求されていた。


 迷惑をかけてしまったと思う。

 なので、私は素直に冷たいフローリングに手をついて謝った。


「申し訳ありません」


 しかし、義実家の憤怒は収まらない。

 義父が絶望したような声を上げる。


「あのブラッドレイ家に目を付けられるなど……これから搾取されるぞ……我が家はおしまいだ、どん底だ!!」


 ブラッドレイ家。

 昔やってた仕事で聞いたことはある気がするけど忘れてしまった。

 どんな家だったっけ?


「で、どうする? うちらには払えないでしょ、これ」


 完全他人事の義姉の言葉に、義母が金切り声をあげた。


「セドちゃん、こんな女とは別れなさい!! あんたはこれから身一つでブラッドレイ家に行って、土下座して許してもらえるまで奉公させてもらうのよ!!」


 ま、そうなるよねー。


 正直、昼間の浮気現場からのこの展開、日々の家事や仕事、最近の寝不足も祟って心身ともに疲れ果てている。

 旦那もかわいい女の子が好きみたいだし。

 義母をはじめとした義理の家族には、あまり歓迎されてないみたいだし。

 ……4年間、私なりに頑張ったつもりんだけどな。


 この際だし、ぜんぶ捨ててもいいかもしれない。

 そう思い至った私は、三つ指をついて深々と頭を下げた。


「はい、そうします。今までお世話になりました」


 お前に食べさせる飯はないから夕飯までに出ていけ――そう義父に言われたので、私はそのまま荷物をまとめて、4年間お世話になった嫁ぎ先を出て行った。


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