第3話 相棒候補

 あの日を境に、私と月白秋春との間には不穏な空気が流れた。

 私は彼が視界に入る度、気まずさからすぐに目を逸らし、一方の彼は私にまだ何か言いたそうな表情を浮かべながらも、執拗に追いかけたりはしてこなかった。

 ついこの間までは完全な他人だった私たちの関係は今、なんと表すべきなのだろうか。

 友達でもなければ恋人でもない。過去、偶然会ったことがあり再会しただけの知り合いという、曖昧な表現が正しいのかもしれない。でも知り合いという関係にしては、お互いを妙に意識していた。

 この先この関係はどうしたらいいのだろうか。そんなことを考えながら、暗殺課の事務所の中で任務の要請があるまで待機している。


「考え事ですか?」


 椅子に座りながらぼんやり天井を見上げていた私に声をかけたのは、押水奈未おしみずなみ。彼女も暗殺課の一人だ。


「まぁ、そんなところです」

「最近やけにボーっとしていること多いですよね。何かあったんですか?」

「ちょっと同級生に告白されただけです」

「……えええぇ!?」


 驚きの声と同時に興味津々といった様子で私との距離を近づける押水。膝に手を置いた前傾の姿勢であるため、上着と肌の隙間から谷間が姿をのぞかせる。私は偶然視界に入ってしまったので、すぐさま目線を逸らした。

 断じて大きさに嫉妬しているとか、そういう感情が働いたわけではない。


「大声上げないでください。待機中とは言っても仕事中です」

「ごめんなさい……。でも、そんな話聞いたら誰だって驚きますよ?」


 茶髪ショートヘアで艶やかな髪質。薄い化粧でも十分なくらい綺麗な肌と顔立ち。身長は私より低いが、私より大きい胸。年齢も二十歳とかなり若く、このルックスでモテないわけがない。加えて年下にも敬語を使うところからどことなく感じる後輩感と、姉のような世話好きな性格を持ち合わせているのだから、世の中の男性が放って置くわけがない。

 だから、さっきの言い方は若干嫌味にも聞こえた。


「あっそうか。ということは、告白の返事を考えているってことですね?」

「いや、返事ならもうしました」

「なんて返したんですか?」


 私はどんどんと距離を近づけてくる押水から視線を逸らして言う。


「ごめんなさい、と」

「実莉ちゃんのことだからそうだとは思ってましたけど……」


 期待していた話が盛り上がらなくなったとみて、分かりやすく項垂れる押水。そして軽く嘆息した。


「でもそれだったら、なんで悩んでいるんですか?」

「普通の男の人に告白されただけならよかったのですが、私と彼は……」

「二人とも、ちょっといいかしら」


 話を遮る声に対して反射的に、私と押水は振り向いた。

 篠畑由利しのはたゆり。暗殺課を仕切る暗殺長官の次を任される暗殺副長官である彼女は、私や押水とは少し年が離れている。年が起因しているのかは分からないが、大人の女性の雰囲気を持っており、口調からも品が感じられる。


「今日は早めにあがってもいいわよ。あとは朽木くちき先輩と二人で対応するから」


 篠畑の言う朽木とは、暗殺長官のことだ。今は定期報告会議に出席しているため不在だが、もうすぐ戻ってくる頃だろう。


「分かりました。そうさせてもらいます」

「せっかくだから実莉ちゃん、ご飯行きましょう。さっきの話の続き聞きたいですし」

「まぁ、たまにはいいですね」


 時刻は午後八時前。いつもならこの時間から出前を注文して食べるため、まだ夕食を済ませていなかった。それに、どの道話の続きを聞かれるだろうなとは思っていたので、彼女の提案に乗ることにした。

 暗殺課所属になってからかなり経つが、押水を始めとした暗殺課の面々と二人きりで食事に出かけたことは一度もなかった。その初めての相手が押水なのだが、彼女はグイグイと距離感を近づけてくるタイプなので、長時間話していると気疲れするのは簡単に予想がつく。

 だが、なかなか人間関係の話を相談できるような人もいなければタイミングもなかったので、今回はいい機会だと思った。


「二人でご飯に行くのは自由だけど、要請時はお願いね」


 篠畑は盛り上がっている私たちに念のために確認を入れた。

 私たち暗殺課は、仕事のない日であったとしても、人数が少ないことや仕事を分担で行っていることもあり、余程の都合がない限りは要請されたら必ず出動しなければならない。そのためこうして仕事が終わったとしても、事務所で仕事の待機をしているのと大差ないのである。


『了解です』


 私と押水は声を重ねてそう返し、揃って事務所を後にした。暗殺課の事務所は街の中にあるため、外に出た瞬間から車の音や人の話し声が耳に入ってくる。


「どこか行きたいところありますか?」


 押水は携帯を開きながら、私にそう問う。


「私はどこでも大丈夫ですよ」


 私は特に行きたい店もない気分だったので、押水に選択権を与えた。


「そういう問いに対して『どこでも』って答えると相手は困るんですよ?」

「分かりました。それならお寿司で」



* * *



 事務所からは徒歩十分ぐらいのところにある飲み屋街の一角。少し高そうな外装の寿司屋ののれんをくぐり店内に入ると、店員に個室へと案内された。職業柄、人の死や世の中の闇についてなど、聞かれてはまずい話をすることもあるので、個室というのは都合がよかった。

 お品書きにはポピュラーなネタから、かなり変わったネタまで幅広く書かれている。この店は希望の貫数を紙に書き、それを店員に渡す注文方式なので、お互い食べたいものを記入して注文した。


「さてと、話の続きを聞きましょうか」


 寿司が届くまでそこそこ時間がかかることを見越して押水は話を振る。開始早々この話題だったので、どうやら余程気になっていたようだ。


「分かりました」


 私は告白された当日のこと、月白秋春という人物のこと、そして過去の学校祭のことを事細かに打ち明けた。話の最中、押水は特に面白がったりする様子はなく、あくまでも相談を受ける側として真摯に聞き入っていた。


「そういうことだったんですね……。実莉ちゃんがあそこまで悩んでいるのは、学校に戻ると決めた頃以来でしたから、大きな理由があるとは思っていましたが……」

「正直複雑な気持ちです。初めて暗殺課を辞めて欲しいなんて言葉を言われました。それが心に引っかかっていてずっと気分が晴れないんです」

「私もその言葉を言われたら、同じ気持ちになっていたと思います」


 店の独特な静けさが相まって、僅かな会話の間に重々しい空気が流れる。

 もしあの言葉がなければ相手が学校内の有名人であっても、きっと普通の告白だと捉えていたと思う。そして私と彼の距離感も告白される前と同じまま、二人は一切交わることなく時は流れていったはずだ。


「今後、私はどうすべきだと思いますか?」


 私の問いに対して、押水は元から考えていたかのように即答だった。


「もう一度会って話してみるといいと思いますよ。それこそ、その問いを本人に直接投げかけてみるといいと思います」

「本人にですか?」

「きっとその彼も同じこと思っていますよ。だから二人できちんと話し合ってください」


 私はその押水の提案に対して反論することも頷くこともせず、ただ押し黙った。

 彼女の言うことはもっともだと思う。彼も同じようなことで悩んでいるからこそ、こちらの様子を度々窺っていたのだろうから。

 ただ、あの日の別れ際、あんな風に私から去っておいてもう一度話したいなんて都合が良すぎる。去り際に彼のあの表情を見たからこそ、余計にそう感じる。

 だから本当にそのやり方でいいのか、私はすぐに判断することができずにいた。


「でも、あまり恋愛経験がない私の意見なので、見当違いだと思ったら聞き流してください」

「いや、決してそんなことは……。え?」


 押水の口から衝撃の事実が告げられた。だから私は思わず目を見開いて頭の上に疑問符を浮かべた。


『あまり恋愛経験がない』


 彼女は確かにそう言った。


「押水さんのことだから、そういう経験は豊富だとばかり思ってました」


 彼女に相談したのは成り行きが半分であったが、残りの半分は彼女が異性との付き合い方や、人との関係作りについて詳しいと思っていたからだった。


「私、度々勘違いされるんですよ。『モテるんでしょ?』とか『ビッチでしょ』とかよく言われますけど、実際は付き合ったこともないです。見た目で判断するのは良くないと思うんですよね」


 押水にしては珍しく苛立ちの表情を浮かべながら、人差し指で机を何度か叩いた。


「ごめんなさい」


 普段優しい人ほど怒ると怖いと言うので、私は即座に謝った。すると、すぐに押水は怒りを収め、


「あっ、いや、別に実莉ちゃんに言ってるわけじゃないので気にしないでください」


 と、慌てた様子で弁明した。

 実際私も見た目だけで判断してしまっていて、直接彼女から恋愛関係の話を聞いたわけではなかったので、今の弁明で余計に申し訳なくなった。

 タイミングがいいのか悪いのか。このタイミングで、先ほど注文していた寿司が届く。

 木製の寿司下駄ではなく、石製の寿司皿の上に盛り付けられている。小さなシャリに光沢のあるネタが握られた寿司が等間隔で並べられているのを見ると、高級店に来たのだなと強く実感する。


「一旦お寿司食べましょうか」

「はい」


 気まずい空気を変えようと提案した押水の案に乗っかり、私たちは寿司を堪能することにした。



* * *



 最初に注文した分は様子見もあって少なめだったため、二人ともすぐに食べ終わって追加の注文をした。

 お寿司のお味はというと、やはり店舗の雰囲気通り質が高く、とても美味しかった。特にオススメにあった鮪の漬けは、醬油とゴマの香りが加わって非常に評価が高い一品だった。


「さっきの話ですけど、告白した彼が実莉ちゃんのことを本当に好きなら、どんな形であれもう一度ちゃんと話せる機会がもらえることは嬉しいんじゃないですかね?」

「そう、なんですか?」

「私が彼の立場ならそう思いますよ」


 そう言って押水は少し微笑んだ。

 私は誰かを好きに思う気持ちを曖昧なものでしか知らない。少なくとも私よりはその気持ちを知っている押水がそう言うのであれば、それが正しいのかもしれない。


「私、一度押水さんの言う通りにやってみようと思います。その方法が正しいかどうかは、実際にやってみないと分かりませんし」

「きっと大丈夫ですよ」


 このタイミングで追加のお寿司が丁度届き、押水はキラキラと目を光らせた。


「だから一旦悩むのはやめて、今はお寿司を楽しみましょう!」

「そうですね。わざわざ相談に乗って下さり、ありがとうございました」

「気にしないでくださいよ。年上として当然のことをしたまでですから」


 押水が謙虚にそう答えたとき、私の携帯が鳴った。

 私はすぐにこれの意味を悟ったが、押水も薄々気づいているようで先ほどの表情から一転して顔を歪めた。

 携帯を開いて発信先が篠畑だったのを確認し、私の推測は確信に変わった。


「もしもし、梅沢です」

『篠畑です。食事中のところ悪いんだけど要請が入ったの。押水さんにも伝えてもらってもいいかしら?』

「了解です」


 私は携帯を操作し、篠畑からの音声をスピーカーで流すように設定した。


「場所はどこですか?」

『西新宿駅構内。対象の男性が爆発物を所持した状態で電車に乗り込もうとしていたところを駅員が発見して、そのことを尋ねると対象が爆発させるぞと脅し、列車に立てこもったとのこと。逃げ遅れた学生が人質になっていて、他の乗客や駅周辺にいた人たちの避難誘導は既に完了している状態よ』

「分かりました、すぐに向かいます」


 私は目の前に置かれているお寿司には目もくれず、急いで店を出る支度を始める。


『梅沢さん、スナイパーライフルは持っていった方がいい?』

「いえ。場所から考えて使えないと思うので、携帯しているピストルで十分です」

『了解。私たちも西新宿駅に向かうわ』

「分かりました」


 私はそう言うと電話を切り、携帯をテーブルの上に置いた。


「行きましょう」

「仕方ないですね……」


 私たちはこの目の前に並ぶお寿司を尻目にこの場を後にするしかなくなってしまった。


「押水さんはどうしますか? 場所は西新宿駅ですけど」


 押水の役割は情報収集。パソコンを始めとした機械操作が得意で、前回の新宿ビル街での任務の時は、遠隔で対象周辺の情報を私たちに伝える役割を担っていた。


「立てこもりという状況と、立てこもりの場所から考えても外への逃走の可能性は極めて低いと思います。仮に逃走するとなれば列車を利用しての移動でしょうし、私も一緒に現場に向かって、万が一の時のために駅構内の管理室で待機しようと思います」

「分かりました。それじゃあ行きましょう」


 店員に手短に事情を伝えた私たちは、急いで立てこもり現場である西新宿駅へと向かった。



* * *



 新宿区の西側に位置する西新宿駅は、東京の地下鉄の一駅である。

 そのため駅の構内は地下にあるのだが、地下への入り口はバリケードテープで塞がれている。周りには事件を聞きつけた人が大勢集まっており、警察官たちはその対応に追われていた。

 私たちはその人が身をなんとか掻き分け、警察官の一人と対面した。


「暗殺課です。通してもらっていいですか?」


 そう言って警察手帳を提示した。私たち暗殺課の警察手帳は、紋章に血を連想させる赤色がデザインされているのですぐに判別が可能となっている。

 警察官は手帳を確認してすぐに敬礼した。


「お疲れ様です。それでは中に」


 警察官がバリケードテープを軽く持ち上げ、私と押水はその下をくぐって構内に侵入した。

 避難誘導が完了しているという篠畑の伝言通り、駅構内に人の姿は全くない。サラリーマンが帰宅時に利用するこの時間帯としては珍しい光景の中、私たちは目的地へと急いだ。


「食べたばっかりだから、お腹が……。魚が泳いでます……」


 先ほど食べたばかりにも関わらずの全力疾走。当然きついものはあるが、人の命がかかる緊急任務のため、そんなことは言っていられない。


「もう少しなので頑張ってください」


 押水を励ましながら、走りは緩めない。その足音が、誰もいない地下通路内ではよく響く。

 地下の入口からものの二分で、駅の改札口に辿り着いた。

 するとすぐに、私たちを待っていた一人の警察官が駆け寄ってきた。


「暗殺課の方々ですね。犯人は三番ホームです。現在、警察官約十数名がホームで容疑者と対峙しながら時間を稼いでいます。かなり切迫している状況なので、時間がありません」

「了解しました。押水さんはこの方に管理室まで案内してもらってください。私は現場にて任務を行います」

「分かりました。気を付けてください、実莉ちゃん」

「管理室はこちらです」


 警察官に案内されて押水は管理室へと向かい、私たちは別れた。

 私は服の内側から携帯していたピストルを取り出し、弾をこめて再びしまう。そして対象のいる三番ホームへと向かった。

 改札口から走ること一分で現場に到着したが、状況は先ほどの警察官が言っていた通り、かなり逼迫している様子だった。

 ホームには対象と思われる人物の怒声が響き渡っていて、対象がかなり興奮状態にあることがすぐに分かった。一刻も早く任務を遂行しなければ、人質のみならずホームにいる全員が爆発に巻き込まれてしまう。

 私のいるところから対象までの距離は短い。今から狙撃ポイントを見つけようにも、対象の目がある以上は不用意に動くわけにもいかない。


「状況は見ての通りです。時間稼ぎのために口頭での交渉に出ましたが、不可能だと思われます」


 ライオットシールドを持った警察官たちの後ろで、現場を取り仕切っていた警察官が私に状況を説明する。


「加えて犯人は爆発物を腹部周りに巻いていて、誤射できない状況です」


 ちらっと対象の方を覗くと、確かにそれらしきものが確認できる。警察官の言う通り、腹の爆弾を誤って撃ち抜くと爆発の恐れがある。


「その点は安心してください。ただ万が一のこともあります。私が対象と一対一で対面するので、警察の方々は急いでこの場を離れてください」

「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫です。ですから急いでください」


 私は冷静にそう言ったが、警察官はまだ心配が拭えない様子だった。それでも今の状況を鑑みてそれしかないと考えたのか、


「……総員、撤収!」


 と合図し、素早くホームから引き上げさせた。


「死なないでくださいね」


 別れ際、指揮を執っていた警察官はそう言い残し、この場から去っていった。


「死なないでください、か」


 ふとその言葉が、月白のあの言葉と重なる。

 でも私は初めから……。


「死ぬ気なんてないですから」


 私はピストルを手に携え、対象に向かって構えた。その様子を見た対象は慌てた様子で言う。


「今すぐその拳銃を置け! さもないとこいつやお前ごと消し飛ぶことになるぞ!」


 そう言いながら来ていた上着を脱ぎ、巻いていた爆発物をはっきりと見せて脅す。


「た、助けてください!」


 人質になっていた女子学生が、大きな声で助けを求めた。声は枯れているようで、精神的にも限界が近いだろう。

 私は対象の警告には一切応じることなく、拳銃を構えたまま一歩ずつ前進した。


「な、何をしている! これ以上近づくな!」


 私の行動にさらに焦りが増しているようで、体が小刻みに震えているようにも見えた。

 それを確認して、二度目の警告にも従うことなくさらに踏み出していく。


「く、くそっ!」


 警告に応じないと悟った対象は人質から手を離し、列車の中を走って移動し始めた。

 私はこの隙に、解放された人質の保護を優先しようと列車に乗り込んだ。


「大丈夫ですか? 怪我は……」

「大丈夫、です。ありがとうございま……し、た」


 身の危険から解放された安心感からかその学生はそのまま私の方に倒れこむようにして意識を失った。

 私は近くの座席にその学生を寝かせ、対象の執行に行動を移そうとした。

 だがその時。

『ギギィ』という摩擦音と同時に列車が急に発進し、私はバランスを崩しかけた。


「くっ……」


 近くに手すりに捕まって体勢を整え、一度冷静になった。

 懸念していた事態になってしまったとは言え、まだ予想の範囲内だ。私はすぐに携帯を取り出して電話をかけた。


「もしもし、押水さん?」


 地下鉄となると電波が悪く、通じない可能性もあったが、運よく電話は繋がった。


『実莉ちゃん、無事ですか⁉』

「私も人質も無事ですが、ここからは押水さんの力を貸してください」

『任せてください』


 私はこういう時、押水の力を借りる。現場にいるだけでは得られないような情報が重要な時、毎回迅速に的確な情報を教えてくれる。


『実莉ちゃんたちを乗せた列車は今、池袋方面へ進行中。周辺の駅の列車はこの事態に備えて移動させておきましたが、それはあくまで周辺だけです。このまま進み続けると追突の恐れがあるので急いでください』

「分かりました。任務に移るので一度切ります」


 対象の爆弾だけでなく列車の追突の危険性を考慮すると、今最優先されるのは列車の停止だ。

 私はどんどん加速していく列車の中で手すりを駆使しながら、対象のいる運転席へと向かった。



* * *



 運転席になんとか辿り着き、私と対象は再び対面した。

 列車はこのまま放置しておくとずっと直進を続けるので、一刻も早くブレーキをかけなけらばならない。だがそのためには、立ち塞がる対象の向こう側に行く必要がある。

 私は再びピストルを対象に向けて構えた。


「もしお前が発砲したところで、この列車は止まりやしない」


 先ほどのような威勢のある声はもうそこにはなく、半分諦めているように見えた。


「止めますよ、絶対に」


 計算上、これ以上対象と話している時間などなかった。

 私は爆発物を避けて息の根を止めるために、心臓から頭へと狙う位置を変えた。


「これで俺も、彼女の元に行ける……」


 死を悟った対象は列車の天井を見上げてそう言った。

 対象とその『彼女』とやらの関係性は知らない。だが、間違いなく言えることがある。


「あなたがその『彼女』の元へ行ったところで、その彼女は喜びますか?」


 暗殺課とは、人を殺す罪を働く、もしくはそれと同等以上の罪を働いたものに、情状酌量することなく死刑を執行する職業だ。だから、対象がこれに至るまでの経緯がどうであれ関係ない。

 例えこの対象にやらなければならない経緯があったとしても、その『彼女』は、たくさんの人を殺そうとした人と再会して嬉しく思うはずがない。私はそう思う。


「きっと泣いて喜んでくれるはずだよ……」


 対象は見上げたまま、目から涙をこぼした。

 私はその言葉を最期の言葉として受け取り、引き金を引いた。

 血しぶきが、運転席入口の窓ガラスに飛び散り、対象はその場に倒れこんだ。撃ち込んだ場所からして即死だったため、私は生きているかどうかを確認せずに運転席に乗り込んだ。

 運転席にしっかり座り、私は再び押水に電話を掛けた。


「対象は先ほど息を引き取りました。列車の停止にかかります」

『実莉ちゃん、急いでください。このままでは……』


 私はすぐにブレーキを引こうと思ったが、ここで一つ頭をよぎった。


「ダメです。ここで急ブレーキを引くと、人質だったあの子が危ない」


 先ほど座席に寝かせた女子学生がいる以上、急ブレーキをかけるとその衝撃で体中をぶつけてしまうことになる。もし意識があればどこかに掴まることで問題を解決できるが、先程意識を失ってしまっている。

 今から学生のいるところへ戻ってからここに帰ってきてブレーキをかけたのでは遅すぎるし、ブレーキをかけてから学生のところに行ったのでは間に合わない。

 脳をフル回転させ、思いついたのは一つの賭けだった。

 でも今はその賭けに文字通り賭けるしかない。


「押水さん。前の列車が止まっている駅の避難誘導は?」

『先ほど完了したと報告が』

「了解です」

『実莉ちゃん、一体何を……』


 ここで電波の調子が悪くなり、押水との電話が途切れた。

 私はすぐに、列車のブレーキを引いた。だが急ブレーキではなく、衝撃があまりかからない程度の軽いブレーキだ。

 その後素早く運転席から出た私は、対象が巻いていた爆発物を巻きものごと取り外した。そしてその爆弾のついた帯を持ったまま一つ後ろの車両へと移動した私は、運転席のある車両と一つ後ろの車両を繋ぐ連結部分にそれを巻き付けた。

 そして後ろに下がりながら寝かせていた女性を肩に担ぎ、さらに一つ後ろの車両へと移動する。

 私はもう片方の手で拳銃を構え、爆弾を狙い撃った。爆弾まで車両一両分以上離れている上に揺れていて、なおかつもう片方の腕で学生の身体を支えながらの過去最高難易度の射撃だった。

 銃声が響いたのとほぼ同時。凄まじい爆音とともに、急ブレーキがかかったような衝撃音が耳に入る。突然体が前に投げ出されるような力が働いたが、なんとか周りを掴みながら体勢を保っていた。

 前の方を覆っていた爆発による煙が収まると、前の様子が明らかになった。連結のある、車両と車両の間が一部壊れていたものの、想像よりも威力は小さかった。

 体が倒れないように耐えること数秒。電車は停車した。前方から大きな衝突音が聞こえてこなかったことを考えると、衝突しないで済んだようだ。

 私は隣にいる学生が怪我をしていないのを確認してから、ようやく安堵の息をつくことができた。

 今回の賭けは爆弾の威力にあった。

 爆弾を連結部に巻き付けた狙いは、そこを通るブレーキ管を破損させるためであった。ブレーキは、ブレーキ管内の気圧が下がるとかかる仕組みになっている。そのブレーキ管は連結部を通っており、そこを爆発させることでブレーキ管を破損させ、空気を外に逃がすことになる。その結果、運転席でブレーキ操作をしなくとも、ブレーキをかけることができるというわけである。

 だが、爆弾の威力が高すぎると爆発に巻き込まれてしまい、弱すぎると破損させられない。そのため、爆発の威力に運を委ねるというかなり危ない橋を渡ってしまっていた。

 電波が改善したのか、押水から電話がかかってきた。


『実莉ちゃん! 実莉ちゃん!』

「安心してください。私と人質は無事です」

『ほ、本当ですか?』

「詳細は後で話しますが、今回は本当に危なかったです。私はこれから人質だった学生を連れて、この地下鉄の路線内から脱出します」


 私はそう伝えて電話を切り、学生を背負うと、最寄り駅へと向かった。



* * *



 女子学生を背中に乗せたまま歩くこと十分ほどで駅のホームの明かりが目に入った。

 そのままホームから外へと進み、なんとか駅の外へと出ることができた。

 その駅周辺には他の暗殺課の人たちや別の課の警察官、そして救急隊の姿があった。


「実莉ちゃ~ん!」


 いち早く駆け寄ってきたのは、先程通話していた押水だった。移り変わる状況を話していたこともあって、一番心配してくれたのだろう。


「一旦、この子を病院へ。気を失っているだけなので大丈夫だとは思いますが念のため」


 私は近くにいた救急隊員にそう伝え、人質だった女子学生はすぐさま救急車で運ばれて行った。


「押水さんのおかげで助かったと思います。ありがとうございました」


 避難の誘導や、その状況を伝えてくれた押水に感謝して、深く深く頭を下げた。


「実莉ちゃんが無事で、本当に良かったです」


 押水はほっとした様子で表情を緩めた。


「どうやら随分と危なかったみたいだな」


 奥手の方から近づいてきた人物はそう言った。彼は朽木柊二くちきしゅうじ。暗殺長官の彼は、私たち暗殺課の指揮を執る役割を担っている。

 どうやら私の顔の傷や、服の様子を見てそう思ったのだろう。


「はい」


 私はここで、今回の任務の全容を話した。

 改めて思うが、今回の任務は命を落としていてもおかしくなかった。


「そうするしかなかったのだろう。それならば仕方がないし、結果が全てだ。本当によくやってくれた」

「ありがとうございます。でも、今回の功績は押水さんのものでもあります」

「私ですか!?」


 私の言葉が予想外だったのか、とても驚いた様子の押水。


「もし押水さんが居なければ、この策は打てませんでした。仮にブレーキを引いていたら、人質の子は助からなかったかもしれませんし、避難状況を知らずに行えば大勢を巻き込むことにも繋がりかねませんでした。今こうして人質の子とここにいる大勢の人々、そして私が生きていられるのは、本当に押水さんのおかげです。改めてお礼を言わせてください」

「私は別にそんな……。それより実莉ちゃん、早く怪我の手当てしないと」


 押水にそう言われ体中を確認すると、思っていたよりも多く傷があることに気付いた。爆風によって巻き上げられた破片が学生に当たらないように庇った影響も少なからずあるのだろうが、その結果学生の方には大きな怪我がなかったようなので本当に良かった。


「分かりました。軽く処置してきます」


 私は近くにいた救急隊に傷の手当てをお願いしようと思ったが、一つ思い出して立ち止まった。


「ただその前に……」

「その前に?」


 押水は不思議そうな顔を浮かべて首を傾げた。


「またご飯、連れて行ってください」

「……はい! もちろんですよ!」


 パッと明るくなった押水の表情を確認して、私はその場から離れた。

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