第4話 語られる地獄

「私の家は母子家庭だった。母親と私と妹の三人」

羅刹は私に自分のことを語り出した。

「母親は最低のクソで、酒を飲むと私たちに暴力をふるったわ。それに私たちより男といる方が多かった」

羅刹は二本目のタバコに火をつける。

「何日も帰らない日もあって、その間家にいるときはほとんどまともな食事はなかったな……給食の残りを持って帰って、二人で分けたりしてたっけ」

どこか懐かしむように目を細めた。

「それでも足りないときは私がお金と一緒に作ってきた」

そして話している間も、客が入ると入口の方へ視線を向ける。

「だんだんと酷くなる暴力に、いつか殺されるかも……そう思うようになっていった」

私はその話を、返事をするでも相槌をうつでもなく、ただ黙って、固まったように聞いていた。

「同時に、自由になりたい……妹を守りたい……そう思っていたんだけど……妹は殺されたわ」

「えっ…」

短い声が喉から漏れた。

殺された?

「ある日、母親が折檻したら動かなくなって呼吸が止まった……私は激しく怒って、気がついたら母親を殺していた」

「お母さんを……殺した……」

背筋を冷たい汗が流れた。

「凄い血が出て……まるで目を血で洗ったみたいな光景だった……その後も血の臭いがずっと離れないで……それは今でも同じかな」

あっけらかんと言う。

そこには悔恨とかそうした情は微塵も感じられなかった。

「母親を殺さなきゃ私が殺されてたかもね……私は生きるため……暴力の支配から自由になるために自分の母親を殺したの」

「自由になるために……」

日向も同じようなことを言っていた。

もしかして日向も羅刹と同じような環境にいたのだろうか?

「でも自由にはなれなかった。警察に捕まって鑑別所送り……そこから精神的な理由とかで更生施設へ送られたの」

「そこで日向と?」

「ええ。あの子が来たのは私が入って一年くらいしてからかな」

短くなったタバコを灰皿に押し付けた。

「その施設もクソ以下なとこでね……最悪なんて生温い場所だったの」

「どんな場所だったの…?」

「日向のこともあるから、私の口からは言えない」

「そっか……そうだよね」

納得しながら、この人はまだ日向のことを大切に思ってるんだと感じた。

「ただ、今の私がいるのは半分は日向のおかげ。状況に流されて、諦めながら生きていた私が日向に会って、施設を出て自由になろうと強く思えたから」

「どうして日向に会ってそう思えたの?」

「妹を思い出したから。殺された妹もあんな感じの、愛らしい子だったから」

おそらく助けることのできなかった妹の代わりに、羅刹は自分も日向も助けようと思ったのかも。

「そのとき、施設の所長を殺したわ。斧で頭を叩きわってね」

所長を殺した……

羅刹は殺し屋になる前に二人殺したことになる。

「じゃあ、他の職員や街の暴力団、警察を殺したのは?」

「誰だと思う?」

試すような目で私を見る。

「邪羅威……」

「ふふふっ…さあ?想像するのは勝手だけどね」

三本目のタバコに火をつける。

「一つ後悔があるとしたら、母親を殺したときかな……もっと早く殺してれば妹は死ななかった」

一瞬だけ、羅刹の瞳が憂いを帯びたように見えた。

「氷。溶けてるよ」

「えっ!ああ、ほんとだ!」

「それじゃ美味しくないでしょう?代えてきたら?」

羅刹に言われて私は飲み物を代えにいった。

実のお母さんを殺した……

あまりの内容に飲むのも忘れて聞き入ってしまった。

それほど私にとっては衝撃的な話だった。

飲み物をとって席に戻ると、羅刹は私に日向のことを聞いてきた。

日向との馴初め。

そして学校ではどうしているのか?

私はみんなでやっている見廻りの話しとか、そんなことを聞かせた。

その間、羅刹は楽しそうな表情をして聞いていた。

そして一通り聞き終わるとテーブルの上にスマホを出した。

「あなたの連絡先を教えて。私のも教えるから」

「えっ」

「今回のお礼。なにか困ったことがあったら言ってきなさい」

「私は別に……」

「いいから」

羅刹に言われるまま、私は彼女と連絡先の交換をした。

「なんだか話し込んじゃったね。付き合わせてごめんなさい」

羅刹はタバコを消すと帰り支度をして立ち上がろうとした。

「待って」

「なに?」

「ちょっと聞きたいことがあって」

羅刹は怪訝そうな目を私に向けながら、立ち上がりかけたところを座った。

「あなたはどうしてこの仕事を選んだの?」

「なぜそんなことを聞くの?」

「知りたくて……あなたがどうして、なにを考えてこの仕事を選んだのか」

羅刹は入り口のほうへ一瞬視線を向けると、笑みを見せてから口を開いた。

「自由になりたいからよ。天国の奴隷より地獄の王になりたいから」

「地獄の王?」

「この世界の真実は地獄よ。人の本質は奪い合い殺しあう、その身を食い合う獣」

「そんなこと……」

「あなたも見てきたでしょう?エゴで人を踏み躙り食い物にする奴ら」

私の脳裏に今まで見てきた悪党が浮かんだ。

どいつもこいつも許せない悪人たち。

「自由になるということは人が作ったルールから自由になるということ。つまり人を超えること」

「人を超える……そのために人を殺すの?」

「ええ。人間にとっての最大の罪は人を殺すこと。そのルールを逸脱することによって人を超えた存在になれるわ」

「私にはわからない……」

羅刹の言っていることは理解できなかった。

人はどこまでいっても人でしかない……

私にはそう思えた。

でも、この人は違う。

おそらく邪羅威も。

「本来はこの世界は無制限の自由なはず。それは人を殺し奪うことも自由な世界」

「そんなこと聞いたことない」

「誰でも殺される自由に怯え警戒した……そのうちに誰か頭のいい強者がルールを作った。人から自由を取り上げ、制限することで゛自由の恐怖″から解放されたいためにね。それが法律であり、共同体であり、国を維持する根幹になったってこと」

「それは良いことじゃないの?殺しあえる自由があるなんて間違ってる」

「良いか悪いの問題じゃないの。ただ、自然本来はそういう自由な世界ということ。つまり地獄ね」

地獄……

羅刹は新しいタバコに火を点けると優雅に煙を吐いた。

「だから人は地獄に天国を創ったの。゛偽りの天国″をね」

「偽りの天国……それが私たちが住む世界だっていうの?」

「ええ。でもそこに真実はない。本当の意味での自由もね」

なにをどう返していいのかわからなかった。

ただ、この羅刹の言うことには承服できないなにかが私の中にあった。

言葉にはできない拒絶が。

「偽りの天国で奴隷として生きるより、地獄の王として生きることを選んだの。私も…彼も」

「彼って……邪羅威?」

「ええ」

羅刹は私の顔を見てうなずいた。

「これでいいかな?さあ、行きましょう」

立ち上がる羅刹に私は無言で続いた。

店の外に出ると冷たい風が頬をさす。

「そうだ。最後に忠告しておくわ」

「忠告?」

「烈があなたに人を殺させないとする思い。あなたが悪を許せなくて、死が相応の報いとなるという思い。その二つは相いれない感情よ」

「どういうこと?」

「この世界にいる限り、人を殺さずには理解しえないものがある。自分の手を血に染めない限り、あなたは烈のことを本当の意味では理解できない」

そう言いながら私を見る羅刹の氷のような目の奥に、私に対する哀れみのようなものを感じた。

「その中途半端さが、あなたも烈も殺すことになるよ」

「なっ…なにそれ?」

私が問うも、羅刹は言葉を返すこともなく背を向けて歩き出した。

ここで話し始めたとき、理解し合えるような気がした。

でも、こうして話が終わると私と羅刹の間には大きな溝があって……

私に彼女の価値観を理解することはできなかった。

拒絶すら感じた。

それでもどこか……

僅かだけど彼女とは通じるものがある気がする。

雑踏に消えていく羅刹の背中を見て微かな可能性を感じていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る