第6話 死の香り

不安を抱えたまま夜になり、ホールに出ると黒服が私を呼んだ。

「昨日の客がまた指名してる。部屋に来てくれだとよ」

「そう」

邪羅威だ。

無事だったんだ!

「やけに気に入られたな」

「まあね」

「やたら金払いがいい客だ。上手いこと引き出せ」

「OK!」

もうすぐ殺されるとも知らずに馬鹿な奴。

と、思いながらも笑顔で返すと邪羅威のいる部屋に向かった。

自分の気が急いで仕方ない。

邪羅威は無事だったんだ!

でも怪我とかしてないのかな?

本当に大丈夫なんだろうか?

もどかしく感じながらノックをするとドアが開いた。

ガチャッ……

「入れ」

邪羅威は私を招き入れると廊下の左右を見てからドアを閉めた。

ドアが閉まるや否や私は邪羅威に聞いた。

「怪我は!?」

「怪我?」

「だって、ニュースじゃ発砲したって……」

「撃ってきた奴はいたが俺にはあたっていない」

両手を広げて見せる邪羅威には傷一つ見当たらなかった。

さっきまでの心配が急激に萎んで、安心が膨らむ。

「それより、また酒を作ってもらおうか」

「う、うん」

私がお酒を作る間、邪羅威はタバコを指に挟んで吸っている。

酒ができると二人でソファーに座りグラスを合わせた。

「今朝のニュースを見たか?」

「警察の?」

「ああ」

「信じられなかった」

「なにが?」

「だって、署長と副署長は警察署に乗り込んで殺したんでしょう?」

「ああ」

事も無げに返す邪羅威。

「怪我一つないなんて……凄い」

「明日は暴力団を潰してくる」

「そうだ!私、あなたに伝えようと思ったことがあって!」

「なんだ?」

「鯨螺はあなたが殺しに来たことを知ってるの!」

私は昼間の鯨螺たちの集まりを話した。

用心棒を雇ったことも。

「ほお……」

邪羅威が口の端を吊り上げる。

どこか嬉しそう。

「私は裏切ってないから」

グラスを持ったまま邪羅威が私を見る。

「それはいずれわかる」

まるで気にしてないかのように言うと、邪羅威はグラスをテーブルに置いた。

「なんで……殺し屋になったの?」

昨日の晩に湧いた疑問を口にした。

邪羅威は一寸、私を見つめる。

私の目を。

それが自分の奥底まで見られるような気がして、身震いした。

「自由に生きるためだ」

「自由……なんで自由に生きるために人を殺す仕事を?」

人を殺さないと自由に生きれない?

そんなバカなと思った。

しかし邪羅威は私に質問してきた。

「なぜ人を殺してはいけないかわかるか?」

「なに?急に?」

「わからないか?」

「法律で禁止してるからでしょ?」

「違うな」

「えっ」

「人殺しを禁じているのは、人間がもともと共食い、殺人を本能的に希求している生き物だからだ」

「は?何言ってるのさ」

「おまえにもあるだろう?なにかをぶち壊したい衝動が」

「あるけど、それはモノだから…人じゃないし」

「行き着く先は同じだ。ただ禁じられたからできないだけだ。本来の世界は弱肉強食なんて優しい世界じゃない」

弱肉強食が優しい?

意味がわからない。

「強者もいつ襲われるかわからない恐怖と隣り合わせな世界、それが本来の自然な世界だ」

私には言われてもピンとこなかった。

「だから強い奴らは自分たちが恐怖から解放されたいから人殺しを禁じたのさ。そして禁を破る危険な奴は隔離する世の中を創った」

「それが自由となにか関係があるの?」

「誰かが創ったルールに従うつもりはない。俺が求める自由はその先にある」

「わかんないよ。言ってることが」

殺人狂とかそういうのじゃないの?

「人間である以上は、人間が創り出したルールの中で、縛られてしか生きられない。だから俺は人間が最もルールで禁じている殺人を生業にした。人間のルールを超えるためにな」

ルールを超えるため……

「それは人間を超えるという意味にもなる」

「あなたの求める自由はそこにある?」

「ああ。俺は手にいれた」

この人は私が見てきたヤクザとかとは違う。

あいつらは無法だけど、それは見た目だけ、金を得るために無法を選択しているだけ。

だけど邪羅威は禁を破るという為だけに人を殺す選択をした。

「逸脱してる……」

「そうか?おまえも素質があるぞ」

「私が?」

「間接的にだが、おまえは自分たちが自由になりたいというエゴのために殺人を俺に依頼した」

「そ、それは……」

「しかも大量にな。あと何人死ぬかな?」

クックックと邪羅威は肩をゆすると、グラスの中のウイスキーを飲み干した。

「自由を得るために人を殺すことに俺もおまえも大差はない」

邪羅威のグラスにウイスキーを注ぎながら、彼の言葉に耳を傾けた。

「求めてる自由の質が違うだけだ」

「質……」

「地獄の王になることより天国での奴隷を自由と勘違いしてるという違いだ」

「なにそれ……?」

「ジョン・ミルトン。イギリスの詩人だ」

「その人の言葉?」

「ミルトンが書いた失楽園という作品での悪魔の台詞だ」

「悪魔……」

「そう。悪魔だ。悪こそがこの世の真実を理解している」

「じゃああなたは理解してるんだ?」

「ああ。だがおまえも素質はある」

「私に?」

「人の血に塗れて人を殺せば気が付くだろう」

「私が……」

自分の両手を見た。

この手を血に染める。

人の命を、幸福を、人生を、その全てを奪う。

その代償に私は全ての束縛から解放されて自由を得る。

恐ろしい選択を想像する私を弄ぶように笑うと邪羅威は口を開いた。

「明日、この街のヤクザ共を皆殺しにする。そうすれば、おまえたちが外に出ても誰も殺さない」

「そうだね……」

「最後にここの連中だ」

邪羅威は立ち上がると窓を開けた。

冷えた空気が入り込み、夜風が髪を揺らす。

「漂ってきたか?死の香りが」

まるで殺された奴らの怨嗟が風と一緒に入り込んでくるような気がした。

風と一緒になって纏わり付く。

そう思うと、なんでもない夜の空気が香ってくる。

これが「死の香り」……

でも私の中に嫌悪感はなかった。

恐怖も罪悪感もない。

何も感じない、透明の、澄み切ったような心地よさだった。


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