第4話 邪羅威(ジャライ)

目標の額が貯まったのは、私たちが18歳になったときだった。

「いよいよ頼むんだね」

恋華が私に聞く。

「うん」

ボストンバッグに詰めた一千万円を見ながらうなずいた。

「村木さんだっけ愛泉のお客さん。その人に仲介を頼むんでしょう?」

「そう」

夏樹の問いに答える。

「今日来るって言ってたから頼もうと思う」

「引き受けてくれるかな?」

「大丈夫。自信あるから」

不安そうな恋華に自信たっぷりに答えた。

この三年、村木は私にゾッコンだった。

私のことを愛人にしたい……

独占したいと強烈に思っている。

外にも私よりいい女はいないらしい。

こんな小娘にと思うと笑えて来るけど、願ってもないことだった。

その夜。

村木は店に来ると私を指名して、一頻りホールで飲んだ後に部屋に上がった。

二人でベッドでタバコを吸っていると村木から切り出した。

「なあ?この前の話し、考えてくれたか?」

「話しって、私を愛人にしたいってこと?」

「ああ。俺は愛泉のことを独占したいんだよ!未成年じゃなくなればここを出るんだろう?」

「まあね」

表向きは未成年の更生施設だから、高校を卒業するのと同じころに私はここを出る。

でも行く先は決まっていた。

「なあ?いいだろう?」

「ごめん。無理」

「俺じゃあダメなのか!?」

「違うの……もう私を買う相手は決まってるの」

「えっ」

「鯨螺よ。あいつが私を独占するの。あいつから買うには一億かかる」

「一億……」

村木は絶句したように煙を吐いた。

「私……村木さんと一緒になりたいのに」

「そ、そうなのか?」

「うん」

「そうか……一億か……」

村木の表情はとても無理といった諦めの色がさしていた。

「でも方法がたった一つだけある」

「どんな?」

「前に私に話した殺し屋のこと覚えてるよね?」

「ああ……って、おまえ!まさか!?」

「そう。私が鯨螺の殺しを依頼したいの」

「おまえが?どうやって?」

「お金はあるの。今まで貯めた一千万。だから村木さんは仲介してくれるだけでいい」

「それでおまえは俺のものになるのか?」

「うん。これなら村木さんは一円も払うことないでしょう?私も誰憚ることなく一緒になれる」

言いながら村木の胸板に体を寄せる。

「もう他の男と寝なくて済む……あなただけのもの」

村木の顔を見上げた。

その顔はなにかを算段しているような感じだった。

「わかった……俺が仲介しよう」

「ほんとに!?」

「ああ」

「嬉しい!」

抱きついてキスをする。

「あいつに連絡を取ってみる」

やった!!

私はベッドから起き上がると、内線電話を手に取った。

「ねえ!二人の未来にお祝いしよう!シャンパンとかで」

これで一つ目のハードルはクリアーした。

残るハードルは殺し屋が依頼を受けてくれるか……


村木はそれから一週間して店に来た。

テーブルに着いた私は驚いた。

いつも一人で来る村木が連れと一緒に来ている。

しかもヤクザの村木とは毛色が違うタイプの若い人。

「この人はオヤジの古い知り合いなんだ」

テーブルに着いた私に村木はその人を紹介した。

「どうも」

知人と言われた人はニッコリと私に会釈した。

シャドウストライプ柄のスリーピーススーツに黒いシャツ。

オールバックにした黒い髪。

細面で端整な顔立ちにメタルフレームの眼鏡。

インテリっていうのかな?

そんなイメージで私に向けた笑顔も柔らかいものだった。

「若頭の村木さんから愛泉さんのことを聞いて、是非とも会わせてほしいとお願いしたんです」

「そ、そうなんですか?」

「ええ」

「お名前は…?」

「それは後で」

ニッコリとしながら言う。

後で……?

「それにしても聞いたとおりの素適な人だ」

「えっ」

「ここに来るあなたを見てました。艶美可憐で煽情的な佇まい、魅惑的で、でもどこか可愛らしい」

「そ、そんなこと……」

こんなふうに言われたことは初めてだった。

私が照れると村木が横から言った。

「この人はここに泊まりに来たんだ。おまえとその間、一緒にいたいって」

「えっ!?」

どうして村木がそんなことを!?

私に対する気持ちが冷めたんだろうか?

一気に不安になった。

それでも顔には出さずに接客を続けていると、村木は帰ると言い出した。

一緒に来た人はそのまま残って私と上の部屋に行く。

私は村木を出口まで送りに行った。

別れ際に村木は私をハグすると耳元で囁いた。

「あの件、上手くいった。連絡だ取れたぞ」

「ほんと!?」

「ああ。あいつに会ったらすべて言うとおりにしろ」

「OK…」

体を離すとキスをして別れた。

そっか……

ってことは殺し屋は私に会いに来る。

ありがとう!

心の中で村木にお礼を言った。

さっきまでの不安も吹っ飛んだ。

村木の気持ちは冷めていない。

今日、知人を紹介したのは接待みたいなもんなんだろう。

上機嫌になった私は席に戻ると、その人の隣に座った。

「そろそろ二人でゆくりしたいな……いいかな?」

「はい」

私はホールにいる黒服を呼ぶと、上の部屋に行くことを告げた。

二人でホールを出て部屋に行く。

部屋は最高級のものだった。

村木はよほどこの人が大事らしい。

「どうぞ」

ドアを開けると軽く会釈して男の人が入る。

私も続くと後ろ手にドアを閉めた。

男の人は部屋の廊下をスタスタと歩き、リビングにあるガラステーブルの上に眼鏡を置いた。

そして髪の毛を手でグシャッとするとこちらを向いた。

「あっ……」

さっきまでの上品で柔らかい雰囲気が一変した気がした。

後ろでドアをノックする音が聞こえたので明ける。

店の黒服がゴルフバッグを運んできた。

「お客様のだ」

「ああ…うん」

そのまま運び込む黒服。

「そこにそのまま置いておけ」

奥にいた男の人は背中を見せたまま高圧的な口調で言った。

「はい」

黒服は言われたとおりにするとゴルフバッグを置いて出て行った。

本当にさっきまでと雰囲気がガラッと変わった相手に私は戸惑った。

部屋の雰囲気もいつの間にか押しつぶされそうなプレッシャーを感じる。

「む、村木さんとゴルフに行ってたんですか?」

雰囲気に耐え切れずに話しかけるとこちらを向いた。

「おまえが依頼人だな」

「えっ…」

「俺が邪羅威だ」

「じゃ、じゃあ、」

この人が殺し屋邪羅威……

冷たく鋭い瞳が私を見据える。

私は無意識に戦慄し、震えていた。

この視線、発散されるオーラのようなものに。

恐ろしく禍々しい。

「座れ」

邪羅威は私に促すと先にソファーに座った。

私がソファーの前に来ると「ゆっくりだ」と私を見て言う。

言われたとおりに座ると邪羅威から感じていた張り詰めるようなプレッシャーが和らいだ気がした。

「要件を聞こうか」

邪羅威はタバコに火をつけるとフーっと細く長く煙を吐いた。

「殺してほしいのはここの支配人、鯨螺(ゲイラ)」

「なぜだ」

「ここから脱け出して自由になりたいから」

「それで殺すのか?未成年でなくなれば出られるんじゃないのか?」

「無理。何人も出ていった子はいるけど……みんな買われたんだよ」

「ほお」

背もたれに体を預けていた邪羅威は興味深そうに身を乗り出した。

「そんな話しをしてるの聞いちゃってさ……だからと言って誰かに言うこともできない。何度か外に客を通してチクろうとした子はいたけど、みんなバレて殺されたよ……」

「……」

「どんな情報もこの街じゃ、鯨螺に筒抜け。金バラまいてるから警察やマスコミもヤクザも、みんなグル」

「それで俺に依頼したわけか」

「うん。悪どい奴をやっつけるには、もっと悪い奴じゃないとできないと思ったから」

「毒を以て毒を制す…か」

「うん」

「いい考えだが一つ間違いがある」

「えっ」

「俺はただの悪じゃねえ。極悪だ」

言われて背筋がゾクッとした。

「相手は街の有力者に警察、ヤクザか。楽しめそうな相手だ」

「楽しむ…?」

「これだけ的が多いと殺し甲斐があるってことだ」

タバコをくゆらせながら笑みを浮かべた邪羅威に底知れない恐怖を感じた。

「いいだろう。依頼は引き受けた」

「ほ、ほんと!?」

「ただし」

ビクってなった。

「頼み事に嘘偽りがあった場合、おまえを殺す」

「う、うん!OK」

「それから仕事が終わっても俺の詳細を他言するな。誰かに俺の容姿や特徴を話したことが分かったら殺す」

「OK…」

「よし。商談成立だ」

「やった!」

「なに」

「ねえ?お酒作っていい?乾杯したい!」

「ああ……」

「何飲むの?」

「なんでもいい。好きなのを頼め。どうせここは村木持ちだ」

「OK♪」

邪羅威の許可をもらった私は、内線電話で高級なウイスキーを頼む。

届いてから二人分の酒を作った。

邪羅忌はロック。

私は水割り。

「乾杯!」

私がグラスを掲げると、邪羅忌は無言でグラスを合わせた。

こうして横にいると、さっき感じた恐さは感じない。

改めて邪羅忌の横顔を見る。

綺麗だけど陰がある冷たい顔……

どういう人なんだろう?

私たちを自由にしてくれるこの人は……

「おまえ、恐くないのか?俺が」

邪羅威がふと私に聞く。

「恐いよ。恐いに決まってるじゃん」

「そうは見えねーな」

「恐いけど嬉しいからじゃないかな」

「ん?」

「これで自由になれるんだから。みんなが」

親しい顔が浮かんだ。

夏樹に恋華。

そして日向。

「みんな?妙な言い回しだな。おまえも自由になるんだろう?」

「私はならない」

「なぜ?」

「あなたにアポ取ったヤクザがいるでしょ?そのお礼というか、代わりに囲われるの」

「なんでそうなるんだ?」

「だって私じゃ逆立ちしてもあなたにアポなんて取れないし」

「それで、他の奴らを自由にして自分はヤクザ者の妾になるわけか」

「まあね」

「頭がどうかしてんじゃねえのか」

「えっ」

「自由になるチャンスを棒に振って、わざわざ家畜を選ぶんだからな」

「な、なにそれ!頭くんだけど!!」

激昂して立ち上がった。

だけど邪羅威は表情一つ変えずにタバコの煙を吐く。

「わざわざ他の奴らの為に、あえて犠牲になる。自己満足……偽善……」

「あんたにはわかんないよ!」

怒っても意味が無い……

気持ちを落ち着かせると座った。

「今のおまえは金で客と寝ている。それが特定の客としか寝なくなるだけだ。本質的には何も変わらない」

そんなことは言われなくてもわかってる。

だからってどうしようもない。

「与えられた自由は紛い物だ。自ら得た自由こそ価値がある。尊いんだ」

「なんか先生みたい」

殺し屋のくせに邪羅威の言うことは至極真っ当に聞こえた。

「勝ち取れなかったらどうなるの?」

「本物の価値を知らずに生きるだけだ。生きる上では困らないがな」

「あなたは?あなたは知ってるの?」

「ああ」

知ってるんだ。

そりゃあそうだよね。

命を的の仕事をしていて、法の外で生きてるんだから。

しかもたった一人、誰にも、何にも縛られずに。

グラスに口をつける横顔を見ながら思った。

「もう一度確認する。ここの支配人、鯨螺と部下、他におまえたちがここを出るのに邪魔になるのは誰だ?」

「ここに来てる警察の奴等……所長に副署長、刑事が数人」

邪羅威にそいつらの名前を告げる。

「あとは街のヤクザ……こいつらがグルになってる……仮に鯨螺達が死んでも外に出たら私たちは、こいつらに消される」

「警察連中からしたら不適切な関係を知ってるおまえたちを野放しにはできないだろうな……暴力団も違法な取引を見られてるのだから生かしておけないだろう」

邪羅威は何が嬉しいのか、言いながら肩をゆすって笑った。

「腐った奴らを根こそぎ洗い流してよ」

大勢殺される。

でもあいつらは殺されて当然の奴らだから。

「ここには何泊できる?」

「えっ……あ、ああ、好きなだけ。お金があれば」

「よし。しばらく泊まると言っておけ」

「大丈夫なの?ここにいて鯨螺達にバレないの?」

「この街には、過去俺に仕事を依頼した奴はいない」

邪羅威がさっき言ったことを思い出した。

邪羅威と会ったものは、その容姿を語ってはならないという約束。

「出かけてくる」

「えっ」

「外出は表から普通にできるんだろう?」

邪羅威は髪を上げ、眼鏡をかけながら聞いてきた。

「ま、まあ……」

邪羅威は廊下に置いてあるゴルフバッグを開けると黒い布に包まれた長いものを取り出した。

なんだろう?

ゴルフクラブかなんか?

「お望み通り、この街を死の香りで満たしてやろう」

そう言って邪羅威が見せた笑顔は、身の毛もよだつほど邪悪に満ちていた。

「明日の夜までには戻る」

「ねえ、遊ばないの?」

「遊ぶ……?」

「だって…仕事はわかるけど…お金払ってここにいるんだから」

「金で抱ける女に興味はねえ」

「あっ、そう!」

なんかムカつく言い方。

むっとした私を見て邪羅威は鼻で笑うと部屋から出て行った。

一人残った私はしばらくしてから部屋に戻った。


部屋に戻った私はベッド寝転がった。

邪羅威といて気が張っていたせいか、どっと疲れが出た。

ふう……

……

あれが邪羅威。

私たちとは違う世界で生きている男。

男……

男といえば邪羅威は私が今まで見てきた男とはまるで違った。

たくさんの男を見てきた。

その誰もが欲望の目で私を見た。

どんなに労り、褒めそやしても、私のことを「その場の性処理具」としか見ていな。

人としては見ていなかった。

それは村木も同じ……

私のためにいろいろ世話を焼いてくれたけど、根っこはお気に入りの玩具を独占したいだけ。

理屈でなくそう感じていた。

でも邪羅威の目は違った。

冷たくて鋭いけど、そこには一切の欲を感じなかった。

人が纏うぬめぬめした欲望がなく、渇いている。

まるで木枯らしのように。

最初は恐かったけど、そのうち私には心地よかった。

そして邪羅威が言った一言。

『金で抱ける女に興味はねえ』

あれが今になってすごく気になる……

と、いうか傷ついた。

それが私という人間の価値なんだと思った。

あの人は本当のことを裏表なく口にする。

どんなに酷いことでも平然と言うだろう。

でも、だからこそ誰よりも真実があり、信用できるのだと思った。

邪羅威……

会ったばかりの人が、私の頭の中を独占していた。


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