第5話


 桜井春花。俺の幼馴染だった少女だ。


 だった、というのは、もうここ1年近く会話もしていない。


 家が隣。親同士も交流があったから、昔はよく遊んでいた。


 父さんが家を出て行ってからもそれは変わらず、周りの人たちがよそよそしくなっていく中、彼女だけは変わらず俺の隣にいてくれた。


 そんな関係が変わったのは、中学2年の秋頃。


 同じクラスに、俺をやたらと敵視してくる男子生徒がいた。初めは気にもしていなかったが、そいつはクラス全員を巻き込んでいじめという手段で俺を追い込んでいった。


 桜井も初めは俺の味方をしていたが、もともと引っ込み思案な性格だったこともあり、周りからの圧力に負けて、ついにはいじめに加担してしまった。


 そんなことがあったため、それ以来ぎくしゃくと疎遠になり、今ではすれ違っても口も利かない。


 たまに見る夢の原因。俺の過去のトラウマ。それが、桜井春花だった。


「はい、じゃあまずは自己紹介から始めようか、私の名前は――」


 担任の教師が自己紹介を始める。俺はそれを聞き流しながら、横目で桜井を見た。


 昔と変わらない、肩まで伸びた栗色の髪。


 昔とは違い顔立ちも体つきも若干大人びている。


(特に、胸の部分が……)


 豊かに育った胸に、視線が縫い止められる直前。何を見ているんだと、逃げるように視線を下に逸らす。


「…………」


 逸らした先。桜井の左手首には、もう何年も使い続けているのだろう。年季の入った、ピンク色のミサンガが着けられていた。


(まだ、着けているんだな)


 それは、2人で交わした約束の証。


(あんな約束、もうとっくに意味なんてないだろうに……)


 同じものを俺も着けていた。だが、今はもう無い。


「じゃあお前らにも自己紹介してもらうぞー。まずは出席番号1番から――」


 そんな声を、どこか遠くに置き去りにして、俺は約束を交わしたあの日を思い出した。


 あれは、俺が悪ガキどもから姉さんを守ろうと大立ち回りをした後の事だ。


「たっくん、なんかげんきないけど、どうかしたの?」


「……うん。いじめっことけんかして、おねえちゃんにきらわれちゃった……」


 姉さんに嫌われた。


 姉さんを守るのに無我夢中で、自分がどんな顔をしていたのかわからなかったが、俺を見た姉さんはひどく怯え、俺のことを突き放した。


 そのことを桜井(当時ははるちゃんと呼んでいた)に相談したのだ。


「もう、たっくん! けんかはよくないって、まえにもいったでしょ!」


 桜井は腰に両手を当て、プンスカと聞こえそうなほど頬を膨らませた。


「ごめん、はるちゃん……」


「たっくんはしょうがないなぁ。ちょっとまっててね」


 そう言うと桜井は、持ってきていた小さなかばんから、何かを取り出してきた。


「はい! これあげる!」


「……なにこれ?」


 それは、少々不格好な、手作りの赤いミサンガだった。よく見ると、桜井の手首にも色違いのものが着けられている。


「おまもり! わたしとおそろいの! このまえ、おかあさんにつくりかたおしえてもらったんだ!」


「おまもりって、なんの?」


「もう、わかんないの? たっくんがこれからけんかしないようにするためのだよ」


 俺は首をこてりと傾げた。


 喧嘩しないようにするため? どういう意味だろう。それとお守りの、何が関係しているのか。


「もしまたけんかして、だれかのことぶっちゃったら、そのおまもりがきれちゃうんだから。そんなことしたらわたし、ないちゃうからね!」


「……わかったよ、もうけんかはしない。やくそくする」


 桜井には、泣いてほしくなかった。彼女は俺といる時はいつも笑っている。俺は、その笑顔が好きだったのだ。


「……はるちゃんのやくそくは?」


「え?」


「はるちゃんもおまもりつけているなら、なにかやくそくがあるの?」


 俺は桜井の左手首に着けられたミサンガを指差しそう言った。


「そういえばないなー。あっ、そうだ、やくそく! たっくんがきめてよ!」


「え、いいの? 」


「うん! わたし、たっくんにきめてほしい!」


 彼女ははにかんでそう言った。


 けれど、約束か。何だろう。俺が彼女にしてほしいことは――。


「……じゃあ、ぼくとずっといっしょにいてくれる?」


「えっ?」


「ぼく、ともだちすくないし、おねえちゃんにもきらわれちゃったから、はるちゃんにはずっといっしょにいてほしい」


「……うん。いいよ」


 俯き、顔を赤らめながら彼女は呟く。その声はどこか嬉し気だ。


「わたし、たっくんとずっといっしょにいる! やくそくするよ!」


「――っ、ありがとう! ぼくもはるちゃんとずっといっしょにいるって、やくそくする!」


「じゃあ、これからもずっとわたしといっしょにいてね! やくそくだからね!」


 そう言って、俺たちは約束を交わした。


 子供同士の、小さな約束。


 けれど2人にとってそれは、宝物のように大切なものだった。


* * * * *


(――の、はずだったんだがな……)


 昔を思い出し、少し感傷的になって瞳を閉じた。遠くからは「――番、――つみ!」という声が聞こえてくる。


(姉さんとはギクシャクしていたが、あの頃はまだ良かったな)

 

 姉さんに拒絶されはしたが、隣にはまだ桜井がいた。そのおかげで、何とか悲嘆に暮れることもなく毎日を過ごせていた。


「――わ龍巳ぃ!」と、声が段々大きくなってきた。ちょっとやかましいんだが……。


(やっぱり、中学か……)


 中学の頃を思い出そうとすると、途端に憂鬱になる。


 忘れたくても忘れられない過去。


 いじめ自体はどうということは無かったが、やはり桜井に裏切られたのが大分効いた。


 彼女の性格から、本心では無いと頭では理解しているが、どうにも気持ちが追いつかない。今では顔を見るだけで、こうしてあの頃のことを思い出してしまう。


(けど、いい加減どうにかしないとだな。いっそのこと医者にでも行って相談してみるか?)


 そんなことを真剣に考えていると……。


「――聞こえてんのかっ! 逢沢龍巳っ!」


 先程から聞こえていた声が、すぐ近くから発せられた。思考が中断される。


 集中していて状況の把握を忘れていた俺は、思わずイラッとしてしまい、その声に同じく怒鳴り声で返した。


「うるさいんだよさっきからっ、そんなにでかい声を出さなくても聞こえてる!」


 なんなんださっきから! こっちが考えごとしている時に、何度も何度も人の名前を叫びやがって!


 声の発せられた方を睨む。


 そこにはグレーのスーツを着た担任教師が、腕を組みながら仁王立ちしていた。その顔には明らかに怒気が含まれている。


「……ん?」


 冷静になってから、周囲を見回す。全員ドン引きだった。桜井も驚いた顔をしている。


 チラッと、再び担任教師を見る。


 短めの、緩いウェーブがかかった黒髪。


 何かスポーツをやっていたのか、引き締まった体は姿勢よくピンと張っている。


 一目で美人とわかる顔立ちだが、今は怒りを帯びており、正直言って台無しであった。


 担任教師はその表情を無理やり笑顔に変え、口元をひくつかせながらこう言った。


「……ほぅ? 随分と威勢のいい返事だな。お前が自己紹介しないと、他の全員が何も出来ないままHRを終えてしまうのだが?」


「…………」


「……自己紹介してくれるか?」


 表情は笑顔だが、目が笑っていない。口元がピクピクと引くついてるのも相まって怖さ倍増だった。折角の美人がもったいない。


 しかし、自己紹介か。正直何も考えていない。まぁ、無難に名前を言えばそれでいいだろう。


 俺は立ちあがり「逢沢龍巳だ。よろしく」と、周囲に向かって簡潔に言って再び席に着いた。


「……いや待てぇい!」


「ん?」


「ん? じゃない! もっと無いのか!? こう、趣味とか、これから何をしたいとか!」


 担任教師は他に何かないか? といった表情で、俺に詰め寄ってくる。


(……趣味?)


 正直、人様に誇れるような趣味など俺には無い。


「ふむ」


 ここは軽い冗談でも言っておなさけ程度の笑いを誘い、何とは無しに乗り切るか。俺は下手くそな笑顔で冗談っぽく言う。


「何だか合コンみたいなノリですね。もしかして口説かれてます?」


「……は?」


 ざわっと、教室内にどよめきが起きた気がしたが、俺は構わず続ける。


「けどすいません。俺、恋愛事とかわからないんで、先生の気持ちには応えられないです」 


「んなっ!?」 


「まぁ先生、普通にしてれば美人だと思うんで、きっと良い出会いがあると思いますよ。がんばって」


 俺は唖然とする担任教師の肩に手をポンッと置いた。


「…………新任早々、何で自分の生徒に意味もわからず振られた挙句、励まされているんだ私は……」


 体を小刻みにプルプルと震わせ、俯きながらブツブツと何か呟いている。その表情は窺い知れない。


(……あぁ、なるほど)


「先生」


「……あ゛?」


「尿意を我慢するのは体に悪いと聞きます。あっちにトイレがありましたよ」


「……ふぅぅ」


 担任教師は深いため息をついた後、カッ! という音が聞こえてきそうな勢いで目を見開き、俺を見据えながらこう言った。


「お前、放課後職員室に来い」


「……はい」


 しまった。流石に冗談が過ぎたようだ。有無を言わさぬ迫力に、俺は頷く事しかできなかった。


 その後、クラス全員の自己紹介が再開されたが誰1人として俺に言葉をかける者はいなかった。


* * * * *


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