第6話

「頼むぞ……」

 祈るように呟きながら、涼太は玄関の鍵を回し、ドアを開けた。

 そして息を殺しつつ、夕暮れ時の喧騒に紛れるようにして室内に入る。

「お、帰ったか。待ちわびたぞ」

「……いるのかよ」

「大人しく待っていると言ったはずだが?」

「そうだけど……クソっ」

 涼太の願いは叶わず、朝と変わらぬ女の姿が部屋にはあった。

 変わらぬどころか、我が物顔でベッドに陣取り、だらしない格好で寛いでいる。

 この光景だけを見たら、どっちが部屋の主かわからないだろう。

 もしくは、二人で一緒に暮らしているようにさえ見えるかもしれない。

「これで少しは私を信じる事ができるな」

「できるか」

「なぜだ? 約束を守る女だと証明できたはずだが?」

「根本的な問題が解決してないだろ……ったく」

 ツッコミどころしかない女の発言に、涼太は頭を抱えてため息を吐いた。

 一通り不審な女が居座り続けていた事に落胆した涼太は、続いて部屋の惨状に気づく。

 女を残して部屋を出てまだ半日にも満たない。

 にも関わらず、部屋は至るところが散らかっていた。

 一人暮らし用の部屋としてはそれなりに広さがあるせいで、その散らかり具合が余計に目立つ。

 涼太がいない間に女が物色したのは、一目瞭然だった。

 あまり荷物が多くないのは、不幸中の幸いと言えた。

 涼太はなにか言ってやろうと思ったが踏み止まる。

 とりあえず床に散らばった着替えを拾い上げ、きちんと畳んで収納棚に戻していく。

 涼太の手際を見て、女は感心するように頷いていた。

 女の様子には気づかず、涼太は放り捨てられていたパンの袋を拾い上げる。

 本来、朝食代わりに食べようと思っていたものだが、当然のように中身はない。

「……これ、全部食べたのか?」

「あぁ、空腹に耐えきれなくてな。初めて食するものだったが、非常に美味だったぞ」

「……良かったな」

「うむ。しかし、そっちの袋に入っていたものはなんとも言えなかったがな」

 そう言って女が指差したのは、インスタントラーメンの袋だ。

 もちろん中身はない。

「お前、もしかしてそのまま食ったのか、これ」

 キッチンを見た涼太はそう尋ねる。

 見たところ、調理をした気配がない。

「よくわからなかったのでな。硬くて味がしない、修行僧の食事かと思ったぞ」

「そりゃあそうだろ」

 袋の中には、スープ用の粉末が入っているものがそのまま残っている。

 なにからなにまで、インスタントラーメンの食べ方を間違っていた証だ。

 その非常識さに半ば呆れつつ、涼太は膨れ上がる疑念に戸惑いさえしていた。

 果たして、インスタントラーメンの作り方すらわからない現代人が存在するのか、と。

「こんなものまで引っ張り出して……」

「いろいろと補完しておきたくてな。その本は実に有益だった。おかげで大分補完できたぞ」

「なんの話だよ……」

 心底そう思いながら、涼太は散らばった教科書を集め、邪魔にならないところへ重ねておく。

「貴様……いや、お前もその書物を使って学んでいるのだろう?」

「まぁ……って言っても、去年のやつだけどな」

 女が有益だと言った教科書は、全て一年生の時に使っていたものだ。

 それがますます涼太を混乱させる。

 先ほどから女の発言を聞いていると、突拍子もない可能性を考えそうになってしまう。

 だがそんな事があるわけがない。

 涼太の中にある常識という概念が、彼自身を混乱させていた。

「さて、いろいろと話すべき事はお互いあるとは思うが」

「なにも言わず出てってくれれば万事解決なんだけど?」

 本音を一切隠す事も薄める事もなく、涼太はジト目で見る。

 が、女はまるで意にも介さず、自分の腹部を軽く叩く。

「まずは飯にしてくれ。腹が減って気が狂いそうだ」

「どこまで図々しいんだよ……」

「性分でな」

 図々しさを性分で片付けてしまえる豪胆さに、涼太は辟易する。

 それと同時に、諦めの境地に達しつつもあった。

 本当なら話など聞かず、もちろん食事など出さず、問答無用で今すぐ追い出すべきところだ。

 女にどんな事情があろうとも、涼太には関係のない事。

 厄介事には関わらない、それが在原涼太の生き方なのだから。

 だが、と涼太は考えてしまう。

 この女は涼太がなにを言おうと、どうしようと出て行くとは思えない。

 それどころか、頑なに追い出そうとしたら騒ぎを起こしそうな気配すらある。

 下手に騒ぎにでもなれば、親元に連絡が行くのは避けられない。

 現在一人暮らし中の涼太にとって、それだけは避けない事態だった。

 学校に遅刻したり休んだりしたくなかったのも、それが理由だ。

 迫られている選択は二つ。

 ただし、どちらを選んでも大なり小なり厄介な事にはなる。

 それは間違いない。

「……とりあえず、食材とか買ってくる。だから少し待ってくれ」

「お前が作るのか?」

「今日はバイトもないし、一人暮らしだから」

 バイトがある日はあり合わせの物を買ってきたりして済ませるが、そうじゃない日は自炊をする。

 それは涼太自身が自分に課したルールの一つだ。

「金があればそんな面倒はしなくて済むのではないのか? お前のような場合、普通は確か、仕送りと言ったか? 親が金銭を工面するものだろう?」

「普通なら、だろ。俺はその、いろいろ無茶言ってこうしてるから、節約できるとこは節約したいんだ」

「ほぅ。若いのに面白い男だな、お前は」

「別に面白い話なんてしてないだろ……ったく。とにかく、大人しく待ってろ。夕飯くらいは、用意してやるから」

「あぁ、そうさせて貰おう。楽しみにしているぞ、在原涼太」

「…………はぁ」

 これみよがしにため息を吐きながら、涼太は財布とスマホを手に部屋を出る。

 それから歩いて五分のところにあるスーパーへと向かった。

 食材から生活用品まで、なんでも揃える事ができる店だ。

 疲れたように肩を落として出て行く涼太とは逆に、女は楽しげに笑いながら、それを見送った。

「偶然ではあったが、なかなかに面白い男だな」

 そして再び一人になった女は誰にともなく呟き、ベッドに寝転んで涼太が帰るのを待った。

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