第1部・2章

ep11/黄金宮殿の陰謀


 世界各地にいくつもの属国を持ち、現世うつしよとなえるシャキール帝国。

 その比類無き武力と栄光の象徴しょうちょうとすべく、現皇帝ドルガスが即位の際、あらん限りの財をき集めて建造されたのが帝都ドルガーナである。

 帝都中央にある人造の丘陵きゅうりょうには、周囲の建築物がかすんで見えるほどの豪華絢爛ごうかけんらんな宮殿がそびえ立ち、見た目の通りにそれは黄金宮殿と呼ばれていた。


 黄金宮殿には強力な結界が張られ、外庭や回廊を選び抜かれた精鋭兵が巡回し、ネズミ一匹通さない鉄壁の防衛体勢がかれていた。

 宮殿内部に進むと、大貴族や上級神官といった要人がひかえる小宮殿があり、帝都最高戦力と評される神還騎士団アルムセイバーズが常駐している。

 そして最奥にあるのが、神聖帝国第四代皇帝――ドルガスが住まう神皇宮じんおうきゅうであった。


 そんな神皇宮の一室では今――三人の人物が密談を行っていた。


「……全く、忌々いまいましくてたまらんわ」


 黄金宮殿の最上階にある至天閣してんかく。その帝都で最も高い場所から、城下を睥睨へいげいしながら不快そうに呟いた肥満体の男こそが――現皇帝ドルガスである。

 ドルガスは豪奢ごうしゃな大椅子にもたれ掛かり、でっぷりと膨れた腹に今なお酒と肉を詰め込みながら、猜疑心さいぎしんと怒りに満ちた眼をギラギラと輝かせていた。


 そんないきどおる皇帝のかたわらで、空のグラスにワインをぎ足していた――輝く霊銀鋼ミスリルの鎧をまとった麗女が、涼しげな笑みを浮かべてドルガスに問い掛けた。


「あらあら、ドルガス陛下へいか。ひょっとしてお怒りなのは、庶民たちが空猫ノ絆スカイキャッツ神還騎士団セイバーズに入れろと騒いでいる件についてでしょうか?」


 皇帝にさえも物怖じしない彼女の名は、ルルエ・ウルアズーラ。

 帝国神還騎士団の長でもあり、世界的英雄である聖国八英騎グロリアス――聖導母神教会から認められた八大国それぞれの最強の神還騎士――の中でも真の最強と名高い美しき女傑じょけつである。


 尊大そんだい癇癪持かんしゃくもちのドルガスだが、ルルエの飄々ひょうひょうとした言い草には腹を立てる様子も無い。

 ドルガスにとってルルエは忠実な臣下であり、誰よりも優れた武力を持った戦士であり、そして嫌というほど恥部をさらした愛妾あいしょうでもあったからだ。

 ルルエの物言いを気にせず、ドルガスはワインをあおりながら答えた。


「それもある。庶民が皇帝や教会に意見するなど不敬極ふけいきわまりない。だが……彼奴等きゃつらの実力に関しては余も認めておる。いやしい庶民の出ではあるが、獣災スタンピードが激化する前に首魁しゅかい仕留しとめたのは見事と言うほかない」


「ならば、例の罪紋者ざいもんしゃ――リゼータ殿のことでしょうか?」


 ルルエが重ねて問うと、ドルガスは激しい勢いで机を拳を叩き付けた。

 料理が乗った皿がいくつかひっくり返ったが、どうやら正解だったようだ。


「その通り! リゼータといったか。その汚らわしい罪紋者のことだ! かの神罪魔帝しんざいまてい末裔まつえいたる罪紋者が、救世の英雄たる神還騎士になるというのは、世界中の歴史を見回しても前例などないはずだ。その罪紋者だけを切り捨てることはできんのか!?」


 怒りに眼を血走らせるドルガスだったが、ルルエはそんな癇癪かんしゃくにも慣れた様子で受け流し、細いあごに人差し指を当てながら己の考えを述べた。


「う~ん……それは難しいですね。探獄者協会ダイバーズきょうかいからの強い要望もありますし。何よりも空猫ノ絆の他四名が、彼を抜いての昇格をかたくななにこばんでおりますので。フフフ……陛下も実に美しい友情だとは思いませんか?」


 空猫ノ絆に美意識を刺激されたらしいルルエが、萌黄色みどりの瞳を輝かせて陶酔とうすいの笑みを浮かべるが、ドルガスはまるで共感を示さない。


「くだらん! 何が友情だ! 野良犬とゴミの馴れ合いなど正視に耐えぬわ!」


「ならば、どうなさるおつもりです? 空猫ノ絆スカイキャッツの人気ぶりは、陛下の耳にも届いておられるでしょう。そして帝国兵と神還騎士団への市民の信頼が地にちている事も。ここで空猫ノ絆を昇爵しょうしゃくさせなかったら、確実に暴動が起こりますわ」


 そのルルエの指摘は正鵠せいこくを射ていた。

 先日の帝都を襲った獣災スタンピード以降、市民たちの王族への悪感情が増し、反抗的な態度が目に余るようになってきていた。

 だがそれも当然だろう。市民たちを護らず見殺しにしたあげく、自分たちは安全な場所にもってやり過ごそうとしていたのだから。


「ふん……市民というのは愛国心の欠片も無いのだな! 羽虫のごとき命の価値しか無い貴様等よりも、余が生き残ることの方が帝国にとってどれほど利があることなのか――そんな当たり前の事も分からんとは、愚かにも程があるわッ!」


 だがそもそも、そんな市民の心を理解していれば、獣災時の籠城を選択をしなかったであろうドルガスは、逆に市民たちの行動を批難ひなんする始末で、ルルエの呆れたような視線にも気付くことはなかった。


「……リゼータ殿への評価もくつがえり始めていますわ。市民の中に、彼が歪蝕竜ツイストドラゴンと戦っている光景を見た者が大勢いたようで。今回ばかりは反対派も認めざるを得ないようです」


 そして先日の獣災で、リゼータの好感度も上がっていた。

 今までは、おこぼれを貰っていただけの卑怯者と噂されていたのが、多くの者が実際に彼が戦う姿を見て、少なくとも空猫ノ絆を名乗るだけの実力はあると証明されたのだ。


「くそがあああッッ! どうにかならんのかァァァッ!!」


 力任せにグラスを床に叩き付けるドルガス。

 割れたグラスからワインが飛び散り、高級な手織り絨毯を赤く染め上げていく。

 その炎のように広がる染みは、ドルガスの燃えるような憎悪を代弁するようだった。


「余は絶対に認めんぞ! 忌まわしい罪紋者が余の騎士団に入団するなど! 奴に余の領地を下賜かしするなど! あってはならんのだッッッ!!」


 ドルガスは机を蹴り倒し、床に落ちた調度品や料理を何度も踏みつける。

 まりのように丸い顔を怒りで染めて、髪を振り乱しながら暴れ回るその姿は、まるで肥え太り狂った醜い豚のよう。しばらくの間、ぜいを尽くした黄金の間に罵声ばせいひびき渡るのだった。



 やがて騒ぎ疲れたドルガスが『ぜぇぜぇ』と息を切らして立ち尽くしていると、今まで沈黙を貫いていた白髭しろひげおきな――ユピールが口を開いた。


「ほっほっほっ。陛下、リゼータなる者の排除はわしも同意ですな。我々の中にも神罪魔帝の末裔たる罪紋者を、神聖なる神還騎士セイバーズに任命するのに異を唱える者が数多くおります」


 ユピール・ヤーマロキス。彼こそが総数十二億人以上とされる、母神教徒たちの頂点に君臨する、聖導母神教会の大司教である。

 濃紫色の荘厳そうごんな法衣と、黄金の司教冠ミトラまとい、豊かな白髭と白眉をたくわえた姿は、一見すると優しげな好好爺こうこうやに見える。

 しかし彼が、苛烈かれつ闇闘あんとうを好む策謀家さくぼうかであり、数多の政敵を排除してきたのは、王宮の誰もが知るところだった。


 帝国と教会、皇帝と大司教の因縁いんねんは深い。

 数世紀前から、戦乱に明け暮れるシャキールという軍事国家と、布教のはんず図を広げたい聖導教会の思惑おもわくは一致していた。

 やがては二大勢力が力を合わせることで、かつての小国は世界最大の覇権国家までのし上がり、聖導教会も人心を束ねて強大な権力を持つにいたった。


 そして第四代皇帝ドルガスは、ユピールを相談役として重用していた。

 ユピールが後継者争いの際に様々な謀略を駆使し、ドルガスを皇帝に押し上げた最大の貢献者だったからだ。さらに思想的にも二人は相性が良かった――特に、罪紋者に容赦ようしゃが無いという意味で。


「ほっほっほっ。罪紋者はしょせん罪紋者。どんなに足掻あがこうが、決して英雄になどなれぬ。身の丈に合わぬ野心など抱かずに、日陰ひかげを歩いていれば良いものを……愚かな男よの」


 見事な白髭を撫でながら、リゼータの功績をおとしめるユピール。

 それを聞いたルルエが、挑戦的な口調くちょうで大司教に食ってかかった。


「あらあら。それでは罪紋者はどんなに勲功くんこうを上げても、報われる機会が与えられないということで? それは流石に可哀想じゃありませんの?」


 ユピールの白眉の下の瞳に、一瞬だけ驚きが走る。

 しかしすぐに余裕の笑みを取り戻して、説法じみた口調で言い包めようとする。

 一方のルルエも本気で罪紋者を擁護ようごしているわけではなく、あくまでも聖導教会の矛盾むじゅんを突いての言葉遊びを楽しもうという様子だった。

 それを皮切りに天至閣してんかくは、唖然あぜんと眺める皇帝を尻目に、騎士団長と大司教による問答の場に変貌へんぼうするのだった。


「ほっほっほ……ルルエ殿。それこそが聖導教典における魂罪こんざい贖罪しょくざいというものです。罪紋者はそうやって苦難の生を全うすることで、来世では恵紋者けいもんしゃに生まれ変わることが出来るのですから。これは彼等にとっての救済でもあるのですよ」


「へぇ……救済ですか。聖導教典によれば、魔獄時代ロックエイジが訪れてからゆうに四千年は過ぎてますわね。罪紋者の平均寿命は三十歳と聞きます。大司教様がおっしゃられたように、苦難の生を全うした罪紋者は恵紋者に転生するはずでは? なのに何故、罪紋者はいっこうにいなくならないのです?」


しかり。それこそ『功徳くどく』が足りておらぬのです。神罪魔帝の罪を心魂たましいから洗い流すには、十回や二十回の転生では足りぬということ」


「それはあまりにもむごくはありませんこと? 十度先の転生のことを考えて、今を清く生きられる者などいませんわ。永遠にい上がれぬ蟻地獄ありじごくのようなものではないですか」


「ほっほっほっ。それだけの罪を神罪魔帝は犯したのですよ。偉大なる創世母神様を、あのおぞましき深淵魔獄アビスロックに閉じ込めるなど……その子孫である罪紋者が苦しむのは当然のこと。

 罪紋者は影の中で苦しみ藻掻もがき続けながら、絶望の生涯しょうがいを終えるのが必定ひつじょうなのです。ゆえに陛下へいか――間違っても罪紋者に輝かしい栄光など与えてはなりませぬぞ」


 急に水を向けられて、しばらくほうけていたドルガスだったが――ユピールの箴言しんげんが己にとって都合の良いものだと気付いたのか――我が意を得たとばかりに声を張り上げた。


「よく言ったぞユピール! その通りだ! 罪紋者が間違っても聖職にくことなどあってはならぬのだッ! むしろこれは正義であり母神の意志なのだッッッ!!」


 子供のようにわめくドルガスに対して、ルルエは――まるでこういう展開になるだろうと分かっていたかのように――「それでは陛下。どうなさいますか?」と考えをうながした。


 ドルガスが「そうだな……ううむ」とうなっていると、ユピールが「ならば陛下。わしに一計がございます」と、得意の謀略ぼうりゃくがあることをうかがわせた。


 よく見れば、ユピールのその細い肩が小さく震えていた。

 不思議に思ったドルガスがユピールの顔をのぞき込むと――そこにあったのは、悪魔のような邪悪を宿した笑顔だった。


「ククククッ……クヒヒヒヒヒッ。そろそろ調子に乗った空猫ノ絆ヒヨコどもに、宮廷の流儀というものを教えてやりましょうぞ。クヒャハハハハハハッ……!」


 もう我慢できないといった様子で、肩を揺らして笑うユピール。

 陰湿でねばついた――聖職者とは思えぬ嗜虐的しぎゃくてきな笑み。絶望をたのしむような暗黒の瞳。

 そんなあまりにも背理的な大司教の変貌へんぼうに、ルルエは不快そうに眉をひそめ、ドルガスは背筋を凍らせながら言葉を失っていた。


 ドルガスにも、ある程度は闇闘あんとうの心得があった。

 帝位に辿り着くまで、権謀術数けんぼうじゅっすうを用いて数え切れないほど手を汚してきた。

 だがそんな彼でさえも、ユピールの底知れぬ悪意と智恵がただ恐ろしかった。だがそれでも、結局は今回も――勝つのはユピールなのだという確信があった。


「う、うむ……ならば貴様に任そう!」


 震える声を誤魔化ごまかしながら、尊大そんだいに言い放つドルガス。

 かしこまりながらひざまずき「おおせのままに」と、王命を受け入れるユピール。しかし立ち上がると、もう興奮が抑えきれなくなったのか、再びそのしわだらけののどから哄笑こうしょうあふれさせた。


「……クヒヒッ、クヒヒヒヒヒヒッ! 所詮しょせん人間も一皮けば、己が一番可愛いケダモノと変わりませぬ。美しき友情とやらが粉々に砕け散る様を御覧ごらんに入れましょうぞ。ククククククッ……クヒャハハハハハハハハハハハッッッ!!」


 地獄の底から聞こえて来るような狂笑が黄金の楼閣ろうかくひびき渡り――それに辟易へきえきしたルルエの「まったく……醜くすぎて嫌になるわ」という侮蔑ぶべつの声は、すぐにき消されたのだった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


〈作者コメント〉

どうも。クレボシと申します。

2章が始まりましたが、いきなり不穏な雲行き。

応援・感想・評価などをつけて頂けると嬉しいです。

誤字脱字の報告もしていただけると助かります。

※タイトル(ABYSS×BLAZER)はアビスブレイザーと読みます。ブレザーじゃないですよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る