第43話 たった一人の悩める男 2/2

 リョウコは、まず冷蔵庫からひき肉を取り出した。

 それを大きなボールに開け、塩を振る。


「あれ、お肉しか入らないんですか?」

「いや、色々足すのは後からなんだよ。まずは肉と塩だけで練らねえと粘りが出ねえからな」


 トウカの疑問に答えながら、リョウコはビニール手袋をはめて肉を練っていく。

 数キログラムはある肉塊が、徐々に粘りを帯びていった。肉をちぎって、断面が毛羽立つ程度になったら次の工程だ。


「こいつにな、荒く刻んだ玉ねぎと、生卵、ナツメグとコショウを加えてさらに練っていく」

「玉ねぎは生なんですねえ」

「炒めてからでもかまわねえぞ。そのときは肉に火が通らないよう一旦ちゃんと冷ましてからな。あっしは玉ねぎのシャキシャキが残ってた方が好みなんでな、生にしてるんだ」


 リョウコとトウカが話していると、そこに冨桐とぎりも加わってくる。


「パン粉や牛乳も入れないのかい?」

「へい、まずパン粉だが、うちのハンバーグはデカいんでね。下手に入れると焼いたときに膨らみすぎて割れちまう。それで肉汁が逃げちまうんですわ。牛乳は味を薄めずに水分を足す役割があるンすけど、生玉ねぎを使ってるんでね。水っぽくなりすぎるんで入れてないってわけで」

「なるほど、ボリューム感を追求したが故のシンプルなレシピというわけか……」

「まあ、そんな大層なもんじゃありませんが、味と量にはそれなりにこだわってはいますかねえ」


 冨桐とぎりはメモ帳とペンを取り出してなにやら書き付けはじめた。


「ところで肉はどんなものを使っているんだい? 企業秘密ならもちろん答えなくていいが……」

「普通の牛と豚の合い挽きですぜ。牛が6、豚が4のやつだ。脂が足りないときには肉屋の方で牛脂を足してもらったりしてますがね。まあ、長年付き合いがあるんで阿吽の呼吸ってやつで」

「読者や編集に対する信頼感にもつながる話だな……」


 冨桐とぎりはペンを走らせ続けている。

 リョウコは、よくわからない話がはじまったと思い、何も答えず練った肉を丸めて整えはじめた。それを順番に金属製のトレーに載せていく。


「はい、これで一丁上がりと。簡単だろ?」

「へえ、ハンバーグって家庭科の授業で作ったきりですけど、もっと色々材料があって面倒くさいイメージでした」

「色んなもんを加えて試してみるのも面白れぇけどな。肉の配合、玉ねぎの分量、それを炒めるかどうか。パン粉や牛乳もそうだが、コンソメ顆粒や粉チーズを入れたっていい。あっしの場合は、あっしが一番好みだって理由でこうなっただけだ。人それぞれに好みがあるからな、とどのつまり、ハンバーグによっぽどこだわりがあるんなら、自分好みのものを作るか、自分好みのもんを出す店を探すのが一番じゃねえか?」

「最近じゃレアハンバーグなんていうのも話題ですもんね!」

「おう、ぎっちりしっかり肉を味わいたいってェ人にはおすすめだな。だが、家で真似はすんなよ? 生で食えるひき肉なんて、素人にゃそうそう手に入れられるもんじゃねえ。食中毒になったら悲惨だぞ」

「はーい!」


 トウカとリョウコが話している間も、冨桐とぎりはぶつぶつと何事かつぶやきながらメモ帳の書き込みを増やしていく。「自分の嗜好と読者それぞれの嗜好は必ずどこかで衝突する。それを恐れてはならない。一方で、自分の手に負えないものに安易に挑むと手痛い目にあう可能性もある……」などとつぶやいているようだが、リョウコもトウカも何の話かわからなかったので無視をした。


「で、いよいよ焼き上げだ。フライパンにしっかり油を敷いて、一度カンカンに加熱する。これで油の膜ができっから、濡れ布巾に乗せて少しフライパンを冷ます。そうしないと焦げちまうからだ。テフロンならくっつかねえからここまで気を使う必要はねえが、うちは鉄鍋だからな」

「えっ、テフロンならハンバーグでもくっつかないんですか!?」

「コーティングが剥がれてなきゃ常温から焼いたってくっつかねえぜ。文明の利器様々だなあ」

「そんな便利ならお店でも使えばいいのに」

「家庭とは作る量が段違いだからな、あっというまにテフロンが剥げちまうからキリがねえのよ」


 冨桐とぎりは、「道具へのこだわり……適切なもの……昔からの習慣で紙とペンにこだわっていたが、そろそろデジタル作画への挑戦も……」などとつぶやきながらメモを取り続けている。リョウコとトウカは、引き続き無視をした。


「それで、いよいよ焼きはじめだな」


 リョウコがフライパンにハンバーグのタネを並べると、しゅおうと油の弾ける音が響く。間田木食堂の店内に、肉の焼ける香ばしい香りが漂いはじめた。


「むふー、これを嗅ぐと『これからハンバーグを食べるんだー!』って気持ちになりますねえ」

「おう、ナツメグが混じったこの匂いがハンバーグの良さだよな。で、片面に適度に焼き目がついたところで、ひっくり返して蓋をし、中弱火で蒸し焼きにしていく」


 フライパンと蓋の隙間から、ときおり白い蒸気が吹き出している。

 それとともに、店内に満ちるハンバーグの香りが徐々に濃くなっていく。

 キッチンタイマーの音とともに蓋を開けると、そこには見事に焼き上がったハンバーグが並んでいた。リョウコはそれを、付け合せの野菜とともに皿に盛り付け、白飯と味噌汁をつけてふたりに差し出した。


「はい、お待ちどお。間田木食堂流『ごくごく普通のハンバーグ定食』ってな。ソースはデミグラスとおろしポン酢があるんで、好きな方を使ってくだせえ」

「ほわー! いつもどおり美味しそうです!」

「普通と言いながらすごい厚みだ。指3本分はあるじゃないか!」

「うちのお客はみんな腹っらしなんでね。ぜんぶがいちいちデカいんでさ」


 トウカが喜びの声を上げ、さっそくハンバーグに箸を入れる。

 真ん中から大胆に真っ二つだ。箸を差し込んだそばから肉汁が溢れ出し、半透明の玉ねぎのみじん切りが断面にきらきらと輝いている。


 一口ほおばると、舌の上でたっぷりの肉汁が踊り、柔らかい歯ごたえの肉の中からほんのりとシャキシャキした食感を残す玉ねぎが主張してくる。


 何も付けずに味わった後は、卓上に用意されたデミグラスソースとおろしポン酢ソースを半分ずつにかける。濃厚なデミグラスソースはハンバーグにさらなるコクを与え、おろしポン酢は脂でくどくなった口の中をスッキリとさせてくれる。


「ごはん、おかわりで!」

「相変わらず大した食いっぷりだなあ。トウカ、やっぱりおめえは食闘士フードファイターの方が向いてんじゃねえのか?」

「むうう! そんなことはありません! 除霊師としての力を高めるためにですね、ごはんをいっぱい食べてるだけなんです!」

「そうか、間田木先生の料理にはそんな力があるということか! ひと噛みするごとに全身に染み渡ってくる神性な旨味……なるほど、そんな秘密が……」


 冨桐とぎりは箸を使いながらも器用にペンを走らせている。

 あっという間に食べ終わり、卓上に分厚い封筒を置いて立ち上がった。


「おかげさまで続きが描けそうです! 間田木先生、このたびはありがとうございました!」


 店を飛び出していく冨桐とぎりの後ろ姿を、リョウコとトウカは呆然と見つめていた。


 * * *


「なんだかよくわからねえ兄さんだったなあ。あっ、会計忘れてた!」

「止める間もなく行っちゃいましたからねえ。ところでその封筒、なんですかね?」

「おまけに忘れもんかよ、漫画家ってのはそそっかしいのかねえ」


 リョウコは、何気なく封筒を手にとって中身を覗き込む。

 そして、完全に表情が固まった。


「な、なあ、トウカ、これの中身、見てくんねえか? あっしの目がおかしくなっちまったのかもしれねえ」

「そんな変なものでも入ってたんですか? リョウコさんがそんなになるなんて珍し……ええっ!?」


 封筒の中には、縦に立つ分厚さの札束が入っていたのだ。


「どどどどうしよう、あの漫画家先生の連絡先とか知らねえかい?」

「ししし知るわけないじゃないですか。私だってさっき会ったばっかりなのに!」

「どどど泥棒だと思われたらどうしよう? あっ、そうだ。ひとっ走り交番に届けてくるからよ! ちょっと店番しててくれ!」


 トウカの返事も待たず、リョウコは店を飛び出していった。


 * * *


 数週間後、『GUNNER✕GUNNERガンナー・ガンナー』は連載を再開し、心待ちにしていたファンたちは大いにわいた。

 それまでのサスペンス要素の強い展開から、突如ほのぼのとしたエピソードが挟まれたことに、ファンたちは深読みして「このあとまた地獄に落とされるに違いない」などと噂をしているという。

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