第41話 間田木食堂の休日

 平日の真っ昼間にもかかわらず、通行人もまばらな商店街。

 その片隅に『本日定休日』の張り紙をした食堂がある。

 店の名は間田木食堂。年季の入った2階建てで、1階は食堂となっている。

 正午をまわる寸前で、その2階で赤髪の女が目を覚ます。


「あー、くっそねみぃな。昨日は飲みすぎたか……」


 洗面所で雑に顔を洗い、歯を磨く。

 昨晩は常連のひとりである外国人女性(と、リョウコは思いこんでいる)のメリーさんと、パートナーの八尺様が閉店寸前に訪れていたのだ。メリーさんは絡み酒であり、やたらと奢ってくれるのでリョウコもすっかり飲み過ごしていた。なお、八尺様は人見知りをするのか、「ぽぽぽ、ぽ」と何かを言いかけているところしか見たことがない。


「うー、腹減ったな。冷蔵庫になんかあったっけ……」


 いい加減に見えるリョウコだが、仕事とプライベートはきっちり分けている。

 店で使った食材は、基本的に廃棄寸前にならなければ自分で食べないし、調理場も自分の生活スペースである2階と、営業スペースである1階で使い分けているのだ。


 なお、これは以前に『マルサの女』という映画を見てからの習慣である。惣菜屋の夫婦が、売れ残りを自分たちの食事にしていてとんでもない追徴課税を受けていた。悪霊だの妖怪だのは恐れないリョウコだが、税務署や保健所など、自らの商売に直結するおかみに対しては大きな恐れを抱いていた。


 冷蔵庫を開けて、眠たい顔をしかめつつ中にあるものを確認する。

 生卵と、ラップで包んだ豚バラ肉の塊があった。肉の正体は自家製のベーコンである。ソミュール液(香辛料を加えた塩水)に1週間ほど漬けておき、りんごの木で燻したものだ。店で出せるほどの量は作れないので、完全にリョウコが自分で食べるための趣味の品だ。


「こいつを薄切りにしてから……あー、どうすっかなあ」


 ベーコンを適当に薄切りにした後に、赤髪をかきむしりながらキッチンを見渡す。

 髪を触るのは不衛生なので店では一切やらない。こういう気遣いをしなくてもいいことも、リョウコが店とプライベートで調理場を完全に分けている理由のひとつである。


「今日はそうだな……パンでも食うかあ」


 リョウコは、4枚切りの分厚い食パンを棚から取り出す。

 懇意のパン屋から買っているものだ。店では当日に仕入れたものしか使わないが、自分で食べる場合には適当である。この食パンも、たしか3日ほど前に買ったものの食べ残しだ。


「とりあえず真ん中をむしって……」


 食パンの真ん中を指でむしり、それをパクパクと食べていく。

 さすがに少し乾いており、正直に言えばあまり旨いものではない。しかし、寝ぼけまなこのリョウコはさして気にした様子もなく、それを続けて食パンを1枚の皿のようにした。


「んあー、こっからどうっすかなあ。先にマヨネーズでも塗っておくかあ」


 そうつぶやくと、パンにマヨネーズをたっぷり絞ってスプーンの背でそれを伸ばしていく。

 そこに生卵を割ってぽんと落とし、先ほど薄切りにしたベーコンで周りを囲んだ。


「こいつをトースターに突っ込んで……と」


 それをオーブントースターに入れ、温度は200℃、時間は3分に設定する。予熱済みでは焦げてしまうが、冷えた状態からならこれでいい。

 リョウコは寝間着のスウェットを乱暴に脱ぎ散らかして洗濯機に突っ込むと、風呂場に入っていく。熱めに設定したシャワーを頭から浴びながら、今度は時間をかけて丁寧に歯を磨く。途中、鏡に少しウロコがついていることに気がついてメラミンスポンジでごしごしと擦るが、落ちないので早々に諦めた。


 服を着替え、ハンドタオルで頭を拭きながら風呂場を出てくると、部屋の中にはすっかり香ばしい香りが広がっている。トースターを開けると、中には黄身までしっかり白くなった目玉焼きトーストが鎮座していた。


「おうおう、これこれ。こういうのでいいんだよなあ」


 上下ジャージになったリョウコは、焼き上がったトーストにかぶりつく。

 塩辛いベーコンに、適度な酸味のマヨネーズ、それを和らげる玉子の白身。真ん中の方まで食べ進めていくと、半熟になった黄身が流れ出して指を汚す。


「うーん、ちぃと食い足りねえなあ」


 トーストを食べ終えたリョウコは、再びキッチンを見渡した。

 目についたのはパックの餅である。とりあえず、それを適当な椀に入れ、お茶漬の素をかけたら水を注ぎ、電子レンジに放り込む。自動モードでスイッチを入れ、競馬新聞に目を移す。


 ピピピ、ピピピと音が鳴ったら、即席雑煮の出来上がりだ。

 箸を使って、椀の底から湯で戻った餅を剥がしながら、出汁のしみた餅を食べる。餅は水に漬けて電子レンジで温めるとつきたてのようにとろけて旨い。それを味わいながら、リョウコは今週末のレースの予想を練る。


「タンピンサンショクの調子が上がってる気がすんだよなあ……。いや、やっぱりコクシムソー? 待て待て、鉄板の組み合わせじゃオッズがろくにつかねえぞ……」


 即席の雑煮を食べ終わったら、リョウコはジャージ姿のまま場外競馬場へと出かけていく。

 まともに装えば誰もが振り返るような美人なのであるが、本人を含め、それを知るものはほとんどいない。

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