第34話 生馬麺 1/2

 街路のイチョウ並木が黄色に色づき、吹く風に寒さが交じる頃。

 少し寂れた、しかし、しぶとく生き残る商店街の一角に、間田木食堂はある。


「うーん、サンマの塩焼きと、ラーメンひとつ」

「こっちも塩焼きとラーメン」

「おいらも同じやつー」

「あいよっ! サンマの塩焼き三丁にラーメン三丁っ!」


 客の注文に威勢よく応える赤い髪の女が店主の間田木リョウコである。

 ラーメンを茹でつつ、炭火台の前に立ってサンマを焼いている。漢字で『秋刀魚』と書く通り、秋の味覚の大定番だ。強火の遠火で芯までじっくり火を通す。やがてサンマの表面でぷすぷすと脂が沸騰し、適度な焦げ目がついたら焼き上がりだ。


「はい、お待ちどお。サンマの塩焼きにラーメンだ」


 出来上がったものを提供すると、客たちは一様に首を傾げる。


「うーん、思ってたのと違う」

「これじゃないっていうか」

「旨いことは旨いんだけどねえ」


 そんなことを口々につぶやきつつ、なにやら納得いかない顔でサンマとラーメンを食べてから帰っていくのだった。


「なんでえ、今日はおかしな客ばっかだな。せっかく最高のサンマを仕入れたってのに、何が不満だって言うんでえ」


 半身だけ食べて残されたサンマを見つつ、リョウコは思わず愚痴を言う。

 近年は地球温暖化の影響でサンマの不漁が続いており、穫れてもかつてに比べて身の痩せたものが多い。そんな中、でっぷりと脂の乗ったサンマを仕入れられて上機嫌なリョウコだったのだが、肝心の客に残されてしまってはそんな気持ちもどこかに行ってしまう。


「焼き方が悪いのか、塩振りがいけねえのか……いや、そんなことはねえな。いつもどおりの味だ」


 客の残したサンマの身を指でむしり、味におかしなところがないか確認する。

 自分で思うのも何だが、焼き加減も塩加減も完璧だ。もちろんサンマ自体の質もよく、文句なしに旨い。残される理由がわからない。

 おまけにわからないのはまるでセットのように頼まれるラーメンだ。何を頼むのも客の自由だが、サンマとラーメンというのはなんとも妙な取り合わせである。


「悪霊は、この中にいます!」

「へい、らっしゃ――ああ、トウカか。それ、ひさびさに聞いた気がするなあ」

「反応が薄いっ!?」


 リョウコが腕組みをして悩んでいるところに、食堂の引き戸をガラリと開けて現れた巫女服の少女が稲荷屋トウカである。気鋭の新人除霊師として、全国除霊師ランキングを駆け上がっている売出中の巫女だ。

 そのトウカが、大幣おおぬさをばっさばっさと振りながら、店内を練り歩いた。


「むーん、なんだかもやもやしてよくわからない悪霊ですねえ。いまいち正体がつかめません」

「えー、なんだよそれ。じゃあ臨時休業にして殺虫剤でいぶすかあ」

「悪霊はゴキブリとかとは違いますからね!?」


 あさっての対策を口にするリョウコに、トウカが思わずツッコむ。


「そんなら、どうしたらいいんでえ?」

「とりあえず、霊の正体をはっきりさせましょう。神床かんどこに仰ぎ奉る掛けまくも畏き天照大御神あまてらすおおみかみまことの道を照らし示し不浄の姿を明らかにしたもうことを、かしこみかしこみもうす――破ァ!」


 トウカが祝詞とともに大幣おおぬさを振るうと、食堂の店内がぱっと暖かい光で包まれた。

 すると客たちの身体から黒いもやが抜け出て、一箇所に凝り固まっていく。しかし、明確な姿は現さず、曖昧な輪郭の雲のような何かにしかならなかった。


『サ……ンマ……サンマ……サンマ……メン……』

「やっぱりサンマサンマ言ってるじゃねえか。一体何が不満なんでえ」

「あのー、リョウコさん? 前から言ってますけど、悪霊に不用意に近づくのは……あ、いや、やっぱりいいです」


 しかめっ面をしながら黒い靄に近づいていくリョウコをトウカは引き留めようとするが、すぐにやめる。どうせ言っても聞かないし、なんだかんだでなぜか大丈夫なのが間田木リョウコという女なのだ。トウカはすでに、リョウコを除霊師の一般的な感覚で測ることを諦めている。


「おらっ! 焼きたてのサンマだ! 食えっ! 食えっ!」

『チガウ……チガウ……ソウジャナイ……』


 リョウコが焼きたてのサンマを角皿に載せ、悪霊に向かって押し付けようとするが、悪霊はもやもやとしたまま下がっていくだけだ。その姿は、心なしか怯えているようにも見える。

 トウカはサンマの塩焼きで悪霊を圧倒する人間を生まれてはじめて目の当たりにしていた。


「あのー、リョウコさん? なんか違うみたいですよ? あと、なんか、ちょっとかわいそうです……」

「ちっ、わかりづれぇ野郎だなあ。サンマは焼き立てが旨いってのに。あ、そうだ。トウカがこれ食うか?」

「えっ、いいんですか!?」

「一口も食われずに捨てっちまったらそれこそサンマが浮かばれねえじゃねえか。これはおごるからよ。供養だと思って食ってくんな」

「やったあ! ありがとうございますっ!」


 トウカは差し出されたサンマの塩焼きを受け取ると、カウンターに着座する。

 身の中心に沿って、パリパリと焼けた皮目を割りながら箸を入れていき、頭の根本からしっぽの先まで切れ目を入れると、尾の先端を引っ張ってキレイに骨を抜いた。


「おお、ずいぶん上手に骨を取るじゃねえか」

「えへへ、サンマは大好物だったので、すっかり上手になっちゃいました。それにおばあちゃんも厳しかったんですよねえ」

「そういやあ、箸の持ち方もきれいだな。おっと、その骨、よかったら炙って骨せんべいか吸い物にしてやるが、どうする?」

「ううーん、悩ましいですが、ここはお吸い物で!」

「あいよっ! サンマを食いながら待っててくんな!」


 トウカは中骨のなくなったサンマから、まずは背中の大きな肉をむしる。

 皮ごと口に入れると、パリパリと焼かれた香ばしい皮と、脂のたっぷり乗ったふっくらとした身が舌の上でほどけていく。それはさながら、サンマの魚群が口の中で泳ぐかのようであった。


「むふふー、最っ高のサンマじゃないですか。ここ何年かこんなにおいしいサンマを食べた記憶がないですよ」

「おう、そうだろうよ。ここまで太ったサンマは近頃じゃめっきり見かけなくなったからなあ」

「値段も上がってるし、なんとかなって欲しいですよねえ」


 そんな会話をリョウコとしつつ、次は大根おろしに醤油を垂らす。

 淡い褐色に染まったそれをサンマに載せ、また一口。


「いやー、大根おろしが加わるとまた味わいが変わりますね! 大根おろしの辛味が脂をさっと洗い流してくれて、醤油の風味がまたサンマの味を引き立てます!」

「おう、辛味もそうだが、大根おろしにはリパーゼっていう脂肪を分解する消化酵素が含まれててな、油っ気の多いものとの相性がバツグンなんだ」

「あれ? 大根は消化に良いって聞きますけど、入ってるのはアミラーゼじゃなかったでしたっけ?」

「もちろんアミラーゼも入ってるぜ。ただ、こっちが分解するのはでんぷんだ。餅に大根おろしを絡める辛味餅なんてぇのがあるが、昔の人はこういう食い合わせのよさを知ってたんだなあ」

「むふう、何にでも理由があるんですねえ」


 話しながら、トウカは小骨も内臓も気にせずもりもりとサンマを食べていく。

 ものの数分で、皿の上にはサンマがいた形跡も残さずに消え去った。


「おお、そうやってきれいに食ってくれるとうれしいねえ。ほら、サンマの骨の吸い物もお待ちどお」


 リョウコがトウカの前に椀を置く。

 茶色くこんがり焼かれたサンマの頭と中骨が黄金色のスープに浸っていた。炙ったサンマの中骨に、間田木食堂の基本の味である鰹節と昆布の出汁を注いだだけのものである。


「塩味はだいぶ薄いからな。好みで醤油を垂らしてくんねえ」

「あつっ、あつっ。むわー! 炙った骨の香ばしさがたまらないですー!」


 トウカは汁を飲みつつ、サンマを頭からバリバリとかじってしまう。

 気がつけば、椀の中身はすっかりなくなり、洗ったかのように綺麗さっぱりとしていた。


「ふうー、ごちそうさまでした。やっぱり旬のサンマは最高ですねえ」

「頭まで食っちまうやつはなかなかいねえけどな。ま、これでサンマも浮かばれるだろうよ」


 リョウコが片手で手刀を切り、トウカが両手を合わせてごちそうさまでしたとつぶやく。

 すっかり満足したトウカは、鼻歌交じりに店を出ていこうとした――そのときだった。


『アノウ……ワタシハ、ドウスレバ……?』

「「あ、忘れてた」」


 おろおろとその身を震わせる悪霊を見て、リョウコとトウカは同じ言葉を発した。

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