第23話 未知との釣行 1/5

「かーわーはーぎー! カワハギが食べたいですー!」

「へい、らっしゃ……って、またオメェか! 今度釣れたらって言ったろうが!」

「今度っていつですかー? 何時何分何秒、地球が何回周ったときー?」

「ぐっ、釣りってのはなあ。運も絡むんだよ」


 ここは古くからある商店街の片隅、間田木食堂。

 コンビニやスーパーも進出しているが、なんやかんやと生き残っている店も少なくない、しぶとい商店街である。


 その食堂で、巫女服の少女が駄々っ子のように大幣おおぬさを振り回していた。

 お盆の手伝いの報酬となるはずであったウマヅラハギが食べられなかったことを拗ねているのだ。忙しさに紛れて、1匹しかないそれをうっかり客に出してしまったのである。


「きーもーじょーうーゆー。肝醤油が食べてみたかったんですー」

「むむむむむ……」


 リョウコとて約束を破ってしまったことに後ろめたさはある。

 それに肝醤油だ。新鮮なカワハギやウマヅラハギの肝醤油の旨さは他に代えのきかないものである。白子やアン肝を裏ごしして醤油に混ぜてみたりと代替品の模索もしたのだが、それはそれで旨いもののカワハギのそれとはやはり違っていた。


 リョウコは三白眼でカレンダーをにらみ、定休日を確認してからぽつりと尋ねる。


「……明後日、空いてるか?」

「明後日ですか? 除霊の依頼もないし、空いてますよ」

「よし、釣りに行くぞ」

「えっ、釣りですか?」

「朝4時に店の前に集合な。道具は貸すから手ぶらでいいぞ」

「えっ、4時!? 朝っていうか深夜じゃないですか!?」

「釣りってなぁそういうもンなんだ」

「っていうか、なんで釣りに!?」

「決まってんだろうが――」


 リョウコは、そこで一息溜めて、三白眼の視線の先をトウカに変える。


「オメェに釣りの大変さをわからせるためでい!」

「ええー!?」


 というわけで、トウカはリョウコに連れられて、生まれてはじめての釣りに行くことになったのだった。


 * * *


「うわー、朝日がきれいですねー!」

「写メ撮ってる場合じゃねえぞ。竿振れ、竿」

「ええー、こんなにきれいなのに」

「日の出の前後は朝マズメつってな。魚が朝飯を食う時間だから釣れるんだよ。こんなときにサボって写真撮ってるやつなんかは釣り人失格だ」

「へえ、そんなのがあるんですねえ」


 間田木食堂から車を走らせること1時間ほど。

 リョウコの運転するワゴン車に乗り、ふたりは海沿いの堤防に来ていた。

 堤防の上にはフィッシングジャケットを着込んだリョウコと、いつもの巫女服姿のトウカしかいない。リョウコによればここは秘密の穴場で、他の釣り人が現れるのを見たことは一度もないそうだ。


「車で普通に来れたし、他の釣り客がひとりもいないなんて不思議ですねえ」

「普通過ぎて釣れるなんて思わねえんだろ。っておい、竿引いてるぞ」

「えっ、ホントですか!?」


 トウカは慌てて竿を引くが、何の手応えも感じられない。

 そのまま引き上げてみると、エサのない針だけが海面から虚しく姿を現した。


「あーあ、エサだけ持ってかれたな。ほら、こっち寄越しな。エサつけてやっから」

「ううー、ありがとうございます。それにしても釣りって難しいですねえ」

「はっはっはっ、少しは大変さがわかったか。とくにカワハギはエサ取りの名人でな。ちょんちょんってアタリが来たら、さっと引かなきゃ逃げられちまうんだよ」


 リョウコは笑いながらトウカの竿にエサを付けていく。

 エサは解凍したアサリのむき身だ。3つの針に手際よくエサを付け終えると、トウカに投げていいぞと促す。


「むうー、このまま釣れないのは悔しいです。ちょっと本気で集中しますよ!」

「おうおう、集中しろ。がんばらねえと昼飯抜きになっちまうぞ」

「それだけは絶対ダメです!」


 今日は朝食用に握り飯を持ってきているが、昼の弁当は用意していない。

 釣った魚をそのままさばき、昼食にする皮算用なのである。


 昼食抜きなどありえない――そう思ったトウカは、ゆっくりと深呼吸をし、小声で祝詞を唱えながら大気とその身を一体化させていく。朝日がその黒くしなやかな長髪をきらめかせ、巫女服の袖が潮風をはらんでたなびく。

 人懐っこい大きな瞳を半眼にし、波に漂うウキを見つめ、竿を操る指先に神経を集中する。重りが海底を打つ感触。ちょんと竿を引き、細かく震わせる。海中の仕掛けが潮に揺られている。周期的なそれに混じって、違和感のある流れ。何かがエサの周りを探っている。興味を持ったようだ。しかし警戒している。

 試すように口先でエサをつつく。二回、三回。何もない。罠はないようだ。海中の何かが少し大胆になる。大きくかじり取ろうとエサに向かった瞬間――


「いまですっ!」


 トウカが引いた竿の先には、一匹のカワハギが見事に食いついていた。

 針にぶら下がってぴちぴちとその身を揺らし、朝焼けの空で飛沫を散らしている。


「おおおお! すげえじゃねえか、30センチ級だぞ!」

「えへへへ、本気を出したらこんなもんですよ」

「初心者に釣れる魚じゃねえんだけどなあ。いや、トウカ、お前マジで釣りの才能あるかもしれねえぞ」

「この天才除霊師に不可能などないのです!」


 実際、そこからのトウカは凄まじかった。投げるたび、投げるたびにあっという間にカワハギを釣り上げるのだ。しかも、どれも20センチ以上はある良型りょうかたである。

 途中からリョウコも自分の釣りを切り上げて、トウカのサポートに回っていた。まさしく絵に描いたような爆釣ばくちょうである。


 そんなこんなで小一時間。

 朝日がすっかり昇って朝マズメが終わったのか、さすがのトウカの竿にも何もかからなくなってきた。トウカが欠伸をしたとき、手に持つ竿が大きくしなった。


「むぐぐ……こ、これは大物ですよ……!!」

「あー、こりゃあ地球を釣っちまったんじゃねえのか?」


 竿の異様なしなりにリョウコは眉をひそめる。

 地球を釣るとは、釣り人の用語で根掛かりのことだ。釣り針が海底の岩場や海藻、ゴミなどに引っかかって外れなくなってしまうことを指す。

 絶好調時のトウカには海底の様子まで手に取るようにわかっていたのだが、集中を続けた結果すっかり疲れきっていた。もはや何がかかっているのかさっぱりわからないが、その重みにだけひたすら興奮している。


「かしこみかしこみも申す! 天手力男命あめのたじからおのみことさま、お力をお貸しくださいっ!」


 トウカは残り少ない霊力を振り絞り、その身に神気を宿す。

 天手力男命とは、太陽神天照大御神あまてらすおおみかみが引きこもってしまったときに、天岩戸あめのいわとをぶん投げたという力持ちの神様だ。断じて、釣りごときで気軽に助けを呼んでいい存在ではない。


 しかし、トウカの祈りは通じたようだった。

 両腕に力がみなぎり、竿を一気に引っこ抜く。

 そして激しい水しぶきとともに、海面を突き破って謎の物体が釣り上げられた。


「なんですかねえ、これ? 貝……ですか?」

「いや、貝じゃねえだろ。しかし、ゴミにしちゃやけにキレイだなあ」


 首を傾げる二人の目の前には、両手で抱えるほどの大きさの銀色の円盤があった。

 中華鍋を2つ合わせたような形のそれは、陽光を照り返してきらきらと輝いている。


「でも、なんか動いてますよ?」

「おお、マジだ」


 円盤はぶるぶる、ぶるぶると細かく震えている。

 そして突然ガタンと大きく揺れると、プシューッと白い蒸気を放って二枚貝のようにパカッと開いた。白い煙の向こうから、何かの姿が見えてくる。


『ワレワレハ、宇宙人ダ』


 円盤の中には、銀色の小人が数十人ぎっしりと詰まって、その黒い目をトウカたちに向けていた。

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