第17話 メリーさん 1/2
「へえ、この水晶玉に透かして馬ァ見ると調子がわかるってのか」
「はい、こちらにはナノテクノロジーを応用した特殊な加工が施されていまして、生き物がまとっている生命オーラを見ることができるのです」
通行人もまばらな昼下がりの商店街の片隅。
古びた定食屋である間田木食堂で、紺のスーツを着た七三分けの男と赤髪の女、間田木リョウコが向かい合って話していた。
二人が挟んだテーブルの上には、よく磨かれた水晶玉が置いてある。その脇には、恰幅のいい男性が札束で満たした風呂に入って美女を侍らせている写真がデカデカと掲載されたパンフレットが添えられていた。
「むうう、しっかしちぃと高けぇんだよなあ」
「いまならローンも可能ですよ。今日契約していただければ、金利・分割手数料はすべて当方が負担致します。それに、これくらい一度万馬券を当てただけで回収可能じゃないですか」
「たしかにそうだなあ」
「ご納得いただけましたね。ではこちらの書類にサインを――」
「悪霊……じゃない、悪徳業者はこの中にいます!」
建付けの悪い引き戸をガラリと開けて現れたのは、巫女服の少女だった。
「この水晶が10万円? 霊力もまったく感じませんし、水晶じゃなくてガラス玉じゃないですか。インチキにしたってほどがありますよ!」
「イ、インチキとは何ですか! 突然現れて、あなたこそ失礼にもほどがあります。一体何様のつもりですか!」
「ふふふ、何様だとはよく聞いてくれました。私こそが新進気鋭の天才除霊師、
「げえ!? 本物の除霊師!?」
七三分けの男は泡を食って水晶をしまうと、ほうほうの体で食堂から逃げ出していった。
「あーあ、行っちまった。せっかくの儲け話だったのに……」
「何が儲け話ですか! リョウコさんは騙されやすすぎます!」
リョウコは未練がましい目で男が残していったパンフレットを見ている。
トウカはそれをひったくってぐしゃぐしゃに丸めながら叱るのだった。
「えー、でもよう、あの水晶を使えば馬の体調がわかるってンだぜ?」
「そんなのは前走からの体重変化、追い切りのタイム、トモ(馬の太もも)の張り、騎手との折り合いなんかを見てればわかるじゃないですか! だいたい、馬の体調がわかっただけで勝てるほど競馬は甘くないですよ!」
トウカは間田木食堂に通ううちにすっかり競馬通になっていた。
常連の
「そんなやいのやいの言うなって。オメェはあっしのおふくろかい?」
「あれを見てれば心配にもなります!」
トウカが指した先には、間田木食堂をはじめて訪れたときから飾られている奇妙に捻くれた壺やら極彩色の仮面やら招き猫やらなんとも醜怪な笑みを浮かべる七福神像などが並んでいた。いまやそれだけではなく、西洋人形やら日本人形、謎の木像に判読不能の文字が書かれた御札などが加わっている。
「だいたい、あんなものを並べてるから詐欺師にカモだって思われるんです。いい機会ですから、ぜんぶ捨てますよ!」
「えー、でもさ、けっこう高かったんだぜ?」
「高かろうが安かろうがゴミはゴミです! それにあのスペースを空ければテーブルがもう一個増やせるじゃないですか。不気味なオブジェを並べておくより売上も増えますよ!」
「なっ、売上が増えるのか!?」
「それがわからずに食堂をやってるリョウコさんに驚きますよ……」
そんなわけで、間田木食堂の一角を占めていた霊感グッズの山はその日をもって撤去されることに相成った。
* * *
その明くる日の晩である。
除霊の仕事を終えたトウカは、間田木食堂に遅い夕食に訪れていた。
「はい、間田木食堂。はい、はい、いま駅前ね? そのまま商店街をまっすぐ進んでもらって、途中で肉屋と銭湯があるから、それを通り過ぎて――ありゃ、切れちまった」
色あせたピンク色の受話器を置いたのはリョウコである。
いまでは見かけることもめったにない、十円を入れてダイヤルを回すタイプの大きな電話機だ。間田木食堂では先代から置いてあるこの電話機を、いまも大事に使っていた。
「電話なんて珍しいですねえ」
「うちは予約するような店じゃあねえからなあ」
洗い物に戻るリョウコに、トウカは生姜焼き定食を食べながら話しかける。
薄切りの豚バラ肉を玉ねぎと一緒に炒めた素朴な一品だ。焼く直前におろした生姜とにんにくで香りを際立たせている。砂糖とみりんをたっぷり使った甘めの味付けが間田木食堂の生姜焼きの特徴だ。
――ジリリリン、ジリリリン
またしても電話が鳴る。
リョウコは前掛けで手を拭って受話器を取る。
「へい、いま肉屋の前? そのまままっすぐで、銭湯を過ぎたらすぐなんで。右手側っすね。もう5分も歩けば着きますぜ」
そんな調子で、数分おきに電話が鳴る。
リョウコはそのたびに手を拭って電話に応対していた。
「おんなじお客さんですか? ずいぶん心配性なんですねえ。駅からここまでまっすぐなのに」
「土地勘がなけりゃ仕方ねえだろ。この時間は商店街のシャッターもほとんど閉まってやがるしな。本当にまだやってるのか
――ジリリリン、ジリリリン
「はい、間田木食堂。いま店の前? はいはい、入ってもらってかまいませんぜ」
リョウコは受話器を置き、ガラリを引き戸を開けた。
しかし、そこには誰も見当たらない。
イタズラかと思い戸を閉めると、再び電話が鳴った。
「はい、間田木食堂」
『――もしもし、わたしメリー。いま、あなたのうしろにいるの』
リョウコが振り返ると、そこには腰ほどの高さの西洋人形が立っていた。
その身をカタカタと震わせながら、片手に持った赤錆びた包丁をゆっくりと振り上げていく。
「おう、らっしゃい! 気が付かなくてすんませんしたね。ここに座ってくんねえ」
しかし、リョウコはにこにこ顔でカウンターの椅子を引いた。
「お客さん、ツイてるねえ。今日は売り切れがあんまなくってね。なんでも好きなもんを頼んでもらえますぜ」
『もしもし、わたしメリー。メリーさんなんだけど、状況わかってる?』
「へえ、メリーさんっておっしゃるのかい。最近メアリーさんって常連も増えてねえ、うちの海外のお客さんにまで知られてきたんですかねえ。グローバル化、って言うんですかい? ありがてえこって。ささ、遠慮なく座ってくんねえ」
リョウコは西洋人形をカウンターに座らせて手を洗う。
その様子を見ていたトウカは、思わずぽつりと洩らした。
「あ、リョウコさんまたこれわかってないやつだ」
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