第4話 魔境蜂-3

「だ、誰だ……!」


 ティーダの問いに、男は答える。


「私ですか? 私の名前はゲオルクと申します……。魔境蜂の飼育係などをやっております」


「飼育係、だと……?」


 ゲオルクと名乗る男は、足首まで丈のある黒い衣服を着ていた。

 不健康そうな青白い肌に、色褪せた銀髪。

 顔に刻まれた皺の数から見て、年齢は40歳を超えているだろう。

 

 ゲオルクは、ギョロリとした四白眼でティーダたちを観察する。

 

「〈測定〉」


 測定のスキルを発動し、ゲオルクはティーダたちの情報を読み取っていく。

 

「80レベルのクレリックに、81レベルのソードマンとボウマスター……。そして毒を受けたのが、82レベルのインファイターですか」


「まさか、魔境蜂はお前がこの森に持ち込んだのか!」


「はい、そうですよ。しかし、あなたたちは中々の高レベルですねぇ……」


 丁寧だがどこか人を小馬鹿にしたような口調で、ゲオルクは続ける。


「働き蜂ではなく、毒を持たない普通のオスが相手ならば! ……あなたたちは無事、逃げ切れたかもしれません。しかし誠に残念ながら、大森林で狩りを行っている個体は皆、毒を持つ働き蜂なんですよねぇ……」


 そう言って、ゲオルクは右腕を横へと突き出した。

 すると、頭上から1匹の魔境蜂が飛んで来て――

 

「……えっ!?」


 ――攻撃をすることもなく、魔境蜂はゲオルクの腕に止まった。

 

(こいつ、どうして魔境蜂に襲われないの……!?)


 目の前の不可解な出来事に、クリスは狼狽を隠せない。

 認めたくないが、この目で見た以上、クリスは認めなくてはならなかった。


「あんた、まさか魔境蜂を操れるの……!?」


「ええ、そうですよ。全てはあの方がくださった、この指輪のおかげです」


 ゲオルクは自らの左手へと視線を落とす。

 その親指には、深緑色の宝石が装飾された指輪がはめられていた。


「その指輪……。見たことない魔法道具ね」


「あなたが見たことないのは当然ですよ。これは調合品ではなく、正真正銘の製作品……。リエルクの民にしか作り得ない魔法道具なのですから」


「製作品だと……!? そんなもの、どうして……!」


「さて、せっかくの高レベルの冒険者です。無駄にしてはいけないので――」


 ティーダの問いを無視し、ゲオルクははっきりとこう言った。

 

「――4人まとめて、幼虫の餌になってもらいましょうか!」


 次の瞬間、ゲオルクの立つ後方の木々から、魔境蜂が一斉に姿を現した。

 その数は優に20匹を超えており、そのどれもが戦闘態勢に入っている。


「そっ、そんな……! まだこんなにいるだなんて……!!」


 アッシュは毒を受けて戦闘続行不可。

 マキとクリスは先の戦闘で魔力をだいぶ消費している。

 ティーダはそもそも、空を飛ぶ魔境蜂との戦闘相性が絶望的に悪い。

 

 この、圧倒的に不利な状況。

 打開する策がすぐに思い浮かぶわけもなく。


「こっ、この……! アッシュから離れろ!」


 ティーダは剣を振り回し、倒れ込むアッシュを庇いながら戦うが――。

 

「あっ……!」


 数匹の魔境蜂が斬撃を躱し、ティーダの体にしがみつく。

 そして鎧の隙間目掛けて、次から次へと毒針を突き刺していく。


「おッ、おおおおおおおおおッッッ――!?」


 直後、喉が潰れかねないほどの絶叫が辺りに響き渡る。

 

 大量の毒を受けたティーダは今、体が内側から焼かれるような激しい痛みに襲われていた。

 激痛のあまりティーダは白目を剥き、だらしなく開いたその口からは、涎が零れ落ちる。


「いっ、いや……! お願いだから、来ないでぇぇ……!」


 目の前で悶え苦しみ、倒れ込むティーダの姿を見て、マキは戦意喪失する。

 ガタガタとその華奢な体は震え、迫りつつある命の危機に恐怖し、怯えていた。


 しかし、魔境蜂はマキの命乞いに答えてはくれない。

 

 人語が理解できないのはもちろんのこと、魔境蜂には感情が存在しないからだ。

 どんなにマキが恐怖し、同情を誘ったところで、魔境蜂はその感情に対する一切の配慮も行わない。……いや、行えないのだ。

 

 魔境蜂たちにあるルールは至って単純。

 特定の刺激を特定の感覚器で感知し、特定の行動をする。ただそれだけだ。

 そこには感情などの余計なファクターが入り込む余地は、露ほどもない。


 よって、マキが泣き叫んで助けを求めてもまるで意味はなく。

 それはむしろ、魔境蜂の警戒心と攻撃性を高める刺激としか認識されず――


「――んっ、あああぁっ……!!」


 ――ついにはマキも、背中に毒針を突き刺されてしまう。


「あっ、あああっ……」


 黄色い液体がマキの白い太腿を伝い、地面を濡らしていく。

 マキは失禁していた。

 恐怖による失禁ではない。毒により、マキの全身の筋肉は弛緩していたのだ。

 

 踏ん張る力を失い、尻餅をついて倒れ込むマキ。

 自身の尿で濡れた地面に倒れ込んだことで、着ていた衣服が汚れてしまう。

 

 しかし、そのことを気にする余裕はもう、マキに残されていなかった。

 

「あ――――」


 倒れ込んだマキに、数匹の魔境蜂が覆い被さっていく。

 

 腹部、胸部、大腿部、肩部――。

 マキの体のあらゆる部位に毒針が追加で刺され、マキの体内に大量の毒液が注入されていく。

 

「あっ、んぐっ、あああああああああッッッ――!!」


 激痛に激痛を足され、致死量を遥かに超えた毒を受け、マキは絶叫する。

 マキの体から魔境蜂が飛び去った時にはもう、その瞳からは光が失われていた。


「嘘よ……。こんなの、嘘に決まってるわ……」


 仲間たちが毒で苦しみながら死んでいく様を見せられ、クリスは呆然と立ち尽くしていた。

 

 当然、クリスは仲間を助けようとはした。必死に攻撃を繰り出していたのだ。

 しかし、今のクリスにはもう残された魔力がわずかしかなかった。

 魔境蜂に対抗できる手段がなくなってしまったのだ。


「さて、私は先に巣へ帰るとしますか。キメラの調整も行わないといけませんし」


 まるで何事もなかったかのように呟き、ゲオルクがこの場から去っていく。

 

 ゲオルクが去ってもなお、魔境蜂は居残ったまま。

 なぜなら魔境蜂には、まだ仕事が残っているからだ。


「え……? なっ、何を……」


 魔境蜂はクリスの元へ向かっては来なかった。

 魔境蜂が向かった先は、3人の死体。

 

「何を、して……?」


 1人の死体につき、3~4匹の魔境蜂が群がっていく。

 そしてその強靭な顎を使い、魔境蜂は死体の四肢を噛み砕き始めた。


「あ、あああああ……!」


 それはあまりにも凄惨な光景だった。

 

 魔境蜂は顎を器用に用いて、死体から肉を切り取っていく。

 衣服や防具は剥ぎ取られ、大量に流れ出る血は地面を赤く濡らしていく。

 3人の死体はどんどん変わり果てていき、醜い肉塊のようになっていた。

 

「うっ……げええええええッ!!」


 変わり果てた仲間の姿を前にし、クリスはその場で嘔吐する。

 しかし、魔境蜂は何も、クリスに精神的なダメージを与えるためにこのような行いをしたわけではない。


 魔境蜂はただ、狩った獲物を幼虫が食べやすいように加工していただけなのだ。


「ティーダ……。アッシュ……。マキ……。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 3人の肉で作られた肉団子を、数匹の魔境蜂が掴み、飛び去っていく。

 

 この場に残った魔境蜂の数は4匹。

 4匹の魔境蜂は、うわ言のように謝罪を繰り返すクリスに躙り寄る。

 

「え……? い、嫌……。しっ、死にたくない……!!」


 魔境蜂が飛び立つ寸前――。

 残った力を振り絞り、クリスは強く地を蹴った。

 

(死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……!)


 クリスは夕暮れ時の森の中を全力で駆けていく。

 心臓がはち切れそうになっても、肺が焼けるように熱くても、立ち止まるわけにはいかなかった。

 

 まだ、死にたくない。その一心でクリスは前へと走り続ける。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 どれだけ走り続けたのだろうか。

 走る速度はすっかり遅くなり、クリスの体力は限界を迎えようとしていた。

 

 追ってくる魔境蜂の羽音は……聞こえない。

 

(逃げ、切れたの……?)


 まだ森を抜けていない以上、安心はできない。

 クリスは立ち止まり、わずかに聞こえる音も逃さないように耳を澄ます。

 

(この音は……)


 聞こえてきたのは、何かの足音。


(獣の足音じゃないわね。これは、人の足音……?)


 クリスは周囲に警戒しつつ、足音の主へと近づいていく。

 とにかく、あのゲオルクと名乗る男以外なら誰でもいい。

 誰でもいいから、クリスは自分を助けてくれる存在を求めていた。

 

「あっ…………」


 そしてクリスが見つけたのは、一人の青年だった。

 青年は黒の短髪で、白いシャツと黒いズボンを着用していた。

 手には武器も何も持っておらず、あまりにも無防備な格好をしている。

 

 それでも今のクリスにとって、青年との遭遇は心強いものだった。

 

(村人、かしら……? 素性はわからないけど、とりあえず声を――)


 その時、再び羽音が聞こえ始めた。

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