欠落した男

Meg

前編

「……あ……、ぅ……」

「ぅぅ……、……う……」


 肉塊にくかいがいくつもつるされた、鉄くさいこの部屋にいると、うめき声がきこえるような気がする。


「ふふふ」 


 心できく、たえなるしらべだ。

 台の上に、男を大の字にしばりつけた。さるぐつわをされており、うーっ、うーっ、とうなっている。男のはきもののまたのあたりが、じわりとぬれた。

 あきれて、ぬれたはきものを脱がせ、布でごしごしとふいてやる。


「ちょっとお。くさくなっちゃうじゃない。おしっこくらいがまんしてよね。おとななんだから」


 小言を言いながら、上着も脱がせる。


「せっかくいいところだったのに。特別に、ていねいにやってあげる」


 するどい刃物を男の皮膚ひふにあて、毛でもるように動かした。さくっと切れる感覚が、ここちいい。

 男が絶叫し、しばられたまま、はげしくのたうつ。


「ふふふふふ」


 楽しいなあ。


 この趣味をはじめたのは、一年前かそこら。どうしてもっとはやくから知らなかったのだろう。




 うららかな朝、のんびりとした空気につつまれ、ここちよさに自然と口角があがる。

 若い役人のおう進賢しんけんは、同僚と一緒に県府の門をくぐろうとした。ここ、湛州たんしゅうの田舎町は、毎日平和だ。

 門の前を、腰のまがった老婆ろうばが、饅頭まんじゅう売りの看板と、饅頭の入った箱をせおい、とおりすぎた。途中、帯からたれるかざりのぎょくを、ぽとりとおとした。

 進賢しんけんはすぐさま老婆にかけより、玉をひろいあげる。


「おばあさん、おとしものだよ」

「ああ。気づかなかった。娘からもらったものなのに。ありがとね」

「そっか。朝からごくろうさま。おいしそうな饅頭だね。ひとついいかな?」

「まいど」


 進賢は、老婆から饅頭をわたされた。そこで、もうしわけなさそうに見えるよう、頭をかいてみる。


「あ、ごめん。持ちあわせがなかったんだ。饅頭はかえすよ」

「そんならおだいはいいよ。あんたは親切な人だし」


 老婆はのんびりと歩いていった。進賢はにこにこしながら、手をふってみおくる。

 同僚どうりょうが、

「進賢はお人好しだな。気づかないふりをしてぎょくをいただいちまえばよかったのに」

「そんなの、悪党あくとうがすることじゃない。ひどいな」

「そうかよ。ところでおまえ、持ちあわせがないなら、今日の県府での賭事かけごとはできないのか?」

「できるよ。ほら」


 進賢はふところからぜにをとりだし、同僚に見せた。


「なんだ。うそをついたのか。おまえも悪党じゃないか」

「うそじゃないよ。饅頭を買うための持ちあわせはないっ、て意味だったんだから。賭事かけごとは僕の唯一の娯楽ごらくなんだからね」


 進賢は大まじめに言う。


 同僚はすこしけげんに思った。



 

 県府けんふの建物の入り口の前の、石の段差だんさに、進賢しんけんはすわりこんだ。今日はとくに仕事がなく、することがない。

 老婆から買った、饅頭まんじゅうのうす皮をむく。


「よく見たらおいしくなさそう」


 ぽいっとそれを地面になげすて、ごろんと寝そべった。


「あーあ。退屈」 


 進賢の家の者は、代々この県府の役人をしていた。自分も親のツテで、ここにつとめている。

 仕事は、犯罪がおこったとき、犯人を取り調べ、郡府ぐんふ上奏じょうそうすること。

 だが、この県でおこる犯罪といえば、貧乏人がけちな盗みを働くくらい。罰はだいたいむちうちでおわる。大事にはなりえない。

 北方や西方は、国境を接した異民族国家の脅威きょういにさらされているが、南の湛州たんしゅうは無縁で、それも大事にはなっていない。


 進賢は、自分の人生は順風満帆だと思っていた。

 仕事もあり、家族もいる。いごこちは悪くない。仕事や家族やまわりの人がなにより大事だというそぶりをすれば、世間も簡単にほめてくれる。

 けれど、なにかがたりない。みたされない。毎日退屈でしかたがない。ものごころついたときからそうだった。

 自分はしあわせなはずなのに、どうしてなのだろう。


「なにかおもしろいことでもおきないかなあ」


 突然、どかどかと、おおぜいの人が門をくぐった。


「おゆるしください! つい出来心で」

「だまれ!」


 おきあがる。

 建物の前に、みずぼらしい男がひったてられ、ひざまずかされた。

 進賢の前に、ひときわ上等な服をまとう、いかにも身分の高そうな男がでてくる。


「ここの取り調べ官はだれだ?」

「僕ですけど」

「わしは都の貴族である」

「これは失礼しました」


 すぐさまひざをつき、ぬかずく。


「この者はわしの遊行中に、わしの荷物を盗もうとしたふとどき者だ。厳罰に処せ」


 ひったてられた男は泣きさけんだ。


「母が病気で薬代がほしかったんです。俺の家は貧しく医者もよべないんです」

「いいわけをするか。よい根性だ」


 貴族は進賢にむかい、横柄おうへいにめいじた。


「この男に生皮なまかわをはぐ刑をあたえよ」

「ええ? そんなの、前例がありません」


 あわてふためくと、どなられる。


「はやくしろ!」


 貴族はだだっ子のようにわめいた。

 従者に、するどい刃物をわたされる。

 男は地面にとりおさえられ、大あばれしている。


「もう二度としません。おゆるしください」

「わしをだれだと思っている。取り調べ官よ、県府けんふがどうなってもいいのか?」


 進賢は、わたされた刃物をまじまじとながめた。


「……そっか。県府のためならしかたないよね」


 刺激的で、楽しそう。


「おゆるしください! おゆるしください」


 刃物をにぎりしめると、男にむかい、こぶしをにぎってみせた。


「僕、こういうのはじめてだから、きみはすごく痛いと思う。けどがんばって。僕もがんばるから」


 はじめて同士でたいへんだから、はげましあわないとね。

 

 男の悲鳴が県府中にひびきわたった。



 

 それからしばらくのちのこと。

 県府で、進賢はしばられた罪人を前にした。書類を見ながら上司に提案する。


「この者は皮はぎの刑がよいかと思います」


 罪人がぼうぜんとした。上司はおどろき、周囲がざわつく。


「この者はまずしさから隣人の食糧しょくりょうを盗んだだけだ」

「皮はぎなんて大仰おおぎょうすぎる」

むちうちで十分では?」


 上司や周囲の、びっくりしたような顔を見て、刺激をもとめる心をおさえた。

 このままでは自分が悪者にされてしまう。


「そうですよね。僕はどうしても悪がゆるせないたちなので、つい行きすぎた考えをしてしまいました」


 しょんぼりと、もうしわけなさそうなふりをした。


「そ、そうか。きみはまじめすぎるたちだからな」


 上司や周囲はほっとしたようだ。

 上目でかれらを観察する。

 つまんないの。

 もっとおもしろいことをしよう。

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