3回裏 新生、硬式野球部

Bottom of 3rd ininng ―新生、硬式野球部―


 珠音が復帰してからの硬式野球部は、それまでの1週間で見せていた士気の低さが嘘のような活気を見せ、基礎トレーニングの反復ながら練習効率も上がっている様子は、周囲から見ても明らかである。

「どんな時でもこれくらいの覇気を見せてくれれば......」

 キャプテンの野中は部員たちのあからさまな様子に思わずボヤきと溜め息を漏らしたが、彼自身も珠音の復帰によりやる気を取り戻したことは否めない。

「...取材?」

 鎌倉大学附属高校の硬式野球部が日常を取り戻してから数日、昼休みに鬼頭から呼び出された珠音は、突然の申し出に飛び上がりそうになった。

「あぁ、月に2~3回程刊行している地元の小さな新聞社なんだがな。鎌倉新聞って、聞いたことくらいはあるだろ」

「あぁ、そこにも置いてありますよね。図書館でも見たことあります」

 鬼頭は整頓された書類の束から1枚のA4用紙が入ったクリアファイルを取り出し、珠音に差し出す。

「今回の湘南杯、全国新聞の地方面や地方新聞には当初から取り上げられることになっていたようでな。大会の後援にもなっているし、事実としてお前は写真付きで掲載されているんだぞ」

「えっ」

 先週末の新聞を見ると、小さな記事だが確かに珠音の投球している様子が写真に掲載されている。

「前の週で好投した情報を得て、注目していたらしい。もちろん、強制的に降板させられた内容までは書かれていないがな。いい写りじゃないか」

 自分が投球している時の様子を動画に録って見ることは度々あったが、改めて画像として自分の姿を見て、さらにはその様子を多くの人に見られていると考えると、少々の気恥ずかしさを覚える。

「地方紙からは取材依頼も来ていたんだが、返答をする前から先方から丁寧にキャンセルの連絡がきたよ」

「何でですか?」

「理由は言っていなかったが、恐らくは裏から手が回ったのかもしれない。新聞社は連盟の後援だし、相互に影響力を持っていると考えてもいいだろう」

「でも、そしたら何で私の登板情報が新聞に載っているんですかね」

「そこまでは手が回らなかったんじゃないかな。ウェブ版には出回っていないことを見る限り、情報を隠すことはできるが捻じ曲げることはできない。彼らにもマスコミとしてのプライドがあったんだと思うよ」

 舞莉がひょっこりと顔を出し、まるで知っているかのような口調で語る。

「いや、ほんと、水田先輩っていったい何者なんですか?」

「謎のある人間の方が、魅力的だとは思わない?」

 舞莉がわざと官能的なポーズをとるが、先日の琴音とのやり取り程までは様になっていない。所属はしていないが、演劇部としての才能はあまり無いようだ。

「それで、取材の件だがな」

 鬼頭が咳払いをして、話を本題に戻す。

「そもそもこの話を持って来たのが、水田なんだ」

「......ほんと、先輩は何者なんですか?」

「少なくとも今は、新聞部2年の水田舞莉だよ」

「今はって...」

 舞莉は得意げな表情を見せると、珠音に手渡された書類の一点を指さす。

「この人、立花真香―たちばなまこ―って人が新聞部のOGでね。今は”ここ”じゃなくて別の大学に進学しているんだけど、ジャーナリスト目指して鎌倉新聞社でアルバイト記者をしているってわけ。実は八部球場にも来ていたんだよ」

 舞莉がスマートフォンに保管しているツーショット写真を見せてくる。

 見るからに自立心の強さが溢れ出ている女性で、前年の写真で2人が制服姿であることを考えると、珠音から見て3学年上で、今はそのまま進学せずに外部の大学へ進学した1年生のようだ。

「水田、携帯は校内使用禁止だが?」

「まー、そこは見逃してください。先生だって、仕事用のパソコンで動画サイト見ているじゃないですか」

「バっ、あっ、あれは練習方法の検証だ!」

「あはは」

 鬼頭の様子を見る限り、検証以外の使用もしているようだ。

 しまうように指示をすると、没収するような素振りを見せない。

「流石は記者の卵ってところで、スクープの種を敏感に察知したみたいでね。先輩としても母校で活躍する後輩を応援したいみたい。地域紙までは手が伸びないだろうし、君さえよければこの話を受けて欲しいんだけれども」

 珠音は書類に一から目を通し、内容を確認する。

 文章から何かを筆者の全てを読み取れるほどの読解力は持ち合わせていないが、少なくとも真剣な姿勢は感じられた。

「分かりました。私でよければ、」

「そうこなくっちゃ」

 動かなければ、何も動かせない。

 バットを振らなければ、点は得られない。

 前に進むと決めた珠音の表情を、鬼頭と舞莉は満足そうに見つめていた。



 話はトントン拍子に進み、承諾の連絡を出した週末には早くも取材の場がセッティングされた。

「うぅ......寒い」

「こっちの方がポイから、ちょっと我慢してね。はい、カイロあげる」

 地域紙を敢行する小さな会社だけに割けるスタッフの人数は限りなく少ないようで、この日は取材依頼をよこした立花1人がテキパキと準備を進めており、”後輩”の新聞部員たちがその手伝いを担っている。

 野球部が練習場で通常通りの基礎トレーニングに励む中、その様子を背景にして珠音はパイプ椅子に腰かける。

 最も休日とはいえ、野球部員以外の部活動で登校してくる学生はそれなりに多く、グラウンドコートを着込むことなくパイプ椅子に座ってカメラを向けられる珠音の極めて異様な姿は、行き交う人々の注目を集めることとなった。

「うわぁ、みんな見てる......」

「舞莉から話は聞いているよ。君の目指す未来を実現するためには、もっともっとたくさんの人から注目を集めなきゃいけないからね。人の視線は”兵器”にもなり得るから、”平気”になれるよう少しずつ慣れていきなよ」

「は、はぁ......」

 言葉を交わせば交わす程、この立花という人物が舞莉のように感じられてくる。

 似たような雰囲気で、もしかしたら親族ではないかとすら感じられる程だ。

「それじゃ、始めようか」

 準備が整ったところで、立花の言葉を合図にボイスレコーダーの録音ボタンが押され、インタビューが開始される。

 最初は当たり障りの無い内容から始まり、野球を始めた学年や少年野球チーム、中学時代のエピソードなど、立花の話術により次々と珠音の情報や思いが引き出されていく。

「え、お兄さんプロ野球選手なんだ」

「はい、楓山将晴っていいます」

「ちょっと失礼......」

 立花は手持ちのスマートフォンで名前を検索する。

 プロ野球選手ともなれば球団の公式ホームページだけではなく、ウェブ百科事典にもページが作成されるため、簡単な情報ならばすぐに手に入る。

「へー、静岡サンオーシャンズの捕手なんだ。それなりに出場機会も貰っているみたいだし、掲載されている記事にも将来の正捕手として期待されているって書いてあるよ」

「ありがとうございます。野球を始めたきっかけも、おに...兄の試合を見に行ったのがきっかけで」

「おー、その微笑ましいエピソード、貰い!」

 インタビューは順調に進み、気が付けば野次馬は更に増え、チームメイトも練習の手を止めて見守る始末である。

「さて、地域紙に掲載する分はここまでの取れ高で十分かな」

 インタビュー開始から小一時間。

立花はノートに満載した情報に目を通しながら、満足そうな表情を見せる。

「掲載する分?」

 立花の含みを持たせたコメントに、珠音は首を傾げる。

「これまでは鎌倉新聞のアルバイト記者、立花真香としてインタビューさせて貰ったからね。ここからは、フリージャーナリストの立花真香として話を聞かせてもらうよ」

 立花の瞳は寒さにも負けず、活き活きとしたように見える。

「前情報として例の音声データは聞かせてもらっている。ちなみに、湘南義塾の3番打者が連盟理事の孫って情報をあげたのは何を隠そう、この私だよ」

 得意げな表情を見せる立花と、その後ろで含みを持たせた笑みを見せる舞莉。

 出会ってまだ間もない2人だが、出来ることなら敵対する存在にはなりたくないと、珠音は心から思った。

「私も決して高校野球に精通しているわけではない。増してや、その環境下の女子選手の現状とくれば、尚更だね」

 立花は別のノートを取り出し、調べた情報を語り始める。

「女子の高校硬式野球って、連盟の発足自体がまだ最近なんだね。連盟発足が1998年、女子野球協会に至っては2002年で、社団法人として改組されたのが2014年か」

 中には珠音の知らない情報も多く、改めて勉強させられることも多い。

「男子では激戦区の神奈川でも、そもそも女子野球部のある学校はそうそうないんだね。徐々に増えてきているとはいえ、全国で見ても40校ちょっと。競技人口が少ないのは仕方がないけど、女子選手の受け皿として環境は決して良いとは言えない。ワールドカップで日本は優秀な成績を収め続けている割には、その土台は決して盤石な物とは言えないんだね」

「よく調べていますね」

 珠音は素直に感嘆の意を表す。周囲の男子部員でも、改めて驚きの声が上がっていた。

「ありがとう、調べものが好きなの。失礼かもしれないけど、まだまだ未開拓、未発展のジャンルだからね。調べれば調べるほど好奇心が沸くし、キーワードとして別の事柄を調査してみると、今まで感じることすらなかった疑問も多く出てきたんだ」

 立花は嬉しそうな表情を見せ、自分の取材ノートのページを1枚1枚捲っていく。

「最初は単なるスクープの種程度にしか思っていなかったけど、今は違うかな。これだけ心躍らせるニュースに出会わせてくれた珠音ちゃんには、感謝しているよ」

「いや、別に感謝されるようなことは何も......水田先輩のおかげです」

 ストレートに謝意を伝えられ、珠音は気恥ずかしさを覚える。

「いいの、勝手に感謝させて。あと、舞莉には別の目的がある様な気がする。何なのかは分からないけど、これは記者としての勘ね。あの娘はあっけらかんと話すけど、一つ一つの言葉を大切に選んでいる。飄々と話すことで言葉の裏側にある外連味を隠しているように感じられるわ。まぁ、人には隠し事の一つや二つはあるでしょう。たとえ、ただの女子高生であってもね」

 立花がちらりと視線を送ると、舞莉はまるで気が付いていないかのような表情を見せる。

「それじゃあ気を取り直して、第2弾といきましょうか」

「はい」

 事前情報や前置きが必要なく、聞きたい情報も限られることからインタビューはサクサク進んでいく。

「それじゃあ、珠音ちゃんは男子に混ざってただ硬式野球を続けるだけじゃなくて、公式戦出場を目指すのね?」

「はい。仕方がないからって入部前は諦めていましたが、背番号を貰う権利すらない悔しさを感じて、ただ続けるだけでは満足できない自分に気が付きました」

「でも、問題点はあるんでしょ?体力や体格の違いは、どう頑張ったところで埋められないものだと思います。”大人”としてはそりゃ、怪我のリスクを危惧するよ。誰だって責任なんて取りたくないからね」

 珠音は頷くと、先日浩平と帰り道で交わした内容を淡々と話す。

「それは分かっていますが、危険性は男子だって同じです。私はただ同じ環境で、同じ舞台に立つための権利が欲しいだけです。権利があったところで、実力不足ならベンチ入りメンバーに選ばれることはありません」

「それもそうね。それがたとえ子供の我が儘と言われても、考えは変わらないと?」

「はい」

「努力を認められず実力不足と言われても?」

「認められるよう突き進みます」

「出る杭は打たれるものよ?」

「一度打たれましたし、何なら折れかけました」

 インタビューを囲む野次馬の中から「確かに」という呟きが聞こえてくる。

 珠音が視線を送ると、浩平が苦笑いを見せていた。

「でも、私は皆の支えもあって、こうやってインタビューを受けています。応援してくれる皆の為にも、認めてもらえるよう一生懸命頑張ります」

「......ありがとうございます。私にも、応援させてね」

 珠音の真摯な表情に、立花は頼もしさを覚える。

 フリージャーナリストとして、これ程面白い存在に出会えるなんて、自分はつくづく幸福な存在だとも感じていた。

「最後に、一つ聞いていいかな?」

「何ですか?」

「あなたを突き動かす思いって、何?」

 立花の問いかけに、珠音はキラキラと輝く瞳を向ける。


「野球が大好きだからです!もっともっと、上手になりたい!」


 これまで伝え聞いてきた想い。

 その根底にある単純かつ純粋な想いをかなえること程、難しいものはない。

「......素敵ね」

 立花がポツリと呟いた直後、集まったギャラリーからは自然と拍手が沸き上がる。

 思いが伝わる瞬間とはこんな状況を差すのだろうかと、立花は心から感心した。

「うっしゃ、胴上げだ!」

 練習の手を止めて野次馬と化していたチームメイトが珠音の周囲に集まり、小さく軽い身体をよって集って持ち上げる。

「ちょ、ちょっ、どこ触って、うわぁ!!」

 24人の力が合わさり、珠音の軽い体重は容易に宙へと舞い上がる。

「絶対に、落とさないでよ!」

 珠音の悲鳴交じりの声に、周囲から自然と笑いが巻き起こる。

「せーんぱい」

 その様子を見守る立花に、舞莉がそっと歩み寄る。

「写真部としての実力、いかがでしょうか?」

 舞莉が見せた2枚の写真。

 1枚は「野球が大好き」と語った珠音の表情。

 もう1枚は胴上げされる珠音の姿。

 写真とは、流れ行く時間軸から風景を時間軸から切り取り、対象物がその瞬間に見せる外観と内面を永遠に残すもの。

「......最高」

 前者には今にも溢れ出しそうな力強い想いが込められた瞳の輝きが、後者には多くの人に支えられ純粋に楽しむ満天の笑みが写し出されている。

「後で貰えないかな」

「あいあいさ。......これくらいで」

「調子に乗らない」

 見るもの全てに伝わりそうな珠音の表情に、立花は完全に引き込まれた。

 この後、取材者とその対象として10年以上に渡る付き合いとなる2人の第1歩は、こうして刻まれた。



 鎌倉大学附属高校が共学化したのは20年前で母体となる大学も同じ敷地内に位置しており、一部の設備は共用となっている。

 共学化の際にグラウンドの拡充が図られ、現在では野球部が占有しているスペースが設けられたほか、海際の学校で水難事故への意識が高いことから授業用にプールも設置されており、武道場も競技別に存在するなど、スポーツ設備はある程度充実していると言える。

 しかし、共学化以前の部活動は武道系や体操競技、文化部こそ活発に活動していたものの、その他の室内競技は高等部が占有する第2体育館の床面積が小さいこともあって、お世辞にも活気があるとは言えない。

 大学占有設備も使用可能とはいえ自由に使える訳ではない。

当然、いくつかある部活動もお互いの活動を尊重するために活動頻度が低く、部員数も少ないことから、一部の部員は物足りなさを覚えていた。

「......入部希望者がいる?」

 珠音のインタビューから10日程度。

 12月も間近に迫り寒さも日増しに厳しくなる中、昼休みに夏菜と琴音から伝えられた内容に、鬼頭は困惑した表情を見せる。

「取り敢えず、話を聞かせてくれ」

 一連の騒動についての取りまとめと学校としての抗議文を作成や送付、その返答への対応について学内での協議が続く鬼頭としては、新たな悩みの種を増やしたくない想いが僅かながらにあった。そろそろ、迫る期末試験の準備も頭の隅に置かねばならない。

 それなりに苦労はしてきたつもりだが、ここまで確認できなかった白髪を妻から2日前に指摘されて以来、通勤電車の吊革広告に記載されている”ストレスを溜め込まない方法”といった文言につい視線が向いてしまう程である。

 溜め息交じりの鬼頭に対し、夏菜と琴音は興奮気味な様子を見せている。

「入部希望というより、正しくは女子硬式野球部を作るという方が正しいと思います。珠音の力になれないか自分たちなりに考えてきて、その結論にたどり着きました」

「それで、もしも学内で野球に興味を持ってくれる女の子がいて、一緒に取り組んでくれる人が出てきたら、珠音も心強いんじゃないかなって思ったんです」

 夏菜に続き、琴音が考えていることを一生懸命話している。

 普段は決して能動的に行動を起こす性格ではないだけに、はす向かいに座る吹奏楽部の顧問が驚きの様子を見せていた。

「それでここしばらくの間、私たちの思い当たる範囲で声掛けをしていたんですが、この前のインタビューを見たり、鎌倉新聞の記事を見てくれた人から賛同者が出てきたんです」

 珠音のインタビュー記事は早速記事として鎌倉新聞に掲載されただけでなく、会社の好意により校内新聞にそのまま切り抜きで使用されたこともあり、珠音の存在は学内どころか大学でも知らない人は存在しない程となっていた。

「これが、賛同してくれた人のリストです」

 琴音から手渡されたリストに鬼頭が目を通すと、活動頻度の低い室内競技の部活動に所属する5名の名前が記載されていた。

「バスケ部の吉田と財田、バトミントン部の佐野、バレーボール部の齊藤と高橋。1年生だけでなくて、2年生にも話しているのか」

 鬼頭としても、屋外競技、武道、体操競技以外の部活動に所属している部員に大なり小なりフラストレーションの溜まっているという噂は耳にしていたことがある。

 スポーツも多様化する昨今では、男子運動部ですら人数の確保が難しくなることも多くなっている。

 野球に取り組んできた女子選手が高校進学を機に他競技に転向することは多いが、このような状況下で、まさか誘われたというキッカケがあったとはいえ逆の流れが起ころうとは、鬼頭としても思ってもみなかった。

「......だが、楓山を加えても6人だぞ。足りない分はどうするつもりだ?」

 野球は最低でも9人、交代要員も含めればあと2人は欲しいところである。

「私たちが入部します」

「お前らが?」

 鬼頭が訝しげに2人の姿を見る。

 一方は野球部とはいえマネージャー、もう一方は運動部ですらない吹奏楽部である。

「何とかなります!」

「......お前、その指で言える台詞か?」

 威勢のいいことを言う夏菜の指は、包帯でグルグル巻きにされている。

 先日の体育の授業でバレーボールをしていた際、あろうことか落ちていた”静止している”ボールを拾おうとして右手の中指を突き指したらしい。

 その他、走れば学年最下位、泳げば沈み、創作ダンスでは珍妙な動きを披露するなど、活発な見た目からかけ離れた夏菜の運動神経に関する逸話は枚挙にいとまがない。

「な、何とかします!」

 夏菜は赤面しながらも、言葉は力強い。

「あと、私が水田先輩に声をかけてみるつもりです。あと、もう1人声をかけてみようと思っている人がいるので、何とか人数は揃えてみせます」

 琴音は力強い言葉に、はす向かいの吹奏楽部顧問が感激した様子を必死に隠している。

 舞莉と同じく、彼女も次期吹奏楽部部長として期待していることもあり、琴音の積極的な姿勢は好意的に受け入れらえたようだ。

「この話を、楓山は知っているのか?」

「これから話します」

「分かった。取り敢えず、入部や創部についてはこちらで預からせてくれ。考えたいことがあるから、俺の中でまとまったら皆で話そう」

 鬼頭はそう言うと、机に向かって資料を確認する。

『失礼しました』

 2人が教員室を出る時に振り返ると、鬼頭は椅子から立ち上がって他の教員に声を掛けつつ、教頭と何か言葉を交わしているようだった。

「私たちも頑張ろう」

「そうだね」

 前に進む決心をした珠音を2人は誇らしく、そして頼もしく感じていた。

 そんな彼女を支えてあげたい。

 強い存在に感化された2人の想いは、完全に一致していた。



 教員室を後にした2人は、その足で弁当を食べ終えてのんびりとしていた珠音を教室から連れ出す。

「女子硬式野球部?」

 珠音はキョトンとした表情を見せ、2人の顔を交互に見る。

「珠音には野球部と兼部してもらってね。もちろん、珠音が続けたいのは男女関係の無い高校硬式野球だよね。それは分かっているよ」

 夏菜が珠音の手を取り、ブンブンと振る。

「野球に興味を持ってくれて、一緒に取り組んでくれる女の子が増えれば、周りの理解も深まると思うの」

「でも、女子硬式野球部があったら、男子にわざわざ混ざらずに”そっち”でやれって話にならないか?まず第一、人が集まるのか。9人って、結構多いぞ」

 ついでについて来ていた浩平が真っ当な指摘に、夏菜が怯む。そのことを特には考えてはいなかった。

「大丈夫だよ、たぶん。これだけ賛同してくれる人だっているんだもん」

 琴音から手渡されたメモを、珠音と浩平が確認する。

 人数が足りていないのは一目瞭然だが、それでも野球を一緒にやろうとしてくれている人がいることに、珠音は感動を覚えていた。

「ここに名前が書いてない人も応援してくれているよ、上手くいけば新年度にも野球部目当てで入ってくる女の子もいるかもしれないし。私たちも、出来る限りのことをするよ」

 珠音も当初こそ戸惑いが前面に出ていたが、少しずつ理解が追い付いてくる。

「確かに、どんな結果に繋がるか分からないか」

「そうだよ、まずは何か動かないと!」

「自分たちで部活を作るなんて考え、私にはなかったな」

「今はまだ構想段階だけど鬼頭先生には話してある。近々、何かあると思うよ」

 夏菜はサムズアップしようと右手を突き出すが、包帯のせいで形を作れない。

「分かった、2人ともありがとね」

 ちょうどのタイミングで、昼休み終了を知らせるチャイムが鳴る。

「(たぶん、今考えているようにはいかないだろうし、一波乱あるだろうな)」

 ただ一人浩平だけは、夏菜の提案に不安を覚えていた。



 翌日は生憎の雨模様。

 室内の基礎練習を終えた後、全体ミーティングとして野球部員は教室に集められた。

 必要事項の連絡の後、鬼頭の口から夏菜の提案の話が出ると、部員の間にざわつきが生まれた。

「野球をやる女の子が増えれば、認めてくれる人も増えると思うんです」

 夏菜の意見は一定の同意も得るが、部員たちから次々と異論が沸き上がる。

「女子硬式野球部を作るとして、練習場所はどうするんだ」

「希望者がいると言っても、楓山と違って初心者だろ」

「誰が指導するんだ?」

 意見が昇る度、夏菜は自分の考えの甘さを痛感する。

 ただ勢いに任せていたきらいはあり、至らなさばかりが胸を締め付けた。

「私としては、そう思ってくれる人がいただけでも嬉しいです」

 珠音の言葉はいくらか緊張感を緩めたが、それでも夏菜は胸が張り裂けそうになるのを堪えることで必死だった。

「それで、事前に相談を受けていた監督としては、どう考えているんですか?」

 浩平の言葉を受け、教室に集まった部員たちの視線が一点に集中する。

 連絡事項を伝えて以降、教室の端で行く末を見守っていた鬼頭が立ち上がり、再び教団に立つ。

「俺からは皆に一つの提案をしたいと思う」

 先程までの喧騒は嘘のように静まり、鬼頭の言葉を待つ。

「まず、田中が提案してくれた女子硬式野球部の創部については、却下しようと思う」

 言葉の直後、教室には居たたまれない雰囲気に満たされる。

 夏菜は視線を落とし、その場で小さく震えているようにも見える。

 批判を受けたとはいえ夏菜の提案は意欲的なものであり、部員たちはその姿を敢えて視界に入らないよう顔を背けた。

「理由としては、今後楓山を野球部として活動させるにあたって、”女子”硬式野球部の存在は、当人の公式戦出場への障害になる可能性が大きい。俺たちのような”改革派”を煙たがる勢力から見れば、言い逃れや話題をすり替えるための題材にしかならないだろう」

 浩平の指摘と同じ点を、鬼頭も問題に感じていた。

 現状で”女子硬式野球部”を創部すれば、”男子”の大会に参加する必要は薄れてしまう。

「だが、皆も分かっての通り非常に意欲的な意見だ。そこは評価されるべきだと思う」

 続く言葉に一同が安堵すると、視線が夏菜の元に集まる。

 胸の締め付けが取れた夏菜は安堵の表情を見せ、大きく息を吐き出した。

「そこで、ここからが俺の提案だ。ここ1ヶ月、この学校は野球部を中心に大きな渦に巻き込まれている。俺たちはその原因として、常に何かしらの動きを見せ、先頭を走り続けなければならない。提唱するからには実行しなければならない訳だ」

 鬼頭は部員たちの表情を見渡してから、提案を続ける。

「まず、女子選手の受け入れは別組織を作ることなく、あくまで”硬式野球部”として実施する。性別を区別することなく、一個人を一選手として扱うと思って欲しい」

「女子が男子の大会に参加するなら、同じ部活で同じ練習をこなすべきってことですか?」

 二神の疑問に首を縦に振って応えると、鬼頭は提案を続ける。

「その上で、大会毎にAチーム、Bチーム、Gチームを編成して臨む。それが俺の考えだ」

「少ない人数で3チーム作るんですか?」

「いや、そうじゃないだろ。もうちょっと考えてみろ」

 大庭の疑問に、浩平が呆れた表情を見せる。

「Aチームが男女混合で、硬式野球部としてのトップチームといったイメージですか?」

 二神の発言に、周囲が納得の表情を見せる。

「その通りだ。Bチームは暫定的に男子チーム、つまりボーイズチームということだ。もしも女子選手の公式戦出場が認められるようになったらAチームのベンチ外選手という意味合いになる。Gチームはガールズチームとして女子部員のみで編成し、女子の大会に備えたチームにするつもりだ」

 鬼頭の説明に皆が納得の意を示す中、野中が手を上げる。

「指導は誰がするんですか?」

「それなんだが、新しく指導者を迎え入れる余裕はないから、皆に頼もうと思っている」

 ざわつく部員を制し、鬼頭が意見を続ける。

「確かに、入部を申し出てくれた女子生徒は運動部出身とはいえ初心者だ。さらには男女差というのは思っている以上に埋めがたいものだ。だが、それを踏まえた上で皆に頼みたい。選手として人に指導するということは、自分が指導内容を間違いなくこなせる必要がある。これまでの指導を反復し、どのようにすれば伝えられるのかを考え、実際に伝えることは皆にとってもプラスになると思う。そして前に進めるのは、前に進むための行動をした人間だけだ。俺は教育者として、この取り組みを通じて皆に伝えたいと思う。どうか、分かって欲しい」

 鬼頭の意見の後、教室は沈黙に包まれる。

 誰も肯定せず、誰も否定をしない。

 自然と視線が一点に集まると、キャプテンの野中は溜め息をついてから立ち上がる。

「分かりました。みんな、大変だけど頑張ろう。前に何かで見たんだが、”大変”なことほど成し遂げることができれば、自分たちを大きく変えられるらしい。チームとして大会に勝ち上がるのは勿論だけど、野球部として楓山の公式戦出場を勝ち取るのも大切だ。これは俺たちにしかできないことだな」

 キャプテンの言葉に部員たちが続くと、夏菜は安堵の表情を浮かべる。

「田中、取り敢えず明日、希望したメンバーと面談をしたい。連絡を回してくれないか?」

「分かりました!」

「夏菜、ありがとね」

「うん!」

 夏菜は満面の笑みを見せると、包帯をグルグル巻きにしたままの右手を突き上げる。


「私も選手として頑張るから、ご指導よろしくお願いします!」


 一瞬にして部員全員が黙り込み、視線をゆっくりと逸らす。

「え、ちょ、みんな......!?」

 溜め息をついた後、浩平が一歩前に出る。

「すまん、大変なことは頑張れるつもりだが、無謀なことだけは勘弁してほしい」

 直後沸き起こった笑い声は、しとしとと降る冬の雨音どころか、どんよりとした雨雲を吹き飛ばす勢いだった。



 ミーティングの翌日も、前日と同じく雨。

 鬼頭と面談した希望者は伝えられた内容に対して一様に驚きを示したが、現所属の部活動に物足りなさを覚えており、自身の向上心を持て余していたことも相まって、最終的には好意的に受け入れられた。

「ついていけるかなぁ」

「まぁ、何とかなるよ」

 溜め息交じりの琴音に、入部の誘いを承諾した舞莉が呑気に返答する。

 小学生の頃は体操教室などに通っていたものの、中学生になってからは吹奏楽部一筋であり、いざ言ってみたはいいものの吹奏楽部と兼部でこなせるだろうかという不安に、琴音は苛まれていた。

「まぁ、みんなでサポートするから」

 二神が苦笑しながら、琴音を励ます。

 基礎トレーニング中心でいつもより早く部活動が終わったこともあり、2人は珠音たちのグループと合流して帰路についていた。

「水田先輩も協力してくれてありがとうございます」

「何、私としても目的はあるし、Win-Winに慣れそうだったからね」

「そういえば、何で捕手を希望したんですか?結構ハードですよ」

「あぁ、それは先生......いや、これからは監督か。監督にも言われたけどね。私はみんなと走り回るのは向いていないだろうから、こっちで勝負したくてね」

 舞莉は頭を指さし、頭脳戦をアピールする。

「向いてない?」

 珠音は首を傾げるが、舞莉はケラケラと笑い飛ばす。

「まぁ、細かいことは気にしないでよ。それに、やりたい事をやるのが大事なんでしょ?」

「ま、まぁ」

「土浦くんは捕手だったよね。よろしくご指導、お願いしまーす」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 浩平が舞莉にタジタジとなっている。

 思えば、珠音と琴音以外、舞莉と直接話すのは初めてである。

「それじゃ、私は源氏山の方に住んでいるから、ここでバイバーイ」

 駅まで来ると、舞莉は真っ先に集団から離れていく。

「雨だし、2人はバス?」

「そうだよ」

 それぞれ別れの言葉を交わすと、大庭は逗子方面へ、二神は藤沢方面へ、琴音と夏菜は大船方面の電車に乗り込んでいく。

「何だか、一気に賑やかになりそうだね」

「そうだな、どうなることやら」

 浩平が停留所で溜め息を漏らすと、珠音が不満そうな表情を見せる。

「浩平は反対だった?」

「いや、そんなことはないよ。確かに不安なところは大きいけど、珠音のおかげで他の人には体験できないような面白いことができる。強豪校からの誘いもあったけど、この学校を選んでやっぱりよかったよ」

「そう言ってもらえると、私も嬉しいかな」

 珠音は2度頬を叩くと、同じく列に並ぶ客から驚きの表情を向けられる。思いの外、大きな音が出ていたようだ。

「し、失礼しました...」

 珠音は叩いた頬以上に赤面するも、咳払いをして仕切り直す。

「私が不安がっていちゃ、ダメだよね」

「珠音?」

 浩平は最近の珠音の様子を思い返す。

 復帰直後はよかったものの、少しずつ事態が大きくなるにつれて表情が硬く、元気もなくなりつつあった。

「”大変”なこと程、できれば”大きく変われる”か。キャプテンったら、いいこと言うよね」

「確かに」

「常に先頭を走らなければならない。先生の言っていることは、間違いじゃない」

「そうだな」

「......私、走るよ。走り続けるよ」

 瞳の奥で静かに燃える信念の炎。

 これまで大きく赤くゆらゆらと燃えていた炎は、小さくとも芯のハッキリとした青く強い炎に生まれ変わった。

 この日、鎌倉大学附属高校硬式野球部は、男女混合チームとして新しく生まれ変わった。

 それと同時に”野球人”楓山珠音が誕生した瞬間を、浩平は間近で見届けた。

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