村人のレクイエム

ニューマター

旅立ち編

第1話 さらば愛しき日々

激しい炎に包まれた故郷を前にして、アレンは力なくつぶやいた。

「どうしてこんな事に……」


 ティサナ村。王国の片隅の山の麓にある小さな村がアレンの生まれ故郷だった。晴れた日は畑を耕し、月に一度は森に狩りに出かける。そうして手に入れた作物や肉を都で売り、生計を立てる。両親と妹と弟の五人暮らし。裕福ではなかったが穏やかな毎日を過ごしていたし、アレン自身もそんな生活を気に入っていた。この小さな村での生活こそが、彼にとっての世界そのものだった。

「このままこの村で一生を過ごすんだろうな」

そう思っていた。そして願っていた。


「そっちに行ったぞ!」

「手負いで気が立ってる! 気を付けろッ!」

 男たちが口々に叫ぶ。彼らの視線の先には息の上がった大きな猪がいた。背中には三本の矢が刺さり、赤黒い血が滴っている。目は血走り、反撃の機会をうかがっているようだった。

「行け、アレン!」

 その声を合図に、アレンは構えていた弓の弦を弾く。矢は真っすぐに飛び、猪の眉間を貫いた。その刹那、猪は白目を向いて、ゆっくりと地に伏した。髭面の男が足元に落ちていた石を拾い、猪に投げ付ける。反応はない。別の男が剣を構えゆっくりと近付く。剣先で腹部を突いてみるが、猪はピクリともしない。どうやら完全に息絶えたようだ。男が手を上げると森には歓喜の声が上がった。


「すごいんだよ! お父さんたちが猪を追い詰めて、最後は兄ちゃんがとどめを刺したんだ!」

 少年が目を輝かせてまくし立てる。右手にスプーンを握りしめ、先ほど見た狩りの光景を熱っぽく語っている。それを受け髭面の父、ジョンがその髭面を揺らし上機嫌に笑った。

「はっはっは! 確かに今回の狩りはアレンが大活躍だったな!」

「みんなが追い込んでくれたおかげだよ。俺一人の手柄じゃないさ」

 アレンは照れ臭そうに笑う。

「トムもお父さんやお兄ちゃんみたいな狩人になりたい?」

 ニコニコと話を聞いていた女性が、少年トムに問いかける。

「うんっ!」

「それじゃあ、きちんとご飯を食べないとね。ちゃんと全部食べないと二人みたいに大きくなれないわよ?」

「そっか! 分かった!」

 そう言うとトムは猛烈な勢いでスープをすすり始めた。一気にスープを流し込むと、皿の上のパンに手を伸ばし噛り付く。

(そんなに慌てて食べてもすぐには大きくなれないのに)

 アレンは心の中で苦笑しながら、母、マリーの教育手腕に舌を巻いた。お喋りに夢中で食事の進まない息子を動かす一計だったのだ。

「明日は勇者様に剣術を教えてもらうんだ!」

 口いっぱいにパンを頬張りながら。トムは高らかに宣言した。

 今からおよそ三年前。世間では突如、「魔王」を名乗る謎の軍勢が現れ、世界中の国家に攻撃を仕掛けていた。侵攻を食い止めるべく各国の軍隊が応戦するも、その不思議な力に歯が立たず魔王軍は徐々に勢力を拡大していった。

 そんなある日、「勇者」を名乗る青年が現れる。勇者は魔王を討つために女神、剣士、武闘家、魔魔女、魔族の五名を引き連れ世界中を旅しているという話だ。実際に両者の戦いを見た者の話によると、勇者一行は華麗な剣術と強力な魔法により、瞬く間に魔王軍を退けたと言う。王国の兵士が束になっても敵わなかった魔王軍を一瞬で蹴散らしたとあって、その強さは誰もが知るところとなり、巷では「世界を救うのは勇者様しかいない」と大きな話題となっている。その勇者一行が明日、この村を訪れるというのだ。

「でも勇者様に、トムに剣術を教える時間なんてないんじゃない?きっと忙しいはずよ」

 微笑みながらトムの話を聞いていた少女が口を開く。

「絶対教えてくれるよ! だって勇者様だよ? みんなの味方だもん!」

 トムは剣に見立てたスプーンをブンブンと振り回した。

「兄さんは朝から都に行くのよね?」

「あぁ。作った野菜や干し肉を売らないといけないからな」

「せっかく勇者様に会える機会なのに残念ね」

「仕事だから仕方ないさ。明日の家の事は任せたぞ、アニー」

「任せといてよ。その代わりお土産買ってきてね?」

「勇者様が来るんだから、目一杯おめかししなくっちゃ!」

「何だ、母さんまで……」

 マリーの言葉にジョンは呆れたように笑った。

 夜は更け、団らんの時間は過ぎていく。これが家族で過ごす最後の時間になるとも知らずに。


 翌朝。アレンは大量の荷物とともに都に出かけた。村から都までは大人の足で二時間程度の距離だが、それは身軽な状態での話だ。荷物を積んだ荷車を引きながら歩けば、少なくともその倍はかかる。初めの内はこの重労働に辟易していたが、今ではすっかり慣れてしまった。それに村にはない都の華やかな暮らしぶりを見るのは、アレンにとって新鮮で楽しいものだった。

 都についたアレンは馴染みの店を一軒ずつ回った。商品を納め、受け取った代金は身に付けた皮袋へ仕舞い込む。夜になる前に全てを配り終え帰宅しなければならない。ゆっくりしてはいられない。集めた代金は家の大事な財源だ。都の宿屋に泊まる余裕は彼の家にはなかった。

 その後も休みなく働いたおかげで、何とか全ての品を配り終えることができた。そういえばアニーに土産を頼まれていたな。

 アレンは道具屋に入り、品定めを始める。土産を頼まれたのは妹だけだが、ついでに家族の分も買っていこう。一人だけでは不公平だろう。考えた結果、アニーには髪飾りを、トムには折りたたみ式のナイフを、父には安酒を、母には手鏡を買うことにした。無事家族への土産物を買い、店を出ると、外はまだ明るかった。日が落ちるまでにはまだ余裕がある。まだ時間もあるし、せっかくだから都を見て回ろう

 いつ来ても人が多いな。王国の城下町である都はティサナ村とは比べ物にならないほどに賑わっていた。その分、魔王軍からの侵攻も激しいようだ。街のあちこちに槍を構えた兵士が立っていた。

 荷車を置いて休んでいると若い男が二人、話しているのを耳にした。

「しかし、一日働いて手に入るのがこんなパン一個とはね」

男が恨めし気な口ぶりでつぶやく。

「昨日まで勇者様ご一行が滞在してて、食材はほとんど王家に献上されたからな」

「そりゃ、よっぽど豪勢なもてなしだっただろうな。俺たち平民にも少しぐらい分けて欲しいもんだ」

「魔王に対抗できるのは勇者様だけだからな。実際にこの町も何度も救われてるし、感謝と労いの意味もあるんだろうさ」

「それだけじゃない、噂によると……」

 話していた男が突如、声を潜める。アレンは思わず聞き耳を立てる。

「勇者様は相当の女好きで、あっちの方でもずいぶんともてなしを受けたって話だぜ?」

「おいおい、世界の英雄に向かって滅多なこと言うもんじゃない。もし誰かに聞かれでもしたら大ごとだぞ?」

 もう一人の男が軽口を咎めた後、小声でこう付け加えた。

「まぁ、引き連れてる仲間は全員女だし、ありえない話ではないけどな」

 ずいぶんと下世話な話だ。だが……

 アレンは品物を届けた店々の光景を思い返した。確かにどの店にも商品はほとんど置いていなかった。アレンが店に品物を届けると、店主に感謝された程だ。どうやら勇者一行のために町中の食材が使われ、豪華な接待を受けたというのは事実のようだ。そしておそらく夜のもてなしと言うのも……

 まぁ、俺には関係のないことだ。用事は済んだし、そろそろ村に帰ろう。アレンは勢い良く立ち上がると、空になった荷車を引いて都を後にした。


 配達からの帰りは身も心も軽やかだ。荷車は軽くなり来た時よりも身軽だし、仕事を終えた達成感は心に張り合いを、村に帰れるという安心感は安らぎを与えてくれた。足取りも軽い。日は暮れて夕闇が当たりを包んでいるが、そう遅くない内に戻れるだろう。アレンは黙々と歩を進めた。

 朝方に歩いて来た道をどんどん戻っていく。都近くの開けた道から一転、木々が生い茂り緑が濃くなっていく。懐かしい見慣れた風景だ。もう少し歩けば村に着く。

 ふと、前方が異様に明るいことに気が付いた。と、同時に焦げ臭い匂いが鼻を突く。明らかに何かが燃える匂いだ。何か嫌な予感がする。荷車を道の脇に置くと、アレンは勢いよく駆け出した。

 アレンは無我夢中で走った。体が熱い。全力で走っていることだけが理由ではない。実際に周りの空気が熱を帯びているのだ。火に手をかざすと熱を感じるように空気が熱い。間違いなく何かが燃えている。

 そしてその何かとは――

 心拍数が上がっていくのを感じる。アレンは今浮かんだ考えを振り払うように頭を振った。きっと何かの間違いだ。村の誰かが焚き火でもしているに違いない。ここを曲がればいつも通りの村が……

 そんな彼の些細な願いは一瞬にして打ち砕かれる。


 激しい炎に包まれた故郷を前にして、アレンは力なくつぶやいた。

「どうしてこんな事に……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る