第25話 風の向くまま(11)

 赤い髪の男は、プログラマーの男性に続き、他の乗客にも職業の話をさせていった。氷河期世代の40代無職や、奨学金を支払うためにフリーターから脱出できない青年、自分の飲食店を維持するために派遣コックをしている店主など、様々な身の上話が語られ、それがスマートフォンで配信されていった。

 赤い髪の男はそれら一つ一つの話を丁寧に拾い上げ、それらの業界の構造的な問題点をわかりやすく解説していった。話を取り上げられた乗客の反応は様々だった。バッサリと指摘され、驚いている者もいれば、却って彼らへの反感を強め、苦々しく睨みつけるものもいた。


 左側の座席の最後尾まで終わったところで、赤い髪の男は前の席に戻り、大学の教授のような態度で持論を語り始めた。


「僕らもね、勉強しました。あまりにも、周りで人が死ぬものでね。

 初めはね、セラピーみたいなものだったんですよ。心に傷をもった人たちが集まって、今みたいに、自分の苦しみを順番に話すんです。少しずつ、本当に少しずつ、回復していきました。そうならなかった人ももちろんいましたけど、効果があるのは確かです」

「その活動の中心にいた人がね、まあ、売れない物書きだったんですけど。僕らのような人間のそういった人生を、プラスチックのリサイクルに例えたんですよ」


「僕らはみんな、輝かしい未来を信じて、高校や大学に通い、いずれ社会に出ますよね。でも一歩社会に出たとたん、僕らはみんな『人材』という名前のモノになる」


「大量生産品のプラスチックの部品みたいに、流行りの製品に嵌めこまれて売られる。職人の自信作でもなんでもない、弁当のパックやら、せいぜいスマホとか、大量生産品の一部になるために…なんてね。

 まあ、物書きさんなんて、みんな皮肉屋です」


「そしてプラスチックはやがて捨てられて、リサイクルされて、フリースに加工されたり、何かの容器になったりする。

 でもこの国では、一度手垢のついたモノは、リサイクルされてもそれより価値が上がることはめったにないですよね。何度もリサイクルされるたびに薄汚れていって、手や口で触られることのない、踏みつけるものとかになっていく」


「そして最後に、繊維と混ぜられて、丈夫だけが取り柄の、真っ黒な『エンジニアリング・プラスチック』になる。もうリサイクルもされない。ただ踏みつけられるだけだ、と」


「そんな感じの現代詩に共感した人たちがグループを立ち上げ、互いの生活の苦しみを、ネットで話し合うようになりました。

 それが『黒いプラスチック』の始まりです」


 乗客たちは、いつのまにか赤い髪の男の話に黙って聞き入っていた。

 赤い髪の男は、動画配信に付けられた最新のコメントをちらりと見て、満足げな笑みを浮かべた。


「それでは、そんな我々がなぜ反政府活動をすることになったのか、そのあたりのお話をしていきます」

 

 ◇◇◇


「この乗客たち、仕込みね」

「やっぱりそう思うよね」

 駐在所のコタツの中で、ノートPCでライブ配信を黙って見ていた姫川と静香は、同じ感想を漏らした。

「いくら何でも、怒れる貧困層のサンプルがバス一台にこんなに都合よく収まってるわけがないじゃない。わざとらしいにもほどがあるわ」

 姫川はコタツの上板にアゴを乗せ、バカバカしいと言わんばかりに吐き捨てた。


 そしてすぐ姫川は、ノートPCの画面を睨みつけた。

「でもまあ、自分たちで反政府勢力、と言い切るだけのことはあるわ。

 今やってる小芝居はくだらないけれど、バスの運転手を刺して外に放置したことで、視聴者を画面に釘づけにしている」

 画面に映ってはいないが、ナイフで背中を刺されたバスの運転手は、今もこのバスの外で苦しんでいるはずだ。一般のTV局も到着していない状況では、視聴者も運転手の安否が気になって、このライブ配信から目を離せない。

 静香は、姫川の推理に素直に感心した。

 

「でも、まさかうちのお兄ちゃんは、彼らの仲間じゃないわよね」

 静香は液晶画面を指差した。

 後部座席で、一人だけライブ配信にそっぽを向けて、退屈そうに窓枠に頬杖をついている男。静香の兄であり、野田警察署の刑事課に所属する三宅将暉だ。

「うーん、将暉によく似てるってだけかもしれないけど、それにしても恐るべきふてぶてしさね」

「お兄ちゃんだったら、もう少し目立たないようにしそうだけれど。…でも、私が見てもあれは間違いなくうちのお兄ちゃんよ」


 映像では、隣の席の女の子が何度も将暉に不安げに話しかけている。年は静香より幼く、高校生くらいだろうか。

 静香が液晶画面を指差しながら、

「この子、お兄ちゃんによく話しかけてるけど、連れなのかしら」

 と訊ねた。

「高速バスに、こういう子よくいるわよね。アイドルの全国ツアーの追っかけで。バスで知り合ったんじゃないの?」

 感心なさげに答える姫川を見て、静香は不思議そうな顔をした。

「ん?どうかした?」

「ううん、べつに」


 ◇◇◇


「ほら、もうすぐ出番よ!ちゃんと聞いてなさいよ!」

 少女は、いらいらしながら将暉に耳打ちし、窓の外をぼんやりと眺めている将暉のすねを蹴った。

「痛っ…た」

 将暉は少しだけ眉をひそめ、頭を下げた。その下がった頭に、少女がすかさず耳打ちする。

「ほら、自分のせりふ覚えてる?あなたの仕事は何?給料は?」

「えっと…和菓子の工場で働いてる…時給620円…」

「そう!そして私は!?」

「妹…両親はなくなってて…俺が働いて養ってる…」

「よーしオッケーカンペキ!

 いい?ちゃんと言えないと、ライブチケットもらえないんだからね!アンタもたまにはナナに根性みせてよね、ヒモ男!!」

 将暉はため息をついた。

「なんかもうあいつら、自分の話に入る気まんまんだし、もう回ってこないんじゃないかな…」

 少女はもう一度将暉のすねを蹴った。


 ◇◇◇


 その頃、阿賀野川サービスエリアの食堂では、バスから解放された乗客たちが不安な時間を過ごしていた。

 まだ警察はサービスエリアに到着していない。

 まだバスジャックが発覚してから二十分も経過していないので、単純にたどり着いていないのだ。いずれは高速道路周辺の側道を通って機動隊などがたくさん駆けつけるのだろうが、乗客たちはここから移動手段もなく、ただ建物で待機する以外になかった。

「警察、来ませんなあ…」

「ええ」

 窓の外のバスを見ながら、乗客たちは話をしていた。子供連れは二組で、残りは老人だ。食堂の中は暖かく、なんの不自由もないが、対応している食堂の職員たちも、このような事態に際して何ら訓練を受けているわけでもない。せいぜい食事を用意するくらいしかできなかったが、乗客たちは感謝した。


「あの運転手さん、大丈夫じゃろうか…」

 この窓からは、運転手の倒れた位置が死角になっていてよく見えない。

「救急車も同時に来てくれるとええんじゃがなあ」

「そうじゃのう」

 不安を口にする老人たちに、比較的若く見える男が「大丈夫でしょう」と声をかけた。

「ちゃんと、警察のほうに電話で伝えましたから」

 老人たちは振り向き、自らに言い聞かせるように頷いた。


 その男はトレンチコートを着ていた。老人の割には背筋をしっかり伸ばし、まるで昔の映画の探偵のような佇まいだった。

 落ち着き払った彼の姿を見て、老人たちは少しだけ安心した。得体の知れない男だが、不思議に頼りがいがあると感じた。


「ほら、来たようですよ」

 反対側の入口から、体格のいい男たちが早歩きで入ってきた。

 側道のほうを見ると、何台もの車が待機している。パトランプやサイレンなどは控えているようだった。

「大変お待たせしました、警察です。乗客の皆さんはこちらですか」

 乗客たちはだまって頷いた。泣き出す者もいた。

「とりあえず、皆さんにはここから退避していただきます。裏手にマイクロバスが来ていますので、移動してください」


 トレンチコートの男が手を挙げた。

「すみません、先ほど電話で連絡したものです」

「あなたが草壁さんですか。大変詳しく情報をお知らせいただき助かりました」

 現場の指揮官らしき男が、感謝の意を込めて草壁と呼ばれた男の手を握った。

「大変申し訳ないのですが、あなたにはもう少しこの場にいていただきたい」

「承知しました」

 男は、無表情に頷いた。

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