第22話 風の向くまま(8)

 同じ頃、駐在所の二階では、姫川と静香がノートPCを指差して爆笑していた。


『ニャニャニャッ!ニャニャニャッ!!』

「ぶ、ふっ!うはははははは!くくっ!!だははははっっ!!!」

「ふふっ、くっ、ダメ、こいつらサイコーすぎる…、もっかい、もっかい!!」

 姫川がもう一度再生ボタンをクリックする。

『ニャニャニャッ!ニャニャニャッ!!』

『ニャニャニャッ!ニャニャニャッ!!』


 PC画面の中では、三毛猫と大きなキジトラが、トラックの助手席でリズムよく声を揃えて撮影者にアピールする動画が再生されていた。

 最初は声を揃えてリズムよく鳴いているだけだが、そのうち三毛猫が片足を上げるジェスチャーをつけはじめ、キジトラもやがて動きをシンクロさせていく。

 合成動画と疑うほどに完成度の高い猫動画は、夕方にアップされたばかりなのに、すでに再生回数が百万を突破しする人気動画になっていた。


「あっ、加工した動画も上がり始めてるよ!」

「あーもー、カステラのCM仕立てにされてんじゃん!!」

「こっちは30分耐久ニャニャニャだって」


「しっかし、この子たち何やってんのかな」

 馬鹿すぎて涙でてきた、と目元をぬぐいながら、静香が質問してきた。

 もはや二人に、ミケを心配する気持ちは微塵もなかった。旅先でこれだけ楽しくやってそうだと、怒る気も失せる。

「よくわかんないけど、きっと行先が違うから降ろせって運転手にアピールしてんのよ」

 トラック運転手を名乗る動画のコメント欄には、東北道で撮影した、とあった。間違えて長距離トラックに乗ってしまったのか。それともジャンクションで乗り換えたかったのか。

 まだまだ、彼らの旅行は先が長そうだ。


「この調子なら行く先々で動画上がりそうだから、どこにいるかわかりやすくていいわ」

「そうかなあ…」

 猫がこの季節に雪国方面に旅しちゃって大丈夫なんだろうか、と静香は少し心配になったが、黙っていた。


「おーい、駐在さんよ。真面目に仕事してくれや」

 突然部屋の引き戸が開き、忘木が顔を出した。

「うわっ、おっさんいきなり何入ってきてんの」

 おっさん呼ばわりされた忘木は

「チャイム鳴らしてもおまえさんの馬鹿笑いが続いて出てこねえからだよ」

 と言い訳しつつ、そのままコタツの余った一辺に足を埋めた。


「今晩は、忘木さん。お疲れ様です」

 バツが悪そうに、静香はぺこりと会釈した。

「ああ、静香ちゃん。こちらこそ邪魔してしまってすまんね」

 忘木も少し申し訳なさそうに頭を下げた。

 ご両親の葬儀以降、静香と特に接点はなかったが、紗栄子の事件のあと、何度か駐在所で会うようになり、今では顔なじみだ。

「捜査の話でしょう?私、あっちでチャコちゃんと動画見てますね」

 静香はそそくさと立ち上がり、忘木が声をかける間もなく、チャコを抱いて部屋を出ていった。


「楽しそうなところ、邪魔しちまったかな」

「もう、気を使わせてどうすんの」

「面目ない」

 姫川の説教に、忘木は頭を掻いた。


「で、今日は何の話?将暉のほう?」

「紗栄子だ。今日の朝、刑務所から姿を消した」

「えっ?」

 忘木の答えに、姫川は思わず驚きの声を上げた。

「誰かが面会に来て、見張りの者が気づいたら二人ともいなくなっていたそうだ。まだマスコミには漏れていない」

「警備はどうしたのよ」

 姫川が当然の疑問を口にした。

「監視カメラは回っていたそうなんだが、見張りの者が鍵を開ける様子が映っていたらしい。そいつは鍵を開けた後、もとの配置に戻って、すぐに寝てしまった。聞き取りもしたそうだが、面会の直前に窓の外のカラスを見てからの記憶がないそうだ」

 姫川は、脳裏に浮かんだ一人の人物の名前を無意識に口ずさんだ。

「…カラス猫」

「だろうな」


「だが、カラスが面会の窓口に行ったわけじゃないから、他に面会人がいるはずだ。紗栄子の関係者なんて俺にも正直辻くらいしか思い浮かばないんだが、向こうの連中が逮捕時の話を聞きたいんだと。明日ちょっと新潟刑務所まで行ってくるわ」

 コタツから足を抜き、よっこらせと立ち上がる忘木を見て、姫川は慌てて尋ねた。

「どうして今頃、カラス猫が紗栄子を連れ出すの?」

 忘木は首を振った。

「わからん。紗栄子は動物虐待という意味では凶悪犯だが、犯罪者として特に使い道があるわけじゃない。紗栄子がなぜ黙ってついて行ったのかもよくわからん」

 

 その直後、つけっぱなしにしていたテレビから、不意にニュース速報のチャイムが聞こえた。

「なんだ?」

 二人はニュースの内容のテロップが表示されるまでの数秒を黙って待った。

 紗栄子の脱走の話だろうか。だとしたら、いまから忘木が新潟に行っても相手にされないかもしれない。


 テロップが表示された。

『磐越道で高速バスが何者かに乗っ取られ、阿賀野川SAで立てこもり中』

 脱走の話ではないようだ。

 忘木が一呼吸し「邪魔したな」と言った。

 そして部屋を出ようとしたとき、入れ違いに静香がスマホを掲げて駆け込んできた。


「ちょちょちょ、大変!磐越道のバスジャック犯が、ど、動画をライブ配信してて!」

 珍しく慌てふためいている。

「バスジャックって、いまTVで速報出てた奴?そんなに酷いことになってるの?」

 姫川の問いに、静香がもどかしげに首を振った。

「ううん、今のところ、犯人が好き勝手言いたいこと喋ってるだけなんだけど!正直つまんないんだけど!」

「落ち着いて、静香ちゃん」

「お兄ちゃんがいたの!バスの乗客に、うちのお兄ちゃんが!!」

 静香は、番組から撮ったスクリーンショットに切り替え、姫川と忘木の前に突き出した。

「将暉が!?」

「ほら!これ!!」

 二人が確認すると、後ろのほうの席に、つまんなさそうに肩肘をついて、閉めたカーテンの端を指でいじっている男が映っていた。

 少し痩せた、私服姿の三宅将暉の姿がそこにあった。

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