第19話 風の向くまま(5)

 ともあれ、ミケとマタザブローは、東北自動車道の安達太良サービスエリアで、トラックから降りることが出来た。


「気のいいおっさんだったな」

 トラックの出発を陰から見送った後、ミケがマタザブローに話しかけると、マタザブローは目を細めた。

「ああいう車に乗ってるヒトは、おっかないのも多いんだけどね。猫好きでよかった」

 気付けば、日が傾きかけている。何しろ二月の福島だ。このサービスエリアにも建物の陰には雪が残っている。暖かいところで夜明かしが出来ればいいが、このまま夜になってしまうのは不味い。

「おい、ところで、いつもはどうやって夜明かししてるんだ」

 不安げなミケに、マタザブローはこともなげに

「その辺に停めて休憩してるヒトの車に入れてもらうことが多いかな」

 と答えた。

「そうなると、せいぜい16時くらいの今からでは時間を持て余すかな。できれば、今日のうちに磐越道に入っておきたい」

「バンエツドー」

「正しい道に戻るってことだ。とにかく寒いから、早いところ反対側に移動しよう」

 反対側、の意味をマタザブローはよくわかっていないようだったが、ミケは構わず歩き出した。たいていの場合、サービスエリアは上下線にあり、細い一般道を使って反対車線側に移動できるようになっている。

「たぶん本線の下に、連絡通路が…よし、あった」

 サービスエリア内の公園のフェンスから覗くと、本線の下にアンダーパスが通っているのが見えた。フェンスを越えるのは無理なので、サービスエリアの従業員用の出入り口まで迂回した。


 底冷えのするアンダーパスを抜けて、反対側のサービスエリアに入る。

 すると食堂の裏口が開いていて、中が丸見えになっていた。

「…腹減ったな」

 マタザブローがつぶやく。

「中に入って、なんかもらって来ようぜ」

 それはだめだ、と反射的に答えて、ミケはふと考えた。

 今は猫だから、それもいいんじゃないか。

「なあ」

「いや、でも」

 ミケは葛藤した。だが、山に入ってネズミを捕ってくるというのも想像しがたい。何より、今は冬なのだ。マタザブローはもしかしたらスズメでもゴキブリでも捕ってこれるかもしれないが、今のミケが人間からの食べ物なしで生き延びられるわけがない。


 しばらく苦悩していたが、やがてミケは意を決して顔を上げた。

「よし、やろう」

「おおっ」

「だけどやるからには、少しでも危険が少なく、確実にもらえるやり方でやる。マタザブロー、トラックのときと同じように、俺の動きに合わせてくれ」


 やがて、厨房の中にいた中年の調理師が、ごみを出しに裏口に現れた。

「来たぞ」

「よし、打ち合わせ通りにやれよ…ニャニャニャイニャ!」

「ニャニャニャイニャ!」

 二匹は同時に、首をわずかに傾げ、『くださいな』と聞こえるように鳴いた。

 調理師は振り向いて二匹を凝視し、しばらく固まっていたが、やがて

「…なんだ、初めて見る顔だな。おねだりか?」

 と半分呆れ顔で笑った。

 ミケはその表情を好感触と捉えた。

「よし、ダメ押しだ!ニャニャニャイニャ!」

「ニャニャニャイニャ!」

 調理師は厨房にいる仲間を呼んだ。たちまち四人もの従業員に囲まれた二匹は、よってたかってスマホを向けられたが、恥辱に耐えながら「ニャニャニャイニャ!」を繰り返した。

 そのかいあって、客の残飯から、一尾ずつアジフライをもらうことができた。

 二匹は喜んでその場でアジフライを平らげ、最後にお礼の「ニャニャニャイニャ!」で締めて、裏口から立ち去った。

 後ろから、お行儀のいい猫たちだねえ、という声が聞こえた。


「うまかったね。俺、あんな風にヒトから食べ物もらえたの初めてかも」

 マタザブローの感想を聞いても、ミケはさほど驚かなかった。

「マタザブローは体が大きいし、動きがハデだからな。怖がらせてしまうんだろう」

 マタザブローは初めて聞いた、といった顔をした。

「そうなの?大きいと言っても、向こうのほうが大きいのに」

「そういうもんだよ。でもヒトはだいたい猫好きが多いから、かわいい仕草をすれば喜んで相手してくれるさ」

 言いながら、ミケは自分のセリフで自尊心がゴリゴリと削られるのを感じていた。猫の可愛い仕草で媚びを売るなど、とても同僚には知られたくない。

「どうした?」

「いや…。これまでマタザブローは、勝手にヒトのものをとったり、ゴミから食べ物を引っ張り出してそのままにしたりしてなかったか」

 マタザブローは少し考えて、やっていたかも、と答えた。

「ダメなのか?」

「ああ。あのヒトたちは、ほかの人に料理を作って与えるのがシゴトだ。

 汚いところでは誰も食事なんかしたがらないから、誰かが散らかしたら、片付けないといけないだろ。

 迷惑さえかけなければ、猫が心底嫌いなヒトなんてめったにいない」


 ふと紗栄子のことが頭に浮かんだ。紗栄子は引き取った猫たちに十分な餌を与えることができず、殺し合いになった。

「猫とヒトが仲良くするには、ある程度の余裕が必要なんだと思う」

 本心だった。人間同士でも、余裕がなければ疑いばかりが先に立ってしまうものだ。

「ヒトの邪魔にならなければ、だろ。勝手な連中だよ」

 マタザブローは言った。それもきっとその通りだ。

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