第28話 十八歳③

 イルナティリスに来て一ヶ月。灰色の空から白色の雪が降り立ち、地面を深く埋めていく。眠らないまま朝を迎える日、静寂の中で昇る朝日はとても美しい。その絶景を眺めていると、知らずのうちに服の下のペンダントを触ってしまう。この国に来て自覚したことに、どうやら俺は雪が好きみたいだ。なぜかと考えれば脳裏に浮かぶ、母さんの死に顔。父さんと二人で母さんを火葬したあの日は、小さな雪の綿がふわふわと舞っていた。初めての殺人、その高ぶりを雪が肩代わりしてくれる気がしていたのだったか。きっと、現世の俺の最後は楽ではない。それでも雪が降っていたら嬉しいと、俺は改めて二度目の人生を考えた。


 ライシャ様の付き添いという形で誘われたオルバート様だが、書庫に通ったり使用人が魔法を使う様子を観察したりと、異国の地での生活を存分に満喫している。ここ数日は魔法の訓練にやり甲斐を見出したようで、庭の一角を借りてこんこんと取り組んでいた。特に雪に魔力を絡める経験は初めてなので、繰り返せば繰り返すほど上達していくのが楽しいらしい。熱中するあまり、何時間でも外に居続けようとするのは困りものだが。


 俺の背丈よりも少し低いくらいの雪山から、少しずつ中身がはい出てくる。ず、ず、と砂糖の塊のように流れ出てくる様を見ていると、まるで夢の世界に来てしまったかのようだ。そうして十数分間という長い時間の後、オルバート様はやっとこちらを振り向いた。


「できた!このくらいか?」

「はい、完璧です」

「早速中に入ろう」


 十五歳と十八歳が何をしているのかと思うかもしれないが、発端は俺の何気無い発言だ。オルバート様が魔法を練習している間、俺はただ佇んでいたわけではなく、雪を踏み締めたり雪だるまを作ったりしていた。そう、年甲斐もなくはしゃいでいたのはむしろ俺だった。とは言え、オルバート様も度々俺の遊びに参加していたのだからお互い様だろう。とにかく、俺は会話の流れでかまくらについて話してしまった。あくまで伝聞という体で、雪の洞穴で遊んでみたいと明かした。するとオルバート様も興味を持ち、せっかくだから作ってみようということになったのだった。

 完成したかまくらには十分な広さがある。中肉中背の大人なら、三人は座ることが可能だろう。俺はあらかじめ用意してあった火鉢を中央に置き、火を起こした。オルバート様が魔法で空気を運んでくれるので、俺はマッチ一本の火種に枝を放り込むだけでいい。フォークに刺したマシュマロを周囲に数個突き立てれば、前世の定番のできあがりだ。


「マシュマロを焼くのか……!?」

「はい。熱いので、食べるときはお気をつけください」


 とろり、とろり、マシュマロは段々と溶けていく。甘い匂いを放ちながら、抜き取られるのを今か今かと待っている。俺は時折回転させ、適当なところで木皿に移した。目をきらきらと輝かせているオルバート様は微笑ましい。どうぞ、と俺が一本差し出せば、主は年相応よりも幼い表情でそれを受け取る。はふ、はふ、とかじりついた瞬間、灰色の双眸はぱっと見開く。


「おいしい!リュードは以前、食べたことがあるのか?」

「いえ、焼いたらおいしいだろうなぁ、と想像してただけです」


 嘘ではない、多分。俺にはこういうものがあるという記憶があるだけで、俺が食べた記憶は前世も含めて無い。その証拠に、かじったマシュマロからは初めての食感と甘みがした。おいしい、と俺も思わず頬が緩む。イルナティリスにはまだあと一ヶ月いる予定だから、ライシャ様とユーリルにも食べてもらおう。甘党なライシャ様は、チョコレートもあったらもっと喜ぶだろうか。ユーリルにはシナモンを用意しよう。

 不思議だな、と不意にオルバート様は言った。俺が聞き返せば、俺と並んで食べているこの状況についてだと言われた。確かにそうだ。オルバート様が紅茶を飲むときさえ、俺は何も口にせず側に控えている。今回は最初から一緒に楽しむつもりで、かつ人目が無かったから実現した。

 マシュマロを二個ずつ食べ終えても、オルバート様と俺はしばらく座り込んだままでいた。八歳になったウィスティア様のことや、ヴァルド学院の教師のこと、そういう他愛ない話題で空気を温める。思えば、こうしてじっくりと二人きりで話すのも久しぶりだ。十歳の頃にライシャ様がギアシュヴィール公爵邸に引っ越して以来、オルバート様の一番の話し相手は俺ではなくなっていた。無論、それに不服を申し立てるつもりでは断じてない。ただ、しみじみとした感傷を感じてしまうというだけ。


 不意に、かまくらの外から男女の声が届いた。距離は離れているが、何やら穏やかでないのは伝わってくる。俺が顔を出して様子を窺うと、数十メートル先でツーヴィア公爵令嬢が見知らぬ男性に詰め寄られていた。報告と同時にかまくらから出た俺に代わって、オルバート様が雪穴から顔を覗かせる。──直後、ツーヴィア公爵令嬢の目隠しが男性によって奪われた。


「何をしてる!?」


 オルバート様が精一杯の大声で威嚇すると、男性はびくっと驚いて目を向けた。その隙を見逃さず、俺は布を引ったくりツーヴィア公爵令嬢を背にかばう。なお、その頭部には勝手ながら俺のマフラーを巻かせてもらった。当人からすれば、突然視界が暗転した挙げ句体を引っ張られたのだから恐怖を抱いているかもしれない。いや、そもそも目が見えているかは定かでないのだが。

 男性がどれほどの危険人物か判断できないので、オルバート様はかまくらから出てこない。よって、俺が男性と向かい合う。


「誰だ、君たちは?診察に割り込んでもらっては困る!」

「ツーヴィア公爵令嬢、『診察』は合意のうえでしょうか?」

「いいえ、私は許していないわ」


 そう言う声は少し震えている。それでも毅然と否定するのは、公爵息女としての矜持だろうか。年上で自分よりも大きな背を持つ男性に襲われたのだから、実際は恐怖で足がすくんでいることだろう。


「お嬢様、お父上のご心配を無碍になさるおつもりですか……!?」

「あなたこそ、冬休み中は必要ないと父に言われているはずよ」

「いいえ、必要です!ご自分の病状をお分かりでないのですか?──そんな気持ち悪い顔、治したいでしょう?」


 ──お前の顔は人殺しにそっくりだな。あぁ、お前も人殺しか。実の父親を殺した、殺人鬼の顔だ!


 昔の記憶が蘇ると同時に、俺の体の奥は熱く燃え上がった。猛々しく伸びた炎に、目の奥がちかちかと焼かれる。


 ──自称医者の腕を後手にひねり上げ、その首を締める体勢で背後を取った。


「痛い!痛い!は、放せ!」

「……」


 ギアシュヴィール公爵家に雇ってもらってすぐの頃、それまで親しくしていた使用人から言われた言葉。父さんが暗殺を実行する前、俺のことを弟のようにかわいがってくれていた人の恨み。当時、俺は自分がどのような感情を抱いたのか分からなかった。あまりに複雑で、どの名前を当てはめればいいのか判断できなかった。だが、今なら分かる。あのときの俺が感じたのは、後悔と、諦めと、父さんを蔑まれたことへの怒りだ。


「……リュード、放してやれ」


 いつの間にか、オルバート様が近くにいた。俺の後ろから発された声は、ただただ静かだった。俺が男性を解放すれば、よくやった、と後頭部をわしゃわしゃとなでられる。何もしてません、と言うと、抜かなかっただろう、と指摘された。そういえば、ナイフを使おうとはしていない。この数年間で、俺は成長しているのだろうか。


 お父上に誤報告させていただきますからね、と男性は吐き捨て逃げていった。


「ツーヴィア、部屋まで送ろう。いや、その前に化粧室か」

「ありがとう。けれど、良ければ二人の雪穴にお邪魔させてくださいな」


 俺のマフラーを巻いたツーヴィア公爵令嬢が提案したのは、かまくらのことだろう。ここに来たとき、しっかりと視界の端に捉えていたようだ。オルバート様はたじろいだが、にこにこと押しきられて承諾した。どうやら前が見えていないらしいツーヴィア公爵令嬢をエスコートし、かまくらに入っていく。俺は外で待機していようとしたが、オルバート様とツーヴィア公爵令嬢に呼ばれ、結局ツーヴィア公爵令嬢の隣に座ることになった。


「どうぞ」

「ありがとう。ここで着けさせてもらってもいいかしら?」

「ああ」


 オルバート様に背を向け、ツーヴィア公爵令嬢は躊躇無くマフラーを外した。俺は手鏡を掲げながら顔を逸らす。

 先程の騒動で一瞬見えてしまったが、ツーヴィア公爵令嬢の目元は血管がみちみちと浮き出ている。見間違いでなければ、虹彩はぎらぎらと輝くほどの真紅。それらを隠すため、人前に出るときは目隠しをしているのだろう。

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