第42話 毒蛇の話

「おかしいな……『カーディナル』は全員堕としたはずなのに……」


 澱んだ緑眼を伏せ、呟く。『デーモン』のエンド=レヴィアスが教会本部に仕込んだ罠は二つ――教会の敷地に入った『カーディナル』を『デーモン』へ変える術式と、『エクソシスト』の奇跡を否定し拒絶する術式。

 エンドがいぶかしんでいるのは、ついさっき教会へ飛び込んできた男。恐らく、自分が教会から逃亡した後に『エクソシスト』になったのだろうその男は、明らかに死に至っているのに動き続けている。

 死を否定できる奇跡は、『カーディナル』にしか授けられていない。だがしかし、男が『カーディナル』ならば『デーモン』になっていなければおかしい。それに、死を否定する奇跡は死者本人に起こすことはできない。



 嫉妬の魔王、レヴィアタン。地獄の大提督たる彼女の権能は妬み嫉み、自身より優れたものや恵まれたものに干渉して台無しにする。全てを呑み込んで溶かし尽くす大蛇のように、全てを呑み込んで壊し尽くす海嘯のように。



 エンドは一つ舌打ちして意識を切り替えた。まさかサタンとベヘモットをぶつけて行動不能にさせるなんて、考えついたとしても実行する馬鹿がいたなんて。一歩間違えれば死、間違えなくとも死しかない、作戦とも呼べないそれを完遂した男は地下室に向かったようだ。

 あの男は速やかに退場させねばならない――それは、確定事項だ。あの男は、エンドたちの策略をめちゃくちゃにする可能性が高い。どんな謀略であれ、予想のつかない事物が一番厄介なのだ。誘導も操作もできない、異端の要素。

 どぉん、と空気を震わせたのはサタンの勝鬨。あぁ、唯一神を殺すための手札が減った! とはいえ、幾ら魔王憑きとはいえ搦め手を得意とする嫉妬じぶんたちでは憤怒サタンを真正面からどうにかすることはできなかった。だからあれは仕方のない犠牲であったと切り捨てるべきだろう。

 エンドはぐるぐると思考を巡らせながら、唯一神の首を落とすための方法を、計画を、立て直し組み換えて次の行動に移ろうとした。立ち止まっている暇などない。あぁ、唯一神を殺すためには、次はどうすればいい? 噛み締めた唇から僅かに血が滲む。


「唇亡びて歯寒しとか言うらしいが、歯が剥き出しのままの面ってのも中々ホラーじゃないか?」

「!?」


 刹那、がし、と肩を組まれた。振り払おうにも、爪先を踏まれて身動きが取れない。絶妙な位置取りでエンドの動きを封じたのは、エンドが排除しなければならないと定めていた男。


「捕まえた、さてちょっと付き合ってくれないか? 何、付き合うとはいえ童貞も処女も無事に残しておいてやるさ……穢れなきままに死んだら天使になるってマジか? ははは、天に昇ったら神様によろしく言っといてくれ。あ? 何で童貞だってわかるのかって? それっぽい面してるからだよ」


 エンドがいたのは、教会全体を見下ろすことができる鐘楼。包帯だらけで、片足には副え木が当てられているその男は、軽やかに嗤うや否や――エンドごと、中庭へと身投げする。

 体勢を整える間もなく、ましてや力一杯しがみついている男を振り払う間もなく。何故、どうして、なんて意味もない思考が駆け巡り、中庭の地面に向かって。辛うじて男を下にすることはできたが、それでも落下の衝撃は酷いものだった。


「ッ……」

「は、はは、ははははは! あぁ、死ぬ、死ぬなぁこれは……はは、三回目か……」


 哄笑、後、糸が切れたように動かなくなった男は、エンドが見詰めているその内に、何事もなかったかのように立ち上がる。足に当てていた副え木を捨てて、顔を濡らしていた血を拭い。

 エンドは、遠退く意識を掻き集めて男を視た。奇跡ではない、あぁそうだ、この男の復活は奇跡ではなかった! 『カーディナル』の奇跡でなく、これは!


「今回のオレは前回のオレと違って賢明だから、きっとうまくやるでしょう……なんてな。クソが、計算違いだ、回復速度も遅くなってる……」

「そりゃあ一日で何度も死んでは蘇れるってモノではないからなぁ、後二回も死なれたら流石に困るし契約違反だぞ」

「あー……後は聖女様相手にしか死なんだろ、というより元々それだけのつもりだったんだがな。サービス残業をよしとしてしまうのは日本の教師としてのサガか? 知らんが……」


 自分エンドにも、魔王が憑いているから解る。男の背後、影の中から立ち上がった美丈夫は――



 色欲の魔王、アスモデウス。かの魔王に憑かれた人間は、魔王の気が済むまで人形のように弄ばれ、その心身が完全に壊れてもなお解放されずに魔王の玩具と成り果てる。そのように、語られている。

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