10 チューリップが教えてくれる(3)


 アニエスとベルナールは無事婚約をして、ベルナールがフォントネル公爵家の嫡男で二十七歳であった事から結婚式も最短で挙げてしまった。

 ある日、ベルナールとアニエスは親戚の夜会に出席した。一緒に夜会に出席した方々に挨拶を済ませて、ベルナールが親族に呼ばれてどこかに行った隙に、アニエスから婚約者を奪った令嬢マルティーヌ・ド・ポラストロンが話しかけてきた。


「久しぶりね、アニエス様。お元気そうね」

「マルティーヌ様」

 振り返って驚いたがマルティーヌの側には元の婚約者ヴィクトルの姿はない。その代わり、見知らぬご婦人と一緒だった。ご婦人もマルティーヌに劣らず肉感的でふたりのボリュームにアニエスは気圧されてしまう。

「ああ、私とヴィクトルはもう別れたのよ。何でもお父様がお怒りになって勘当するとおっしゃって、辺境の騎士団に追いやられたそうなの。私にもとばっちりが来そうなので逃げましたわ」

 随分と勝手な方であった。


「あなた、どうやってベルナールに言い寄ったの?」

 そう言ったのはマルティーヌと一緒に居たご婦人であった。身も知らぬご婦人であるしどなたであろうか。ベルナールを呼び捨てにしているから近しい方だろうか。

 しかし、彼の親族にはすべてご紹介いただいたが。

「あなたみたいな方がベルナールの好みとは思えませんわ。おっしゃい、どうやって誑し込んだのか!」

 随分な言いようであった。側でマルティーヌがご婦人の言葉に頷いている。


 どうしましょうと、アニエスは思った。思わずどういう訳かドレスの隠しにあるポケットを探った。あの薬はアニエスの化粧台の引き出しの奥深くに隠してあって、鍵もかけてあった、筈だ。

 それが、どうしてポケットの中にあるのだ。

 アニエスは薬の瓶を持ったまま呆然とした。


「何ですの、ソレは?」

 ご婦人が咎める。

「あ、魔女様からお薬を頂いて」

 マルティーヌは(へえ、惚れ薬かしら。この女も魔女の薬を使ってまでしてあんな方を誑かすなんて、大した玉ね)と思った。隣のご婦人と顔を見合わせて頷き合う。

「どんなお薬なの?」

 アニエスに興味津々に聞く。

「相手の方の好意が──」

 皆まで言わせずに薬の瓶はマルティーヌの手に奪われた。

「まあそうなの。私、両親に責められて大変ですの。このままだと勘当されかねないのよ」と、同情を引いて薬の瓶をチラリと見る。


「でも、それは……」

 確かに魔女から貰った薬だった。もう三粒しか残っていない。

 どうしよう、この方に渡していいのかしらと、アニエスは迷った。だがそこに中年の立派なご婦人が現れたのだ。

「アニエスさん」

 アニエスの注意はそのご婦人に逸れた。マルティーヌはその隙を見逃さなかった。瓶の中から素早く薬を二粒抜き取った。

「あ、はい。すみません、お義母様がお呼びですので──」

 アニエスが詫びると、澄ました顔をして瓶を返した。

「はいはい」

 マルティーヌに薬の瓶を返してもらって、アニエスは義母の方に急いだ。


 アニエスの義母、ベルナールの母親であるフォントネル公爵夫人はどこかで見たような顔を見て眉を顰める。

(アレはベルナールの元嫁!)

 公爵夫人の威厳でギッと睨みつけると、彼女は慌てて一緒に居た令嬢と姿を消した。

(全く油断も隙もないわ。ここの御主人にもよっく言っておかなきゃ)

 アニエスを連れて公爵と息子のいるサロンに急ぐのだった。



「うふふ……」

 アニエスから魔女の薬を二粒頂いたマルティーヌは(相変わらずとろくさいわね)と舌を出した。一緒のご婦人と薬を分け合って夜会の会場を後にする。



  ⚘ ⚘ ⚘



 一方こちらはミュンデ伯領のセルジュとユーディトの家である。

「ねえ、アニエス様が上手く行ったのなら、薬の効果はもういらないわね。他の方が飲まれて変な効果が出てもいけないし」

 ユーディトが頭の上でグルングルンと手を回す。

「お前、そんな危険な薬を出したのか?」

 呆れてユーディトを見るセルジュ。どんな風にグルグル回るというのか。一体何を調合したのか。

「ほら、アレは魔力が薬と混ざり合って魔法が発現するの。アニエスちゃんの魔力に合わせて調合したから、他の方が飲まなければ大丈夫よ」


「あの薬ってどんな材料を使ったんだ?」

 何でもないようにユーディトは恐ろしい材料の名を答える。

「魔草ウツボカズラの蔓と」

「食虫魔草のビュンビュンと蔓が飛んで来るアレか?」

「幻想茸の夜光胞子と」

「人を惑わせる胞子を噴き上げるアレか?」

「猩々蜻蛉の羽と──」

「飛んで何処ちゅうとこなく卵を産み付ける昆虫魔物か……」

「そうなの、アニエスちゃんはもう飲まないわよね」

「一応知らせとけ」

「そうね。間違って誰かが食べてもいけないし」

 ユーディトは紙を引っ張り出して用件を書くと、伝書鳥にしてアニエスの所まで飛ばした。

 そして薬の効果を消した。それを見ていたセルジュが言う。

「お前って、また時間差攻撃しそう……」

「えっ、何が?」

「まあいいか」



 手紙を受け取ったアニエスが薬の入った瓶を取り出して首を傾げる。

「どうしたんだい、アニー」

 居間で花と野菜のカタログを広げて、アニエスと一緒に検討していたベルナールが、そのアニエスを見て聞く。

「魔女様から頂いたお薬が、二粒足りないみたいなの」

「そうかい、誰も飲んでなきゃいいが」

「二時間経つと薬の効果が消えるんです。それに解毒の方法が書いてありますので、間違えて飲んでも大丈夫だそうですけど」

「親切な魔女様だね」

「ええ、とても素晴らしい方ですわ」

「何しろ私たちのキューピッドだからね」

「はい」

「君みたいな若くて可愛い人をお嫁さんに出来て私は幸せ者だ」

「わたくしこそあなたのような優しくて素敵な方が旦那様で幸せですわ」

 こちらはまだ新婚ほやほやなのでした。



  ⚘ ⚘ ⚘


 その頃マルティーヌは──。

 引っ掛けた男と夜会の個室にしけこんで薬を飲んだ。いざコトをおっぱじめようとした時、男の顔がぐにゅんと歪んだ。顎がにょーんと伸びて頭に大きな口が出来た。クルクル巻毛の金髪がひゅんひゅんと伸びてマルティーヌの身体をぐるぐる巻きにする。

 悲鳴を上げる間もあらばこそ、マルティーヌの身体は男の口に飲み込まれバクバク、シャクシャク、もぐもぐと咀嚼され──。


 二時間ほど幻覚に取り込まれたマルティーヌの精神は、とにかく、とってもここに書けない程酷い有様になって、すっかり大人しくなってしまったそうな。

 もう一人のご婦人も同じような経過になったとか。


 魔女の薬はとっても危険なのでした。



 五話  終

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