第一章/生巡・#田中

 研究室に戻り、PCを開いた。アルビジアのタスクリストを確認して、テロメアの再生に関する最新研究の論文要約に取り組む。アルビジアのタスクリストには不老不死関連の研究開発タスクが並べられていた。現在はBMI経由で右半球下前頭皮質に時間感覚を遅くさせる信号を発信し、一日を二千四百時間に引き延ばし体感覚的に不老不死を得る「TiME」というプロダクトのリリースが迫り、チャットが盛り上がっていた。


 アルビジアには行き過ぎた植物主義に対する反対の立場を示すため所属する人も多い。年齢層は比較的高く、過去の社会で人間主義的な享楽を味わってきた人々が、再び青春の時代を取り戻そうと投資していたりする。ニュースチャンネルではダイアンサスのデモの様子や活動が揶揄的に投稿されている。


 創設者の上川のインタビュー記事を見るに、彼の強い反RingNe思想もこのDAOの引力になっているようだった。上川は小学生の頃、三つ上だった兄が事故死した。両親の寵愛を受けていた兄の死は両親を酷く絶望させ、やがてトリカブトのデウスになった兄を食べ、心中したらしい。


アルビジアのwebには”人は農耕が始まって以来植物たちの奴隷だ。今こそ解放の時だ”と自らを革命の立場とするスローガンが書かれていた。ダイアンサスもアルビジアも共に革命の立場を取りながら対立する構造になっていた。佐藤さんから暗号通話が届く。


 「もしもし、そちらは順調かい。こちらは無事目標日に祭を設定できたよ」

 「はい、こちらも滞りなく」

 「ご苦労。ではまた」

 佐藤さんとはこの後、アルビジアの拠点がある渋谷で会う予定だった。半年に一度のアルビジアの総会があった。

 


 松濤の一角にあるドーム一つ分ほどの広大な敷地に聳える五階建のビル。ヤシの木に挟まれた木造のゲートを通ると、アルビジアのアプリに自分が来たことが表示される。歩くと少しずつ四つ打ちの低音を感じてくる。


開かれた場所に出ると温水プールの上にDJブースがあり、爆音でオールディーなハウスが鳴り響き、鮮やかなカクテルを持った無数の老若男女が乱痴気騒ぎ。皆酒と音に酔っていて、シェイクやハペのブースも並んでいた。


騒ぎ立てる人々の合間を抜けて、ビルのエントランスまで進む。エントランスの灰色で無骨な壁面には”The world is a fine place and worth the fighting for.この世は素晴らしい。 そして戦う価値があるものだ”とヘミングウェイの詩が描かれていた。室内に入ると音は完全に遮音され、急な静寂が周囲への注意を鋭敏にする空間だった。


 真っ直ぐエレベーターまで向かい、三階に昇る。フロアにはガラス張りの開発室がいくつもセパレートされ、白衣を纏った人々が人型のアンドロイド、棺桶型のスリープマシン、巨大な試験管で培養されているタンパク質の結晶などと向き合っていた。


 ガラス張りの部屋の中で、スキンヘッドの男性が椅子に座り頭部を電極で繋がれていた。ただ目の前の一点をじっと見つめている。微動だにしない身体と対照的にモニタリングされている脳活動は活発で「TiME」の実験をしているのだと分かった。この男性から見ると僕らは高速で老化していて、彼はこの世界を僕らより何百倍も丁寧に感じ取っている。そしてそのスローな世界にはまだ社会がない。同じ空間にいるのに別の時間軸に閉じ込められているとも言える。


 「TiME」が普及すればやがて人はスローな世界で、不老不死を叶えた社会を実現するだろうか。半永久的な主観と高速で散逸していく世界の狭間で、双方それぞれどのように命を意味づけしていくのだろうか。


 総会が始まる時間が近づいていたので、五階に昇った。千人ほどが着席したフロアのステージには遺伝子と目をモチーフにしたアルビジアのロゴが掲げられ、上川が登壇するとフロアが暗転してスポットライトが当てられる。


 「皆さん、今日はようこそいらっしゃいました。パーティーを楽しんでいただけていますでしょうか? さて早速ですが、我々には時間がありません。カーボンニュートラルなどと言った人類最大の過ちを正していかねばなりません!」

 歓声が湧きたった。中には酔ったまま来ている人もいるのだろう。


 「増えすぎた森林は焼却し、二酸化炭素量を調整せねばなりません。それが地球の脳である我々人類の使命です。また、人の魂が輪廻するなどといった妄想は早々に捨て、実際的な不老不死のプランに取り組みましょう。我々は来る氷河期に備えてやるべきことが山ほどあります。今日はこの半年の素晴らしい開発の進捗を皆さんにご報告いたします」


 再び歓声が沸き立ち、ステージには重低音のオープニングムービーが流れ、各セクションからのプレゼンテーションが始まっていった。総会が終了すると同時に、暗号通話で佐藤さんから指定されたサンルームまで向かった。黄色いアルストロメリアの鉢植えが、太陽の方向に綺麗に横並びに陳列されていた。


 「田中くん、よく来たね」

 佐藤さんは車椅子を少し傾けてこちらを見た。あまりに白い髪と肌を、陽の光が限りなく透明に近づけていた。

 「本社での開発の件かい? 順調だよ。量産も済んでいて、日本中どこからでも逝くことができる。後はタイミングだ」

 佐藤さんはこちらが質問をする前に回答した。


 「そうでしたか。後は臨床が上手くいけばいよいよ、ですね」

 「あぁ臨床だが、彼らが望むような成功はしないよ」

 僕が驚くような表情を見せる前に佐藤さんは続ける。


 「技術的には何の問題もないが、そもそも植物の情報量を人間のOSで処理することに無理がある。人は人の情報限界の中でしか人を保てない。帰還者はもう二度と行きたくないと口々に言うだろうね。同時に帰還できない者も意図的につくる。それが着火剤になる。膨らませてきた植物の世界への希望を落とすことで、NEHaN世界に自ら足を踏み出すトリガーになっていくだろう」


 「彼らが技術的な不備に気付いて実験を取り止める可能性は……」

 「いや、そのためのアルビジアさ。人の競争原理とは本能のようなものだからね。対抗馬を機能させ続ければ、彼らは止まれない。それに信仰というやつは、犠牲を問わないのだよ」


 アルストロメリアを見つめながら、過去の宗教戦争やテロリズムの歴史を思い浮かべていた。カール・フォン・リンネが親友の名前に因んで名付けたこの花、花言葉は確か、持続。


 「エミュレーション計画の肝は、春くんと葵くんだ。つまりその二人への伝達を担う君にかかっていると言ってもいい」

 余計なことを考えていたのがバレたのだろう。釘を刺された。

 「気を、引き締めます」と言った。

 では私は本社へ戻るよ、と言って佐藤さんはDream Hack社へ向かった。

 



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