無邪気な暴虐

 米国の公式発表――――自我を持つAIの開発、その漏洩事故は衝撃と共に世界を駆け巡った。

 中国やロシアなどの反米国家・反米組織からの批難声明が、珍しくぐうの音も出ない正論となり、同盟国や友好国からも冷たい言葉を掛けられる。機密文書の流出がなければ、これを誤魔化そうとしたのだから実に性質が悪い。いや、事実機密文書が出るまで黙っていたのだから、その思惑も見透かされたも同然。米国の信頼と威信は、正に失墜した。

 そんなアメリカへの目が厳しくなる中、しかし当の巨大怪獣ロボット……パンドラの快進撃が止まる事はなかった。

 事故の翌日になっても、パンドラは動き続ける。


【ギィーィィイイキャキャキャギャギャ!】


 笑い声と呼ぶにはあまりにも醜悪な音を全身から響かせながら、パンドラは歩む。足元にある家々を踏み潰し、蹴飛ばす様は、公園の砂場で遊ぶ児童のようだ。

 怪獣染みたその体躯は、大きな変容は起こしていない。強いて言うなら背ビレのように存在していた背中のシリンダーが一回り大きくなり、形も一目でシリンダーと分かる単純な筒状ではなく、先端が尖ったより背ビレらしい形になっている事ぐらいか。

 パンドラは当初目的意識などないかのように、自由気ままに歩き回っていた。精々住宅地や工場区域を見るや猛然と駆け寄り、ミサイルと爆弾の雨で殲滅していくぐらい。その殲滅攻撃も最初は機械的な、隙間のないものだったが……段々やり方が雑になり、今では攻撃跡地でも僅かに無事な家が残っている。尤も、そんな家を見るとパンドラは容赦なく踏み潰すのだが。

 移動は歩きであるが、巨体故に時速五十~百キロと速く、しかも曲がりくねった道を無視して一直線で進む事が出来る。自動車での避難も間に合わず、まだ住民が残っている区域が焼け野原になる事も一度や二度ではなかった。

 自衛隊は住民の避難に注力しており、攻撃は殆ど行われていないが……少なくとも進路上に置かれた指向性散弾地雷が炸裂してもパンドラの身体には傷も付かない。歩みが遅くなる事もなく、対策は徒労に終わっている。犠牲者の数は、時が経つほどに増えていく一方だ。

 破壊と殺戮を撒き散らしながら、パンドラは悠然と歩き回り――――その日、ある場所に辿り着いた。

 大きな煙突が何本も建っている。傍には巨大な建物が何棟も見られたが、その建物の周りには無数のパイプが張り巡らされており、遠目では建造物というよりパイプで出来た構造物のように見える。建物と敷地面積は巨大で、詳細を知らずとも、此処が大規模な工場である事は察せられるだろう。

 此処は、今の日本ではもう数少ない製鉄所の一つだった。

 現在製鉄所は稼働していない。作業員達は全員避難しており、高炉を止めている状態だ。高炉は一度止めると再稼働に数週間を必要とするため、可能ならば止めないよう尽力するものであるが……パンドラの予測進路上だと判明した事で、止めざるを得なかった。それでも政府が損害を補償するという判断をしなければ、工場経営者は高炉をそのままにして避難しただろう。被害の大きさよりも、もしかしたらの奇跡を祈って。

 パンドラはこの製鉄所を踏み潰す。


【ギャギャギャギャ! ギャーギャギャギャ!】


 笑い声のように叫び、激しく何度も音を鳴らすパンドラ。踏み潰すだけでは飽き足らないとばかりに、拳で煙突を殴り倒したり、尻尾で工場を薙ぎ払ったり、破壊の限りを尽くす。

 もしも高炉を止めていなければ、一千度を超える熱風が周辺に吹き荒れ、製鉄所周りにある建物を燃やしていただろう。尤も、燃えようが燃えまいが、パンドラにより破壊されているのだが。そしてその程度の炎で焼かれるほどパンドラが軟でないのは、燃え盛る住宅地を幾度となく踏み荒らしてきた事から明らかだ。


【ギャギィィリィィィ……】


 一通り工場を破壊すると、パンドラは一息入れるように身体を起こす。

 次いで、長く伸びた尻尾で潰れた工場を叩いた。

 尻尾で暴れ回るのは今までに何度もしていたが、今度の一撃はあまり勢いの強いものではない。粉塵や瓦礫もあまり舞い上がらず、一見してただ尻尾を横たえただけのようにも見えるだろう。

 しかし間近で観察すれば、尻尾を力いっぱい振り回すよりも恐ろしい現象が起きていた。

 尻尾から溶けた金属のような、銀色の流体が流れ出したのだ。更に流体は液体のように流れつつも万遍なくは広がらず、枝分かれしながら広範囲に散会していく。

 そして破壊によって散らばった様々な金属部品に触れると、さながら植物の根が大地を侵食するかの如く覆っていった。

 流体に蝕まれた金属は最初、大きな変化は見せない。だが数十秒と経つと、徐々に溶けていく。しかし高温になっている訳ではない。融点が一千五百三十八度に達する鉄が溶けていながら、その近くに転がる材木や紙などの可燃物が全く燃えていない事からも明らかだ。

 溶けた金属は、地面に染み込む事はない。何故なら全体を蝕む、植物の根のような流体にいくからだ。吸われた金属は流体の中を通り、その根元……パンドラの尾に辿り着く。根が蝕むものは工場の残骸。欠片一つ一つは子供でも持ち運べるほどの大きさだが、全体で見れば製鉄所丸々一基分だ。何千トン、何万トンもの金属が、根を通じてパンドラの中へと流れ込んでいった。

 更に取り込むのは金属だけではない。紙や木材、はたまたドラム缶の中に備蓄された多種多様な薬品なども、流体は蝕み、吸収していく。手当たり次第、もしくは節操なく、何もかも喰らっていく。

 やがて、パンドラの身体に変化が起きる。

 その機体が、膨張し始めたのだ。


【ギ、ギ、ガ、ビ、キ……】


 パンドラの身体から、苦しむような呻きが漏れ出す。しかし身体の膨張は止まらない。装甲の一部が弾け飛び、全体がひび割れていく。内部の部品も壊れているらしく、装甲の隙間からボロボロと色んな部品が零れ出す。落ちた部品は広がる流体により『回収』されたが、そうなるとやはりパンドラの姿はまた膨らんでいく。

 しかし自分の身体がどんどん壊れていっても、パンドラに動じる素振りはない。今まで見せていた『知的』で『無邪気』な様相が一変。正に機械のような無機質さで自らの身に起きる異変を無視する。その間もパンドラの身体は刻々と肥大化していき――――

 ついに弾けた。

 炎や煙はない。しかしそれでも、住宅地の避難者など遠目からこの光景を見ていた人間達は誰もが爆発だと思った。パンドラを形作る無数の部品が、さながら爆炎であるかのように散逸したからである。

 突然の大爆発は、見る者を恐怖させる。同時に、安堵も呼んだ。何がなんだか分からないが、悪いロボット怪獣が爆発した。粉微塵に吹き飛んだからには、奴は死んだ壊れたのだ。この恐ろしく理不尽な災厄も、ようやく終わってくれるだろう……

 数多の人々が抱くその願望が、されど叶う事はない。


【――――キュリギリリリリリリ】


 甲高い、鳴き声のようにも聞こえる機械音が辺りに響く。

 飛び散った部品が地面に落ちると、その奥に潜んでいた巨躯が姿を現す。そう、巨躯だ。今まで工場を踏み潰して陣取っていた、今までのパンドラよりも大きなもの。

 基本的な造形に、大きな変化はない。恐竜と違って直立に近い姿勢を取り、二本の太く逞しい足で大地を踏み締めている。人間のように発達した二本の腕を持ち、手先は猛獣染みた爪を持ちつつも人間的な五本指を生やす。体躯は肩幅の広いがっちりとしたもので、身体の大きさに対しやや小さな頭は爬虫類的な外観で、トカゲというより恐竜を髣髴とさせる様相だ。

 だが変化も大きい。

 その背中に生えていたシリンダーは、形を大きく変えた。刃物のように鋭く、大きな背ビレとなったのだ。背ビレは二列生えていたがどちらも外向きに伸びており、またガラス面のようにキラキラと輝いている。更に尻尾の先には鋭いドリル状の突起物を持つようになり、長さも体長の一・五倍はあるだろうか。胸部には赤く輝く『コア』のようなものがあり、心臓が鼓動するかの如く一定間隔で明滅していた。更に頭部からは二本の、ヤギのように緩やかなカーブを描いた角も生えている。角には紋様のようにライトが走り、これもまた赤い明滅を繰り返す。

 頭部もじっと観察すれば、その異形に気付くだろう。恐竜的だった頭は、確かに今も恐竜に似ている。大きく開く顎を持つのだから。しかしその口の中にある歯は、まるでドリルのように鋭いもの。更に目のようになっていた赤いレンズは、今では三つ並んだ構造となっていた。

 尤も、このような数々の変化など人々はさして気にもしないだろう。それよりも、体長が事の方が遥かに重要なのだから。


【キャリリリリリリリ! ギャリィィ!】


 新たな姿となったパンドラは、喜びの咆哮を上げる。さながら勝ち誇るように、或いは勝利を宣言するかの如く。両腕を高々と掲げる姿も、人間的な感情を彷彿とさせた。

 はたまた、単に気合いを入れ直しただけだろうか。

 新生パンドラは大胆な変化を遂げたにも拘らず、休む事もなく動き出した。頭から生えている角、正確にはそこに走る紋様状のライトが一際強く輝くと、『視線』を遥か彼方……十数キロと離れた位置の市街地へと向ける。

 その市街地は、パンドラが接近中のため避難が進められていた。とはいえ人口が多い地域であり、住民が我先にと逃げるため自家用車を出した結果渋滞が発生。自衛隊による避難誘導や徒歩での退避が進められるも、未だ大勢の人々が残っている。

 パンドラが自分達の方を見ている。

 その事実に気付いた人々はパニックに陥った。動かない車を捨て、次々と走り出す。知らない子供を押し飛ばす者、その子供を抱き寄せて守ろうとする者、絶望して蹲ってしまう者、物陰に隠れる者……それぞれが反射的に選んだ『最善』の行動で、生き延びようとしていた。

 人間達の賢明な努力。しかしパンドラはその姿を遠くから見て、ガチャガチャと笑うように頭を揺れ動かす。小馬鹿にするようにも、純粋に楽しんでいるようにも見える仕草だ。

 次いで、二列の背ビレの間が、パカパカと幾つも開いた。

 奥に潜むのは筒状の兵器、所謂ミサイル。しかし以前戦闘機を落としたものとは少し形が異なる。戦闘機に向けて撃った鉛筆型のものと違い、先端が丸くて大きい、キノコのような形状をしていた。何より大きさが三メートル近くと極めて大きい。

 開いた穴の数は僅か十。その十の穴から、ボシュッ! という音と共に白煙が噴出する。そして高々とミサイルが撃ち上がった。

 ミサイルの存在に気付いた人々の悲鳴が木霊する……が、当のミサイルは人間の下には向かわず。頭上を通り過ぎていく。

 一発だけならまぐれの可能性もあるが、十発全てが人間達を狙わず。一般人のみならず自衛隊員も呆気に取られる中、ミサイルは遥か彼方でバラバラに砕ける。

 いや、砕けたのではない。

 分離したのだ。一発のミサイルの中から小さな爆弾が何百と放たれ、大地に降り注ぐ。これはクラスター爆弾と呼ばれる類の兵器によく似たもので、一個一個の爆弾の威力は極めて小さいものの、広範囲を散らばるため被害範囲を広大である。更に不発弾が残りやすいという問題があり、人道的観点により人間社会では条約で禁止されつつある兵器だが……ロボットであるパンドラにとっては知った事ではないのだろう。

 炸裂した爆弾は横一列に飛び、爆発。中身は可燃性の液体で、広範囲が炎に飲まれる。とはいえ焼かれている場所は主に道路などで、人的被害もあるにはあるが、密集地帯を狙ったものではない。

 一体あのミサイルや爆弾はなんのために撃たれたのか。多くの人々が疑問を抱きつつも、まずは逃げる事を優先しようとする。

 そして気付くのだ。

 、と。

 ミサイルから放たれた無数のクラスター爆弾は、いずれも道路の上で炸裂。横方向に広がる形で爆弾が落ち、広範囲の道路が通行出来ない状態と化していた。それも単に破損したというだけでなく、激しく炎が燃え上がっているなど、無理をしても通れる状況ではない。

 人間達の足が止まる。前に進む事が出来ないがために。

 では後ろは? 後ろはもっと無理だ。


【ギャキリリリリィィ! キリリリリリリリリリ!】


 子供のようにはしゃぐパンドラが、大声を上げながら猛進してきているのだから。

 パンドラの狙いは明白だ。ミサイルで人間達の行く先を塞ぎ、逃げられないようにして……踏み潰す。あたかも、子供がアリの逃げ道を手で塞ぎ、右往左往するそれを捕まえ、嬉々としながら潰して遊ぶかのように。

 パンドラにとっては人間もアリも変わらないのだ。そしてパンドラは、姿が一新してもその行動指針に大きな変化は起きていないらしい。

 迫る百メートルの巨体相手に、虫けらほどの大きさしかない人間達に出来る事など一つもなかった。

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