鋼血の膚

椎菜田くと

第1話 おびゃっこさまと守り人の少年

#1 天に祈りを、少年に救いを

 少年は走った。

 己の浅はかさを、子どもじみたわがままな行いを、激しく悔やみながら走った。幼いころから慣れ親しんだ山のなかを、友人たちとともに駆けまわった森のなかを、休むことなく全力で走った。


 ちきしょう。こんなときに、おれは──。


 だがもう遅い。里は燃えてしまった。多くの里人たちが傷ついた。家が焼かれ、畑が踏みしだかれた。もとの平和な暮らしはきっともどってこないだろう。

 少年がいくら後悔したところで、自分を責め立てたところで、一度起こってしまった現実は二度とやり直せはしないのだ。


 おびゃっこさまなら、きっとなんとかしてくれる。待ってろよ、じっちゃん、里のみんな。すぐ助けに行くからな──。


 道なき山道を駆けのぼる。

 おびゃっこさまの祀られているお社へは参道が整備されているのだが、山林を遊び場にして育った少年にしてみれば、舗装されているが曲がりくねった道を通るよりも、一直線に進める山の斜面を進んだほうがはやいのだった。

 小川があれば背中に携えた棒を使って棒高跳びの要領で飛び越える。その棒は本来なら棒術の稽古に使うものなのだが、少年は野山を駆けまわるときに有効活用していた。


 もうちょっとだ。もうちょっとで見えてくるはず──。


 額から滝のように流れてくる汗を腕でぬぐう。

 夏はまだ盛りを迎えていないというのに、立っているだけで汗が出てくるほどの暑さだった。山に囲まれたこの土地では、行き場を失った熱が里人を蒸し焼きにしようとするのだ。

 森が切れ、視界がひらける。円形の小さな草原に出た。その中央にはおびゃっこさまを祀るお社がたたずんでいる。


 いつ来ても静かな場所だな──。


 そこは森のなかにできたクレーターのような場所だった。なぜか木が生えておらず、動物たちは近寄ろうとしない。ざあっと音を立てて草や木の葉をゆらす風だけが、この不思議な地を吹き抜けてゆく。


 あのなかに、おびゃっこさまが──。


 お社はどこにでもありそうな木造の建物で、こぢんまりとしていた。おびゃっこさまは人々を救済する守り神だと里に伝わっているが、そのようなありがたい神さまを祀るにしては少々貧相なものに思われた。


 少年は扉をあけようと取っ手に手をかけ──


 すかっ。

 かからなかった。少年の手は、ただ空を切るのみ。


「あっ……やべえ、そうだった! どうやってあけりゃあいいんだ!」


 少年は叫んだ。

 お社の入り口は一見すると引き戸のようだ。しかし、これまでにワルガキたちがあけてみようと何度も試みたが、一度も成功したためしはなかった。なぜならこの扉には取っ手も鍵穴もなく、叩いても蹴ってもびくともしないのだ。もはや壁に近い存在だった。


 どうすりゃいい……こんなことで足止め食ってる場合じゃねえってのに──。


 両手で頭を抱えて髪をくしゃくしゃにする少年。

 もともと考えるのが得意なたちではない。しょっちゅう勉強から逃げだしては友人たちと野山を駆けまわり、日暮れ時になったら泥だらけで帰ってきて母にしかられる。考えるよりもまず行動するのが性に合っている、そんな少年だった。


 こいつがあれば、なかに入れるんじゃなかったのかよ、じっちゃん──。


 少年は懐から一枚の手の平サイズのプレートを取り出してじっと見つめる。銀色のプレートが陽の光を反射してきらりと光った。

 それは守り人の長の一族に伝わる家宝だった。数百年、あるいは千年以上も前から代々受け継がれてきたという言い伝えがあるのだが、いっさい朽ちることなく健在だ。

 紙ほどの薄さなのに破れることはなく、水にぬれてふやけることもない。火事に巻き込まれても焦げることすらなく残ったという。質感は金属のようだが、柔軟性があって簡単に曲げることが可能で、手を離せば元通りの形にもどる。

 紙でもなく、木でもなく、鉄でもない。現存するどんな物質とも似つかないプレートの存在が、おびゃっこさまという神さまが実在すると信じられる根拠となっていた。


 悩んでたってどうにもならねぇ。だったら──。


「おらぁ!」


 少年は体当たりをはじめた。

 どうせ考えたってわかるものでもない。ならば自分にできるのは力ずくしかない。少年はそう結論づけた。

 だが扉はびくともしない。


「うおぉぉぉ!」


 今度は棒を差し入れてこじあけようと試みるが、ありんこ一匹入る隙間もなかった。


 こんな棒切れじゃダメだ──。


 少年は里に伝わるプレートをもう一度見た。


 なにが家宝だ。こんな板切れ、なんの役にも立たねぇじゃんか――。


「くそぉ! こんなものっ!」


 ばしんっ。

 やけになった少年はプレートを扉に叩きつける。

 プレートが扉に押しつけられると、それを中心に光の線が扉全体にひろがっていき、ジグザグと不思議な幾何学模様を描いた。


「なんだ、これ……」


 ピーッ。

 どこからか不思議な音が鳴った。

 聞き覚えのない音だ。自然のなかで一度も聞いたことのない音。川のせせらぎとも、葉のざわめきとも違う。獣の唸り声とも、鳥の歌声とも似つかない。それは少年を不安な気持ちにさせる音だった。

 突然、扉が音もなくすっと開く。やはり引き戸のように真ん中から左右に別れたのだが、まわりにはだれもいない。


「うわぁっ!」


 どうして開いたのだろうか。そんなことを考えるヒマもなく、扉に体重をかけていた少年は支えを失ってお社のなかへと転げ込んだ。


 つ、冷てぇ──。


 倒れ込んだ少年の手やほおに床の冷たさが伝わってきた。

 いてて、とつぶやきながら立ちあがる。


 勝手に開きやがった。からくり屋敷だったのかよ──。


 そこは清浄な空気に満たされていた。開いたときと同じく静かに引き戸が閉まると、外の音が完全に遮断され、お社のなかはしんとなる。入り口が閉まって窓がないにもかかわらず、室内は不思議と薄明るかった。


 ここは……なんだかイヤな感じがする──。


 少年は身震いした。

 初夏にもかかわらず建物内はやけに涼しかった。外界との温度差で風邪をひいてしまいそうなほどだ。外装と違って壁も床も木ではなく石に近いひんやりとしたものでつくられている。

 だがそれだけではない。実際の温度変化よりも、ここの独特な雰囲気に彼の野性児としての本能が敏感に反応しているのだろう。


 おびゃっこさまはどこだ──。


 少年はきょろきょろと見まわす。

 からっぽだ。おびゃっこさまらしきものどころか、ほとんどなにもない。仰々しい扉でふさがれ、里人によって守られているわりに、お社のなかは泥棒に入られたかのようにすっからかんだった。


「おびゃっこさま!」


 少年の声は静寂のなかに反響し、霧のように消えていった。

 しんとした静けさがもどる。おびゃっこさまはあらわれない。


 そんな……ここまで来たってのに、無駄足だったのか。おびゃっこさまはいない。あるのはこんなもんだけ──。


 少年は奥へと進む。

 入り口と反対側の壁、少年のあたまとほぼ同じくらいの高さに、小さな両開きの扉があった。今度は取っ手がついている。試しに手前に引いてみると、入り口とちがって拍子抜けするほど簡単に開いた。


 神棚だ──。


 扉の向こう、壁のなかに埋め込まれていたのは、ミニチュアの神社だった。身近に神さまを祀り、祈りをささげるためのもの。手前側にはご丁寧に赤い鳥居まで設置されている。少年には製作者のこだわりが伝わってきたような気がした。


 たしか、神棚にはお札を飾るんだよな――。


 神さまの名が書かれたお札。いまの少年はそんなものを持ち合わせていない。代わりにお供えできそうなものもない。


 しゃあない。お札じゃないけど、これでいいか――。


 少年は例のプレートをお供えすることに決め、神棚に置いてみた。


『IDカードを確認しました』


 プレートを置いた途端、謎の声が聞こえてきた。


「わっ! だ……だれだ! どこにいる!」


 きょろきょろと屋内を見まわすが、やはりだれも見当たらない。


『エマージェンシーコールを送信します』


 ぞわぞわっ、と少年は身の毛がよだつのを感じた。


 なんだ、これは……人の声、なのか――。


 いっさい感情のこもらない声。魂のない抜け殻のような声だった。意味はわからずとも人間の言葉であることだけは確かなのだが、その声は少年に人形がしゃべっている様子を連想させた。

 そのとき、お社に魔の手が襲いかかる。

 激しい衝撃と爆発音。入り口側の壁の一部がくずれ落ち、屋内まで熱い爆風が入り込んできた。


「あちちちっ」


 熱風が少年の顔をなでた。

 二度目の攻撃が来る。一発目よりも大きな爆発音。耐えきれなくなった壁がばらばらになって飛び散り、お社は半壊状態になってしまった。


「日当たり良好。なんて、言ってる場合じゃねぇよな……」


 これまでは窓がなく暗い雰囲気だったお社が、いまではすっかり見晴らしのよい空間となっていた。暖かな陽射しをたっぷり取り込んだ明るいお部屋。匠の技術によって生まれ変わったのだ。

 すでになくなってしまった壁の向こうから、お社を破壊した犯人がずんずんと草を踏みしだきながら近づいてくるのが見えた。


 おれを追ってきやがったのか――。


 大トカゲの妖怪。里を襲った集団の一匹だと思われた。その巨体は少年をたやすく丸のみにできるほどだ。

 ほお袋のようにぷくうっとほおをふくらませる。口を大きく開くと、そのなかから火の玉が発射された。


 やべぇ──。


 少年はとっさに横っ跳び。

 火球は神棚のある壁に直撃。これを粉砕する。お社はふたたび生まれ変わり、風通しのよすぎる開放的な空間となってしまった。


「つ、つえぇ……」


 なんだこの妖怪は。こんなバケモンみてぇに強い妖怪は、見たことないぞ──。


 四つん這いの姿勢でゆっくりと近づいてくる大トカゲ。全身を覆う鱗はいかにも硬そうで、まるで鉄の鎧を身に着けているかのようだ。丸太のような尻尾で地面を叩き、ビタンっと音を立てて威嚇してくる。


 逃げるか……いや、おれが逃げたら、こいつはまた里を襲うに違いねぇ。ここで倒すんだ。おれの力で──。


 少年は背中に手をまわし、棒をとり、構える。

 幼いころから祖父の指導を受けてきた少年の実力には、里の大人たちも一目置いていた。勉強のほうはからっきしだが、腕っぷしは同世代の友人たちに一度も負けたことがないほどだった。


 どんなやつだって、頭さえつぶしてやれば──。


 少年は大トカゲに向かって走りだす。

 大トカゲ、右前足の爪で応戦、ひっかき攻撃。

 鋭い爪をひらりとかわす少年。そのままトカゲの頭に棒を打ちおろすが、硬い鱗に阻まれて有効打にならない。


 ちっ、硬すぎる──。


 大トカゲはくるんと百八十度回転し、尻尾を鞭のようにしならせて横になぎ払う。


「やべぇ!」


 少年はとっさに棒を縦に構えて防御態勢に入る。

 振りかぶられた尻尾は少年の胴体よりも太い。盾代わりに構えられた棒をへし折り、少年の胸に直撃する。


「うぐっ──」


 少年は草むらまで吹き飛ばされ、ごろごろと転がった。胸に強い衝撃を受けてうまく呼吸ができず、げほげほと咳込む。幸いにも骨は折れていない。防ぎ切れなかったが、少しは棒が役に立ったようだ。


 強すぎる……こんなやつに、勝てっこねぇよ──。


 大トカゲは尻尾を支えにして二本足で立ちあがった。倒れる少年に狙いを定め、ほおをふくらませる。


 神さま、仏さま、おびゃっこさま。だれでもいい、おれたちを助けてくれ。おねがいします──。


 少年はぎゅっと目を閉じる。


「かぁちゃん……じっちゃん……」


 もうダメだ、と死を覚悟する少年の脳裏に家族の顔が浮かんだ。

 だが、少年を焼き払うはずの火球は飛んでこなかった。まるで彼の祈りが届いたかのように。


 あれ? どうして──。


 恐るおそる目をあけてみる。

 すると、大トカゲは動きを止めて空を見あげているではないか。


 なにを見てんだ──。


 少年も天を仰いだ。


 流れ星だ──。


 怪物の視線の先、はるか上空から、一筋の流星が落ちてくる。

 天気は快晴。どこまでも青空が続いている。高く昇った夏の太陽は容赦なく地表を照らしつける。にもかかわらず、流星は圧倒的な存在感を放っていた。


 夜でもないのに、流れ星があんなにはっきり見えるなんて──。


 流星はどんどん接近し、その姿がだんだんとあきらかになってくる。ただのごつごつした岩石のかたまりとは違っていた。


 今度こそ、おびゃっこさまなのか──。


 流れ星に願いを。少年は最後の希望を託す。

 しかし、己の身に迫る危険でも察知したかのように、大トカゲの妖怪が目標を少年から変更し、流星目がけて火球を吐きだす。

 一発、二発──


「やっ、やめろぉ!」


 少年は思わず届くはずのない手をのばした。

 火球は衝突コースに乗っている。こちらに一直線に向かってくる流星を狙うことはさほど難しくはない。先読みの必要なく撃ちまくればいいのだ。

 三発、四発、五発──

 連射された内の数発が流星に直撃。爆散。


「あぁ……」


 弾け飛んだ流星のかけらとともに、少年に残された最後の希望が散ってゆく。


 いやまて、あれは──。


 恵まれた視力を持つ少年の目が、砕け散った破片のなかに人影があるのを見つけた。森へ向かって落ちていく。

 少年はすぐに走りだしていた。

 本当に人なのだろうか。人だとして生きているのだろうか。なにもわからなかったが、頭が働くよりはやく足が動いていた。

 人影は、お社周辺の草原エリアと外側にひろがる森エリアの境目あたりに落下しそうだ。ちょうど木に引っ掛かって落下速度が落ちてくれれば助かる可能性は十分にある。


「うおおおぉ!」


 少年は全力で走った。


 もう後悔はしたくねぇ──。


 見立て通り、人らしきものは木に落ちた。

 青々と茂る葉がクッションとなってくれている。がさがさと枝葉をゆらしながら、それはゆっくりと降りてきた。


 よし、間に合った──。


 少年は木の下にたどり着いた。落下予想地点で両腕を前に突きだし、キャッチしようと身構える。


 来た──。


 視界に飛び込んできたのは、黒々とした巨大な剣だった。

 ずどんっ。

 大剣は少年のすぐ目の前、ひろげた両腕のあいだに落ちてきて、鈍い音を立てて地面に突き刺さった。


「あっ……うっ……あっ……」


 少年、思考停止。

 心臓、停止寸前。

 金魚のように口をぱくぱくさせる少年。あとほんの少しずれていたならば、彼の頭は棒に叩き割られたスイカのようになっていたことだろう。

 続けてがさがさという音が聞こえた。今度こそ人が落ちてくる。


「はっ……あぶねぇ!」


 少年、再起動。

 落下予想地点、修正。

 すばやく真下に移動。落ちてきた人を細腕で受けとめる。足を曲げて衝撃を殺し、安全にキャッチできた。


「お、おんな? しかも、まだガキじゃねぇか」


 大剣に続いて落ちてきたのは、黒髪の少女だった。

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