第4話「定例保護者説明会」

第四章


 時がたつのは早いもので、あっという間に土曜日になってしまった。

 私立校ではあるが土曜日授業が無いという変わった高校で、聞くところによると、週末はそれぞれの家庭の習い事などに時間を当てられるようにとの配慮のようだ。

(しかし…。)

「なあ、未来。」

「は、はいっ。」

「今日は僕一人でも大丈夫だって。」

「だ、だって…、心配なんですもん。まさかこんなことになってるなんて…。本当に申し訳 ございません…。」

「いや、別にいいんだよ。理事長から指名されて、僕自身が承諾したことだから。」

 そう言っても、不安の色を隠せない表情で僕のことを見つめてくる。

 まあそれも無理もない…、いや、そう思ってしまうのも当たり前だろう。。

 僕が今地元で暮らしていたとしたら、きっと母さんや親戚に引き止められて、学校にクレームを入れていたかもしれない。

 理事長は、僕の進路について最大限配慮をすると言っていた。

 しかし何度も言うが、この学校に通っている生徒の保護者は、凄い人…言い換えれば強者揃いだと聞いている。

 だからたとえ理事長だとしても、権限が及ばない領域があってもおかしいことではない。

 現に国からの通達を断固として拒否できなかったあたり、明らかなことと考えて間違いないだろう。

「…無理だけは、しないでくださいね。」

 涙目になりながら語り掛けるその姿を見た僕は、静かに頭に手を置いた。

「あうっ…。」

「別に戦場に行くわけじゃないんだから、大丈夫だよ。ね?」

「はい…。」

「それじゃあ行ってくるよ。近くの喫茶店で待ってて。」

「分かりました。…あの。」

「ん?」

「行ってらっしゃい。」

 思わず心を打たれた。

 こんなに自分のことを想ってくれる人は、家族以外では多分初めてだ。

 いや、もしかしたら家族以上に、僕の身を案じてくれているかもしれない。

「うん、行ってきます。」

 そう思ったら僕が成し遂げなければいけない事実は唯一つ。

 先生から聞いた限りでは、学校側としては毎回かなり厳しい立場になるようだ。だからいくら格好つけたことを言っても、不安な心を完全に拭うことができない。

 それでも胸の中にある、未来を守りたいという強い意志を胸に、会場へ向かった。


 しかし…。

「なんだ、この空間…。」

 来場する保護者のオーラが半端じゃない。

 見慣れているはずの体育館なのに、まるで別世界に飛ばされたような…、そんな感覚だった。

 僕は今、壇上の関係者席に座っているのだが、正面、右、左の三方向どこを見ても、誰かしら見たことのある人が続々と席を埋め尽くしていく。

中にはすでに僕の存在に気がついて、ヒソヒソと会話をしだす人の姿も見受けられた。

 実は先程聞いた話なのだが、ここは必ずしも生徒が出席してはいけない場所ではないらしい。

 しかし出席すると言っても、その殆どは生徒会役員などに限られているため、僕のような男子生徒が登壇することは前例がない、とのことだ。

(厳しくなるな、これは…。)


「それではこれより、定例保護者説明会を開催いたします。」

 司会の先生…、あの先生、確か今年赴任してきた新人の方だったはず。

(司会と言っても、台本を読むだけじゃないだろうに。大変な学校を選んじゃったんだ   な。)

 …本人に言おうものなら、絶対に「余計なお世話だ。」って言われるに違いないが。

 さすがに開始早々ヤジなどは飛ばずに、出席者の軽い紹介が始まった。

(…そろそろ僕の番だ。)

「続いて本日は生徒が一人出席しています。二年B組浦瀬祥太郎。」

 先の登壇者に倣って、起立をして軽く一礼した。

(…やっぱり。)

 僕の紹介が終わった直後、会場全体がどよめきだした。

「何で生徒が?」

「しかも男子生徒よ、男子。」

「どれだけ俺たちを怒らせるんだ。」

「いや、きっと見せしめだろう。」


(………。)

 なんだか散々な言われようだが、この状況は裏を返せばチャンスともとれる。

「…思っていたほど品のある人達ばかりじゃないんだな。」

 こんなことを、率直に感じてしまったが。

  

 まず最初に理事長が挨拶をした。

 先に述べた通り、この学校は有名な国会議員と深い関わりがある。

 ここにいる大人たちの殆どは、きっとこの事実を知っている。

 その議員は、様々な業界で幅を利かせているため、うかつに口を出すと自分の事業ないし政治生命が危ぶまれてしまうのだそうだ。

「だとしたら…、なんとも汚い話だ。」

 そう呟かずにはいられなかった。


 その後に保護者会の会長が挨拶をしたのだが、まさかの出来事が起こった。

「先生、一つお伺いしてもよろしいでしょうか。」

「は、はい。なんでしょうか。」

司会の先生がビックリしながらも返答した。

「今回の議題は、学校の運営に関することとお聞きしています。それなのに、なぜ生徒が出 席しているのでしょうか…。しかも生徒会役員などではない、あろうことか男子生徒を。」

会場からは、小さくでもはっきりと同調する声が響いている。

「あ、えっと…。」

(なんだこの人…。しかしこれはまずい状況だ。司会の先生が押されてしまっている。)

「理由だけでも、答えていただくことはできないのでしょうか。」

 静まり返る会場。

 こういうのは長引けば長引くほどに、リカバリーが難しくなってしまう。

(僕が理由を説明したほうがいいのか?)

そうは思ったものの少し躊躇していると、

「私が無理を言って、彼に出席してもらうよう頼んだのだよ。」

 と、理事長が威厳を全面に押し出すような口調と表情で、マイク越しに答えた。

「り、理事長。それは本当ですか?」

「私が嘘をついたことはあるか?」

「い、いえ、ございません。失礼いたしました。」

(………。)

 無礼なことを言うが、素の態度ともとれる姿を見れることができて、少し嬉しくなった。

しかし司会の先生が完全にあたふたしていて、せっかくの理事長の助け舟に上手く乗れていない。

(仕方ない。これはもう、僕が喋ったほうがいいだろう。)

 司会の先生に断ってマイクを受け取り、静かに話を切り出した。

「初めまして。浦瀬祥太郎といいます。このような説明会に、一生徒である私が参加      

 していることを、どうかお許しください。実は今回の議題の一部に、私が深く関わ 

 っているので す。ですので、今回の議題に対する当事者として、また、その人と

 いつも隣にいて接している者として、今ここで話す機会を設けて頂けているのだ

 と、そう思っております。」

 会場が静まり返った。

「会長、私のような人間は、本来この場にいるべき人間ではないと、理解しておりま

 す。しかし、先ほどにも申し上げましたように、今回の議題の一部分に関してです

 が、当事者としてお答えすることができると思っています。」

 相手を刺激したり、間違えたことを言わないように、慎重に言葉を選んで発言をした。

「君…、もう一度名前を聞いてもいいか?」

「浦瀬祥太郎です。」

「浦瀬くんか。その名前覚えておくぞ。」

 このようなことを言われるのも想定内。しかし、ここで屈してはいけない。

今回の議題は、先の会議で聞かれたことと同様なものだと、理事長から聞いている。

「それでは、浦瀬くん。そこまで言うのならいくつか質問をさせてもらう。この学校はなぜ共学という道を選んだのか。この議題が何年も前から上がり続けているんだ。男子生徒である、君の意見を聞いてみたい。」

(ああ、やっぱり来たか、この質問。)

「ご回答いたします。まずお断りいたしますが、私はこの学校の伝統には詳しくはあ

 りませ ん。しかし、過去数年間の記録ですが、この学校の偏差値と入試志願者数

 の低下がみられ ます。具体的に申し上げますと、偏差値は五ポイントほど低下し 

 ています。志願者数に関 しては、少子化の影響も大きいので、割愛させていただ

 きます。ここ数年間で、国内すべ ての学校を取り巻く環境が大きく変化していま

 す。保護者様の中には、国家公務員の方も 多数いらっしゃるとお聞きしていま

 す。それならばご存知の方も多いはずです。この学校 は教育の重要指定校に選定

 されています。選定されたからには、教育内容も含め変化が  あっても何ら不思 

 議なことは無いと考えます。しかし校歌初代理事長の教育理念など、継 続して受

 け継がれていく部分もたくさんあるはずです。裏庭に咲いている桜の木だってそ 

 うです。あれは国の管轄なので厳密には違いますが、学校内にあるため、正当な理  

 由があ れば撤去の依頼もできると、理事長より伺いました。残すべきところは徹

 底的に精査をした上で残し、その上で変えるべきと判断できるところのみ変えて

 いく。これが伝統を守る 本来のあり方ではないでしょうか。」

 この先が話の肝となる部分だが、一旦切り上げてみた。意図的に、だ。

「…君が非常にしっかりとしていて、対等に話のできる生徒であることは分かった。

 確かに伝統を守るために改革が必要なことは、私達もどうしても受け入れないとい

 けないことだ と理解はしているつもりだ。」

(そうか、そこは分かってくれているのか。)

 それならば、どうしてここまで必死になっているのか、そこが分からなかった。

「少し質問を変えてもいいか?」

「はい。私が答えられる範囲でしたら。」

「この学校が共学になったことの、大きなメリットを挙げられるかね?」

 この質問は想定していた範囲だったが、内心では出てきてほしくない質問だった。

 なぜなら…、前述している僕の学校生活を垣間見れば、理由は分かるだろう。

「そうですね…。」

 少し考えたが、この質問に対する回答には、秘策がある。

「そもそも、メリットとデメリットで分類しようとする考え方がおかしいと思います。」

「どういうことだ?」

 これは完全に付け焼き刃で、未完成な回答となるため、他の質問よりも慎重に言葉を選ぶ必要がある。

 喉から心臓が飛び出しそうな、そんな緊張感に見舞われながらも、深く深呼吸をして切り出した。

「高校を受験するときは、偏差値という数値や、学校説明会及びホームページやSNS

 での口コミ等での、限られた情報の中から精査をして、複数の高校の中からこの学

 校を選ばれたのだと思っています。しかしこのような情報は、その殆どがいざ入学

 をするとどうでもいい事になりませんか?そこで出会う先生やクラスメイト、知ら

 なかった学校の良いところ…時には悪いところも見つかるでしょう。そのときに入

 学前の自分を思い返すとどういう気持ちになるでしょうか?恐らく多くの人が、そ

 の時のことなんてどうでも良くなっているはずです。しかし男女共学になった事実

 に関しては、反対を示される方がいても何らおかしいことではないと思います。」

「そうだろう、私は女子校であるという事実がとても重要だと思っていたのだよ。た

 くましくて自主性のある女性に育ってほしいから、この学校に入学させたんだ。」

(…なるほど。)

 親ならではの意見だと感じた。これに関しては、会長の言っていることは正しいし、もっとも過ぎる考え方だと思う。

 しかしこの話をする前にどうしても確かめたいことがある。

 その質問はとてもリスクの高い質問で、互いに嫌な思いをする可能性が非常に高い。

 だから、この話題に上がらなかったら絶対に聞こうとは思わなかった。

(怖いけど、それでもこれだけは聞いておきたい…。)

「この学校に留まる理由って何ですか?」

「ん、どういうことだ?」

「女子校は数こそ減ってきていますが、全国に多数点在しています。もし女子校であ

 るという部分に重きをおいているのであれば、場所を変えるという選択肢も存在し 

 ます。」

 一か八かの質問に、会長の表情が険しくなった。

「この学校には有名な保護者様が多数おられます。要するに、そういうこと、なのでは?」

 考えたくないが、いわゆる『特典』目当ての親も、中には存在しているに違いないと、勝手に仮説を立てている。

 担任の先生に、会長は国会議員やそれに付随する役職ではないとのこと。

 だから…、考えたくはないが篩にかける必要があると思ったのだ。

「………。」

(頼む、なにか喋ってくれ。頼むから…。)

しかし僕の心の願い虚しく、それから会長が口を開くことはなかった。

「え、えー…、男女共学化に関することは、後日全校生徒を対象にアンケートを実施

 し、その結果を元に次回の説明会にて、再度ご説明をいたします。」

 頼りないながらも助け舟を出してくれた司会の先生には、感謝の言葉しか浮かばない。

 なんだかこの歳にして知らなくて良いことを、ここ数日で幾度となく頭の中に叩き込まれている気がする。

(知らなくても良い世界って、本当に存在したんだな…。)

「浦瀬くん。」

「はい。」

「もう一つだけ、聞いてもいいか。」

「はい。私に答えられることでしたら。」

「君は障碍者をどう思う。」

「申し訳ございません。どう思う、とはどういうことでしょうか。」

「私はこの学校が、いつまでも名門という言葉に恥じない学校であってほしいと願っ 

 ている。しかし、共学の件と併せて、同じように国から通達が来ているのは、私も

 知っているのだが…、障碍者は特別学級という枠がちゃんと用意されているだろ

 う。それなのに、普通学級に転入しようとするのか、そこが分からない。先ほどの 

 質問の時のように、もし君の意見があるならば聞かせてくれないか。」

「承知いたしました。」

 この質問の基本的なことは、理事長会議で話したことと同じことだが、決定的に違うことがある。

 学校会議では学校運営に関することでの提起だった。

 しかし今、会長が言っているのは…障碍者そのものに対する質問で、学校会議のときと比べて、とてもシンプルなものに感じた。

「それでは、私の分かる範囲のことで回答いたします。まず第一に、ひと括りに障碍

 と言っても、様々なものがあります。大きく分けると、身体障碍、知的障碍、発達

 障碍、精神障碍でしょうか。ですがここで一つ誤解をされている部分がございま

 す。障碍という枠組みに入っている人すべてが、特別支援学級へ振り分けられると

 は限らないのです。例えば企業でも、法定雇用率というものが存在しているはずで

 す。その対象の企業では一定の枠を設けて障碍者を受け入れる体制を整えつつある

 と、調べていて分かりました。もちろん特例子会社のような、特別支援学級に近い

 形で障碍者を雇っている企業もあります。おそらく会長は、先日に転入してきた生

 徒のことを仰っていると、私は解釈しています。その生徒ですが…、彼女はトラン

 スジェンダーという特性を持った生徒です。」

「特性とはどういうことだ。障碍とは違うのか?」

「そこが難しい問題の一つでして、分かりやすく言うと、性格・特性・障害という段

 階で考えていただくのが良いかと思います。障害であるかどうかの一つの判断基準

 として、本人が日常生活を送る際に支障を感じているかどうか。が挙げられると私

 は考えます。トランスジェンダーという呼称は、生まれ持った体の性と心の性が一

 致していない人の総称だと考えてください。の枠組の中にも様々な分類が存在して 

 いて、広く知られているもので、性同一性障碍があります。」

 学校関係者を含め、会場内の全員が目を丸くして僕の話を聞いている。

 無理もない。

 一生徒である自分が、ここまで知識を持っていると思わなかったのだろう。

(舐められては困るんだよ。)

 当たり前だと思うが、僕だって今回の議題について、それなりに調べたうえでここにいる。

 武器にするつもりはないが、聞かれたときにきちんと答えられるだけの知識は、仕入れておくのが礼儀だと思っているからだ。

「私は娘から、その人は性同一性障碍だと聞かされていた。娘は医師を目指して勉学

 に励んでいるから、そのような知識は持っているはずだ。妹の判断は間違えていな

 い。」

(うーん…。この反論理由は、私情が含まれてないか?)

 少しだけ声色が変わったあたり、少なくとも会長はそうなのだろう。

(まあ、私情が挟まっているのはお互い様か。)

 仮にそうだとして、娘さんの判断は間違えてはいないが、最大の難関ポイントであり重要ポイントでもある、的を射ていないんだ。

「性同一性障碍を判断するのは、該当者なんです。」

「どういうことだ。」

「該当者本人が治療を希望して、初めて診断をすることができるのです。」 

 何を言っているのか分からないと言わんばかりの表情をしている。

 つまりこの問題は、経験則だけでは到底解決できない。

 当たらしく分かってきたことをどれだけ調べることができたか、そして、その本人とどれだけ向き合えたかで全てが分かると、僕は確信している。

「性同一性障碍という言い方は、性別違和という表現に変わりつつあります。」

「ああ、娘から聞いたことがあるな。」

「それは何故だと思いますか?」

「………。」

 答えたいけど分からないから答えられない。

 そう言わんばかりの、悔しさを隠しきれない表情をしている。

(調子に乗りすぎか。)

 少し反省して、静かに話した。

 先日の会議の内容と被るため、会話部分を省略するが、普通は会長のような考え方の人が大多数なんだと思う。

 今の自分は決して褒められた人間じゃない。

 出過ぎた真似をしているのは自覚しているし、きっとここにいる人たちにしっかりと名前を覚えられていることだろう。

 理事長の後ろ盾だって、その権力は絶対的なものではないはずだが、それでも未来を守りたいと思う原動力が衰えないのは、きっと…。

(まあ、そういうことでしかないよな。)

 そう思った僕は、そういう意味でも少数派なのだ。

 少し自分のことを俯瞰して心の整理をしてから、静かに会長に話しを切り出した。

「会長、突然の質問ですが、バリアフリーについてどうお考えですか?」

「随分と唐突だな。」

「失礼しました。私は今までバリアフリーについて、少しだけ考え方が固着していた 

 んです。」

「ほう。」

「障碍者やお年寄り、妊婦さんなどに代表される、ある特定のカテゴリーに振り分け

 られた人が対象になるものだと思ってたんです。」

 当たり前じゃないか?と言わんばかりの表情で固まっている会長を見て、確信した。

(ああ、そうか。これがこの議題に関する本当の核心部分だったんだ。)

「会長、大変失礼なことと存じますが、年齢をお伺いしてもよろしいでしょうか。」

「私か?今年で58歳になるが…それがなにか関係があるのか?」

「足腰が悪くなってきたなーとか、感じることってございませんか?」

「君は唐突にに失礼なことを言ってくるから、返答に困るよ…。確かにこの間、医者 

 からはゴルフを辞めるように指示を受けたよ。歳を重ねると、自由になっていく 

 ようで実際はできないことが増えていくから、同しようもないな。」

(………。)

 そう静かに話している会長を見ていると、なんだか少し悲しくなった。

 さっきまでの威厳がなくなった…、と言っては失礼だが、急に物腰柔らかな喋り口調になった会長は、どこにでもいる普通の人だった。

 この人だって、ご家族や学校のことを心配して、こうやってリスクを犯してでも壇上に上がって自分の意見を言っている。

 僕もきちんとした大義名分…、障害に対する理解を深めてほしい、未来のことを守りたいという気持ちを胸に、今ここにいる。

 ここは勝負をする場ではなくて、互いの意見を伝え合って精査をする場所なんだと、この時初めて理解した。

(未熟者という言葉の意味を 問われたら、今の僕はそのいい例になるんだろうな。)

「最近テレビで、生活に役立つ便利グッズなどを紹介する番組が増えていると感じま

 せんか?」

「確かにそうかもしれないが…、それがバリアフリーとつながる。といったことを言

 いたいわけか。」

「私もここ数日の間に様々な人や場面に出会って、この結論に行き着きました。既存

 するバリアフリーの設備や観点は、そのすべてが私たちの生活と地続きで繋がって

 いるんです。左利き用の文房具とか、全員が共通して身に着けるランドセルや学

 生カバンに制服。考え方にもよりますがレディースデーなども同様に捉えることだ

 ってできます。それを踏まえると、会長を含め皆様も、知らないうちにどこかで誰

 かに支えられたり、恩恵を享受していると思いませんか?」

 静かに聞いていた会長だったが、完全とまではいかないけれど、腑に落ちた部分があったのだろう。

 眉間のシワが薄くなってきたことが、それを物語っている。

「この問題は、学校で生活している人々のみならず、毛怪獣すべての人が当事者です。ですので、前提を覆すことを言ってしまいますが、この場で結論を出すべき問題ではないのです。」

「………。」

「娘様を始め、この学校で学んでいる生徒の皆さんを、もう少し信じてみても良いのではな いでしょうか?」

 未来のことをここで話すのは、そもそも時期尚早なのだ。

 転入をしてきた事実とそれに対する学校への不満ばかりが先行してしまっていて、先程から議論になっていない。

 僕も気が付くのが遅くなってしまったが、議論をするだけの知識とデータを、少なくともここにいる会長は持ち合わせていないだろう。

 よって、この場でこれ以上議論をしたとしても、ただ間延びしてしまうだけだ。

 僕の役割は、きっとこれで落ち着くのだろうと、そう感じた。

「浦瀬くん。」

「はい。」

「最初はとても生意気な生徒だと感じていたが君は、何というか…、とても優しい人だった んだな。私の職場にも君と同じような性格の人がいるよ。」

「あ、ありがとうございます。」

「君は今、楽しく学校生活を送れているのか?話している限りだと、その特性を持っ

 た生徒と深く関わっているようだが…。」

「そうですね…。」

「私からの、最後の質問だ。」

 言葉で表そうとすると、該当する表現が幾つも思い浮かぶ。

 しかし、会長自身が最後の質問であると明言したからには、僕自身も今まで以上に、気持ちに正直に…逃げることなく話したい。

「幸せだと感じています。」

 最後の最後にして、会場の空気がまた、一変した。

 会長も意外な答えに驚いた表情をしているが、これが今の僕の最適解だ。

「彼女が転校してきてくれて、高校生活で初めて居場所が出来ました。家に帰ってか

 ら調べ物をしたり、生活の手順は増えました。それでも一緒にいると、同じ話で共

 感したり、自分も転校して間もなくて大変なはずなのに、私のことを気にかけてく

 れたりします。ですので他の生徒も少しだけでも接してみると、考えが変わると思 

 います。」

 これが今の僕の総評で、もうこれ以上言えることはない。

「そうか…。」

 少し考えた会長だったが、

「大人がこんな調子では、子どもたちに示しがつかんな。まずは…、難しいかもしれ

 ないが、先入観を見直さないと議論のスタート地点にも立てない。申し訳なかっ

 た。」

「いえいえとんでもないです。私の方こそ立場を逸脱したことを言ってしまって、申

 し訳ございませんでした。」

 これで、僕と会長のやり取りは終わりを告げた。

 通常に戻った(?)保護者説明会は順調に進み、学校生活の普段の様子や生徒の資格取得情報、改めてになってしまったが質疑応答の時間が設けられて、二時間ほどで終了した。

 ほかの登壇者よりも少し早めに体育館を後にした僕は、校庭脇の自動販売機でミルクコーヒーを買って、学校を後にする保護者の背中を見ていた。

 一時は会長の真意を聞き出そうなんて馬鹿なことをした自分に、とてつもない罪悪感を抱いてしまった。

 どんな人であっても先輩に対して敬意を持って接しろという、地元にいたころに言われたことを思い出した。

 一度歯車が回りだすと止まらなくなってしまう自分も、もしかしたら他人事ではなかったのかもしれない。

 担任の先生から「頑張ってくれてありがとうな、浦瀬。」と言ってくれたことが唯一の救いで、必死になって涙をこらえた。

「完全にやりすぎたな。」

 僕のこれからの学校生活は、どうなってしまうのだろうか。

 会長は納得してくれたようだったが、あの保護者会には大勢の保護者がいる。

 誰が聞いていたかなんて、今考えるとゾッとしてしまう。

「朱いな…。」

 もし停学や退学になったら、この空と同じ色の大きな印を押された書類を突き付けられるのだろうか…。

 伝えたいことを伝えきったのに、ちっとも気持ちが晴れてくれない。

 その時、スマホのバイブレーションが作動した気がした。 

(祥太郎さん、今どちらにいらっしゃいますか?)

未来からだった。学校から保護者が出てきたのが見えたのだろう。

(校庭脇の自販機に寄りかかってる。

「燃え尽きたな。」

 しばらくは動けそうになかった。

「きつかった…。」

 あの時は迷う暇なんてなく、とにかく知りえている客観的に伝えることに全力だったから、こんな気持ちになるなんて、想像もしていなかった。

 でもこれで、たとえゆっくりでも僕たち男子生徒や未来をはじめ、これから入学してくる人たちの力に慣れているのなら、目的は達成できたといえる。

(自己犠牲。)

 地元にいる昔なじみの友人に、よく言われていたのを思い出した。

「人のためだったら際限なく頑張るのはやめなさいって、よく説教されてたな。」

 これ以上嫌なことを思い出す前に、未来のところへ行こうと立ち上がったとき、

「祥太郎さん、大丈夫ですか?」

 未来が息を切らして駆け寄ってきた。

「悪い。心配かけたな。」

「祥太郎さん…。」

「どした?」

「無理しないでって言ったじゃないですか…。」

「ああ。」

「それならどうして!」

「好きだからだよ。」

「え…。」

「未来のことが好きだから、ちょっと格好つけちゃった。」

「………っ!」

「はははっ。大人の世界に首を突っ込むのって、想像以上だったよ。」

「私も…私も祥太郎さんが大好きです!」

「…ありがとう。」

「それでも、もっと自分を大切にしてください。こんな表情の祥太郎さんは、見ていて辛い です…。」

「せっかく両想いを確認できたのに、これじゃ彼氏失格だな。」

「ううん、私、今人生で一番幸せです。」

(僕もさっき、同じようなことを言ったっけ。)

「僕でいいの?」

「祥太郎さん以外考えられません!」

「…なあ、未来。」

「はい。」

「今日、家に来てよ。一緒に居たい。」

「はい。私もです。」


 帰り道はお互い会話はせず、バスの最後列に座って、体を寄せあいながら静かに眠っていた。

 終点間際、何となく目が覚めた僕は、隣でピッタリとくっついて眠っている未来の頭を撫でていた。

(…。)

 あの話し合いをした前は、抱えていた暗闇が少しだけでも晴れるものだと思っていた。

 それくらい、そこを照らす光を求めて、暗闇の中の畦道を、必死になって進もうとしていた。

 未来といるときは、言うまでもないがとても楽しい時間を過ごすことができている。

 しかしそれを他の人に伝えないといけない場合になったときの、自分自身の未熟さが露呈してしまった。

(少しでも大人と張り合えると思ってた自分が馬鹿だったな。)

 もう一人の自分が暴れ狂っていた、そんな気分だ。

「ダメだな僕は。また余計なことを…。」

「んっ…、祥太郎さん。大丈夫ですか?」

 しまった声に出ていたようだ。

「悪い。起こしちゃったな。」

「いえ、大丈夫です。もうそろそろ終点ですよね。」

 

 ヘッドライトが交錯する駅前は、帰宅する家族を出迎える車で溢れかえっていた。

 三回ほどクラクションを鳴らしてやっと停留所まで到着したバスを降りると、すかさず未来が腕を絡めてきた。

 今日ほど、今を精いっぱい生きた経験はなかったかもしれない。

(青春とはほど遠い体験だった。)

 何となく未来の頭を撫でてあげると、くすぐったそうに腕に頬ずりしてくる。

「なあ、未来。」

「はい?」

「なんでそんなに可愛いの?」

「きゅ、急にどうしたんですかっ?」

 顔をボッと赤らめて、しどろもどろになりながら聞いてくる。

「そういうところも可愛い。」

「からかわないでくださいっ。」

「からかってないよ。」


 自宅に着いた僕たちは、軽くシャワーを浴びて、倒れこむようにベッドに横になった。

(………。)

(………。)

 お互い抱き合ったまま何も言わない時間が過ぎていく。

 秒針の小刻みな規則正しい音と、僕が発する不格好なほどに不規則な音が交錯する。

「祥太郎さん。」

「どうした?」

「呼んでみただけです。」

「なんだよ、それ。」

「えへへっ。」

 そう思った瞬間、僕の中で何かがはじけ飛ぶような感覚に襲われた。

「未来、こっち向いて。」

「はい…?」

(…………。)

 静かにでもしっかりと、僕は未来にキスをした。

 顔を赤らめるどころか、今にも蒸気が吹き出しそうな表情になっている。

「可愛い…。」

「か、可愛くないです…。」

「可愛いって。」

「祥太郎さん。」

「なに?」

「もっとお話ししていたいですけど、疲れてるんだったら、そろそろ寝ましょうよ。「もっとお話ししていたいですけど、疲れてるいるのでしたらそろそろ寝ましょうよ。今日は私が、眠るまで抱きしめてあげましょうか?」

「…いや、いいよ。ありがとう。」

 甘えられるときには素直に甘えていいのにと未来は言っていたが、恥ずかしかった。

 隣に温もりがあるだけで、今は十分だ。

 もう少し話をしたかったが、今日は疲れのほうが勝っている。

 それから数分もしないうちに、僕は眠りについた。

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