1 因習村へいこうよ(3)

 瑞尾村は谷底に拓けた小さな盆地にあった。切通のような、軽自動車一台がやっとの道幅を下って行くと家屋と田畑の点在する集落に辿り着く。村を貫く中央の道がわずかばかりコンクリートで舗装されているほかは、土を踏み固めた農道となっていた。山の斜面を拓いて、石垣で組まれた段々畑が村を見下ろす。湧き水でもあるのか、水路が小川のように村を貫いている。

 想像していたのは白川郷みたく茅葺の古い民家が立ち並び、青田に蝉のこえが降り注ぐ、どこかで仕入れた“古き良き伝統的日本”の世界観。しかし、そんなものはどこにもなく、並んでいるのは赤いトタン屋根と瓦屋根。一軒ずつ敷地が広く、周りを庭のように田畑が囲んでいる。村の中央に位置する公民館と思しき平屋に至っては、新築のように真新しく、玄関にはバリアフリーのスロープさえ備え付けられていた。青空に映える緑の田舎景色はなく、高い山背に見下ろされ、夏だというのに肌寒く薄暗い。閉塞感を覚える陰鬱な村、というのが正直な感想だった。奥山の寒村という言葉がぴったりなのは間違いない。

 唯一幸運だったのは、木製とはいえ電柱がしっかりと建っていたことだった。電気が通っていることを、こんなに心強く思ったことはない。

 17時過ぎに到着したが、谷間に入ったら集落はとっくに夜になっていた。盆地の夜はずいぶんと早い。日が陰ったかと思えば、夕暮れを置き忘れてすぐに夜がやってくる。日のあるうちに着けて本当によかった。

 こんな村にコインパーキングなどあるはずもなく、公民館前の空き地に停める。すると、示し合わせたわけでもないのに、ひょっこりと来馬が顔を出した。

「遅かったなぁ、こっちはもう始まってるよ!」

「地図の情報量が少なすぎる。だいぶ迷ったぞ」

「辿りつけたんだからいいだろ?」

 ほんのりと頬を赤らめた彼は、空っぽの一升瓶を掲げる。すっかりできあがっている様子。公民館のなかからは、がやがやとにぎやかで、走り回る子供の足音や笑い声、たばこと料理の匂いが漏れ出ている。

「これはなんの騒ぎ?」

「祭りの準備期間は大抵こんなもんだぞ。話し合いなんて、呑み会の席と同義だから。宴会だよ、宴会。それに今日は村に他所から人がきたんだ。もてなさにゃ失礼ってもんだ」

 先ほどから来馬は職員としての台詞と、本来の来馬の学生目線の会話が入り混じっている。つまり、キャストのくせにメタな発言をして、こちら側とあちら側を行き来する。見た目以上にだいぶん酔っているようだ。そもそもアトラクションの職員として、来馬がどういう設定のキャラクターをやるつもりなのか聞いていない。ぼくらふたりを案内役として、村側と橋渡しをしてくれるという話ではあったが。

「さぁ、なかに入ってくれ。紹介するからさ。どうせ宿なんかないんだ。どこかの家にお世話になるしかないから、仲良くなっといた方がいい」

 言うが早いか、喧騒のなかへと引っ込んでいった来馬。見ず知らずの人の輪に入っていけるほど、図太い神経を持ち合わせていないのに。困り果てて美折の方をみると、気おくれした様子もなく、玄関先でドクターマーチンに手を掛けていた。

「入って大丈夫ですか?」

「びびってんの? いきなり吊るされたりはしないって。酒の肴にはされるかもしれないけど」

 なおも渋って車から離れずにいると、「私お腹すいちゃった」といってさっさと入って行く美折。さすがに彼女をひとりで行かせるわけにもいかず、渋々ながらぼくも玄関から上がり込む。

 三和土には三十足ぐらいの靴が乱雑に置かれていた。小学生低学年ぐらいの小さい子供用運動靴、土のついた長靴、履き古した雪駄。明らかに地元民のものであると思われる靴の中に、真新しい登山靴、場違いなヒール、靴墨の塗られた革靴、スポーツブランドのスニーカーが並んでいる。来馬の言っていた来訪者のものか。おそらくぼくらと同じで、因習村テーマパークにやってきた客なのだろう。

 公民館は間仕切りを取り払ってひとつの広間となっていた。足の低い長机が広間の中央に三脚ならべてくっつけてあり、テーブルの上には手製のオードブルが並んでいた。室内には吸い込んだだけでも咽る酒気と、滞留した煙草の煙が充満している。正月なんかの親戚の集まりはこんな風なのだろうと思わせる光景だった。親父連中は赤い顔で寝っ転がりながら灰を落とし、子供は退屈に飽いて追いかけっこを始める。女性陣は炊事場から料理の皿を運び、幼い子の面倒をみる。

 因習村とはかけ離れた、所帯じみた空気が漂っていた。

 畳の縁さえ跨げずに、入り口でぼうっと立っていると、背後から肩を掴まれる。

「はい、手が空いとるなら、これ持って行って。食べてよかけんね」

「え? あの……」

 有無を言わさず載せられた皿には、柔らかく煮崩れた豚の角煮だった。甘辛いたれの香りに自然とお腹が鳴る。運転に気を張っていたせいで、ずいぶん消耗していたみたいだ。

 広間を見渡す。紹介するなどといっていた来馬は、すっかり忘れて壮年の男性に酌をしていた。美折は女性陣の輪に自然に入り込んで、瞬く間になじんでいる。こういう時に、彼らの様な人当たりの良さが羨ましくなる。

 皿を持ったままうろうろしていると、ぼくに気が付いた水色の作業着を着た男性が手招きをされた。会釈をしつつ隣に座ると、割りばしを差し出してくれる。

「後半の方が手間と値段のかかった料理が出てくるんですよ。最初に揚げ物を出して子供たちを満足させたら、あとから煮物、刺身を出してくる。ちょっとした大人の狡さです」

 みたところ三十代の後半ぐらい。物腰の柔らかい喋り方で、スラックスとワイシャツ、作業着の上着。撫でつけた髪の雰囲気や落ち着いた出で立ちは、公務員らしさを感じる。

「あの、部外者が参加してもいいのでしょうか?」

「ええ、もちろん。異邦人をもてなすのはこの村の習わしです。こんな奥地でしょう? 村人は親戚同然ですし、お客さんなんてめったに来ない。旅人は村に幸を運んでくれるといいますし、折口風にいうなら“まれびと”ですか。瑞上神社の例祭を調査にいらした大学生の方ですよね。話は来馬君から聞いています。私は市のほうで文化財行政の担当をやっております、白井と申します。元はこの村の出身でして、今日も仕事半分、宴会半分でして」

 角煮と入れ違いに差し出された名刺をみるに、行政の人間というのは設定じゃなさそうだ。行きの車で聞いた、行政も力を入れているというのは本当らしい。

「上成大学二年の雪原岳人といいます。あっちにいるのが同じく、三年の上郷美折」

「利発そうな女の子だ。すっかり村人にも馴染んでいらっしゃるし、お祭りも盛り上げてもらえるでしょう」

 ぼくは勧められるままに角煮をつまむ。ほろりと肉が崩れ、脂は温度で口の中で溶ける。絡み合った醤油と砂糖の甘さが、ご飯を求めさせる。気が付けば、紙皿に太巻きやら、辛子蓮根、揚げ物などが載せられたミニプレート目の前に作られ、左手にはビールが紙コップに注がれていた。

「あの、こんなこと聞くのもあれなのですが……例祭とは、具体的になにをやるのでしょうか?」

「ははあ、外の人には珍しいでしょうからなぁ」

 白井はあごに手をやり、自慢げに頷いた。

「明日の土曜日に前夜祭がありまして、日曜の昼に行列をやって、夜に社で奉納をやります。おふたりは今日到着したばかりですから、祭り前に儀式もしておかないと。いやぁ、お客さんが多くて嬉しい限りです。あちらの方たちは東京からいらしたんですよ」

 儀式というのが気になったが、白井は存外おしゃべりで話の腰を折りそこねる。

 彼の示した方をみると、大学生風の青年がひとり。蛍光イエローのウィンドブレーカーからみるに三和土にあった登山靴の持ち主だろうか。そして、ほかにも堅苦しい上等なスーツを着た三、四十代ぐらいの男性と、縁側で煙草をふかしている派手なパンクファッションの若い女性。明らかに異物感のある来訪者たち。ぼくらと同じように、様々な設定でこの村を訪れたのだろう。

海砂利かいじゃり君は山で迷子、弐座にざセンセイは東京のなんとかってエライ研究所のセンセ、あっちのド派手なシェリちゃんはセンセの愛人。あともうひとり、えらいべっぴんの女子高生がいてんけど、そっちは体調悪いゆうて村長の家で寝てはる」

 いつの間に隣にやってきたのか、関西弁風の女の子が会話に割り込み、ひとりずつ指さして説明を加える。どうにもわざとらしく、無駄にコテコテな印象を受けた。

「ほんでウチはみょーな噂を追っかけてやってきた、奇天烈ハンターの天王寺セイア、いいます。青蛙と書いてセイア。気軽にかはづちゃんって呼んでくださいね、兄さん」

「失礼だけど、偽名ですか?」

 奇天烈ハンターという肩書にも、名前にも怪しさが充満している彼女。見てくれはボーイッシュな女子大生といった風体だが、端々に感じる胡散臭さがぬぐえない。脱色した安っぽい金髪も、何らかの変装ではないかと疑ってしまうほど。

「本名やったかて同じことやろ。村人も客もロールプレイや。そんならなりきったろか、て思うやろ? ゆうて、うちも今日きたばっかやねん。そう固くならんと、何が起こるかわからんわけやし、お互い楽しくやろや」

 なりきるといった傍から、メタな発言をしてくる辺り因習村目当てでやってきた客らしい。ぼくらの民俗調査が設定なように、彼らの訪問理由も設定なのだ。考えてみれば、海砂利や弐座なんて名前も珍しすぎる。おまけにシェリというらしい彼女はどうみても日本人だし、偽名というよりは源氏名だ。

「なにかって、起こること前提なんですか」

「そらそうやろ。なんもないのに、こんな田舎村にきたりせん。みんな何かが起こることを期待してここにおんねや。祭りの夜までまだ時間あるし、酒でも呑んでまったりしよ。だいたい、こんなんお約束やん? 田舎村でいやに親切で手厚い歓迎なんて。フツーよそモンは警戒されるし、排他的になんねんで。それがムラ社会の安全対策っちゅーもんや」

 彼女の言う通りだ。見ず知らずの他人を、こう何人も地元の集まりに招き入れるなんてないだろう。やはり、この宴会もなんらかの舞台のセッティングなのだ。そう考えたら急に箸が重くなる。さすがに命の危険に晒される、なんて事態にはならないだろうが、睡眠薬ぐらいは盛られかねない。

 まったく体験型のホラーテーマパークなんてぞっとしない。どこまでが仕掛けで、どこまでが現実なのか区別がつかなくなってくる。本物と偽物の境界がどうにも見えづらい。

「まぁ、まぁ、そう構えないでください。村の者は、人を呼んで村を活気づけたいと思っているだけで、テーマパーク云々は行政側の押し付けみたいな部分もありますので。悪い印象を持たれたり、訴えられたら元も子もありません。おもてなしして、楽しんでもらいたいだけですよ」

 白井は天王寺の発言に、困り顔で弁明する。

『気ぃ付けたほうがええで。このおっさんがメタ言うんは、客を混乱させるためや。現実とごっちゃにしてあやふやにしようとしてな』

 天王寺がぼくだけに聞こえる声量で耳打ちする。

「ほな、また!」

 それだけ告げると、彼女は陽気に手を挙げ、運ばれてきた刺身の方へとむかっていく。

 ぼくは却って混乱した。そうなると仕掛け人側である来馬も疑わなくてはならなくなる。ホラー映画のような血腥い展開にならなければいいが。

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