1 因習村へいこうよ(1)

岳人たけひと、お前だけ、ここだけのいい話があるんだよ」

 大学の込み合い始めた学食で、わざとらしく耳打ちしてきたのは友人の来馬正巳くるばまさみだった。そんなことをせずとも、隣の卓の声すら聞こえない程度には昼休みの学食は騒々しい。久しく午前中から顔を出したかと思えば、なんのことはないぼくに昼食をたかりにきただけだった。金に困っているわけではないのに、財布を持ち歩かないというふてぶてしい奴。

「割のいいバイトの話? それはもう懲りたよ」

 彼を肩ごと押し戻して、皿の生姜焼き定食を摘まんだ。

 来馬は学業そっちのけでバイトに熱心で、お金の為というよりは働くという行為そのものを欲しているらしかった。ただ飽きっぽさが災いして、ひとつの職場に長続きせず二ヶ月足らずで仕事を変える。その足抜けの穴埋めにと紹介された前回の現場は、大変過酷な肉体労働で、給料以上にひどい目にあった。以来、彼の持ってくる“うまい話”には乗らないことにしている。

「いやいや、今回は違うんだって。岳人、テーマパーク好きだろ?」

「人混みは苦手だ」

「なら、なにも問題ないな。職員特権で、特別招待枠を手に入れてやったぞ。お友達割だぞ」

「別に頼んでない」

 どちらかというと、その恩着せがましい言い方こそ気に入らなかった。ぼくの明らかに迷惑そうな返事を意に介した様子もなく、来馬は無視して先を続ける。人の話を聞かない所は相変わらずだが、彼と接するときは気を張らなくて済むところが気に入っていた。遠慮なく言葉で殴ろうが、あからさまに不機嫌な態度をとろうが、彼は気にするということがない。だからこそ、ぼくも彼に対しては無駄な遠慮を覚えずに済む。憎めない奴とまでいうと、少々業腹な気はするが。

「九州の山奥でエキストラのバイトをやってんだけど、予約殺到の人気スポットなわけ。三年待ちだったかなぁ……とにかく人気のテーマパークなわけよ」

「テーマパークなのに年単位って、どんな高級店よ? それに山奥って……来週には試験だぞ。出席必須な授業はともかく、テストと期末レポートだけの単位は取った方がいいんじゃないか」

「お前なぁ、ここまで言って気付かないなんて。わかった、もうちょっとヒントをやるよ。文学部なら少しは興味もあるだろ。伝統的な文化を肌で感じる、体験型だ」

「太秦の映画村みたいなもんか? どうせ、ド田舎の寂れたヤツだろ。由緒の怪しい忍者村とか、それ系の」

 ぼくはまったく食指をそそられず、思考が講義で出された課題に流れ始めたところで、背中から無遠慮に肩を掴まれた。

「来馬君、そ、それって、もしかして!」

 頭の上に置かれた腕と胸。やたらと近しい、遠慮のない距離でのスキンシップ。身長は低い方ではないのに、こうして座っているとより差があることを意識してしまう。長身の上にヒールで底上げされているから、なおさらだ。

 見上げると跳ねた長めの襟足と、耳にじゃらついたピアスの列が視界に入る。深夜のクラブにでも出入りしている方がお似合いなハスキィボイス。今日も寝不足らしく、重たい瞼の下には、アイシャドーのような濃い隈がある。ひとつ上の先輩の上郷美折かみさとみおり

 彼女がぼくの恋人だということを未だに信じられない。

「上郷先輩、お久しぶりです」

 来馬が野球部の先輩後輩関係みたく、わざわざ椅子を立って頭を下げた。彼らは同郷らしく、大学生では類をみない、きっちりとした上下関係が築かれている。上郷は地元でよほど恐れられていたのだろうと勝手に想像している。

「挨拶はいいから、さっきの続き。山奥のテーマパークの話」

 彼女はぼくの頭に前のめりに体重を預けたまま、来馬に詰め寄る。

「そこは閉鎖的な村?」

「イエス」

「その地域だけの独特な習慣や祭礼がある、特色のある地域?」

「その通り」

 唐突に始まった問答形式に眉を寄せていると、美折は感激に目を潤ませて言った。

「因習村体験型テーマパーク……こんなにも早く巡り合えるなんて!」

「美折さんは知っているの?」

「あたり前じゃない! ホラーファンだけじゃない、世間的にも今やトレンド。真逆のコンセプトだけど、ある意味夢の、いや悪夢の国なんだから。知らないのは、情報から隔離された、本物の因習村に住むひとぐらいなものでしょうね」

 彼女の隈の原因だ。寝る間を惜しんで映画鑑賞。暗い部屋で閉め切って、明かりもつけずに何本もぶっ続けで見続ける。彼女の家にはプロジェクターとスクリーンまで揃えられた映画ジャンキー。スピーカー隣家から苦情がくるほど質のいい低音を流せる。特別ホラーが好みらしく、同じものでも繰り返し熱心に観たりする。その習慣は試験前でも相変わらずで、ぼくはその趣味に巻き込まれたくないからここ二週間は大学以外で顔を合わせないようにしていた。

「街中に住んでいても世間知らずはいるようですけれど」

 来馬にスマホを突きつけられ、SNSでの話題ぶりを見せつけられる。

 どうやら常識が欠如していたのはぼくの方だったらしい。テレビなんかは見ないし、スマホも連絡以外では触ることはない。ぼくとコンタクトを取ろうとする人間など、目の前のふたりぐらいなものだ。我ながら人間関係に淡白にすぎると思わないこともないけれど。

「重いです。そろそろどいてください」

「この重さを感じることができない子もいるのに。贅沢だよねぇ?」

 ニヤついた表情が頭の上で、わざとらしく揺れる。向かいから来馬の恨みがましい目線を感じて、余計なことを言われる前に払いのけた。彼女は自分が美人だと自覚している分たちが悪い。

 そもそも付き合っているといっても、ぼくと美折の関係は単なる恋人同士とは言い難い。身長もそうだが、恋人間の力関係も、彼女が上でぼくが下なのだ。恋人だってただの肩書でしかない。

「ね、もうひとりぐらいなら、なんとかならない?」

 男同士の微妙なやり取りを脇に置いて、美折はこの通りと手を合わせる。その割に、頭の位置は微塵も下げなかったけれど。いわゆる先輩の圧力というやつ。

「実のところ、上郷先輩をダシにコイツを引っ張るつもりではありましたから。信頼できるお客を連れてくると、紹介料ボーナスもありますし。代わりといっちゃなんですが、催しのお手伝いなり、レビューなりでしっかりと協力してもらえますと」

 体験型のアトラクションでは客の積極的な協力も大事なのだ、と来馬はいう。いわゆるノリが重要なんだとか。もてなされるばかりの完全受け身というわけではないらしい。小さい共同体特有の、共助的な寄合作業があるのだろうか。知らない人間との関わりと避けたいぼくには在り難くない話だ。

 目ざとく顔色を察した来馬は、ぼくがネガティブなことを口にする前に、さっとなにかを手に握り込ませる。

 開いてみると、それは掌に収まる小さな卵だった。ウズラよりも一回り小さく、青みがかった灰色の卵。大きさの割に重みを感じるから、生死はともかく中身は入っているらしい。見覚えのない色とサイズに首を傾げる。

「これは?」

「蛇の卵さ」

「えッ」

 ぎょっとして、手を引いた拍子に卵が零れ落ちる。宙を舞った卵が、机にぶつかって割れる寸前で美折が手皿で救い上げる。間一髪のところだった。

「危なかったね」

 彼女は摘み上げた卵を光にかざして、中身を確かめようとする。

「わりぃ、ビビらせるつもりじゃなかったんだけど。蛇っていっても本物じゃないよ。村で作られたお守りをそう呼ぶのさ。テーマパークとはいっても紙チケットなんかがあったら白けちまうだろ。これはその代わりだよ」

「お守りねぇ……じゃあ、これはドルイドの卵を模したものなのかな。あれはウニの殻だって話だったけど。孵化させたら、面白いかもよ」

 文学科のぼくとは違い、民俗学も齧っている美折は、蛇の卵について心当たりがあるらしかった。ぼくは雰囲気作りにしたって、あまり気持ちのいいものではないとしか思わなかった。

「それひとつもってれば、二人ぐらいは入れますよ」

 私もいいの? と、美折は大はしゃぎで、卵を眺めまわす。

「確かに、なんの目的もなく辺鄙なところにある村に行くのはおかしいね。つまり、この卵は手掛かりなんだ。言い伝えに残る習俗。そこに関わる、あるいは村の手掛かりとなるキーアイテム。私たちは、この卵の正体を突き止めて調査に向かう大学の研究グループ。貴重な祭礼の記録や、失われそうな民話を集録する絶好の機会ってわけ」

「テーマパークですよね。作られた習俗を調査する意味あります?」

 目を輝かせた彼女の早口に、ぼくは呆れていう。

「設定よ、設定!」

「岳人、さてはお前、テーマパークに行ったことないだろ。ディズニーだって、常識ぶって正論吐くような奴にかける魔法はもってない。自ら入り込むんだよ、物語の世界観に! 心を閉じても魔法は使えるようにならないし、ステキな魔法にもかからない」

 すっかりテーマパークの“キャスト”気取りな来馬の台詞にうんざりする。単なる短期アルバイトのくせして、やたら偉そうだ。しかし、彼らがここまでのめり込んでいる所をみると、その因習村とやらの出来はいいのかもしれない。

「でもなぁ、ぼくホラーとかあんまり好きじゃないし」

 それでも嫌がるそぶりをみせると、今度は美折からのおねだりが飛んでくる。

「ね、お願いガクトくん。試験終わったら夏休みだし、長期旅行には良い機会じゃない? 記念日も近いし、私にプレゼントすると思ってさ。去年の誕生日のときのデートはもちろん素敵だった。でもさ、いつも同じじゃ、飽きちゃうと思うのよね。私も、あなたも。ホラーって距離が近づくともいうじゃない? 刺激とかもね、必要じゃないかなぁって」

 彼女だけの特別なあだ名を使ってのおねだり。実のところ、ただの読み間違いの延長だったりする。彼女にとってはガクトだろうが、岳人たけひとだろうが、些細な違いなのだろう。

「ホラー映画のカップルって、大体序盤で死ぬイメージしかないけど」

「長閑な田舎でゆっくりする、ぐらいで考えたらいいさ。因習つっても、血腥い、猟奇的なものばかりじゃない。都会とは違うから珍しいだけで、こじんまりとしたお祭りがあるだけだよ」

 ま、考えといてくれや、と来馬は肩を叩いて席を立った。いつのまにか、彼の皿はだけでなく、ぼくの皿も空になっていた。もう一枚、生姜焼きが残っていたはずだったのに。

「うぅん」

 はっきり言って、あまり乗り気じゃなかった。日常の生活空間を離れるという不安もあった。社交的とは言い難い自分が、見ず知らずのひとたちと上手く交流できるかも怪しい。

「一生のお願い! 因習村ってさ、一度に数組限定だし、予約待ちの上に抽選なの。これを逃したらいつ行けるかわかんない。絶対に楽しい旅行にしてみせるからさ」

 拝むように手を合わせて、かわいこぶってみせる彼女に応えたい気持ちはある。

 なおも渋っていると、美折は体ごと寄せてそっと耳打ちする。

「聞いてくれなかったら、私たちの秘密、ばらしちゃうかも」

 その一言ですっかり折れた。

「わかったよ、行こう」

 明確な脅しだった。ぼくが彼女に逆らえない理由。そして、ぼくらが単純な恋人関係とは違う理由でもあった。彼女はこうして秘密を人質に、わがままを押し通す悪い癖があった。ぼくが決して逆らえないことを知ったうえで。

 惚れた弱みというのもあるのかもしれないけど。

 溜息を吐いて、握らされた卵をバックパックにしまい込む。残り物のサラダをかき混ぜつつ、頭の中では旅の計画を練り初めていた。

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