神の贋作は答えを聞く -2

 エヴァ達シスターでも滅多に入る事がない応接室は、質素でありながら整理が行き届いた場所だ。つい慣れない場所でソワソワしてしまうエヴァを気にする事なく、テーブルを挟んだ向こうに座るミシェルはティーカップを手にしている。

「まぁ、資金のない教会にしてはそこそこ上等なお茶を出すのね」

 そんな憎まれ口を言っているが、これも彼女の強がりである事をエヴァは知っている。

(本当に、ミシェルはなにも変わっていない……)

 いつ以来かわからない幼馴染みの様子に、つい目を細めた。

 ミシェルとは、同じ孤児院で育った仲だ。

 それなりに仲が良いと言われる部類だったはずだが、いつからかミシェルはエヴァと距離を置くようになった。


 ――エヴァの、噓つき! わたし、お皿割ってないもん!


「っ……」

 あの時からだ、あのお皿の一件から、エヴァとミシェルの関係は変わってしまったのだ。

(あれはもう、自業自得ですが……)

 リベリオは悪くないと言ってくれた話も、自分の中ではやはり質量を増して居座っている。それほどまでにあの時の記憶は、エヴァに暗い影を落としていた。自分を許せないというのが、一番大きいのかもしれない。

(あの時のミシェルは、とても悲しそうな声だったから……)

 だからこそ、罪悪感は大きくなっていた。

「ミシェルは、侯爵家の生活も慣れた?」

「当たり前じゃない、私はちゃんと引き取り先があったの。エヴァと違って」

 ミシェルは現在、マーレット教会管轄の隣街に位置する侯爵家の令嬢の立場である。

 エヴァとは違う道を歩んだミシェルは高らかに笑いながら目を細めると、静かにティーカップを置く。振る舞いも昔より令嬢らしくなっており、引き取られてから教育を受けたのはすぐにわかった。養父である侯爵は何度か教会にも顔を出しているからその存在や顔は知っているが、優しい印象だったのをエヴァは覚えている。

(ミシェルは、なんだかんだ昔から真面目なとこがあったから)

 それは、エヴァが一番近くで見ていたからこそよく知っている。

 真面目で、努力家でけれども少しプライドが高くて。だから人に指摘をされると思わず意地を張ってしまう、ミシェルはそんな少女だった。

(けど、ミシェルはどうして……)

 先ほどから聞こえる声に、エヴァは眉をひそめる。

 ミシェルの態度は、もちろん一貫して上からの物言いだ。しかしそれはあくまでも目に見える部分の話、エヴァの耳に届く声はそれと似ても似つかないもので。

『ごめんなさい、エヴァ』

(どうして、なんでミシェルが謝るの……?)

 あまりに脈略のないそれに、どういう顔をすればいいのかわからなかった。

 今ミシェルが謝る理由は、どこにもない。だからこそ表情にはせずともそんな事を考えたが、すぐにミシェルは首を横に振りながら普段の勝気な顔に戻ってしまう。

「今日は私ではなく、お義母様のお使いできたわ」

「お使い、というのは」

 お義母様、という事は侯爵夫人の事である。そんな人が、エヴァにと用とは想像ができない。

「えぇ、最近お義父様の様子がおかしくて、お義母様はよからぬ事を疑っているの」

『なんで私が、エヴァに両親のこんな話をしなければいけないのよ、不倫かもしれないなんて』

(それは、私のセリフな気も……)

 誰が好きで、幼馴染みの養父の泥沼を聞かなければいけないのだろう。しかも、心の声からは言葉よりも明確な内容を聞いてしまった。気まずさに顔をしかめたが、もちろんそんなエヴァの心境を知らないミシェルからは声が聞こえてくる。

『けどお義父様、そんな様子はないのに』

(え……?)

 思わず、耳を疑ってしまった。

 そんな素振りや怪しい点がないなら、なぜ養母はそんな事を思ったのか。

「けどお義父様は証拠を見せない……そこで、エヴァに頼るようお義母様から提案が出たの。昔から妙に鋭い孤児院時代の友人がいるって私の話を覚えていたみたい、嘘つきだって話してもそれでいいなんて言うのよ」

『嘘つきでも、教会所属だからなにかしら手にはなりそうってね』

「なるほど……」

 この能力は、万能ではない。しかし心の声を聞くだけならば、造作もない事だ。ミシェルや養母の求めている事をするのも、難しい話ではない。

(けど、ならばなんでミシェルは……)

 続くように湧いたのは疑問で、ミシェルに目を向ける。

 聞こえてくるのは言葉や態度とは違う、先ほどと同じ疑問の声音。

『シスター様は逆にエヴァには近づくなとか言ったらしいし、なんなのよ……』

 その人物は、誰なのか。

 そこまでの詳細は、聞こえる事がなかった。

「けどエヴァがマーレット教会にいるなんて、最初聞いた時は驚いたわ」

「それは、以前の院長がよくしてくれて」

「へぇ、あなた昔から気に入られるのは上手かったものね」

 悪気のないミシェルの言葉に、指先が跳ねた。

 彼女に他意はないと、エヴァは心の声で知っている。弱さを隠すために、強く出る事も。しかしそれでも、つい反応をしてしまう。

「エヴァはどんくさくて私の後ろにいたから、神に失礼がないか心配だわ」

『ガラスとか平気で割りそうですもの』

 そこまでドジではない、と言いたかったが言い返す事はできなかった。

 若干の居心地の悪さにどうするべきかと考え始めたところで、ギイと軋んだ音が聞こえた気がして。


「あぁ確かに少し抜けているところもありますね……しかし、彼女は優秀なシスターですよ」


「っ……」

 さっきまでなかったはずの、聞こえなかったはずの声が聞こえる。

 背後からのそれはなぜだか荒々しく、自分に向けられたものではないとわかっていてもつい肩を揺らしてしまう。

「……レディのお話に口を挟むなんて、失礼ね」

「失礼、しかし私のシスターに仕事を任せたかったのでね」

(いつあなたのになったのでしょうか……)

 やけに感情的な言葉を口にするリベリオを見ながら、エヴァは目を細めた。ざりざりとしたノイズだけが響いて、あまり心地の良いものではない。

「マリネッタ副院長のとこに行かせてから戻ってこないので、心配しましたよ」

「あぁ、そうでした。これは失礼いたしました」

『それにしては、なんだこの令嬢は』

 心の声は敵意を剝き出しのそれに、エヴァは場違いにも意外だと思ってしまった。

 リベリオも、そのような反応をするんだと。

 そんなエヴァの心の声はもちろん聞こえるはずもなく、リベリオは無意識なのか肩を抱き寄せてきた。

「なに、あなたがエヴァの上司? ごきげんよう、私はミシェル」

「えぇ、ごきげんよう。祭司リベリオと申します」

 あくまでも静かな、そしてどこか素っ気ない返事だった。

「シスターエヴァ、今回ご友人がきた要件というのは」

「あ、それなのですが……」

 話を振られ、どこから説明をするべきか一瞬だが悩んだ。

 ひとまず、エヴァとミシェルの関係から。それだけでリベリオの顔が険しくなったような気もしたが、今そこには触れないでおく。

 そしてあらかた話終わったところで今回の要件で、心の声で知った情報は言わずに簡単な説明をした。話していいラインがわからなかったがじゅうぶんリベリオには通じたようで、ふむ、と唸り声を上げている。

「それについてですと……侯爵に会わなければ怪しい点も見つけられないと思うのですが、日程などはどのようになっているでしょうか?」

「それでしたら明日にでも、と聞いております。お義母様が教会へ寄付をしたいから、そのお話で近々教会の方がくるかもしれないと説明はしたそうなので」

(ずいぶんと、用意周到なのですね)

 断られた事の話は考えていないように、そう思えた。

 どうするべきかエヴァも判断に悩みリベリオを盗み見ると、少しだけ考えるような表情を作ったがすぐに目を細めでしたら、と言葉を続けてくる。

「それならば、我々はお言葉に甘えて明日お邪魔する事にしましょう」

「あらそう、それならお義母様も喜ぶわ。急いで帰って……あら、外が暗い」

「この辺りは陽が落ちるのも早いので……本日はお泊りになって、明日一緒に向かうというのはどうでしょうか? 来賓室でしたら、ミシェル嬢もきっとご満足いただけると思います」

「リベリオ様?」

 なぜすべてを勝手に決める、という言葉と着いてくるのかという言葉。どちらを先に言うべきか悩んでしまった。正直なところ、エヴァとしてはどちらも投げかけたい言葉である。

『いいだろ、俺も行くからな』

 対して察したリベリオは、心の声をわざと聞かせてきた。

 まだ付き合いは短いエヴァでも、こうなったリベリオが人の話を聞かないのは知っている。仕方ない、と内心思いつつエヴァはふと違う部分が気になってしまう。

(リベリオ様、なぜあそこまで怒った声音なのでしょうか……?)

 それがエヴァには、どれだけ考えてもわからなかった。


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