第4話 クラスメイト

 そこから信士の人生が大きく変わった。

 魔法、スキルの習得と研鑽という、戦国史の探求に匹敵する楽しみを見つけたのだ。

 あの『エリクス・キャンディ』を誰が置いているのかは相変わらず謎だったが、その後も一週間置きに置かれ続けていた。もちろん毎回買っている。


 映画やラノベの世界にしか存在しないと思われていた、様々な魔法やスキルを使えるようになったというだけでも夢のようなのに、それを練習して上達させることによって日常生活で出来ることが爆発的に増えた。しかもそれだけでなく、身体能力が向上したことで、まるで漫画に出てくるヒーローみたいな真似が出来るようになった。

 ジャンプで屋根に飛び乗ったり、忍者顔負けのアクロバティックな動きで森の木々の間を飛び抜けたり。


 極端な話、車より速く走れるようになれば、ただ走っているだけでも楽しいのだ。

 つまり、やることなすこと、すべてが楽しくなってしまった。


 当然、それは信士の日常の態度にも現れるようになった。 


「おい、信士」


 いつものように登校した後、ホームルームが始まるまでの空いた時間、自分の机で読書に耽っていた信士にクラスメイトの1人が話しかけてきた。

 逆立った短髪に、筋肉質な体形の男子生徒だった。呼ばれた信士は視線を男子生徒の方へ向ける。


「何用じゃ?」

「おい、口調が信長になってんぞ?」


 半眼になった男子生徒が呆れた口調で言った。


「おっと失敬。ちょっと小説に感情移入してた」

「そ、そうか……」


 頭を振る信士に男子生徒は苦笑いしか出ない。見れば、信士が読んでいたのは信長が主人公の歴史小説だった。


「して、いかなる用向きか?」

「おおい、まだ信長が抜けきってねぇぞ!」


 言われて、はっ、となった信士は、自分の頬をペシペシと叩いて自分の中から完全に信長を抜き取る。


「ったく、感情移入というよりは自己催眠だぞ? おまえその内、完全に信長になっちまうんじゃねぇか?」

「そうなったら最高だな!」

「喜ぶな!」


 厳しいツッコミを入れるのは、殿村とのむら健太郎けんたろう。信士のクラスメイトでサッカー部の所属するスポーツ系の男子だ。信士とは小学校からの友人で、数少ない気心の知れた友人でもある。


 ちなみにクラスメイトと言ったが、そもそも田舎の山奥の過疎地域にあるこの中学校には、全校生徒合わせて100人もいなかった。1学年に付き30人ちょっとで、必然的にクラスも1つしかない。

 よって、信士を含めたこのクラスの生徒30人がこの中学校の3年生全員ということになる。


「で、なんか用か、殿との?」


 戦国マニアな信士は健太郎のことを「殿との」と呼んでいた。健太郎自身も幼い頃からの付き合いで慣れているのでいちいち指摘したりはしない。


「お前さ、最近、なんか良いことあった?」

「良いこと? いや、特になにもないけど、なんでそんなこと聞くんだ?」

「いやさ、お前最近、雰囲気変わったじゃん」

「そうか?」

「そうだよ。なんか噂になってんぞ?」


 噂になっている、と聞いて信士はぎょっと目を見開いた。


「マジ?」

「マジ!」

「マジだよ」

「マジでか……ん?」


 いまなんか、変な声が混じってなかったか? と、健太郎と目を見合わせ、そちらを向くと――


「よっほー♪」


 陽気な笑顔で手を振っていたのは、金髪のロングヘアーをサイドテールにまとめた女子生徒だった。


 雨宮あまみやまい


 着崩した制服にサイドテールの金髪という、不良の代名詞とも言うべき特徴を備えていながら不思議と悪びれた感じはせず、むしろ人懐っこい性格の上にどちらかと言うと可愛い系の美人で、授業も毎日ちゃんと出ているので成績も上々の優等生だった。

 見た目と内面のギャップのせいでクラスメイトたちからも不思議がられている、学校一の不思議ちゃんだ。


「シンジッち、最近変わったってみんな話してたよー。実際、アタシもそう思うし」

「そんなに変わったか?」

「そうだね~……なんて言うか、なんか活き活きしてる感じ? 例えるなら、新作オンラインゲームにガンハマりするニートって感じかな」

「おい、例え!?」


 あまりと言えばあまりの例えに信士が抗議するが、舞は素知らぬ顔で続けた。


「でさー、マジでなんか良いことあったりするの? 彼女が出来たとか?」

「なにッ!?」


 彼女、と聞いた途端、なぜか健太郎が柳眉を逆立てた。


「おまえ、まさかオレに抜け駆けして女つくったのか!? まさか木下さんか!? それとも二次元嫁か!?」

「彼女じゃないし、木下でもない!! っていうか、二次元を嫁にするほど終わっとらんわ!」


 彼女いない歴=年齢な健太郎の怒涛の問い詰めに、信士は喚くように言った。最後はちょっと感情が出ていたが。ちなみに彼女いない歴=年齢なのは信士も同じなので。


「そうだった。お前の嫁は二次元の女じゃなくて戦国のお姫様だもんな」

「それも違う!」


 ほっとした様子な健太郎に信士はなおも喚いた。

 と、2人のやり取りを傍で聞いていた舞が、ふと首を傾げた。


「木下って誰? うちの学校にそんな苗字の子いたっけ?」

「あ……いや……」


 聞かれた健太郎は何故かバツが悪そうに口ごもり、信士の方を見た。信士は肩を竦め、何気なく答えた。


「オレと同じ施設にいる子だ。ちなみに、オレらより1個上の高1」

「あ……そ、そうなんだ。なら、知らなくて当然だね」


 と、舞も少し申し訳なさそうにしながら視線をそらした。


 信士には家族がおらず施設で暮らしていることは、クラスメイトの大半が知っている。その境遇故、彼らは信士に気を使って家族や施設関係の話題には極力触れないように気を使ってくれていた。

 信士自身はすでに割り切っているので別に構わないと思っているのだが、友人たちの気持ちは嬉しいのであえて言わずにいた。

 ちなみに信士の幼い頃からの友人である健太郎は茉莉と何度か会っている為、彼女のことを知っている。


「おや、高月ってば、彼女がいたのかい?」


 話を聞き使たのか、また別の女子が近づいてきた。茶色い長い髪をストレートに伸ばした女子生徒だった。

 容姿端麗で背も高く、制服の上からでも出るところは出て引っ込む所は引っ込んでいると判るくらいスタイルが良い。しかし、その表情からはどことなく気分屋な猫を思わせる印象を受ける。


「で、その彼女って誰だい? お市の方? それとも立花誾千代? 濃姫かな?」

「違うって言ってんだろうが!?」

「違うのかい? じゃあ、井伊直虎? 阿南姫? 甲斐姫? ああ、浅井三姉妹の中の誰かとか?」

「お前ワザと言ってるだろ、一条!?」


 泣きそうな顔で信士が抗議すると、女子生徒は可笑しそうに笑った。


 一条いちじょう楓華ふうか

 このクラスのクラス委員長を務める女子だった。


「なんだ、君が大好きな戦国ネタじゃないか」

「殿にも言ったけど、オレの彼女=戦国時代の女傑って考え方、やめてくんない?」

「違うのかい?」

「当たり前だ!」

「ハハッ」

「なんで鼻で笑うの!?」


 ぎゃーぎゃーと抗議する信士を柳の如く往なす楓花。天邪鬼な性格な彼女は、こうして級友たちを不快な気分にさせることなく適度に弄るのが大好きだったりする。

 基本的に男女問わず誰とでも普通に接したり、物知りで面倒なことは率先して引き受けてくれる面倒見の良さもあって、クラスメイトたちからはそれなりに慕われ、信頼されていた。


「失礼しまーす」


 そんな楓華の背後で教室の扉が開き、1人の女子生徒が入ってきた。茶色い髪をお下げで纏めた小柄な少女だった。150cm半ばくらいだろう。華奢な身体付とまだ丸みを残した幼い顔つきから、一見すると小学生に見える。


「おや、優華ゆうかじゃないか」


 少女の存在に真っ先に気付いた楓華が声を掛けた。


「あ、お姉ちゃん!」


 少女も楓華の存在に気付いて、花の咲いたような笑顔を浮かべて駆け寄って来た。


 一条優華ゆうか


 楓華の2歳年下の妹だった。

 小学生に見えるのも無理もないことだ。なにしろ彼女は中学1年生。去年、というかほんの2ヵ月足らず前まで小学生だったのだから。


「どうしたんだい? ボクになにか用かな?」


 表情を綻ばせた楓華が尋ねた。

 ちなみに彼女の一人称は「ボク」だ。

 絶滅危惧種に指定されている「ボクっ娘」だ!


「用かな? じゃないよ。お姉ちゃん、お弁当忘れてたから届けに来てあげたの!」


 そう言って優華は手に持っていた弁当を楓華に突き付けた。


「わざわざ届けてくれたのかい? いやぁ、助かったよ。ボクも忘れたことにさっき気付いたばかりで、今日は昼食抜きの覚悟をしてたんだ」

「もう。クラス委員長なんだから、しっかりしなきゃダメだよ?」

「ごめんごめん。美人でしっかり者の妹がいて、ボクは幸せ者だよ」


 と、年上の姉にプリプリと注意する優華にのろける楓華。2人の姉妹にクラスメイトたちの温かい視線が集中する。


「まったくやってらんねぇぜ!」


 いまし方、優華が入って来た扉から大声と共に教室内に飛び込んで来た男子生徒に、クラスメイトたちがぎょっとした。


 その男子生徒は明らかに日本人ではなかった。背丈は180cm近くと、クラスメイトの中でもぶっちぎりに高く、それでいて均整の取れた筋肉質で日本人離れした身体はとても中学生とは思えない。

 だが最大の特徴は、日本人ではあり得ない、浅黒い肌だ。

 そう、彼は日本人ではなく黒人だった。

 

 ヴェン・エマーソン。

 

 アフリカ系アメリカ人の留学生だ。アメリカ人でありながらネイティブと遜色ない日本語を話す語学力と、「おしゃべり」という単語が服を着て歩いている、と言わしめるマシンガントークを武器に、人種や肌の色という差異をものともせずクラスの雰囲気を否応なしに盛り上げてくれるムードメーカーだった。


 そんなヴェンが、なにやら不機嫌な様子で肩を怒らせながら教室に入って来た。


「おいみんな、聞いてくれよ!」


 と、大袈裟なポーズを付けながらヴェンはクラスメイトたちに訴えかけた。否応なく全員の視線が彼に集中する。


「どうした、弥助やすけ?」


 真っ先に反応したのは信士だ。


「おい信士! もうかれこれ10年くらい前から言ってるんだけどな!」

「いや、お前と出会ったのって中学に入ってからだろ?」

「細かいことは良いんだよ!」

「細かいか……?」

「そうだ! とにかくいまオレが激しく言いたいのは、オレを「弥助」なんて貧相な名前で呼ぶんじゃない! なんだその何百年も前の農民みたいな名前は!?」

「農民じゃねぇよ。弥助っていうのは、織田信長に仕えてた黒人の家臣のことだ」

「やっぱり信長系かよ! オレをそんな日本昔話の登場人物と一緒にするんじゃない! オレの名前はヴェン・エマーソン! 現代を未来に向かって駆けまくるアメリカンだ!」


 会話から判る通り、信士はアフリカ系アメリカ人であるヴェンのことを「弥助」と呼んでいた。


 弥助とは信士の説明にある通り、織田信長に仕えていた家臣だ。しかし日本人ではなく、外国の――しかも黒人だった。

 元々は日本にやって来た宣教師の奴隷だったのが織田信長の目に留まり、彼を大変気に入った信長は自ら交渉して宣教師から彼を譲り受け、弥助という名前を与えて自分の従者にしたという。しかも単なる召使ではなく、信長は弥助に武士の身分を与え、家臣として扱っていた。

 そう、弥助は外国人でありながら武士の身分を得た最初の人物。もし本能寺の変が起こらなければ、大名にまでなっていたかもしれない人物だった。


「はいはい、そこまでにしたまえ」


 クラス委員である楓華が信士とヴェンの間に割って入った。


「それで、アメリカンな弥助君。君はどうしてそんなに荒れてるんだい?」

「弥助言うな!」


 止めに入ったのか、それとも揶揄からかいたいのかよく判らない楓華に、ヴェンはますますいきり立った。


「おっと失敬。で、ヴェン。いったいなにを聞いて欲しかったんだい? 遠慮せずにボクに言ってみたまえ」

「おーし、じゃあ言わせてもらうぜ!」


 なにやら相当気に入らないことがあった様子のヴェンは、憤懣冷めやらぬ様子で言った。


「今朝、コンビニに昼飯買いに行ったら、オレの大好物の焼きそばパンが売り切れてたんだよ!」

「「「「………………」」」」


 この瞬間、クラスメイト全員の心が1つになった。


 なんじゃそりゃ、と――


「品揃えの悪い田舎のコンビニ。買い物は早い者勝ち、というのが暗黙の掟だからね。僅かな遅れが命取りになる。人生と同じさ」


 などとのたまう楓華に、「いやいや、そんな人生あるわけないだろ」と、聞いていた誰もが思った。


 ヴェン以外は。


「確かにお前の言う通り人生は早い者勝ちだ。コンマ1秒、引き金を引くのが遅いか早いかだけで人生が変わる。当然のことだ!」


 ヴェンの言葉に、「いやいや、なんの引き金だよ? だいたい想像は付くけど!」と、クラスメイトたちが内心でツッコミを入れる。


「だがしかし、そんな定説ではオレの腹は満たされないんだよ! いま、オレの腹は猛烈に訴えてる! 敗者にも権利はある! 我に焼きそばパンを、って!」

「焼きそばパン以外の食べ物は残ってなかったのかい?」

「今日のオレの腹はご機嫌斜めなんだ! 焼きそばパン以外は受け付けない、って唸ってるんだよ!」


 声高に叫ぶヴェンに、楓華は苦笑いを浮かべた。


「君のお腹に伝えておきたまえ。敗者に権利は無い、って」

「敗北を味わえってか!?」

「うまいこと言うね。味だけに」

「うっせーよ!」

「いつの世も、どんな勝負においても、勝つのは常に勝利の女神が微笑んでくれた側さ。だから優華という女神がいるボクは弁当の忘れても昼食にありつけて、独り身な君は焼きそばパンを逃した。まあ、当然の結果ってやつだね」

「要は女が側にいる奴が勝つ、って言いたいのかよ!? こういう時は日本語でなんて言うんだ!? そうだ! 『リア充爆発しろ!』だ!」

「ハハハ、それこそ負け犬の代名詞だよ」


 がっくり、と肩を落とすヴェンに、その眼前で弁当片手に何故か勝ち誇る楓花。呆れる他のクラスメイトたち。鳴り響くチャイムの音。

 しばらくすると担任の男性教師がやってきて、全員が各々の席に着席するのを待って出欠を取り始める。


「なんだ、矢橋はまた休みか」


 出席簿を睨みながら渋い顔で男性教師が言った。出席数の悪い生徒の存在は、田舎であろうと都会であろうとクラス担任にとっては頭の痛い存在なのだ。


「まあいい。それじゃあ、ホームルームを始めるぞ」


 今日もまた、いつもの学校生活が始まった。

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