最後の声

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最後の声

 学校に到着したバスから、生徒達が降りてくる。

 皆一様に残念な表情を浮かべていた。

 殆どが煮え切らない表情をし、不満を口にする者もいた。

 しかし、誰一人として事故を起こした運転手を責める者はいなかった。

 何故なら、その日は朝から雨が降っていたからだ。バスはスリップ事故を起こしながらも運転手の咄嵯の判断でギリギリ崖下に落ちずに済んだのだ。

 崖下に落ちてしまえば、死者が出ていてもおかしくなかっただろう。

 そう考えれば、命をかけて生徒たちを守ったと言えるかもしれない。

 だが、この日の事故により、多くの生徒が心に傷を負うこととなった。

特に酷かったのは、この修学旅行に同行していた教師達だ。

 彼らは、あの時どうすれば良かったのかと後悔ばかりしていた。

 だが、事故により修学旅行は中止となった。

 その中で、一人の少女が口元に薄い笑みを浮かべていた。

 普段から口数の少ない少女だ。

 背は低く幼い顔立ちをしている。

 その為か、クラスではマスコット的な存在だった。

 名前を三谷みたに愛梨あいりと言った。

 そして、そんな愛梨を遠くから見る少女が居た。

 彼女は、セミロングがよく似合う小柄な女の子だ。

 小柄ではあるが胸は大きく、手足は長い。モデルのような体型をしている。

 可愛らしい顔をしているのだが、表情はいつも気怠げだ。

 名前を小西こにし真美まみと言った。

 真美は愛梨が一人で帰宅する背中を見送った。

 その後ろ姿が見えなくなるまでずっと見つめている。

 やがて、その姿が完全に見えなくなった後、ようやく動き出した。

 充分に距離を離れてからの行動は、愛梨が本当に一人で行動をしているかを確かめる為だった。

 共犯者が居れば、接触があるハズだからだ。

 今日の事故を引き起こした者と。

 真美の目に映るのは、寂しげな後ろ姿でも、暗い雰囲気でもない。まるで散歩でもするような軽い足取りで帰路に着く愛梨の姿だけだった。

 その様子を見て、真美は気持ちの上でホッとしたような表情を見せた。

 だが、すぐに厳しい目つきに戻る。

 ならば、真美が取る行動は一つしかなかった。

 愛梨が人気ひとけの無い道に差し掛かった時、真美は声をかけた。

「愛梨」

 愛梨はビクッと肩を振るわせた後に振り返った。

 そこには険しい目をした、クラスメイトである真美がいた。

 だが、次の瞬間には安心したように眉尻を下げて笑う。

「真美か。いきなり声をかけられたからビックリしちゃったよ」

 それは愛梨にとっては本心から出た言葉だった。

 突然背後から声をかけてきた相手が親しい相手だと知って安堵したのだ。その証拠に真美に対する警戒心など一切感じられなかった。

 だからこそ、真美は確信を深める。

 間違いなく、今回の事件を起こした犯人は愛梨なのだと。

 何より大切な友人を失う訳にはいかなかった。

 そこで、真美は慎重に言葉を選ぶことにした。

 なるべく刺激しないように、穏やかに声をかける。

 それは愛梨の心を開かせる為に必要だと思ったからだ。

「ねえ愛梨。修学旅行、中止になって残念だったね」

 そう言って真美は残念がる。

 愛梨は少しだけ困ったような表情をする。

 そして、小さくため息をつく。

 それから、ポツリポツリと話し始めた。

「本当だよね。私も、修学旅行楽しみでさ。一ヶ月前から、みんなで計画立てて準備してたんだよ? それが全部台無しだよ……。」

 悲痛な面持ちを見せる愛梨に対して、真美は何も言えなかった。

 何故なら、愛梨の言葉に嘘偽りが無い事が分かってしまったからだ。愛梨もまた、今回の事件を悲しんでくれていたのだ。

 真美は、一瞬でも思ってしまう。

 演技?

 それとも、ただの演技派なのか?

 そんな事を考えてしまう自分を恥じた。

(違う! そんなことない。きっと愛梨は純粋に悲しいと思ってくれたんだ)

 それなのに疑ってしまった自分が恥ずかしかった。

 だから、自分の見たことが今更ながら信じられなくなる。そんな葛藤の中で、真美はつらい気持ちに胸を抉られる思いで訊かなければならなかった。

 例え、友情が壊れるとしても。

「私、見たの」

 その一言に愛梨は首を傾げる。

「見たって。何を?」

 先程までの悲しみに満ちた顔ではない。

 冷たく、無感情の瞳をしていた。

 まるで、別人のように。

 その様子に真美は寒気が走る。

 だが、ここで退くわけにはいかない。

 愛梨の為にも、真実を明らかにしなければならないのだ。

 勇気を振り絞るように拳を握り締めた。

 そして、意を決して口を開く。

 この先に待っているのがどんな結果になろうとも。

 それでも、真実を知りたかった。

 だから、はっきりと告げた。

「愛梨。あなたが、運転手の人にカップ式コーヒーをあげているところよ」

 愛梨は目を見開いた。

 その顔からは笑顔が消えた。

「へえ。見てたんだ。あれは、運転手さんに対するねぎらいだよ。長距離運転ご苦労さまですっていう意味を込めてあげたんだ。別に悪いことをしたつもりはないんだけど、何か問題でもあったかな?」

 愛梨は平然とそう言った。

 まるで、悪びれた様子がなかった。

 しかし、真美は知っている。

 愛梨は、普段からあまり喋らない子だ。

 人付き合いも苦手で、友達らしい友達はいない。

 だからこそ、愛梨はクラスではマスコット的な存在として可愛がられていた。

 真美が愛梨と仲良くなったきっかけは、愛梨が一人だったことだ。

 愛梨は実家が牧場を営んでおり、両親と一緒に暮らしている。

 だが、愛梨は昔から体が弱く、学校も休みがちだったそうだ。

 そんな彼女の友達は乳牛たちだけだった。

 小さい頃から見ただけで牛の体調や状態が分かるほどに、動物好きだったという。

 だから、自然とその延長で動物の気持ちにも敏感になっていた。牛舎で飼育されている家畜たちの気持ちがなんとなく分かったという。

 特に、愛梨にとって印象的だったのは牛たちが自分に向けてくれる優しい眼差しだと言う。それはまるで本当の家族に向けるような愛情を感じさせてくれた。

 そんな愛梨は友達が居なかった。

 真美も同じく、一人でいることが多かった。

 そんな二人が一緒に居るようになったのも自然な流れだった。

 お互いの境遇を理解し、慰め合うように仲を深めていった。

 だから、愛梨の事は誰よりも理解しているつもりだった。

 愛梨が、誰かを傷つけるような人間じゃない事も。

 だけど、今は愛梨のことを怖いと感じている。

 目の前にいる人物が、愛梨ではなくて全く別の存在に見える。

 でも、聞かなくてはならない。

 だって、愛梨は真美にとって大切な友人なのだから。

 愛梨は、真美が想像もしていない言葉を吐いた。

「本当。死ななくて、よかったね」

 愛梨は笑んだ。

 その笑顔が、真美は怖いと感じたのは初めての事だった。

「それは、どっち?」

 真美は愛梨に問いかける。

 すると、愛梨はキョトンとした顔をする。

 それから、すぐに答えてくれた。いつもと変わらない声で。

 愛梨はクスリと笑う。

 そして、こう告げた。

「――両方よ。みんなも、運転手さんも」

 その言葉に、真美は鋭く反応する。

「愛梨。今、両方って言ったけど、どうして両方なの? スリップ事故に遭って私達は全員無事で済んだわ。でも、どうして運転手を心配するの?」

 そう訊ねる真美に対して、愛梨は不思議そうな表情を浮かべる。

 それから、当たり前のことのように答える。

「それは運転をしてくれていたんだから、当然じゃない?」

 愛梨は、常識を教えるような口調だった。

「スリップ事故を起こしてガードレールに接触したのは、バスの後方なのに? 添乗員も先生も居たのに、どうして愛梨は運転手なのかしら」

 そう言う真美に対して、愛梨は納得するように何度もうなずく。

「……そっか。そうだよね。みんなを心配するのは当然として、他にも心配する人が居るのに運転手さんを次に心配するなんて変よね。ごめんなさい」

 素直に謝る愛梨に対して、真美は違和感を覚える。

 今の愛梨の言葉に嘘は感じられなかった。本当に、運転手を心配していたようだ。

 真美は恐ろしくなった。

(愛梨は……一体、何を考えているの?)

 こんな状況でも、愛梨は冷静に物事を捉えようとしている。それなのに、真美は恐怖を感じてしまった。

 愛梨の事を怖がってしまったのだ。

 そんな真美の気持ちなど知らない愛梨は、笑顔を見せる。とても嬉しそうに、無邪気な少女のように微笑む。

 真美は愛梨が、分からない。

 分からないからこそ、真実を追求する必要があった。

 真美が、その目で見た真実を。

 それを知らなければ、愛梨は本当の意味で救われない。

 だから、真美は真実を語る。

 あの時の出来事を。

「……私、見たの。愛梨が運転手に渡したカップ式コーヒーに何か入れているの。砂糖やミルクは自販機の設定で入れるタイプだから、後から入れるようにはなっていないわ。あなた、一体何を入れたの?」

 その問い掛けに対して、愛梨はすぐには答えなかった。

 じっと、真美を見つめた。

 そして、しばらくして口を開いた。

「そっか。そこまで見られていたんだ。じゃあ、もう隠す必要はないね」

 愛梨は、あっさりと答えた。

 その事に真美は驚く。

「やっぱり。何か入れたのね。それで事故が……」

 真美の反応に、愛梨は気にせずに話を続ける。

「そういうこと。あれはイチイ。私が入れたの、毒を」

 愛梨は、淡々と告げる。


 【イチイ】

 イチイ科イチイ属の植物。(学名: Taxus cuspidata)

 分布は北海道から沖縄。

 秋に実る赤い実(仮種皮)は、食用にできる。生長が遅く年輪が詰まった良材となり、弓の材としてもよく知られる。

 イチイは寒さに強く北海道や東北では家の生け垣に使われることも多い植物。

 イチイは、別名「オンコ」とも呼ばれ、完熟した赤い実は食べるとほのかに甘いので、北海道で育った子供は誰しも一度は口にすると言われる植物だ。

 だが、イチイは果肉を除く葉や植物全体に有毒・アルカロイドのタキシン(taxine)が含まれている。

 症状としては、嘔吐、悪心、めまい、腹痛、呼吸困難、筋力低下、痙攣、最悪の場合は死亡する。特に種が最も毒性が強く、4~5粒ほど噛み砕いて飲み込んでしまうと最悪死に至る危険性がある。

 

 真美は、そんなものがコーヒーに入れられていた事実に驚く。

 何故、そんなことをするのか理解できなかった。

「正気なの!? どうして、そんなことをしたの?」

 思わず、真美は叫んでしまった。

 すると、愛梨は平然と答える。

 まるで、罪悪感など抱いていないかのように。

「もちろん。みんなを救う為だよ」

 愛梨は、そう言った。

 目を細めながら、笑みを浮かべている。

 目尻に涙があった。


 ◆


 愛梨の実家は、街の郊外にあった。

 牧場を経営しているだけあって、広い牧草地が広がっている。

 牛舎も建っていた。

「こっちよ」

 愛梨は真美を牛舎の中へと連れて行く。牛の姿はなかった。

「ここはね。出産を控えたメスの子達に使ってもらう場所なの」

 愛梨は説明し、中へ入っていく。

 そして、一番奥にある稲わらの敷いてある牛床の前で立ち止まる。

 そこには、不自然に布がかけられている膨らみがあった。愛梨はその前に立つと、ゆっくりと捲り上げる。

 そこに居たのは、一頭の仔牛だった。

 まだ、生まれたばかりなのだろう。

 仔牛の体には、産毛で覆われていて小さくて可愛らしい。

 だが、生気が無い。

 一目見て、真美は分かった。この子は死んでいるのだと。

 愛梨は、悲しそうな表情を浮かべる。

「この子。今朝、生まれたの。見て。この子の顔」

 促されて真美は仔牛の顔を見ようと覗き込む。

 そして、絶句してしまう。

 なぜなら、牛の子供なのに、牛の顔をしていなかった。人の顔をしていたのだ。人間と同様に目と目の間が近く、鼻が小さい。

 口元も人間のようだった。

 一言で言えば、人面牛である。

 真美は愛梨の方を向いて尋ねる。信じられなかったからだ。

「愛梨。これって、もしかして……」

 愛梨はうなずく。

「そう。くだんだよ」

 告げた、愛梨の顔は真剣そのものだった。


 【件】

 古くから日本各地で伝えられてきた妖怪。

 体は牛で、頭が人間の姿をしている。

 件は牛から生まれると、人間の言葉で災害や事故など国を揺るがすような大きな事件を予言して、すぐに死ぬという。

 その性質は至って正直で、その予言は外れることがないとされる。古来、書状・証文などの最後に「よって件の如し」(前記記載の通りである、の意)と書き記す慣例があるが、それはこの件が正直なことから来ているという説もあった。

 天保七年(1836年)、丹波国与謝郡「倉橋山」(現・京都府宮津市の倉梯山)に出現したと触れまわる当時の瓦版が現存する。

 この件は、その先数年連続で豊作が続くと予言し、また、その絵図を張り置けば家内は繁盛し、厄も避けられると教示した。

 特に災害がある年には、件が生まれると言われる。


 話には聞いていたが、真美は実際に見るのは初めてであった。

 しかも、それが自分の友人の牧場で生まれていようものなど、思いもしなかった。

 愛梨は、真美に語りかける。

 それは、まるで自分自身に言い聞かせるように。

 愛梨の目に、光は無かった。悲しみや絶望といった感情すら、感じられなかった。

「私が今朝、この子が生まれているのを見つけたの。そして、言ったの……」

 愛梨は、言葉を紡ぐ。

 あの時の光景を思い出しながら。

 愛梨は、生まれていた仔牛に近づいていく。

 すると、人面の仔牛が目を覚ました。目が開き、愛梨を見る。

 そして、愛梨に向かって話しかけた。

 人間の言葉を知っているように、はっきりとした声で。


「……愛梨のクラスメイトは、みんな死ぬ」


 仔牛の目からは涙が流れ出していた。それを見ても、愛梨は冷静さを保っていた。

 そして、愛梨は仔牛に問いかける。

 だが、仔牛は言葉を返すこと無く、眠りつくように死んだ。

 役割を終えたように。

 その話を聞いて、真美はスマホを取り出す。

 ニュースサイトを開き、今日起こった事件事故を検索する。 

 すると、ある事故を発見する。

 それは、主要幹線道路で鉄屑や鉄筋を過積載をしたトラックが横転するというものだ。

 死者こそ出ていないものの、怪我人は多数出ていた。

 路上に散乱した大量のスクラップを見るだけで、事故の恐ろしさを感じさせる。

 事故の時間を見ると、午前10時45分となっていた。

 それは、今回自分達の乗ったバスがスリップ事故を起こした現場から、時間も場所も離れてはいなかった。

 愛梨は、件に布を被せて泣いていた。

 真美は、そんな愛梨に寄り添うようにして慰めることしかできなかった。

「ごめんなさい。私、みんなが楽しみにしていたのに……。こんなことしちゃって」

 愛梨は、涙を流し続けていた。

 そんな愛梨を真美は抱きしめる。少しでも安心させる為に。

 真美は、バスを降りた時に愛梨がなぜ笑っていたのか、初めて理解した。

 人は、笑うべきでない時なのに訳も分からず笑ってしまうことがある。

 いわば緊張している状態。

 これは緊張状態が脳に与える刺激と関係している。脳は、緊張状態が続くと、その状態に精神が耐えられなくなり、それを緩和するために脳内麻薬が分泌され、気分が高揚しナチュラルハイ、つまり興奮状態になる。

 このため、普段ならなんてことない出来事でも、過剰に反応して笑ってしまうという。

 愛梨は、自分だけが知る未来の重圧。話したところで誰にも信じてもらえない苦悩を抱えたまま、それを防ぐためにたった一人で苦しんでいたのだ。

 終始様子がおかしかったのも、その為だ。

 運転手に意図的に事故を引き起こさせるのも、出かける前の僅かな時間で考え出したものだったのだ。

 一歩間違えれば、それこそが重大事故の引き金になりかねない危険を孕んでいたが、それでも確実な死を迎える最悪な未来を回避するためのギリギリの選択だった。

 愛梨は真美の胸の中で泣き続けた。

「そんなことないよ。愛梨が、何とかしてくれなかったら、みんな死んでたんだよ」

 愛梨の頭を撫でてあげる。

 それでも、愛梨は泣き止まなかった。

「あの子が教えてくれたの。私に、最後の声で」

 愛梨の言っている意味は理解できた。

 愛梨は件の、それを信じてたのだ。

 だから、真美は愛梨に言う。

 優しく、愛梨の背中をさすりながら。

「ありがとう。愛梨」

 愛梨は真美の胸に顔を埋めたまま、首を横に振る。

 愛梨の嗚咽だけが、牛舎の中に響き渡っていた。

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