武士道令嬢 ~悪役とは死ぬことと見つけたり~

橋本洋一

騎士の国

第1話令嬢となった武士

 全軍、総がかりせよとの命令が――本陣から下った。

 私は己が得物である槍を構えた。戦場特有の高揚感を覚えながら、命じられたように一揆衆のいる原城へ駆け抜ける。


 一揆衆――キリシタン共の反乱。敵の総大将は年若い少年と聞く。名は天草四郎時貞。

 三万以上の人間の士気を高めつつ、幕府の大軍勢に対抗できている。末恐ろしい若者だ。私が彼の年齢だったときは、何も成しえないような幼稚で青い若造だった。


 キリシタン共は籠城をして勝てると思っているのだろうか?

 援軍の望みもない、ただ死を待つだけの戦など――否、それこそが彼らの大望なのだ。

 要はただ死ぬだけでは駄目なのだ。

 彼らは彼らの信じる教えのために戦って死ぬ――殉教しなければならない。


 畿内や北陸で教えられていた――今でも信者はいる――本願寺の教えもそうだが、何かを信じることで死を恐れない、死を受け入れている者共の進軍は脅威だ。少しの負傷は気にかけない。死ぬまで戦い続ける。


 その証拠に、原城から突出してきた者たちがいる。

 彼らは教えに殉じるために、死ぬために、私たちを殺しに来る。

 正直、恐ろしい。背筋がゾッとする。


「だがな……私にも引けない理由があるんだよ!」


 たった一人、勢い余って隊列からはみ出た男を――槍で突き殺す。

 キリシタンとの戦闘が始まった――


 キリシタンはろくな武器を持っていないが、原城から鉄砲で援護を受けられる。

 ゆえにこちらは密集することはできず、散兵となって戦わなければならない。

 現に私が所属する鍋島藩の軍はそうやって戦っていた。


「ひきゃああああああああ!」


 悲鳴とも思える雄叫びを上げながら、私に襲い掛かってきたキリシタン。

 雑多な槍を構えつつ、突いてくるが稚拙である。

 払い落として、左胸を突く――大量の血液が噴き出る。


「あ、ああ。ぱらいそへ……」


 言い残して絶命してしまった。

 本来ならば首を切り落とすのだが、私の一番の目的は原城への一番乗りである。

 ここで手柄を立てねば――


「草野! 焦るな、ここは一度――」


 同じ鍋島藩の山本神右衛門の声。

 最後まで聞けなかった。

 腹をえぐる、一発の銃声――


「がっはっ……」

「草野! おい大丈夫か!?」


 山本が私の身体を引っ張って、物陰に隠す。

 血の色と撃たれた箇所を見て悟る。

 私は、もうじき死ぬ。


「草野! 草野一平! 死ぬな!」

「や、山本……」

「陣まで連れてやる! 医者に診せれば――」


 まったく、お人よしだな。

 凄まじい痛みの中、私は山本に語りかける。


「や、山本。武士は何のために、戦うんだろうな……」

「草野? 何を言っているんだ?」

「私は、この戦で思い知ったよ……」


 山本の顔が見えなくなった。

 最期の言葉を――振り絞る。


「武士は、死ぬために……」


 そこで意識を失った。



◆◇◆◇



 気が付くとふかふかとした寝台に寝かせられていた。

 まるで羽毛に包まれているような――目を開けると、そこには南蛮人がいた。

 髪が金色の男が「アンヌ、よくぞ生きていてくれた!」と泣いていた。

 その隣の南蛮人の女も感涙している。


 驚きのあまり、言葉を失っていると「もう峠は越えました」と頭髪の薄い、白い着物を着た老いた南蛮人が笑いながら言う。


「アンヌ様はもう大丈夫です。後は栄養のあるものを食べさせてゆっくりと回復なさってください」

「先生、ありがとうございます!」

「何とお礼を申せば……」


 南蛮人たちが騒ぐ中、私は何かを言おうとして、喉が痛いことに気づく。

 まるで風邪を引いたような……

 すると先生と呼ばれた南蛮人が「まだ喋れませんよ」と私に言う。


「高熱のせいですね。しかし三日もすれば今まで通り話せます」

「そうですか。ではアンヌ。今はゆっくり休むんだ」


 どうやら私は風邪を引いていたらしい。

 それをこの南蛮人たちが治療してくれたのか。

 だから騒ぐ気力すらなく、倦怠感に支配されていたのか。


「それでは、私はこれで」

「玄関まで送りますわ、先生」


 三人が去ったのを見て、私はゆっくりと寝台から上体を起こした――違和感に気づく。

 手が小さく柔らかい。

 顔を触ると肌も柔らかい――不意に自分の髪が見えた。

 南蛮人と同じ、金色――


「アンヌ様。まだ起きてはいけませんよ」


 混乱している私に対し、部屋に入ってきた女――十才くらいの少女だ――がゆっくりと私を横に寝かせた。


 状況が全く分からない。

 まず、私が何故、皆から『アンヌ』と呼ばれているのか。

 ここはどこなのか。原城近くではなさそうだ。

 そしてあの南蛮人共は何者なのか。あの接し方を見る限り、この私に対して親しみを覚えているようだが……


「す、姿見を……」

「えっ? 姿見? 鏡のことですか?」


 私が頷くと、少女は怪訝な顔をして手鏡を取ってきてくれた。

 おそるおそる、鏡を見てみると、そこに映っていたのは――


「馬鹿な……」

「ど、どうかなさいましたか?」


 南蛮人と同じ、金色の髪。

 目の色は青い。

 透き通るような白い肌。

 何より驚くべきことは、私の姿が少女――否、幼女になっていたことだ。


「…………」

「大丈夫ですか、アンヌお嬢様?」


 少女の言葉を聞いて、己が幼女になっていることに確信する。

 あまりのことに何も言えなくなる。


「まだ風邪がお治りになられていませんから。まずはゆっくり休みましょう」


 私はゆっくりと寝台に寝た。

 目を閉じて、神仏に願う。

 ああ、これが悪い夢でありますように。



◆◇◆◇



 どうやら悪夢ではなく、どうしようもない現実であると気づいたのは、そう遅くはなかった。

 目が覚めると件の少女――侍女のカレニアに面倒を見てもらっている自分がいる。

 それからあの南蛮人たちが私の家族であるとも分かった。


 男は父親でカールという。伯爵という地位に就いていて領主らしい。

 女は母親でニコルという。名家の淑女だったが、カールに嫁いだようだ。


 そして私は流行り病に罹ってしまい、生死を彷徨っていたらしい。

 それまでの記憶が無いので曖昧な言い方になる。

 この家の一人娘のようで、他に兄弟姉妹はいない。


 私はこの状況を冷静に考えて、自分が島原で死んだと確信した。

 この世界で第二の人生を生きることを神仏から命じられたと悟った。

 だが、この世界で私が何を成せばいいのか。

 まったくの不明であった。


「アンヌ。明日、君の婚約者であるギルバード殿が遊びに来る。丁重に出迎えなさい」


 私が目覚めて一か月後。

 夕食の際に父のカールからいきなり言われた。

 私は五才のはず……いや、大名家ならばその年齢から婚約者は決まっている。ありえない話ではない。


「かしこまりました、父上」

「うむ。しばらく見ないうちに丁寧な言葉を使えるようになったな」

「ええ。カレニアには感謝しないといけませんわ」


 カレニアは侍女であると共に、教育係でもあるようだ。

 まあ教育係と言っても、気のいい姉のようなものだけど。


 そして迎えた翌日。

 伯爵家の門の前に立派な馬車が停まった。

 そこから現れてきたのは、平凡そうな十代の少年だった。姿恰好は奢侈で優雅なものだったが、何となく着られている感じがしてしまう。


「ギルバード・ダラゴンです。このたびはグラスフィールド家にお呼びいただき嬉しく思います」


 口上はなかなかだった。言い慣れているのだろう。

 父のカールは「久しぶりですね」と鷹揚に出迎えた。

 私も母も丁寧にお辞儀した。

 それから食堂で簡単な食事と歓談を行なった。

 ギルバードの家柄は、伯爵家よりも上らしく、父は気を使って話していた。


「そういえば、ギルバード殿は剣術が得意だと」

「たしなむ程度です。強くはありませんよ」


 謙遜するギルバードだったが、自信がありそうだった。

 さっそく父と模擬試合することとなった。

 私は既に退屈していたが、ついて行くしかなかった。


 そして結果は、ギルバードの勝ちだった。

 父は明らかに手加減していた。まあこれも彼らのやり方だろう。


「いやあ。ギルバード殿はお強いですね!」


 父のお世辞を聞き流しつつ、私は足元に転がっている木剣を手に取った。

 武器を手に取るのは一か月ぶりだった。

 ぶんぶんと素振りすると手に馴染む。


「あ、アンヌ? 危ないからおやめなさい?」


 母のニコルが驚きながら私を止める。

 父もギルバードも驚いていた――ああ、そうか。今の私は五才の女の子か。


「分かりました、母上――」

「アンヌ。良ければ僕とそれで遊んでみないか?」


 ギルバードの言葉に父は「危ないですから」とやんわりと断ろうとする。

 私はそれを無視して「いいでしょう」と木剣を向けた。


 ギルバードは片手で構えた。

 私は正眼に構える――


「ふふふ。なんだいその構えは?」


 ギルバードは油断しているのだろう。ゆっくりと私に向けて木剣を振るう――

 私はそれを払って、喉元に木剣を添えた。

 驚くギルバードに「本気で来なさいな」と笑う私。


「こ、後悔するなよ!」


 むきになったギルバードが子供らしい癇癪を起こして、木剣を振るう。

 それを冷静に受けて躱して流す私――


「でぇえええええい!」


 ギルバードの渾身の上段切りを、私は跳ね飛ばして――木剣がどこかへ飛んだ――ギルバードの額に木剣の先を突きつけた。


「な、なあ……なんで……?」

「まあ『たしなむ程度』でしたら、及第点ですね」


 木剣を呆然とする父に預けて「私、少々疲れたので自室に戻ります」と告げた。

 背中に怒りの視線を感じる――どうでもいい。

 他人を小馬鹿にする子供にはちょうどいい灸なのだ。

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